「大丈夫だったか?」


 放送が終わり、人質たちをスタジオから別の場所に移した後。エオンはカイスに声を掛けた。すると少年はうなだれていた頭を上げ、ぎろりとエオンのことを睨んだ。その表情に先ほどまでの怯えていた少年の姿はどこにもなかった。


「痛いに決まってるじゃんか」

「オレなりにかなり加減したんだって。な、だからこう上手く血も流せたわけだし」

「わかってるけど痛いもんは痛いのッ」


 彼はカイスなどではない。そもそもカイス・アミスなどという人間がオーロに存在するかどうかわからない。ニット帽を外すとぴょこんとキツネの耳が飛び出した。そして手で血の出所を探す。


「うわあ、結構出てる……エオン兄ちゃんッ!」

「だから説明したろう? 可哀想な子供の役をしてって」

「でも殴るなんて聞いてないッ! わぁーんッ、キュア姉ちゃーん、エオン兄ちゃんがいじめたぁーッ!」


 呼ばれた彼女が泣きわめく少年を抱き、ぽんぽんと背中を叩いて落ち着かせる。


「痛いの痛いの飛んでけー」


 超越者のケガの治りは早い。手当をせずとも血はすぐに止まった。キュアの呪文のおかげではないけれど、少年はにっこりとあどけない笑顔を見せ、


「ありがとー」


 とさらに強く彼女を抱きしめるのだった。

 リュオルは両親がおらず、一人で彷徨っていたところを保護したのだ。人間に捕まらないようずっと気を張って生き続けてきたけれど、やはりまだ十一歳。身体も心も人間と変わらず年相応でまだまだ甘えん坊。


「おいおい、ちゃんと説明してなかったのかよ」


 ふらふらと煙草を吸いながらバルトロが現れ、エオンを軽く注意しながらリュオルの前でしゃがむ。少年は顔の正面をキュアの胸から動かし、見た目は若いが高齢の吸血鬼と目を合わせた。

 ごそごそとバルトロがとんびコートの奥で動かしていると、やがてそこから右手が出てくる。そこには一本、袋に入った小さい棒付キャンディーが握られていた。


「よく頑張ったな。偉いぞ」


 彼はたまにご褒美ということで超越者の子供たちにお菓子をあげていた。だからあのコートの内側には、棒付キャンディーだけではなく、色んなお菓子を持っている。自分で作ることもあるそうで、東の島国のお菓子も出ることがある。


「ありがとう、バルトロ兄ちゃんッ」

「兄ちゃんはくすぐったくなるから勘弁してくれって言ってるだろう。呼び捨てか、おじさんだ」

「あ、うん、ごめんなさい。バルトロおじさん」

「そうそう、いい子いい子」


 そうやって彼もリュオルを撫でていると、エオンが何度訊いたかわからない質問を投げる。とりあえず一仕事を終え、ちょっとした休憩の気分で。


「結局、バルトロさんていくつなんですか?」

「何度も言ってるけどな、わかんねー。東の島国で『あるとうろ』って呼ばれてる頃に五百は超えていたはずだけど……千未満なのは間違いない。あいつら、バルトロって聞きにくいし発音しづらくてなー」

「相手の女の人たちにはなんて言ってたんですか?」

「32歳てとこだな。若すぎずかつ歳でもないから、この辺りが一番ウケがいいみたいだ」


 その会話にリュオルが、キュアにどういうことかと首を捻る。彼女はすぐさま彼に「知らなくていいの」と言い、それから男二人にじとっと冷ややかな視線を送った。


「おい、昔の話だ。今は違うからな。むしろこの話をふってきたのはあいつだぞ。まったく、ちゃんと首輪付けてリード引っ張れ」

「ウソだ……」


 キュアがリュオルの耳をふさぎ、言う。


「この間、ホテルからキレイな女の人と出てくるの見――」

「見間違いだな」


 言い終わる前に彼が遮った。しかしその言葉とは裏腹に、煙草を挟んでいる人差し指と中指がわずかに震えていた。さらに吸うのも早くなって目が泳ぎだした。


「その前もホテルからまた別のキレイな女の――」

「よく似たヤツだな」

「さらに前にも――」

「元気だなーそいつ」


 しばらくの沈黙が二人の間に流れる。リュオルは無邪気にはてなマークを浮かべ、エオンは楽みをそのままにやにやとして続きを待っていた。

 キュアがごそごそとキュロットスカートのポケットを探りながら、


「証拠写真がここに」

「そんなのに騙されるか」


 ばっと一枚の写真が取り出されて提示される。まさか本当に出てくるとは思っていなかったらしいバルトロは慌ててその写真を奪うが、


「んあぁッ!?」


 そこに写っていたのはキュアとエオンだった。仲良く並んでいるが、キュアの花のような笑顔に比べてエオンは緊張してどこかぎこちなかった。下の方に彼女の可愛らしい手書きで「出会って四年記念」と書かれていた。日付から、最近撮ったものだとわかる。


「犬娘ぇ……ッ」


 恨みのこもった、腹の底からの響きを出す。しかし彼女はひひひとバカにしたような笑みを作りながら、彼に取られた大切な写真をひょいと取り返す。


「ほらほら、早く認めたら?」


 とうとう観念し、肩を落として彼は認めた。


「はあ、キュアが見たのは間違いねー。確かに女とホテルに行ったよ。けど……それはメシだ」

「ま」


 メシ、つまり食事。女性と『致す』ことをそう表現するから、キュアはリュオルと共にさささと彼から足早に距離を取った。


「違う、違うけど違わないっていうか……ワシは吸血鬼だぞッ」


 それでも彼女は彼への不信感をありありと示す。


「悪食だ、悪食。言ってなかったけどな、吸血鬼とか長寿の種族は歳を重ねるごとに、味の好みが面倒になるんだよ」

「それは初耳です。いつも何も言わずに適当に輸血パックとかを飲んでいたので、てっきりそういう好みとかないものかと」


 エオンが興味を移した。知っている限り、いつも彼は文句一つも言わずに病院からこっそりと盗み出した輸血パックを食事としていた。お気に入りのマイストローを使って。

 しかし今思い出してみればいつも食事を面倒そうにしていた。早く終わって欲しいとばかりに。あれが実は自分の好みでないものを飲まなければならないことから来るのであれば、合点がいった。


「あるんだよ。昔は何でもかんでも美味しく感じて力になったんだけどな。どんどん変わっていって今ではすっかりと悪食舌だ。でも思うところがあってな、ここ二十年くらいはそれを飲まないでいた」


 話を聞くに、その『好みの血』でなければしっかりと空腹が満たされないということらしい。さらにどうやら力も思ったように発揮できなくなっていくようだ。『好みの血』以外は多分、ぎりぎりの生命維持にしかならない。


「へえ。それで、バルトロさんはどんな血じゃないとダメなんですか?」


 ぎくりとし、「やっぱり訊くか……」と眉間にしわを寄せた。

 一旦彼は自分の顔を手で覆い、それから離すとかなり小さな声でぼそりと、


「……る……の、血」


 言ったのだけれど、あまりに小さくて明瞭ではない。獣の耳を持ってしても理解できなかった。

 だからエオンがぐいぐいと迫り、耳に手を当てて聞こえなかったとジェスチャーした。キュアもまだリュオルの耳をふさぎながらも、こくこく頷いて彼に続く。


「やっ……」


 すうっと大きく息を吸い、バルトロはついに覚悟を決めた。


「……ヤってるときの血……ッ」

「はあ?」


 青いと言えるくらいのいつもの彼の顔の色が、うっすらと赤くなっていた。相当に言うのが恥ずかしかったらしく、煙草を吸うタイミングがぐちゃぐちゃになってしまってむせる。


「ヤってるときの血って、どういうことですか?」

「ごほッ、ごほッ! どういうことって、それは、そのままの意味だ」

「そういうときの血しか美味しく感じないってことっ?」

「だ、だからそうだって言ってんじゃねーか」


 スタジオに置いてあった椅子に座り、そこでようやく落ち着いた。顔の色もいつもの透き通るような白さに戻り、しっかりと煙草を楽しめるようになっていた。


「今回の事で力をちょっとは戻しておく必要があると思ったから、ちょこっと飲んでたんだよ。殺さずに健康にも害が出ない程度、本人に気づかれずにほんの少しいただいた」


 一体どうやって気づかれずに飲むことができるのか。それについてエオンはかなり興味を持ってしまってぜひ尋ねたかったけれど、それに気づいたキュアの北の最果てのような鋭い視線によって自重せざるを得なくなった。


「殺さなかったのは、やっぱり大きな事にしたくなかったから?」

「それもあるが……まあ、昔からのクセというかそういうもんだ。あの味は、一気に飲み干すには刺激が強すぎる。燃料になる酒を入れたときのような」


 そうして話は終わった。ここでようやくキュアはリュオルの耳を解放することができた。


「ねーキュア姉ちゃん。なんの話だったの?」

「秘ー密っ」

「えーずるいよぉー」


 そんな少年の反応に、三人はそれぞれに大きさは違うものの笑った。まだまだ気を抜けない状況であることはわかっている。けれど、だからこそこうしてみんなと楽しく過ごしたかった。

 敵は強い、圧倒的に。

 施設と武器の譲渡が無事に達成されたとしても、まだまだその戦力の差は大きい。易々とひっくり返せるものではない。まだ向こうは先制攻撃によって混乱しているだけで、まともに動くようになれば仲間たちに犠牲が出るだろう。


 人質たち全員を殺すつもりはなかった。変な動きさえしなければ、ちゃんと解放するつもりである。他の超越者たちは嬉しそうに楽しそうに喜びに満ちて人間を殺していくけれど、エオンはそこまでの感情を持てはしなかった。

 目的のため、殺す必要が出れば躊躇わないが。


「そうだ、バルトロさん。要求する武器のリストは?」

「ああ、もう考えてある。受け渡しは明日の朝でいいんだな?」

「はい。それくらい時間があればできるでしょう」

「妙な優しさをだすのー」


 そう言い残し、彼はスタジオから出ていった。内容を向こうに伝えるためだ。こういう仕事はあまり好きではないというのが背中から感じられる。けれど何も文句を言うことはなかった。


「リュオル」


 エオンが呼ぶ。けれどまだ殴られたことを根に持っているようで、顔は向けているものの頬を膨らませていた。


「悪かった、悪かったよ。でも、バルトロさん一人だと大変なことがあるかもしれないから、手伝いに行ってくれないか?」


 それには黙って頷き、名残惜しそうにキュアから離れ、子狐に変身してバルトロの後を走って追った。出会った頃は栄養失調気味で悪かった毛並も、今では大分回復していた。


「元気になったよね、リュオル」

「ああ。なってくれて良かった」

「最初は同じモノ同士なのに、敵意がむき出しだったよね」

「狐はあまり群れないらしいし、それにそうでもしなければ生きていけなかったんだよ」


 エオンは自分の両親の記憶がない。名前だけならば研究所で見たことがあったが、その顔などはわからない。同じ研究所のどこかにいたのかもしれないが、会ったこともない。

 獅子の父と虎の母。その二人はどういう関係だったのだろうか。強制され続けたものなのか、種族は違うもしっかりと繋がっていたものなのか。


 別にどちらでもエオンには良かったが、たまに考えてしまう。

 生まれてきたことを祝福してくれる方が良いに決まっている。エオンという名前、誰が付けてくれたのかわからない。でも、親であってくれればと思う。


「何考えてたの?」


 さすが恋人か。彼女はしっかりと当ててくる。


「いや、ちょっと親のことを考えてた。自分の」

「そっか。エオン、結構おセンチなところあるもんね」

「むう……」


 そういう形容をされるとなかなか男として堪えるものがある。決してそうではないと抗議したいけれど、すればするほどにペースは彼女に掴まれてしまってからかわれるのがオチだ。なんだかんだで彼女は年上なのだ。


「『おねえちゃん』の夢、まだ見るの?」


 彼女はすでにその存在を知っていた。彼がうなされるように寝言で何度も言っていたからだ。


「頻度は減っているような気がしないでもないよ」

「忘れられるわけ、ないもんね」


 彼女が辛そうな表情で言うけれど、しかしそれがまたエオンの心を強く締め付けた。自分のことを思ってくれていることはよくわかる。しかしよくわかるからこそエオンは、拳を強く握りしめるしかなくなった。


「ごめん……こんな話するものじゃなかったね……」

「いや、いいんだ。へへ、キュアだってたまに親のこととか考えるんだろう? おセンチだなあ」


 わざとおどける。


「そりゃあ大好きだもん。お父さんとお母さん、とっても仲が良くてそれに優しくて、あんな夫婦になれればって」


 二人、見つめ合う。


「ワタシもエオンの荷物持つから。ずっとどこまでも」


 やはりそうなのだな、とエオンは悲しくなる。

 けれどそんな表情を彼女に見せるわけにはいかない。必死で優しく柔らかい笑顔を作り、彼女に捧げた。


「オレもだ。キュアの、持っていくから」


 ふう、と息を吐いて落ち着いて冷静に考えてみれば、今の流れはとてもプロポーズ的なものであって、恥ずかしくなってしまう。

 それはキュアも同じだったらしく、妙に気まずくなってお互いもじもじとそっぽを向いた。スタジオはしいんと静まりかえる。

 そういうのがしばらくの間続き、どうやってこの空気を壊すべきか考えていると。


「エオン、人質たちが!」


 仲間の呼ぶ声が。何かトラブルが起きてしまって困り、指示を仰ぎに来たようだ。すぐにエオンは指導者としてのスイッチを入れ、そちらへと歩く。キュアもついてきた。


「どうした?」

「人質の一部にちょっと問題が起こってしまって」


 エオンがどこだと歩き始めると、仲間が先導し始めた。その間も会話は続く。


「まさか目の前で殺したんじゃないだろうな」

「そんなことするもんか。しっかりと言われた通りに丁寧に扱っている」

「じゃあ一体」


 その問題の人質たちがいる部屋へと入る。さっきのスタジオからそう遠くない、また別のスタジオだった。セットもなくがらんとしている中、ちゃんと空調もかけ過ごしやすいようにしている。


「殺せッ! どうせならさっさと殺せッ!」


 人質の内、数人の男性がそう叫んでいた。手を縄で縛られたまま、声を荒げている。


「さっきからあんな調子なんだ」

「ストレスが掛かり過ぎたか。首にゆっくりノコギリを動かされてる気分なんだな」


 人質たちを囲む超越者たちは手に武器を持ってはいない。ただじっと監視しているだけ。それでも人質たちからすれば恐ろしい状況であるに違いはなかった。歴史博物館での人質たちのようになってしまうという想像ばかりが働いて、働いて、頭が疲労の限界を迎えた。


「落ち着いて。博士公は取引に応じた。このまま大人しく待っていれば解放します」

「ウソを言え! お前たち人外がそんな礼儀を持ち合わせるものかッ! 歴史博物館のようにするんだろッ!」

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