第弐章 靄 かくれんぼ 研修会の章

第16話 皐月





~♪



携帯から軽快な音楽が流れ始める。

この音楽は、俺の携帯アラームの1つ目に流れる音楽だ。

神主は朝も早いので、俺は目覚ましタイマーを3つ設定している。

夢現な意識で枕元の携帯に手を伸ばし、画面を見ずにいつもの感覚でタイマーを止めるボタンがあるところを指でタップする。

数回試したら何とかアラームを止められたので、そのまま手の力を抜いた。


(……今日は、このまま次のアラームまで寝てしまおう)


いつもの日課であるジョギングはできないけど、まあいいかと思いながら睡眠という欲求に意識を委ねる。

そのまま夢の中に飛び込んでしまおうと思った瞬間、突如体の上に重みを感じた。



「 あーきーらー!朝だよー!起きてー! 」



ゆさゆさと揺さぶられて、俺の意識はゆっくりと覚醒した。



「――うわっ!?」



ドアップで人の顔が見えたので、驚いて変な声を上げながら俺は飛び起きた。



「 そろそろ慣れてよね、お兄ちゃん 」


「無理だって。でも、起こしてくれてありがとう。おはよう、璃音りの


「 ふふ、おはよう 」



俺の上に乗って楽しそうに笑いながら頬杖をつく少女――璃音。

璃音は靄に操られていた霊――『此の世ならざるモノ』で、死別した姉を探して彷徨っていた。

先日、その姉である――天音さんとも無事に出会え、誤解も解けて仲直りをした。

そのまま2人で過ごしてハッピーエンドかと思いきや、靄を纏ってしまった為に、100年程はお姉さんと一緒に暮らせないということで、俺が預かることになった。


俺の" 使い魔 "として、一緒に過ごしているのだ。






5月 皐月さつき 初旬。

世間一般的には大型連休。

しかし、俺達神主には大型連休など存在せず、通常通り仕事だ。


5月上旬には、「御田植祭おたうえさい」と呼ばれるお祭りがある。

御田植祭おたうえさい」とは、その名の通り田んぼで行われるお祭りである。

神様にお供えをする為の、お米を作る田んぼを注連縄しめなわで囲い、祭壇を築く。

そこで「五穀豊穣」と農家の人の「家内安全」を願うお祭りである。


そして、大型連休といえば、やはり買い物や旅行にいく人が多いだろう。

旅行に行くなら観光!それならば、神社にも!と期待していたが、観光神社でもない田舎神社に観光客は来ない。

そして、ゴールデンウィークに敢えてご祈祷に来る人も少ない。


「観光客は来ないけど、心霊スポットとしては有名だよ?夏は大変だぞ」


観光客について尋ねたら、平沢さんが俺に楽しそうな笑みを向けてそう答えた。

そっちの観光客は遠慮したいですね、と答えて夏を迎えるのがちょっと嫌になったのを覚えている。


5月といえば、結婚式も多いのだが、此処の神社は結婚式を承っていない。

理由は明確だ。此処は除霊専門の邪気祓いをメインとした厄払い神社なのだ。

こればかりは仕方ない。


結論を言うと、ゴールデンウィークは御祭だけしかなく、神社に来る人が少ないので普段よりも暇になるということだ。



「……――はい、ここで二礼。犀葉くん、もっとゆっくり」



その結果、ここぞとばかりに入るのは、俺達の研修だ。

今日は禰宜の瀬田さんより、昼のご祈祷の研修を受けていた。


昼のご祈祷とは、主に「御祈願」と「厄払い」だ。

種類も豊富だ。


初宮参り

七五三

家内安全

交通安全

病気平癒

安産祈願

合格祈願

開運祈願

厄除け  など


願いの分だけ種類があると言っても過言ではない。

それに合わせて、渡す「おさがり」の種類も変え、言葉を変えていく。


昼のご祈祷の作法は、大学の実技でも勉強した。

神社によって祀られている神様も違うので作法も異なるが、全く未知の世界というわけではない。

大体は一緒なので、頭にも入りやすく、覚えやすい。


(普通の神主だったら、これだけでいいのになー)


俺達は、これにもう1つ夜のご祈祷である「邪気祓い」がある。

こっちの方が、俺にとって未知の世界で、ついていくのに必死な落ちこぼれだ。



「はい、今日はここまで。動きもしっかりできているから、今月末に最終チェックをしようか」


「はい!」



3人の返事が揃う。

そんな俺達を見て、瀬田さんはゆっくりと笑みを深めた。



「いい表情になってきたね」


「ありがとうございます」



お礼の言葉まで3人揃ってしまった。

ここまでくると、本当に気持ち悪いな。そう考えて右を見れば、立花と目が合った。

じろっと睨んでくるので、俺も睨み返してやる。

見かねた瀬田さんの咳ばらいの声を聞いて慌てて視線を正面に戻したとほぼ同時に、部屋の戸が開いた。



「お疲れ様です、瀬田さん」


「お疲れ様、祿郷くん。次は君だっけ?」


「はい、柴崎さんと2人で実技です」



実技!?

その言葉に反応したのは、俺だけではなかったようだ。

そんな俺達に視線を向けた祿郷さんが、呆れたように苦笑する。



「なんつーか、お前ら犬みたいだな」


「え」


「は?」



ゆっくりと右を見れば、先程3人で並んでいた位置より一歩俺と立花が前に出ていた。

ホワイトボードには「研修担当 瀬田・柴崎」と書かれていたので、邪気祓いのことは学べるだろうとワクワクしていたのだが、まさか実技とは…!

そう思って思わず体が前に出てしまっていた一歩だった。つまり、立花も同じ気持ちだったということだ。

立花もそれに気づいたようだ。不快です、という表情を露にする。

うわ、一気にテンションが下がった。



「祿郷さん、ほんとにやめてください」


「………」


「うわ、立花、眉間の皺すごいぞ」


「ははっ。お前ら、ほんと仲悪いなー。まあ、いいや。自分の邪気祓い用の鞄を持ってついてこいよー」



祿郷さんと成川にからかわれる様にひとしきり笑われた。

その後、祿郷さんの言葉を聞いて、俺達は慌てて邪気祓い用の自身のボディバックを手に取り部屋を出た。

玄関に向かい、靴を履き始めたので、どうやら外へ行くらしい。

俺達も靴を履いて、後を追った。



「 あきら! 」



外に出たところで声をかけられた。

ゆっくりと振り向くと同時に、その姿に驚いて動きを止めてしまった。



「 えへへ、どうかな…?せっかく神社にいるならって、宮司さんにもらったの 」



俺に駆け寄ってきたのは璃音だ。それは声でわかった。

驚いたのはその服装だ。―――何故か巫女の恰好をしていたのだ。

昼食時にはいつもと同じ白いワンピースを着ていた筈だ。

長い間ずっと着ていたせいなのか、死んだ時の姿のままなのかわからないが、確かに薄汚れていた。

白衣、緋色の袴、服装だけでこんなに印象が変わるのかと驚いた。

髪色がブラウンとはいえ、普通にそこらの神社にいる綺麗な巫女に見えたからだ。



「 瑛? 」


「可愛い巫女さんだね。良く似合ってるよ」


「 うん、ありがとう! 」



俺が茫然と黙ったままだったので、不安そうな表情になってしまった。

慌てて頭を振る。あまりに綺麗だったので、言葉が出なかった。

できれば個人的に、携帯で写真を撮って残したい。

自称ロリコンの片岡さんの気持ちがわかったような気がした。


(……娘に対する父の気持ちってこんな感じなのだろうか)


それなら、きっと俺は親ばかタイプなのかもしれない。

そう思いながらも頭を優しく撫でると、嬉しそうに璃音がはにかんだ。

それに癒されていると、社務所の方から足音が聞こえてきた。

振り返ってみると、やってきたのは柴崎さんだった。



「各々、準備はできているな?」


「はい」


「では、今から実技を行う。この山でジョギングを行いつつ、邪気祓いも行っていく。祓う前は必ず周囲の確認と対象の観察をすること!その場にもう一体いることもあるので、注意すること!邪気祓いのやり方は覚えているな?」



邪気祓いのやり方は、先日に習った。


まずは、塩水を相手にかける。

次に「いん」を組む。両手の手のひらを合わせて、親指、中指、薬指、小指は組むように握り、人差し指だけが伸ばした状態にする。

その後に祓い言葉『―――祓ひたまへ 清めたまへ』と唱えて、空をナナメに切る。


まあ、俺はまだ使ったことがないけど。

これを実際に使っていくということか。

緊張するなぁ。



「今回は先日習った簡易的なモノのみだ。式神や使い魔は使ったらダメだ。わかったか、犀葉」


「はい。でも、使い魔の使い方すらわかっていなくて…」



使うって言われても、全くわからない。そもそも俺が使うモノなのか?

というか、璃音は戦えるのだろうか。こんなに華奢な女の子なのに。

そう思って、隣にいる璃音に視線を向ける。

きょとんとした不思議そうな表情が返ってきた。

そうだよな、璃音もわからないよな。



「 ねえ、柴崎さん。瑛が危なくなったら助けてもいいの? 」


「いや、悪いが、危なくなったらお守りを使ってもらう。コレも犀葉の為だ。それでも危なかったら助けてくれ」


「 うん、わかった。早く力の使い方を思い出すから待っててね、お兄ちゃん 」



そう思っていたのは、俺だけのようだ。

にっこりと璃音が俺に微笑んだかと思うと、今度は手のひらを見つめはじめる。

よく見ると、白い光が彼女の手に集まっていた。

嗚呼、お姉さんに似て、なんて頼もしいのだろう。



「全員に無線機を渡す。あと、コレも」



以前邪気祓いに同行した時に先輩達が使っていた無線機を1人1つずつ渡された。

そして、次に柴崎さんが3枚の白い紙を取り出したかと思うと、その中から鳥のような物が生まれた。

10cmくらいの大きさに、体表、羽の色は真っ黒、そこに緋色の瞳なので、少しだけ不気味な感じがする。



「これは謂わば見張りだ。君達の行動をコレで監視する」


「あと、これは地図な。全員バラバラのコースを走る。さあ、どれにする?」



3枚の地図を裏向けて、まるでババ抜きのように俺達に選ばせるように見せ、にやりと祿郷さんが微笑む。

俺はごくりと唾を飲み込み、真ん中の地図を指定した。

成川は右、立花は左だった。その地図を手に取り、俺達は山道を走り出した。









「次は、右か」


「 そうだね 」



B4の大きさの地図に、赤い線で走るルートが示されていた。

馬鹿でも分かる、なんてわかりやすい地図だろうかと関心する。

そして、後ろをちらりと振り返る。



「……っ、いつまで、ついてくるんですか!」


「お前が一番危ないからな」



そして、何故か俺だけ団体御一行様。

右には璃音、左には柴崎さんの式神の鳥、そして後ろには祿郷さんがいた。

しかも、難なく俺の走るペースについてくる。

俺もけっこう息が切れてきたのに、余裕そうにされると腹が立つ。

俺も体力がついた筈なのに。くそ、くやしい。



「いいんですか、成川や立花は」


「あいつらはいいんだよ。お前も気づいてると思うけど、" 経験者 "だ。ここに来る前も、『此の世ならざるモノ』を遠ざけたことがあるだろう。あいつらに足りないのは経験量だ。だから、今回は単独にさせたんだよ」


「……そうですね」



そうだ。勿論自身でもわかっていた。

立花は靄を自分で判断して祓っていたし、成川は俺が璃音に襲われた時に冷静に判断して助けてくれた。

あんなの、何もわからない俺だったら、無事に対処できていたか自信がない。

だからこそ、俺が足手まといだということも重々理解している。



「悪く思うなよ、犀葉」


「思ってません。だけど、すっごく悔しいので、――絶対追い抜かします!」



それでもやっぱり悔しいのだ。

足手まといである自身も能力の低さにも嫌気がする。

もっと学びたい、もっと知りたい。

学生時代にもなかった" 知識欲 "が、俺に芽生えているのを感じていた。



「……っ」



ふと、感じた嫌な気配。

動きを止めて、辺りを見渡す。

ちらりと見えた祿郷さんの表情も、真剣なモノに変わっていた。

つまり、俺の行動は間違っていないということだ。


そのまま視線を左に移した時、ガサガサと草木が動いた。

俺が身構えた瞬間、姿を現したのは――動物だった。



「……兎?」



耳をぴんと立てて、ひょっこりと出てきたのは野兎のようだった。

そう思い、肩の力を抜く。まあ、此処は山だし、兎くらいいるか。

そんなことを考えつつ近づこうとした瞬間、野兎とばっちり視線が合った。


――ぞくり


一瞬にして背筋に感じた寒気。

野兎が真っすぐ俺を見つめていたが、その眼が明らかにおかしかった。

まるで瞳孔が開いたかのような大きな瞳、ふらふらと足取りもおぼつかない。

というか、兎って両足を使ってピョンピョン跳ねるように動くはずなのに、まるで犬のように片足ずつ動いている。

そして、何故か野兎の足が血に濡れているように赤かった。

極めつけはその声だ。兎の筈なのに、グルルルとまるでイヌ科のような唸り声。

おかしいところが多すぎて、怖い。


(……そうだ、塩水!)


慌てて鞄から小瓶を取り出したが、緊張しすぎて1つ地面に落としてしまった。

ぱりんとガラスが割れる音が響く。

その瞬間、それに反応したかのように野兎が俺に向かって走ってきた。



「うわっ!?……は、祓えたまへ!清めたまへ!」



驚きと混乱で一瞬判断が遅れたが、持っていたもう1つの小瓶の蓋を開けて野兎に向かってかけた。

しかし、素早い動きで避けられ、警戒するように野兎も俺から5歩ほど離れて動きを止めた。

それに安心するが、現状は何も変わっていない。

俺の緊張がさらに高まってきた。



「……――落ち着け、犀葉」



その時に、祿郷さんが声をかけてくれた。



「まずは、深呼吸。お守りがある限り、早々襲われない。そして、よく見ろ。お前は" 目を凝らせ "」



言われるがまま、ゆっくりと深呼吸をする。

大丈夫だと自身に言い聞かせて、気持ちを切り替える。

そして、野兎をじっと目を凝らして見ると、身体の周りに黒い靄が纏わりついているのがわかった。



「まずは観察。対象のランクと深さは?」



野兎の行動はあからさまに不自然なので、異常行動を起こしている。

野兎に成りすましているというよりも、野兎に何かが憑りついているという表現に近い印象だった。

つまり、ひのと(霊体化でき、実体化もできる。モノに憑りつき操る。理性を保ち、憑りついた人に成りすます)ではないと思う。

憑りついている時点で、靄で存在するきのえではない。

ということは、


きのと(霊体化できるが黒い靄に近い。モノに憑りつくが、安定せず剝がれやすい)

ひのえ(霊体化でき、殆どがモノに憑りつき操る。異常行動や人に害を成すことが多い)


この2つになるということか。


深さはわかる。

明らかに不自然な行動なので、一体化にまでは至っていない。


霊障れいしょう(憑りつかれ、体調や行動に異常が生じる。低級であれば、塩水などでも清められる)


深さは" 霊障 "に間違いないだろう。



「……おそらく、乙か丙。そして深さは霊障です」


「ああ、その判断は正しい。強すぎる相手に対峙した場合は、なるべく逃げること。レベルに応じた祓い方をする必要がある」


「はい」



その時に、思い出したのは――天音さんのことだった。

俺の中で強すぎる『此の世ならざるモノ』の見本だ。

ああいう人に出会った場合は逃げることを選択する必要があるということか。


そんなことを考えながら、目の前の兎を見つめる。

未だに喉を鳴らし俺達を威嚇する瞳や纏う靄からは、はっきりと敵意と殺意が見えた。

今まで出会った靄とは少し違う。今までなら、捕食者のような瞳で俺を襲ってきた。

なぜだ?



「 兎さん、かわいそう。よっぽどの恨みがあるのね 」


「……恨み?」



ふと璃音の呟いた言葉を聞き、そう考えて野兎を見つめる。

強い瞳、喉を鳴らす音、初めは威嚇だと思っていたが、これがもし、俺達人間に対する「恨み」だとしたら?


……――靄はね、" 憎悪 "よ。悪霊である象徴。悲しみ、恨み、憎み、厭忌、あらゆる負の感情の権化よ


ふと、天音さんの言葉を思い出した。



「負の感情が、靄を呼ぶからな。靄はそれに付け込む」


「 ねえ、お兄ちゃん。私はお兄ちゃんのおかげで楽になったよ。ずっと、寂しくて悲しくて苦しかったもん。だから、兎さんを助けてあげてね 」



祿郷さんの言葉の意味を考えて、そして悲しそうに笑う璃音を見て、心が痛んだ。

璃音もずっとお姉さんを探していた。探している間は、ずっと悲しくて苦しかっただろう。

それに靄は付け入ったということか。あの野兎も、苦しんでいるのだろうか。



「うん。早く助けてあげよう」



そう思った時には、もう迷いはなかった。

目の前の野兎に憑りついている『此の世ならざるモノ』を祓うため、ボディバックから小瓶を2つ取り出す。



「 ガァァ 」



俺がまた塩水を使うと判断したからだろうか。

再度、靄を纏った野兎が飛び掛かってきた。

それを右に避けつつ、小瓶の蓋を開け、野兎に振り撒く。



「 ァ、ァア… 」



その瞬間、野兎と黒い靄が分離した。

俺はそのままダッシュで走り、地面で蠢いている黒い靄に塩水をかける。

次にいんを組む。印の練習は家でも何度もした。

その成果はあったようで、自然と身体で覚えることができていた。



「―――祓ひたまへ 清めたまへ!」



そう半分叫ぶように祓い言葉を唱えて、空をナナメに切る。

その瞬間、黒い靄がまるで火消しのようにシュウゥと音を立てて消えた。

ふぅと息を吐く、そして周囲を見渡した。

嫌な気配もなし、邪気祓い終了と判断していいだろう。



「犀葉、まだ終わってないぞ」



その言葉に、びくりと肩を揺らす。

俺の後ろには、祿郷さんが立っていて、その横にいたのは…――倒れた野兎だった。


四肢はぴくりとも動かない。

舌をだらんと出し、先程のようにギラギラした瞳も閉じたまま。

俺は緊張しつつもゆっくりと野兎に歩み寄った。



「 兎さん、死んでるの? 」



そう呟いた璃音の言葉に、すぐに返せるものはいなかった。

よく見れば、右の後ろ脚を怪我をしているようだった。

この血は初めから野兎のモノだったのか。



「おそらく死んだ野兎に憑依していたんだな」


「……はい。祿郷さん、お墓をつくってもいいですか?」


「ああ」


「ありがとうございます……――ッう!?」



そう言って兎に触れた瞬間、一瞬目の前が白くなった。

その中で出てきた映像――それは「野兎が逃げていて、人間の男が銃を持って追いかけている場面」だった。

パツンという音と共に一瞬にして消えてしまったが、野兎の怪我の原因、そしてその恨みの理由がわかってしまった。

嗚呼、なんて、悲しい記憶なのだろう。恨まれても仕方ない。



「 瑛? 」



俺の目の前で不思議そうに首を傾げたのは璃音だ。

そりゃそうだろう。いきなり固まってしまったのだから。

そんな俺に声をかけてくれたのは祿郷さんだった。



「バカ。まずは清めてやれ。恨みを持ったまま墓に入れてやるのか?」


「……はい。――祓ひたまへ、清めたまへ」



そう祓い言葉を唱えて、塩水を野兎にかける。

すると、ゆっくりと洗い流されるかのように薄い靄が剥がれ落ちた。

隣を見ると祿郷さんが木の根元近くに穴を掘ってくれていたらしい。

そこに寝かせるようにして置き、上から土を被せた。



「ごめんな。どうか、安らかに」



そう隣で目を瞑り呟く祿郷さんも、野兎が亡くなった理由がわかっているようだった。

俺も目を瞑り、祿郷さんと同じことを心の中で呟いた。



「……祿郷さん。ありがとうございました」


「まだだよ」



そう言って、祿郷さんは自身のウエストバッグから小瓶を取り出した。

俺の腕を掴み、祓い言葉を唱えながら塩水をかける。

自身では気づいていなかったが、清める前の兎に触ったために靄が少しついてしまったようだ。



「負の感情が靄を呼ぶと言ったが、呼ばれる靄は同等もモノが多い。あの野兎が、人間を恨む感情があったなら、呼ばれた靄も人間に恨みがある獣霊が多い。あれは、おそらく犬の霊だろうな」


「……はい。祿郷さんも見えたのですか?」


「まあな。まあ、俺は" 耳 "だ」



そう言って、自身の耳を指差す祿郷さん。

俺は目だが、人によって感じるところが違うのだろうか。



「ほら、帰るぞ」


「はい」



それからも最初と変わらず走らされた。

確かに、走った方が気が紛れるような気がしていた。


" 負の感情が、靄を呼ぶ "


その言葉の意味を改めて痛感させられたような気持ちだった。



「犀葉。あんまり、気にしすぎるなよ。こういうことは多い。靄に耳を傾けすぎたら、お前が靄に呑みこまれる」


「……はい。でも、俺は知りたいです。璃音の時も、たくさんの人に迷惑をかけましたが、耳を傾けたことは後悔していません。終わった今でも、救えてよかったと思います。だから、迷惑をかけずに俺で何とかできるように、もっと強くなりたいです!技術も!体も!心も!」



自分にも言い聞かせているように、半端叫んでいた。

我ながら単純だと思う。でも、強くなれば、俺でも誰かを導ける神主になれる気がしていた。

俺は走っていた足を止めて、祿郷さんの方にその勢いのまま振り返った。



「うわ、びっくりした!急に止まっ――」


「――祿郷さん!俺の悪いところ全部言ってください。俺に何でも教えてください!何でも学びます!何でも吸収します!俺も祿郷さんみたいな神主になって、人も、動物も、璃音のような『此の世ならざるモノ』もすべてを導ける神主になりたいです!お願いします!」


「 ……お兄ちゃん 」


「……宮司さんの言った意味、やっとわかった気がする」



勢いのまま、祿郷さんの表情もろくに見ずに頭を下げる。

しばらくの沈黙の後、祿郷さんが呟いた言葉を聞いて、伺うように顔を上げた。



「お前は成川と立花を超えると言ったが、そんなことはしなくていい。俺みたいな神主にもならなくていい」


「へ?」


「お前はそのままでいい。そのまま成長しろ。自分の信じたモノの為に、これから自分を磨いていけ。その為に、俺で良ければ力を貸してやる」


「……祿郷さん」



祿郷さんの言葉と笑みは、俺は間違っていないと言ってくれているようだった。

それがたまらなく嬉しかった。

祿郷さんの言葉は、厳しい時も多いのだが、その厳しさにも優しさが溢れている。

常に俺に勇気をくれ、背中を押してくれるのだ。



「じゃあ早速ですが、5日後に祿郷さんと宿直なので、いろいろと聞いてもいいですか?」


「……5日後?ああ、いいよ」


「よっしゃ!」



喜びで勢い余って飛び跳ねてしまう。

これを機に、他の神主の式神や使い魔のことを聞いてしまおうか。

成川や立花は元から知識があるのだから、これくらい許されるだろう。

つまり、研修前の予習作戦だ!いろんな人に聞きまくるぞ!

そう1人でやる気に燃えていると、何かを思い出したように祿郷さんが声を発した。



「――あ」


「え?どうしました」


「ダメだ。その日のシフト変わったんだった。言うの忘れてた」



マジか。だけど、祿郷さん以外でもいいや。

個人的には平沢さんや山中さん、片岡さんでもいい。

この人達は先日の外任務もあったので、喋りやすい。

ただ、柴崎さんや設楽さんは質問しにくいからやだなぁ。

そんなことをつらつら考えながら、次の言葉を待った。



「その日、" 伊勢 "に行ってもらうから」


「……へ?」」


「新入社員3人で、2泊3日で伊勢に行ってもらうから。出仕研修だってさ。……あ、前」





予想外の答えに驚きで思わず振り返った瞬間、前方にあった木の幹に気づかず、思いっきり俺は頭をぶつけた。








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