第3話
忘れた……つもりでいたけど、心に深く刻み込まれてしまっている。昨夜は辛いことを思い出しちゃったな。最初にその事実を知った時、地面が崩れたわけでもないだろうに、自分が底なしの暗い闇の中へ放り投げられたような、とてつもない絶望感に襲われた。
気がつけばとーこに、彼氏ができていた。中学生の頃の僕は、決して彼女を忘れていたわけじゃない。ずっとずっと好きだった。それなのに、きっとまた繋がりを持てるんじゃないかって、漠然と甘い期待を抱いていただけ。それは奇跡的に叶ったけど、彼女に彼氏ができるという現実的なことを考えていなかった。
いや……ただ、目を背けていただけだ。彼女の気持ちは自分に向いているから平気って、思い上がっていただけだ。九州と北海道という距離と、日々の忙しさを言い訳にして。
「おい宗ちゃん、聴いてんのかよ」
突然の呼びかけに反応し、宙を彷徨っていた意識たちが、僕の頭に急降下した。
「…………ああ、ごめん! ええと、何だっけ?」
正面を振り向くと、慣れ親しんだ男友達二人が僕のほうを見ていた。
そ、そうだ……ここは家じゃなく、学校の教室だった。何かの打ち合わせをするため、いつもより早く登校していたんだ。
「しっかりしてくれよ~。思春期なのはわかるが、大事な話をしている時ぐらいは、グラウンドにいる女子たちを見るんじゃないっての」
剛君の発言に、なおっちがくすくす笑っている。窓越しにグラウンドのほうを見下ろすと、キラキラと汗を滴らせた女子たちが、元気よくバレーボールをしていた。
「み、見てないよ! だから、その……そう! 山登りについて、話していたんだよねっ」
そうだった。僕たちは今、三人で山登りする計画について話し合っていた。
東京での嬉しかった再会には、とーこや真麻ちゃんらはもちろん、この二人の男友達も含まれている。剛君となおっち。離れていた三年間、中学校での出来事や、古井戸探険などした小学生当時の思い出話は尽きることがなく、先日僕の家で夜遅くまで語り合った。
再会当時二人は、世間で話題になっている山の話で盛り上がっていて、そこに僕が戻ってきたから、よかったら一緒に登らないかと誘ってくれた。内容的に少し迷ったけど、当面の休日に歯医者以外の予定はなく、事前トレーニングをした上でと言うので、僕は不安ながらも誘いにのった。
「ああ。周りから、道端の石ころと揶揄されてきた俺たちが、日本一険しいとされる遭確山を登り詰め、ゴリラどもを見返す! そして、奴らの嘘を暴いてやるんだよ」
遭確山、か……。他にも色んな名称が出てきたので、少し頭を整理しなきゃ。
僕が唯一望んでいなかったのは、いじめっ子であるゴリラたちとの再会。ああその前に、僕たちがなぜ石ころって呼ばれているかって言うと、いつも少人数で教室の隅っこのほうに集う小柄男子で、ゲームやアニメなどガキみたいな話題でしか盛り上がれず、誰にも相手にされない石ころのような存在だからだそうだ。小学生の時、意地悪な女子数人からそう言われた。それを聞いたゴリラたちは爆笑し、その噂を周囲に広め出したというわけ。もっともそれは、女子から言われたほうがより傷つくだろうと言う、ゴリラたちの策略に他ならなかった。
別に間違ってはいないけど、わざわざ口にしなくていいと思う。そっちはそっちで楽しんでいりゃいいのに、他人の趣味にケチつけなくていいじゃん。
僕らはゴリラたちから暴力を受けたこともあったし、日頃からバカにされ、散弾銃の如く罵詈雑言を浴びせられたこともあった。多くを望まず細々と生活している僕らにとってゴリラは、心の底からうっとうしい存在だ。
「宗ちゃんのために、確認しとこうか。ゴリラたちが遭確山を登り詰め、頂上の岩にしるしを残してきたって自慢してただろ? 俺たちはそれを、一ミリたりとも信用してない」
「そうそう。第一、証拠として撮影したカメラを、なくしたって言うのが怪しいよね」
「ああ。登り詰めたのが本当なのか嘘なのか、真実を確かめるための旅でもある」
剛君となおっちのやり取りに、僕はうんうんと頷いた。
ところで、なぜ僕たちが密かにゴリラと呼んでいるのか? 一言でいうと、奴らがそう見えるからに他ならない。三年経てば少しはまともになったかと思いきや、その無神経で荒々しい性格は、以前と全く変わっていなかった。大半がこの高校の試験に落ちたみたいだけど、めでたいと思ったのは一瞬。以前のメンバーを中心に、新たなゴリラ一味が結成されちゃっている次第である。高校生活もまたこいつらと一緒に過ごすのかと思うと、気が重いことこの上なかった。
さて。だいぶ頭の整理ができたところで、タイミングよくなおっちが話しかけてきた。
「どうだい宗介? 剛は大丈夫って言ってたけど、遭確山登れそう?」
「うーん……今の段階だと、ちょっと厳しいと思う。ただ、体力作りは真面目にやってるよ? 昨日だって放課後、町内をひとっ走りしてきたから」
僕だって、地道に身体を鍛えている。
「宗ちゃん毎日頑張ってるよ。中学の頃も、ランニングだけは欠かさなかったそうだし」
中学校入学当初は怠けていたけど、唯一誰にも負けない徒競走で運動部に抜かれるようになってしまい、それから毎日のように走ってきた。
「正直今の俺たちじゃ、遭確山を登り詰めるのは厳しい。けど、そんなに心配しなくて大丈夫だよ。俺が思うに、山登りって要は気持ちなんじゃないか? 諦めない気持ちで足を動かしていりゃ、そのうち頂上には着くんだし」
僕らを安心させるためだとは思うけど、あまりに楽観的すぎる気が……。
「おーい、おっはよーっ!」
出し抜けに声をかけられ振り向くと、廊下で僕らに手を振る女子生徒がいた。
「あっ、真麻ちゃん!」
軽く手を上げたなおっちと、面倒そうに顔をしかめた剛君。そんな彼らと僕が見守る中、真麻ちゃんが弾むような足取りで教室に入ってきた。
「えっへへ、そーおすっけちゃーん!」
駆け寄ってくるなり真麻ちゃんが、背後から僕に抱きついてきた。
「ちょ! や、止め、なよ……」
僕の抗議が弱々しいものとなったのは、ふっくらと柔らかい物二つが、肩の辺りにのしかかっていたから。決して不快とは言えない分、自然と抵抗する力も抜けてしまう。
「もお、照れちゃって可愛いんだから~」
「おい真麻、離れろよ。宗ちゃん困ってるだろ」
「えっ、つよちゃんってば嫉妬? ふふ、妬かない妬かない。今やってあげるから」
「お、俺はいいよ……っておい、こっち来んなってもう!」
真麻ちゃんは小柄男子に目がなくて、僕らのファンなんだそうだ。ただ恋愛感情と言うよりは、僕らをぬいぐるみのように思っている気がする……。出会いは小学二年生の頃で、僕らが鬼ごっこをしていると、電柱の陰で指を咥えて見ている一人の女の子がいた。それが真麻ちゃんで、とーこが一緒に遊ぼうよと話しかけると、彼女は満面の笑みで頷いた。
とーこと真麻ちゃん。最初は女の子同士仲が良かったはずなのに、いつだったか取っ組み合いの喧嘩している場面を見かけ、それ以降二人はライバルとなった。その原因は教えてくれなかったけど、推測することはできる。おそらく真麻ちゃんは、僕らのハートを独り占めしたいんじゃないかな? つまり、とーこがいては……ということ。
「ところでつよちゃん。宗介ちゃんも戻ってきたことだし、改めてお願いするね! 私を三人の仲間に入れて?」
「だめだって言ってんだろ。男で結成された誇り高きチームなのに、女子がいたらカッコつかないじゃん。なあ、なおっち?」
剛君と真麻ちゃんに視線を向けられ、なおっちは戸惑いながらも頷いた。
「二人とも古いふっ……ふ、ふ、ぶえぇぇっっくしょんっ! ずずっ……もう! 考え方が古すぎてカビ臭いから、くしゃみ出ちゃったじゃない。むさ苦……しくもないけど、ほら。チームに一輪の花があるだけで、だいぶ雰囲気変わると思うよ?」
真麻ちゃんは蜂蜜色の髪をかき上げ、魅惑的なポーズをとった。
「俺たちは物静かな雰囲気が好きで、うるさい奴が苦手なんだよ」
「なるほど……じゃあ! 静かでいい子にしてたら、仲間に入れてもらえる?」
「そうだなあ……やっぱ断る」
見るからに考えたフリをしただけの剛君に、真麻ちゃんはふくれっ面になった。呼気を吸い上げ始めた彼女を見て、僕となおっちは反射的に、両手で耳をきつく塞いだ。
「もお~! いじわるいじわる、いじわる~っ!」
真麻ちゃんが怪獣の如く叫び出したので、剛君も慌てて耳を塞いだ。
「あ、ががっ、がっ……耳、が…………そら見ろ! こいつうっせえだろ? こんなんがチーム内にいたら、メンバーの秘密とか駄々漏れだよ」
「ああ~っ! つよちゃんってば今、私を罠にはめたでしょ~!?」
真麻ちゃんが剛君を、拳でポカポカ叩いている。他人のこと言えないけど、こんなやり取りしている二人が高校生なんて、初対面の人は信じてくれないだろうな……。
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