英雄は何時も突然に

夢渡

第1話.領地の衛兵トイレで英雄?

 この辺りでは一際大きい領地の一角に設置された公衆便所の一室で、荒く乱れた呼吸を整える。手に握った凶器のナイフからは脂がのった血液が伝い、次々と溢れ出る血液は、じわりじわりと土の地面を潤してゆく。


「くそっ! まさかこんなに薬の効かない豚だとは……」


 個室とはいえ公衆便所だ。出来るだけ早く片付けなければ、領主の兵が事態の異常性に気付くだろう。このまま逃げても構わないが、それでは死体が見つかってしまう。


「うぉっ! だめだ漏れる漏れる!」


 最悪だ、誰か来やがった。この惨状に気付かれてはいないだろうが、死臭で気付かれたりは――しないな絶対。何だこの臭いは? 何食ったらこんなくせぇ糞が出るんだ?


「あ、あぁすまない、隣に誰か入っていたんだな。くせぇとは思うが運が無かったと諦めてくれ」


「――気にするな。腹の調子が悪い時くらいあるさ」


 確かに今日はツイてない。標的の領主は薬の効きが悪く、渡り歩く料理店で悉く腹下し用の薬を盛り、ようやく効き始め駆け込んだこの便所で、眠らせるだけだった筈の領主を殺すはめになった。

 うまく行けば今頃人気の無い山奥で、こいつの懺悔を聞きながら生き埋めにしているところだったのに。


「あー、すまない。申し訳ついでで悪いんだが、尻を拭くもの持ってないか? 持ってくるの忘れちまったみたいでな」


「これで良いか?」


「おっと。本当に悪いな、ありがとう」


「気にするな」


 こっちはお前がさっさと出て行って貰わないと困るんだ。その為ならこれくらい安いもんさ。こいつが出た後は、さっさと利用禁止の立て看板を立てて、これ以上邪魔者が入って来ないようにしてしまおう。


「そう言えばこの近くに領主様の馬車が停まってたんだが、こんな庶民街の真っ只中に何か用でもあるのかねぇ」


「さぁな。大方、神隠しにでもあったんじゃないか?」


「あのエルフの呪いだとか言われてるあれかい? 確かにエルフの集落根絶やしにしたら呪われてもしかたねぇわな。領主様もひでぇことしやがる」


 全くだ。神聖な森を商品の道具としか見ないどころか、交渉を断った途端に攻め込んできやがって。だからこんなくせぇ便所で最期を迎える事になる。


「噂じゃこれ以上の領土侵攻に反対意見も出てきてるそうじゃないか。ここで領主が消えたらいよいよ中止になっちまうんじゃないんじゃないか?」


「いやぁ、実は商会ギルドの連中が強情でな。衛兵仲間の間では、俺達引き連れて強行手段に出るんじゃないかって言われてる」


「――――あんた、衛兵なのか?」


「あぁ、とは言え商会ギルドの雇われ衛兵だけどな。安全なのは良いが、街と商品を守る毎日じゃ、出世なんかできやしねぇ」


 よりにもよって衛兵か。殺してしまっても構わないが、これ以上運ぶ荷物が増えるのは不味い。今はこの豚を処理する事だけに専念しよう。


「よっと、それじゃあ俺はそろそろ行くよ。色々良くしてくれてありがとな」


「あぁ、俺も面白い話が聞け――たッ!」


「な、なんだどうした⁉」


 それはこっちが聞きたい。急に腹が震えるほどに鳴り始め、尻の穴が何かを押し出そうとひくつく。これが何なのかはようく理解しているが、今日口にしたものなんて薬屋で腹下し用の薬を買った時に貰ったお茶くらい――まさか余計な世話を焼かれたのか?

 即座にズボンをずり下ろし、便所の穴めがけて尻を突き出す。血が滲む地面や穴に半分落ちかけている野郎の頭がそのままだが、知ったことではない。凄まじい音と唸り声をひり出して、死体と穴にぶちまける。


「おい大丈夫か? すげぇ音してるが……」


 大丈夫な訳がない。腹の中もだが、便所の個室は飛び散った血痕に彩られ、便所に転がるこの街の最高権力者は、今や糞に塗れて豚の様な悲鳴も上げない。


「ちょ、ちょっとデカいのが来ちまってな。気にせず行ってくれ」


「ちょっとって、随分具合悪そうな声だしてるのにそんな訳ねぇだろ。医者呼んで来るからそこで待ってろ」


「い、いやいい! 暫く出せば治まるし、見ず知らずの奴にそこまでして貰えない」


 呼ばれたら最後、医者にも治せぬ一太刀で俺は命を落とす。それならば、治まるまでこうして領主の顔面に糞を垂れ流していた方が余程痛快だ。


「おいおい、俺はこの街の衛兵だぜ? 街に居る人を助けて何がおかしい?」


「ただの街の衛兵だろ? それに出世したいのなら、こんな糞野郎なんて放っておいて、領主にでも媚び売ってれば良いじゃないか」


「まぁそうなんだが……そう言うのは他の奴に任せるさ。それになんだかんだで俺はこうやって糞野郎も街の人も助けてやれる、今の仕事が嫌いじゃないんだよ」


 見ず知らずの便所で出会っただけの奴に、ここまで世話を焼くとは変わった奴だ。こいつがもし領主なら、きっとこんな事をする必要も無かっただろうに、人の世は何時もこういう豚が上に立つ。


「それに腹痛を馬鹿にするなよ? 俺の知り合いは腹が痛いと言った数日後におっちんじまったし、俺もよく腹を壊すから苦しさも臭いもよーく知ってる。だからお前が何と言おうと俺はお前を医者に診せる!」


「なんだそれは――なぁ、最後に俺の願いを聞いてくれないか?」


「おいおい最後ってなんだよ。まぁ言ってみな」


「――尻を拭くものを貸してくれないか?」


 この後開いた扉の先に、衛兵は街の英雄となったのか、エルフの英雄となったのか――それとも両方の英雄になったかは、また別のお話。







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