小人からのお返し

てくてく

第1話

僕の名前は和言宗介。都内の高校に通う一年生だ。

学業成績はまあまあ、運動は走りを除いてちょっぴり苦手だっがぁっ……!

(び、びっくりした……)

急に何事かと思ったら、誰かが家のドアをノックしてきた。

こんな時間に来るなんて、いったい誰? 夜も九時を過ぎているし、ちょっと怖いな……。

と言うのも僕は今、このアパートに一人暮らしなんだ。

しかも切羽詰まったようなドアの叩き方で、怖がりの僕にとってはピンチ。

居留守を使いたいとこだけど、こうして家に明かりをつけている場合は、なかなか立ち去ってもらえない。カーテンの隙間から光が漏れていて、在宅していると外の人は判断するからだ。暗闇が苦手などの理由で、電気をつけっぱなしで出かける人もいるでしょうに。そうは考えないのかな?

立ち上がった僕は忍び足で、玄関の傍まで歩いてきた。

外にいるのは借金取りとかで、誰かの家と間違えているんじゃ? だとしたら迷惑な話だよもう。せめてドアスコープがあればな……。とはいえ、このままだと近所迷惑になっちゃうし、しょうがない。要件だけドア越しに訊いて、とっととお帰りいただくか。

「ええと、どちら様ですか?」

「ああっ、よかった! 宗ちゃん、私!」

むっ、女の子の声だ! しかも僕をそう呼ぶ女の子は、クラスメイトの木下とーこだけ。

僕の幼馴染でもある彼女は、緋色のショートヘアーに大きな双眸が特徴的で、ファンタジーの世界から飛び出てきたような、可愛らしい女の子だ。

「こんな時間にごめん。ねえ、開けてよ~」

父親の仕事の都合で、小学校卒業と同時に僕は博多、とーこは札幌に引っ越し、離ればなれになった。電話や手紙で連絡を取り合い、離れてから数か月は関わりがあったけど、思春期独特の照れなどで、いつしか疎遠になっていた。

そして中学卒業を機に僕らはそれぞれ親許を離れ、単独で東京に戻ってきたというわけ。

それを打合せしていたわけではなかったので、入学式で顔を合わせた僕たちは、人目を憚らずに手を取り合い、奇跡とも言える再会を心から喜び懐かしんだ。

受験日は緊張のあまり、周りのことなんてほとんど気にしていられなかったからな。

「宗ちゃん、私だよ? とーこだよ?」

でも、本当にとーこかな? なぜか声を潜めていて、周りの人に気づかれないようにしている感じ。何かと物騒な世の中だし、新手の詐欺業者という線も考えられなくはない。

ボイスチェンジャー、あるいは女の子を使って鍵を開けさせ、抱きつく場面を写真に撮る。

同時に強面のおじさんが現れて、儂の女になんばしよっとやぁぁぁって、莫大な慰謝料を請求されたり……って、テレビの観すぎかな。

「もう! 早く開けてってば~!」

「ああっ、ごめん!」

急かされて解錠しドアを開けると、そこにはやはりとーこがいた。けど、見慣れた顔にほっとしたのも束の間。そのあられもない姿を目にし、思わずぎょっとなる。だって、髪から制服から全てがずぶ濡れじゃないか。雨は一滴たりとも降っていないだろうに。

「ど、どうしたのとーこ? そんなに汗かいちゃって……」

「違うよ水だよ。急に押しかけちゃって、ごめん。ちょっとかくまって、お願い!」

声を潜めていたのと、その慌てっぷり……ひょっとして、誰かに追われている?

うん、断る理由は一つもない。僕はとーこの手を掴んで玄関に引き寄せ、ドアを閉めるとすぐに鍵とチェーンをかけた。どういう事情かはさておき、これでひとまず安心だろう。

「ええ、と……」

気後れしてしまった僕だけど、次の瞬間はっとなった。

頭を安らぎモードから緊急モードに切り替え、ちょっとだけそこで待つよう告げた後、早速準備に走った。夜だし一階の人に迷惑をかけないよう、爪先立ち走りで行動する。

(えっと、えっと、まずは……)

頭を俊敏に働かせ、何をすべきか動きながら考える。いつからずぶ濡れかによるけど、体温が下がり相当冷えているはず。だとしたら、彼女を導くべき場所はあそこしかない。

浴室に駆け込んだ僕は浴槽をシャワーで軽く洗い流し、ガスの元栓を捻ってから、お湯が溜まるよう栓をはめた。追い炊き機能がないので、ちょっと熱めにしておく。

次に白いバスタオルを手に取り、目に映った成人向け雑誌(親戚の大学生が置き忘れた(←これ本当))を机の下へ蹴り飛ばし、とーこのもとへ急いだ。

「くしゅん!」

「だ、大丈夫? 今、お湯溜めているさ…………お、お湯溜めている最中だけど、シャワーはすぐに使えるから。早くお風呂入っておいで?」

「うん。ありがと、宗ちゃん……」

途中僕が言葉に詰まったのは、改めてとーこを見た時、その……制服のブラウスが透けちゃっていて、ええと、ブラ、が……とにかく、目のやり場に困ったから。

「ああっ、ごめんなさい!」

「いいよ。拭いておくから。それより、急がないと風邪ひいちゃうよ?」

泣きそうな顔で謝ったとーこが、極力滴を落とさないようにしながら、浴室へ向かった。

乾いた雑巾で床を拭きつつ、僕は思い返した。経緯は今のところ謎として、さっきとーこは『かくまって』と言ってた。それってつまり、誰かに追われているってことだよね……。

と言うことは今にも追っ手がやってきて、ドアを乱暴に叩かれるかもしれない。

(ど、どうしよう……)

鍵は閉めてあるけどここは二階だし、はしごを使って登って来る可能性も考えられる。

こんな薄い窓など、あっさり壊して侵入してくるだろう。そうなったらもうお終いだ。

僕は酷い目に遭わされて、とーこはさらわれてしまう。

そこまで執念深く追って来るほどの動機があるのか、定かではないけど。

どうする? 通報しておく? ただ、何も起きていないうちから、警察って来てくれるものなの? 通報するならするで、まずはとーこに事情を訊くべきだよね……。でもそうなると、彼女がお風呂から上がってくるまでは、僕がこの場を死守しなきゃならない。

男なら闘えって言われても、文化系の僕じゃな……。殴り合いの喧嘩なんて、生まれてこの方一度もやったことないんだよ。ただ……何もできずに女の子を奪われるような結末、僕はごめんだ。どうしたものかと思い悩み、ひととおり部屋を見渡してみた。

(…………よし)

まだ平和な今のうちから、敵の襲来に備えるとしよう。とりあえずありったけのビー玉を用意し、護身用の金属バットを装備しておく。ロールプレイングゲームが好きなせいか、ボス戦前の準備にはよく頭が回る。後は赤チンとバンドエイドもポケットに入れて……そうそう、お鍋の蓋なんかも盾として使えるな。

よし、直ちに配置につけ! こうしている間にも、敵はすぐそこまで迫っているかもしれない。僕は息を潜めて窓際へ近づき、壁に背中をつけた。

(恐れるな、宗介。お前ならできる!)

僕は何者にも恐れない、魔王を斃す勇者なんだ!

こっそりカーテンの隙間から覗き込み、ひとまず外の様子を探ってみよう。どれどれ……。

「ひい~っ!」

得体の知れない模様を目にし、思わず全身が硬直する。な、何だこれ!?

……ああ、ただの蛾じゃないか。び、びっくりしたなあもう……うげー、気持ち悪い~。

借家人の許可もとらないで、窓にべったり張りついちゃってるよ。

窓を叩いて蛾を追い払い(逃げなかったけど)、改めて外の様子を探ったところ……うん。

今のところ、不審者らしき人物は見あたらなかった。

(ふ、ふん、腰抜けめ……)

どうやら敵は、僕に恐れをなしてずらかったようだ。死角に潜んでいる可能性もあるけど、それは怖いので考えないことにしよう。蛾にアカンベーした僕は、さっさとカーテンを閉めた。

ひとまず、戦闘はしなくていいっぽい。

(ふう、助かったなあ……)

ただ、蛾なんかに慄いてしまった自分が情けない。けどまあ幸い、誰にも見られていない。とーこがさっきの僕の悲鳴に反応しなかったのは、シャワーの音でかき消されたからのようだ。髪の毛を流している時とか、案外聞こえなかったりするからね。

さて。他にやるべきことは……そういやとーこ、何も持っていなかったな。だったら、着替えを用意しといてやらなきゃ。僕の服じゃ少し大きいかもだけど、まあ大きい分には問題ないか。タンスの中を物色し、洗濯した日付の近いものを選んで取り出した。

「これでよし。あっ、パン……」

不意にあれが頭をよぎり、顔がぽうっと熱くなった。な、何てこと考えているんだ僕は。

いつからそんなスケベに……いやでもこの場合、それって当然出てくる問題だよ。

さすがに上は持っていないけど、下は……用意してやらないとまずくない?

(ええ、どうしよう……あっ。そういや、新品のブリーフがあったような……)

そうだ。先日実家から、米とか服の入ったダンボールが送られてきていた。

とてもありがたかったけど、僕の母ちゃんは今一つ、男心をわかっていない。

高校生で白のブリーフだと、体育で着替える時とかに恥ずかしいんだよ。ネタではいてくる生徒もいたけど、小柄な僕はヘンに似合ってしまい、ますますガキ扱いされるから嫌なんだ。よって未開封で新品のまま、休日着用分としてタンスの中に眠らせていた。

あの様子じゃとーこ、全部が全部水に濡れちゃっているだろうし、当然あれも……。

ここは気を利かして、コンビニで女の子用を買ってきてあげるべき? でもそれ、相当恥ずかしいな……。店員が男性か女性かにもよるけど、会計の時、絶対気まずいだろうし……。

(こういう時、男って損だなあ……)

逆の場合だったなら、彼氏のため、あるいは泥棒避けにトランクスを干しておくなどの体で、堂々と買いに行けただろうに。男の場合だと、絶対店員さんにヘンな目で見られると思う。

それか、売ってくれないのかな? 購入理由を説明しても、言い訳と思われるに決まっているし。悩みに悩んだ僕は、とりあえず自分なりに用意し、浴室前のカーテンに近づいた。

「と、とーこ?」

そこにいないとわかったので、僕は間仕切りカーテンをくぐった。

「えっ、なに~?」

僕の呼びかけに反応し、とーこはいったんシャワーを止めた。

擦りガラスに彼女のシルエットが映ったので、僕は慌てて背を向けた。

「そ、その、えっと……き、着替えの入ったナップサック、洗濯機の上に置いておくね。有り合わせのものでなんだけど、もしよかったら使って?」

新品ブリーフは未開封のまま、服と一緒にナップサックの中に入れてある。

どちらかと言うと紳士な僕は、とーこの脱いだ衣類を見ないように、きつく目を閉じながら置いた。もちろん、重要な物は中に隠してあるだろうけど。

「う、うん。ありがとう……。ご、ごめん、ね……」

うわぁ、恥ずかしすぎてやばい……。一瞬迷ったけど、着替えのパンツ買って来たほうがいいかなんて、訊けるわけがなかった。ましてやブラ……僕には絶対無理だよ。

しょうが、なかったよね……。男のブリーフなんて嫌だろうけど、何もないよりマシと思うし、あくまで一時的な手段だ。緊急時は選り好みなんてしていられないし、後はとーこの判断に任せよう。僕は間仕切りカーテンをくぐり、そそくさと部屋に逃げてきた。

(な、なんか、ものすっごく疲れた……)

しかもとーこのシルエットが頭に焼きつき、胸のドキドキがおさまらない。

でもこういうケースでは、どうしてあげるのが正解だったのかな? せめて白ブリーフは子どもっぽいから、使用済みのトランクス(洗濯はしている。新品の在庫はなし)を貸してあげるべきだった? 僕の予想では、それはたぶん不正解だと思う。けどほったらかしにして、濡れた下着をまた身につけさせるのは、ちょっと可哀想な気もする。

じゃあ下着が乾くまでの間、バスタオル一枚で居させればよかった?

でもドライヤー使ったところで、結構時間がかかりそう。その間僕はどうするの?

(はあ……単純なことだと思うのに、何て難しい問題なんだ……)

こういう時、世の一人暮らしのお兄さん方はどうしているのだろう? 女の子が着替えを持たず、ずぶ濡れで家にやって来た場合を想定して、女の子用の服とか下着とか、家に用意してあるのかな? それが紳士のたしなみって?

(はは、まさか、ね……)

もう考えるのはよそう。頭が混乱してきた。僕は念のため、電気ストーブと毛布を押し入れから出しておいた。とにかく、身体が冷えないようにしてあげないと。

力が抜け床にへたり込みながらも、僕は左手にビー玉を握りしめ、右肩に金属バットを担ぎ、再び外を監視しに行った。そっとカーテンを開けると、蛾はもういなくなっていた。

辺りの様子と雰囲気からして、これは取り越し苦労に終わるなと思ったけど、なんかそわそわしちゃって落ち着かないから。

ここにとーこが来るのは二回目だけど、今回は状況も事情も違う。余計なことを考えすぎて、自爆しちゃっているのはわかる。いっそ鈍感でいたほうが楽だった。でも、しょうがないじゃん。今まで彼女なんていなかったし、部屋に女の子を迎え慣れていないから。

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