2018.6.19 明日から本気出す

 “明日できることは今日やらない”

 そんなスローガンを掲げ、「明日本気出す」を合言葉にしながら社会にひっそりと生息する「明日本気出す人」というなんとも人生控えめな人々がいる。


 ところで、「明日から本気を出す」とはどういうことなのだろうか。

 たとえば、こんな人がいるらしい。

 すごく楽しみにしていたゲームがあった。楽しみにしていた発売日にゲームを買ったものの、家庭用ゲーム機を起動させることに意欲が湧かず、数ヶ月経ってなおビニールに包んだまま放置してしまう人。

 そもそも、ゲームを購入しようとしてお店にまで足を運んだが、パッケージを手にとった瞬間に今度でいいやと戻してしまう人もいる。

 つまり、今日はいいや、明日にしよう。と、何事も明日にやることリストを先送りしてしまうことである。要するに、気分に左右されがちなのである。


 では、全くやる気がないのかという議論になりがちだが、実はやる気がないわけではない。「明日から本気出す」という特殊なやる気を持つ人種なのである。

 この特殊なやる気というものが厄介である。

「明日から本気を出したい具合」がまぁまぁだった場合、これは、「明日本気出す」予定を立てたとしても高確率で先送りにされることが多い。

「明日から本気を出したい具合」がそこそこだった場合、これは、「明日本気出す」予定を意図的に忘れてしまうことが大半である。

「明日から本気を出したい具合」がかなりあった場合、これは、「明日本気出す」予定を立てたはいいが、天候やちょっとした寝坊など、些細なことに左右されてしまうことが大体である。

 結局、「明日本気出す」という言葉は、永遠にやらない負の連鎖の始まりでしかないのである。


 そもそも、「明日本気出す」民に計画性など存在しない。

 計画的に取り組めているのであれば、「明日本気出す」なんて言わず、常に一定の割合の本気度で取り組めているはずだからだ。

 言い換えれば、衝動性の怪物なのだろう。

 しかし、「明日本気出す人」の良いところ(?)は、ある程度社会でちゃんとやっていけているところである。文章の構成はめちゃくちゃだが、これを「明日本気出す人」の定義にしておこうと思う。


 さて、「明日本気出す人」に明日から本気を出させるには一体どうしたら良いのだろうか。そして、こんな、ブログやツイッターで垂れ流しにしておけば良いことをなぜわざわざカクヨムに投稿しているのか。様々な疑問が沸いてくるのである。


「いつになったら本気を出すのか」という、永遠の課題を背負った男がいた。男は、本気で「明日から本気を出す」にはどうしたらよいのかを考えていた。すると、そんなくだらない悩み事を解決すべく、多くの人が手を差し伸べてくれたのだ。

 そんな「明日本気出す人」である男に対して、多くの人がしてくれたアドバイスは浅はかなものだった。「気合が足りない」「意識の問題」「すぐ動くを心がけろよ」様々ではあったが、中には「日頃から意識するトレーニングをすれば解決できるよ」という言葉をくれた人もいた。

 しかし、「明日本気出す人」である男にとって、“トレーニング”という言葉は“ダイエット”の次に聞きたくない言葉であった。

 

 つまりは「心の弱さ」が表れたものなのだと人々はいう。

 しかし、買ってきたゲームを「明日やろう」と思うことは「心の弱さ」なのだろうか?

「宿題を提出しなければならないのに、結局やらなかった」ということであれば、これは問題だろう。ところが、「明日本気出す人」は基本的に宿題を提出する人々である。もちろん、仕事もきっちりとこなしている。

 では、なぜ趣味のゲームを買ってきたのにすることができないのだろうか。


「明日本気出す人」にとって、ゲームや趣味などというものは、個人の心情的に「必要のないこと」に位置づけられているに違いない。

 たとえば、「宿題は面倒だからやらない」のではなく、「宿題は提出期限ギリギリに片付ける」人なのである。

 仕事のノルマは「必ずしなければならないこと」である。仕事をするからには、ノルマは達成して然るべきであろう。物臭な「明日本気出す人」でも、ノルマを越えられなければ社会で生きていくことはできないため、やらざるを得ない。つまり、「必要性」がなければ取り組まないのだ。

 そして、最も重要なのは、極端な面倒を避けたくなる心理である。

「明日本気出す人」たちにとってノルマを達成させる面倒よりも、達成しなかったことによるペナルティーの面倒のほうが大きい。

 このことから、「面倒を避ける」傾向にあると言える。

 そのため、生活面においても「横着」で「効率」を重視することが多い。

 食事の配膳も全部いっぺんに持っていこうとするため、予期せぬ事故がつきものである。


 前記したとおり、「必要性」と「面倒を避ける傾向」を重ねると、「明日本気出す人」の姿が見えてくるだろう。


 買ってきたゲームをやらない。

 これは、ゲームをやる必要性が“まだ”ないからである。

 物臭な「明日本気出す人」にとって、趣味とは非効率的な所業にすぎない。

 暇でどうしようもなくなった時、重い腰を上げて「さて、ゲームでもやるか」という行動に移るのである。

 人によっては、家庭用ゲーム機の機動を待つ時間ですら面倒に感じることがあるそうだ。

 暇であることの苦痛が、ゲームを起動することの面倒を超えていた場合、「明日本気出す人」はその時初めてゲームをすることができるのだ。


「明日本気出す人」が本気を出すには、「必要性」を見出すことが大切である。

 しかも、その「必要性」は本人にしか引き出せないので、大変厄介である。


 全く、面倒な人種がいたものだ。

 結論の先送りの果てに、男が得たものは何もない。

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