第22話 研修会 ―弐日目 夕―




13時からは座学②「国学について」

「国学」とは、江戸時代の中期頃に発達した古典研究の学問である。

これは、孔子の教えである「儒教」やお釈迦様の教えである「仏教」が日本に伝来する前の、日本本来の思想や精神、古代文化や文学を明らかにしようとしたものである。

その代表的人物が、荷田 春満かだのあずままろ賀茂 真淵かもの まぶち本居 宣長もとおり のりなが平田 篤胤ひらた あつたねで、この4人は国学四大人こくがくしうしと呼ばれている。

主に7~8世紀頃にできた日本最古の和歌集である「万葉集」や、712年に太安 万侶おおのやすまろが完成させた日本の始まりや神話を書く日本最古の歴史書「古事記」を研究して、その解読に至ったとされている。

特に、本居 宣長もとおり のりながの出身地は、伊勢に近い三重県の松阪市にあり、そこに記念館もあるのでぜひ行ってみるがいいという講義内容だった。

神父でいう「聖書」が、神主では「古事記」になり、その書物を解読をした人だ。

内容には興味があったのだが、如何せん午前中と昼食時にいろいろあったせいで、何度か船を漕いでしまった。


15時からは「日別朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおうみけさい」の見学。

日別朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおうみけさい」とは、食物の神様である「豊受大御神とようけおおみかみ」が祀られている「外宮」の「御饌殿みけでん」で行われているお祭りである。

簡単にいえば、「内宮」に祀られている太陽神である「天照大神あまてらすおおみかみ」に食事を持っていく御祭だ。

朝と夕の二度、食事を御供えすると共に「皇室の安泰」と「国民の幸福」を祈る。これが1500年間、毎日変わらず同じ時間に行われ続けているのだ。

俺達が見学させてもらえたのは、夕方の時間である。

貴重な体験に目を輝かせながら見ていたのだが、ただ1つ問題があった。

その祭式の時の姿勢が――想像以上にしんどいのだ。


(……――ッ、きッつ!)


先程の座学のように船を漕ぐなんてことはないが、体勢に体が悲鳴をあげていた。

両足を合わせ、踵を地面にぴったりと合わせたまま腰をおろす中腰の姿勢になる。

このまま祝詞のりとを唱え終わるまでじっと耐えなければいけないのだ。

中には足首が固くかかとが地面につかずに浮いてしまう者もいる。

それは許されないこととされている為、こっそりと周囲にある玉砂利を浮いた踵に詰める者もいた。

その光景が、なんというか、シュールで少し笑えた。


見学後は、伊勢神宮のいろいろな話を聞いて、17時30分に弐日目の研修会が終了した。

研修中も時々周囲を気にしていたが、異常行動をする人はいなかった。

本当にうまく隠れられているようだ。

本番は夜というわけか。


18時からの夕食後、成川の人脈の広さを生かし、他の神社の人と替わってもらい1番風呂を獲得した。

風呂時間は、3つの神社で合同で風呂を使い、30分間入浴時間が設けられる。

しかし、俺はいつも以上に落ち着いていられずに、早々に風呂を出る。それは成川と立花も同じだったみたいで俺とほぼ変わらないタイミングで風呂を出た。

時計を見れば15分も入っていなかった。



「あれ、犀葉。どこ行くのー?」


「悪い、璃音が気になって」



俺が落ち着かない理由は、璃音のこともあった。

立花と成川の話を聞き、俺がいない間に祓われたり、捕まったりしていないか心配になったのだ。

邪気祓いに使うような荷物も全部持ってきている為、屋敷に行く時間までの間は璃音のところに行こうと思っていたのだ。

すると、成川は何かを察したかのようにふっと笑ったかと思うと、立花の背中を押して再度歩き始めた。



「…っ、おい」


「20時に裏口集合な!」


「おう。ありがとう」



成川に礼を言い、俺はそのまま駆け足で裏口へと向かった。

裏口についたら案の定鍵は閉まっていた。

そりゃそうか。そう思いつつ周囲に誰もいないことを確認して、戸を開ける。

戸の横から外を見るが人の気配もない。そう確認して、一歩外に出て、音を立てないように戸を閉めた。



「……璃音?」



辺りは暗かった。陽も沈み、人も影をも呑み込む闇の時間。

伊勢神宮の周辺施設は、大抵神社と一緒で17時には閉まる。

つまり夜は暗く、まるで別世界に放り込まれたような雰囲気に変わるのだ。

少しずつ目が慣れてきて、暗闇でもほんのり外観が見えてきた。

やはり夜は不気味だ。


外に出て璃音の名を呼ぶが、――返事がない。


途端に不安になった俺は、再度大きな声で璃音の名を呼んだ。



「璃音!」



何度も叫ぶように呼びながら歩きまわり、ふと足を止める。

施設の外にある向かいの塀の上に" 俺の探し人 "はいた。

コンクリートの壁に、上に瓦が敷かれている格式の高い塀、その上に座って宙に足をブラブラと揺らしながら空を見上げていた。



「……璃音」



一瞬、声をかけようか悩んだ。

淡い月の光に照らされ、肌が真珠のように煌めき、幼い風貌もいつもより少しだけ大人っぽく見えたのだ。

つまり、完全に見惚れてしまっていた。



「 あきら! 」



ダメだ、相手は『此の世ならざるモノ』だ、慌てて首を振る。

そんな俺の視線に気づいたように、璃音がふわりと降りて、駆け寄ってきてくれた。

そのままぎゅっと胸に抱き付かれたので、俺もそっとその背に手をまわす。



「 あきら、大丈夫?ケガはない? 」


「うん。大丈夫だよ。それよりも璃音が無事で良かった」



言葉に出したら、気持ちがこみ上げてきた。

そして、無意識のうちに背に回す手に力がこもってしまっていたらしい。



「 ふふっ、くるしいなぁ 」


「あ、ごめん」



俺が慌ててぱっと手を離すが、璃音の手は離れない。

嬉しそうに俺の胸に頬を寄せていた。

ああ、可愛い。俺もずっとこんな妹が欲しかった。



「 やだ。離さない。おにいちゃん、ずっと側にいてね 」



俺に抱き付きながら、楽しそうにくすくすと笑う璃音。

俺に会えて嬉しいという気持ちが全面に表れていて、たまらなく嬉しくなる。

そのまま俺は、その頭を優しく撫でる。

もしできるなら、俺もずっと側にいたいと思う。



「……璃音、俺と一緒にいたい?」


「 うん。どうしたの? 」



俺の言葉が気になったようで、璃音はゆっくりと俺から体を離した。

きょとんとした無垢な瞳を見つめ続けていると、俺の中で罪悪感が燻る。

そのまま俺も腰を下げて、璃音と視線を合わせた。



「俺も璃音と一緒にいたい。一番の本心では、今度こそ姉妹仲良く幸せに暮らしてほしい。だけど、今はそれは無理で、璃音はこっちにいなくちゃいけない。兎……天音さんと約束もしたし、……って、あれ?考えがまとまらない」



頭が混乱してきた。

そう言うが、璃音は無垢な瞳で俺をじっと見つめて、言葉を待ってくれているようだった。

少しだけ口元は笑みを含んでいて、その表情が天音さんとそっくりで、綺麗だと思えて、


ああ、俺は、璃音を――…



「俺は……、俺は" 璃音の幸せ "を護りたい」



ああ、そうか。

今口に出したことで、そう自分自身で納得した。

俺は、目の前の少女に幸せになってほしいのだ。



「成川と立花が、璃音がそのまま使い魔の契約をしないままでいたら、誰かに祓われたり、術で強制的に誰かの使い魔にされてしまうかもしれないって言ってた。だけど、俺の使い魔になったら、もしかしたら同じように、痛いと思うことをさせてしまうかもしれない。俺に呼ばれたら時間関係なく来なきゃいけないし、せっかく得た自由な時間もなくなってしまう。それが嫌なら、そんなモノにならなくていい。璃音がやりたいように、思うように過ごしたらいいと思う」



俺が縛ることが、本当に璃音の幸せに繋がるのだろうか。

それなら、俺という存在も璃音にとって、靄と一緒なのではないだろうか。その疑念が消えない。



「俺は……、璃音を幸せにできる自信がないんだ」



俺は、ただ『此の世ならざるモノ』が見えるだけで入社した見習い神主で。

知識も技術もなく、先輩や同期の足も引っ張ってしまっている。

俺なんかより他の人の使い魔になって方が璃音を護ってもらえるのではないかとも思ってしまうほどだ。

ああ、誰かに自分の想いを伝えるのが、こんなに怖いなんて、初めて知った。

自信の表れを象徴するように、無意識のうちに視線が下がっていく。



「 あきら 」



僅かな沈黙が続いた後、優しく幼い声で名を呼ばれる。

顔を上げられずにいる俺の頬を、璃音が両手で包みこむようにして上へと導いた。



「 私ね、ずっと真っ暗の中で、お姉ちゃんの名前を呼んでた。呼んでも、呼んでも、返事はなくて、怖くて泣いてたの。真っ暗な靄は優しくて、心地良くて、少しの間嫌なことを忘れられるけど、心の中はずっと満たされないままだった。……だけどね、ある日、私の名前を呼んでもらえたの。私の名前を呼んで、靄から引っ張り出してくれて、大好きなお姉ちゃんに会わせてくれたの 」


「……璃音」



俯いてしまっていた視線をゆっくりと上げる。



「 うん。璃音って呼ばれるの大好き。今、とっても幸せだよ。ありがとう、おにいちゃん 」



にこっとまるで花が咲くような笑顔をで笑う璃音。

その言葉が嬉しくて、俺は勢いのまま璃音を抱きしめた。

ああ、嬉しい。嬉しい!こんな力のない俺でも、誰かを救えたのだと実感できた。



「 ねえ、おにいちゃん。使い魔は……私じゃダメかな?力になれない? 」


「い、いや!そんなことはない!むしろありがたい……けど、いいの?」



体を離して慌てて両手をぶんぶんと左右に振る。

まだ実力はしっかりと見ていないのだが、天音さんの能力値と、昨日助けてくれたところを見る限り、俺には勿体ないくらいだ。



「 私も一緒だよ。私を幸せに導いてくれた人を今度は幸せにしたいの。私にもおにいちゃんを護らせて。―――私を使い魔にしてください 」



少し照れが混ざっているのか、頬が赤い。

ああ、ほんとに俺には勿体ないくらい良い子だと思う。

こんな嬉しいことを言ってもらえたら、拒否する理由なんてどこにもないじゃないか。



「勿論。――俺の使い魔になってください」


「 はい! 」



そう言葉を発した瞬間、俺の足元が青白く光り始めた。

光は円を描き、足元に何やら文字が描かれているが、俺と璃音の足に隠れて何か見えない。

重力に反するように、円の下から上に風が吹く。

なんだこれ、なんだこれ。俺はどうすればいい?



「え、え!?これは、なんだ?」



混乱して慌てふためいていると、数メートル先から成川と立花が歩いてきたのが見えた。

あ、きた助け舟。そう思って声をかけようとしたその時、柔らかい手が俺の両頬を包む込んだ。

璃音か。そう思って視線を璃音に向けた瞬間――見えたのは予想以上に近い璃音の顔で、



「えっ!?…―――んっ」



―――そのまま璃音の唇が、俺のと重なった。


混乱した頭で状況を判断できず、固まる俺。

そのまま3秒ほど経った辺りで、璃音の体はゆっくりと離れた。

すると、円内の風がより一層強まったかと思うと、光と共に上空へと上がり、その光は璃音の手の甲へと落ちた。

何も言葉を発することができないまま璃音の手の甲に視線を向けると、青白い光で葉っぱの紋様が刺青のように刻まれていた。



「……あー、えっと、使い魔の契約おめでとう?」


「おう?ありがとう?というか、契約できたのか?」


「ああ、できたと思うよ」



ぽかんとしていた俺に声をかけてきたのは、成川と立花だった。

成川の頬はほんのりと赤く、俺を直視できないようで、ちらちらと視線を横に何度か逸らしながら言葉を発していた。

そして、立花は怖い表情をして微動だにせず俺を見ていた。



「てか、ばっちりキスシーン見せられて、とうとう犀葉がロリコンを発動して、禁断の恋に踏み入り始めたのかと思った」


「ばっ…!違っ!っ、立花まで睨むなよ」


「ああ、立花は衝撃的過ぎて石になってるだけー」



よく見れば、確かに立花は石のように固まってしまっていた。

表情も動かない。顔の前でひらひらと手を振ったら、はっと正気に戻ったがすぐに顔を赤らめてしまった。

え、この歳になってここまで照れるのか?ああ、そうか。確かに、こいつ固そうだし、女子に免疫もなさそうだしなー。



「 ふふっ、これで使い魔になれたのね! 」


「これから、よろしく。璃音」


「 うん、よろしくね 」



俺の隣では、璃音が自身の手の甲を見つめて、楽しそうにはしゃいでいる。

それを見て、自然と笑顔になった俺は、璃音の頭を優しく撫でた。

すると、それを見ていた立花の顔が、突如ゆでだこのように赤くなり始めた。



「ッ!お前っ…!さすがに、キ、キスは、趣味悪いぞ!ロリコン!」


「ツッコミ今かよ!使い魔の契約の為だっての!ロリコンじゃねぇよ!」


「はいはい。この話はコレで終わりー!じゃあ、揃いましたし、行きますか。幽霊屋敷へ!」



いつもと変わらないことをしている筈なのに、ロリコン扱いをされるってなんだよ!

そう文句を言う俺と、そんな俺を赤い顔のまま睨む立花の2つの背中を成川が押しながら進み始める。

すると、ふと思い出したように璃音が言葉を発した。



「 あ、そういえば、今日屋敷に行ったら、同じように『此の世ならざるモノ』の子ども達がいたんだけどね… 」



屋敷へと向かう道中に、俺達は璃音の話に耳を傾けた。

屋敷には、他の『此の世ならざるモノ』がいて、偶然通りかかった時に話しかけられて、話を聞いたこと。

内容を簡単にいうと、俺達にかくれんぼを提案した『此の世ならざるモノ』は、この屋敷で亡くなった子どもらしい。

その時もかくれんぼをしていて、地震に巻き込まれ、結局は見つけてもらえなかった。

だから、かくれんぼに固執しているということだ。



「じゃあ、その『此の世ならざるモノ』は、自分を見つけてほしくてかくれんぼをしているってことか?」


「 うん。そうみたい 」



俺の言葉に、頷くように璃音が同意する。

俺達をからかって遊んでいるだけの愉快犯かと思っていたが、かくれんぼに固執している愉快犯のようだ。

どっちにしろ放っておくと来年の研修生にも影響が出そうだ。今日中に何とかしないと。



「……まずは本体を捕まえてからだろ」


「立花の言う通りだな。まずは捕まえなきゃ何も進まないんだけど、俺から提案してもいい?」



――すっと一本指を立て、にんまりとした笑みをつくる成川は、本日の中で一番楽しそうな笑顔に思えた。







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