第26話 研修会―参日目 終―



「さぶッ!」



そして、研修会の最終日。

迎えた朝、勿論ばっちり寝不足状態だ。

結局昨日帰ってきたのは草木も眠る丑三つ時、つまり深夜の2時前だ。

起床時刻は5時なので、睡眠時間3時間弱の予想通り睡眠不足の朝を迎える。

俺は基本的に睡眠をとらないと活動できないタイプの人間なので、無理矢理体を起こしてからも、しばらくは活動できないでいた。

最終日の研修は午前中のみだ。後は帰るのみ。一番楽な筈なのだ。

これさえ乗り切れば、何とかなる!そう思って行動した俺―――だったが、



「ひえぇぇえっ、さむいぃぃっ」


「気持ち悪い声を出すな」



やってきたのは、なんと――五十鈴川いすずがわ

この川は、内宮に沿うように流れる川であり、上流はとても綺麗で有名である。

また、内宮に参拝する時には、手水として使用されているのもこの川である。

そして、今は5月上旬、勿論川遊びなんてする季節じゃない。

じゃあ、なんで入っているかって?理由は1つだ。


――「みそぎ」である。


別名「鳥船行事」とも呼ばれ、全国各地で祭事としても行われている。

桃華八幡宮で言うのなら、「沐浴」と同語だ。

体を清め、穢れを取り除く行為をとされている。

しかし、桃華八幡宮はお風呂、こっちは川の水。温度に雲泥の差がある。


服装は、越中褌えっちゅうふんどしと白い鉢巻き。

越中褌えっちゅうふんどしとは、前に細長い布を垂らす一般的な褌だ。

褌なんてつけたことがないのだが、これだけ大勢でつけていると羞恥心も麻痺してくる。

とりあえず、初夏にする恰好ではない。



「えい、さー、えい、さー」



禊の作法に関しては、神社によってやり方は異なる。

まずは、「えい、さー」という掛け声と共に、陸で船を漕ぐような動作をする。

次に、手を胸の前で組む。この時、指で丸い空洞をつくり、その場所に「心」こめながら「祓戸大神はらどのおおかみ」を3回唱える。

「祓戸大神」とは、「穢れを祓う神様」である。この一連の動作を3回ほど繰り返す。

これは水に入る前のに心身浄化と準備運動に値する。



生魂いくたま


足魂たるたま


玉留魂たまたまるたま



次に、上記の3つの言葉を叫び、右手の二本の指を眉間へと持っていく。



国常立命くにのとこたちのみこと



そして、天地創成神話の神である「国之常立命くにのとこたちのみこと」と叫び、その手を「エーイ」という掛け声と共に、空を切るように振り下ろす。

この「国常立命くにのとこたちのみこと」は、地域によっては「天之常立命あめのとこたちのみこと」と唱えるところもあるようだ。

その後、もう一度「エーイ」という掛け声と共に、自身の眉間に指を戻す。

この動作も3回繰り返し行われ、そしてようやく川の中に入るのだ。



祓戸大神はらどのおおかみ 祓戸大神はらどのおおかみ 祓戸大神はらどのおおかみ



寒い!冷たい!

歯が震えそうになるのをぐっと堪えて、川に入りながらも「祓戸大神はらどのおおかみ」と唱え続ける。

肩まで水の中に入り、全員川の中に入るのを待つ。

そして、最後に「大祓おおはらえ」の祝詞を全員で奏上し、禊は終了となる。



「……おい」



さっさと川から上がろうとしている俺に声をかけてきたのは、楓彩八幡宮そうさいはちまんぐうの人達だった。

そうは言っても、班は2つに分かれていて、俺達は前半組だ。

つまり、俺の元にやってきた楓彩八幡宮の人達は、青山、相良、津堅の3人だけだった。

よりによってこの3人かよ、と思ってしまうのは仕方ないと思ってほしい。



「ああ、おはよう。体調は大丈夫なのか?」



両手を腕にまわして擦りながら歩いていたのだが、この3人が川の中なのに平然としているのが悔しく思えて、自身の手をほどく。

無理矢理にでも平常心を保っているふりをしながら、3人に向き直った。

てか、こいつら、寒くねぇのかよ。相良なんか、体格が良いから、ボディビルダーみたいだし、ムカつく。

俺だって、見えないだけで筋肉あるんだからな!そう心の中でささやかな対抗を試みる。



「ああ。その、……」


「ん?なんだよ」



津堅が何か言葉を言いかけて、黙る。

視線を下に下げてしまい、言いにくそうに片手を後頭部にまわしている。


(……おい!早くしてくれ!俺は寒いんだよ!)


表情では平然を装っているが、実際はすごく寒かった。

てか、川の中でする話じゃねぇだろ。



「おい、どうした」



そこに、立花がやってきた。

相変わらず不機嫌そうな表情をしながらも、俺のところにじゃぶじゃぶと音を立てて歩いてきた。

来た、助け舟!そう思って振り返った瞬間、俯いたままだった津堅が勢いよく顔をあげて言葉を発した。



「き、昨日は悪かったな!助けてくれてありがとよ!」



いきなり大きな声で言われたせいで、びっくりして津堅の言葉がすんなりと脳に入ってこなかった。

数秒経ってから言葉の意味を理解した俺は、再度体を津堅に戻す。

なんだ、言いに来たのって謝礼かよ。



「こっちこそ、いろいろ悪かったな。あと、たくさん殴ってごめんな」


「ああ。……次は負けねぇぞ。俺達はお前らを超える神主になってやるからな」


「ふん、やってみろ」



そこで挑発に乗ったのは、立花だった。

鼻で笑い、見下すように言葉を返す。コイツはほんとにブレないな。

湯田と言い、津堅と言い、何故勝ち負けにこだわるのだろうか。

昨日みたいに協力すればいいのに、そう思ったが口に出すのはやめた。

俺達を一方的に毛嫌いしていた楓彩八幡宮の人達が、お礼を言いに来てくれたのだ。

ここは円満で終わりたい。そう思っていると、ふと津堅の上半身が目に入った。

実際にはその腹だ。よく見れば、腹筋が割れていたのだ。


(まじかよ!俺よりもムキムキじゃねぇか)


横にいた相良の筋肉がすごすぎて目に入らなかったが、青山も津堅も上半身の筋肉がしっかりとついていた。

腕の筋肉もついていて、筋まで見えている。さすが、女子にモテそうな風貌をしているだけある。

そして、立花の体も見る。コイツも腹筋までは割れてはいないが、運動をしている人のような引き締まった体をしていた。

最後に自分の体を見た。そして、目を逸らす。ああ、ダメだ。負けている。早く服を着てしまいたい。

すると、1人で落胆している俺の視線に気づいた津堅が、不思議そうに首を傾げながら俺に問いかけた。



「……どうした?」


「うるせぇ!くそー!お前ら覚えてろよ!次は負けねぇからな!」



なぜかそれが悔しく思えた俺は、まるで悪役の捨て台詞のような言葉を吐き、逃げるようにその場を後にした。


その後は、朝食を食べてから最後の座学の講義に入った。

内容は壱日目に言った通り、各々が考える「理想の神主像」ということらしい。 

これを全員の前で発表して終わりだった。


俺が発表したのは「神社に来たすべての参拝者を導くことができる神主」だ。


これを胸を張って堂々と発表をしたら、講師の人に「曖昧ですねぇ」と言われてしまった。

だけど、仕方がないだろう。邪気祓いで、とか、『此の世ならざるモノ』で、と表現しても首を傾げられるんだし。

大まかで曖昧でも、俺の中でこれが一番しっくり来ているのだ。

勿論変えるつもりはない。変えられるものでもないと思う。

すると、講師の人はそれ以上は何も言わずに、次の人を指名したので、心の中でほっと息を吐いた。


立花は「人を救える神主」と言った。

うわぁ、言っちゃったよ。そう思ったのは俺だけじゃない筈だ。

一瞬ぽかんとした講師の人も、すぐに我に返ると「具体的には?」と聞いてきた。

その言葉にどう返すのかドキドキしたが、「困ってる人がいたら助けたい」と言うと、少しの沈黙後に「良いでしょう」と講師が答えた。

俺より曖昧じゃねぇか!もっと掘り下げろよ!そう心の中で突っ込む。


成川は「人としての見本になる神主」と言っていた。

その言葉の後に「神主は何でも知っていると思われる職業だから、作法のみでなく、一般常識や雑学、礼儀などもしっかりと身につけた神主になりたい」とちゃんと詳しい内容の説明もしていた。

その言葉に、講師の人も笑顔で納得するように何度も頷いていた。

良い印象を持たれたようだ。さすが成川だ。出世術もばっちりだ。



「――これを持って、出仕研修を終わりといたします。各自、忘れ物がないように帰ってください」



講師の人の声が静かな部屋に響いた。

やっと研修会が終わった!その安堵感に大きな溜息を吐き出す。

本当はこの場で両手を伸ばして大きく伸びをしたいが、さすがにここでは無理か。

そんなことを考えながら、筆記用具を片付けていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。



「犀葉!お疲れ!また会おうぜ!」


「また誘うわ!連絡返せよ!」


「ああ、勿論!井上、加藤も元気でな!」



声をかけてくれたのは、大学時代の友人だ。

2人と手のひらを合わせてハイタッチをして、部屋を出ていくのを見送るように手を振る。

いろいろあって疲れたけど、懐かしい友人にも会えて楽しかったな。

そんなことを考えながら立ち上がったところで、ふと2人の男達が視界に入った。



「……立花は――」



話していたのは、立花と楓彩八幡宮の津堅だった。

ここからでは遠くて何を話しているのか、しっかりと聞こえなかった。

珍しい組み合わせだ。仲良くなったのだろうか。

一体何の会話をしているんだろうかと興味本位で俺は歩み寄った。



「キミのお兄さんが、" 連絡も返さないから心配 "って言ってたよ」



耳に入った言葉に、俺は足を止める。

そして、何より驚いたのは―――その表情だ。

楓彩八幡宮の人達と初めて出会った夜や、朝のジョギングの時に見せたものと同じモノ。

いつもの強気でふてぶてしい態度とうって変わり、眉間に皺をよせ、憂いを灯す瞳。

まるで、思い詰めているような表情だ。



「……俺は――」



そう言いかけて、ふと俺に気づいたようで視線が合う。

すると、すぐにいつもの不愉快そうな表情に戻り、視線を横に逸らしながら歩き出した。



「……立花、いいのか?」


「お前には関係ないだろ」



そのまま立花が俺の横を通り過ぎようとしたので、そう問いかける。

言いかけてやめるなよ、そう言うつもりだったが、あまりに冷たい返事が言及するなと言っているようだった。

そんな立花を、津堅が珍しく困った表情をして、見つめていた。



「悪いな。コイツ、本当に愛想悪いんだよ」


「いや、俺も余計なこと言ったのかもしれない。じゃあ、また会おう」


「ああ、またな」



そう言って小さく笑うと、津堅は俺に背を向けて部屋を出て行く。

アイツは、きっと立花の内情を知っているのだろうな。

そんなことを考えながら出ていく様子を茫然と見つめていると、突如背中を強く押された。



「帰ろうぜー!犀葉!」



突然の衝撃に、盛大に咽た。

一瞬呼吸止まったじゃねぇかと恨みを込めて振り返ると、案の定にんまりと笑顔を見せる成川だった。

コイツ、俺と一緒で3時間睡眠のくせに元気だな。

いや、元気にもなるか。何はともあれ、研修会がやっと終わったのだ。

あとは帰るだけ!そう前向きに気持ちを切り替えることにした。



「ああ、そうだな!あ、駅で土産買わなきゃなぁ」


「俺も赤福買って帰りたいー」


「あ、俺も俺も!」






―――こうして、俺達の2泊3日の研修会は無事に終わった。








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