11月20日 ある男の手記

 男が病床からようやく立ち上がれたのは、先週の中頃のことである。

 しばらく動けなかった男は、スマートホンを枕元に置き、いつでも誰とでも連絡を取れるようにしておいた。

 そのついでに、「書き、読み」みたいなタイトルのサイトに自分が置かれている状況をいつでも報告できるように手記をしたためていた。

 

 しかし、不可思議なのは、ここ二日間くらいの記憶が呼び起こせないでいた。

 仕事から帰り、食事をしたことまでは覚えているが・・・。

 そのため、男は、これまでの書置きされていた数日間のメモをもとに、記憶をたどることにした。


 11月14日。

 悪夢にうなされる。誰かに自分の声を届けようとしているが、その声が届くことがない。どれだけ叫んでいても、近くに寄って胸ぐらを掴んでも、彼らは自分に振り向こうとも相手をしようとも考えていないようだった。むしろ、某未来から来た猫型らしいロボットの道具にある、その帽子を被れば「道端の石ころ」のように見向きもされなくなる、そんな効果を受けたような気分になった。

 すると、夢は突然自分を湖の中に落とした。

 息苦しい――。もがいて、もがいて――水面を目指そうとするのに、足だか体だかに巻き付いた鎖のような何かが自分を浮き上がらせてはくれなかった。そして、水底から黒い何かが自分に迫ってくるのを感じたとき、目が覚めた。


 おかしい。目が覚めたのにも関わらず、自分はまるで水の中にいるように溺れていた。

 咳が止まらない。声を出そうとすれば、もちろん咳が出る。

 やがて息も絶え絶えになったころ、身体が重いことに気づいた。

 39度の高熱に侵されて、男は身動きが取れずにいた。


 色々なことが頭に浮かんだ。

 このまま出勤してもいいのだろうか。仕事は山積みである。

 そして、給料日前でお金がない。

 自炊をしたことがアダになったか?

 ラーメンが食べたい。

 そんなことを考えながら、男は気を失った。



 11月15日。

 なぜか文章が進む。

 言葉が発せない代わりに、指はスイスイ動いた。

(しかし、読み返すとひどい内容である)


 11月16日。

 意を決して大きな病院へ。

 検査結果、マイコプラズマではないことはわかった。

 もっと重い肺炎なのではと疑ったが、症状は落ち着いていた。

 点滴を打って帰ったあとは、咳はだいぶおちついていた。


 11月17日。

 仕事に復帰。

 山積みのような仕事にげんなりして帰ってくる。

 仕事中、ふと台所のあたりが気になった。

 そういえば……。


 11月18日。

 家に帰ると、味噌汁が変な臭いを放ちながら大量に残されていた。

 ご飯も保温されたまま、まるで化石のように干からびていた。

 なぜあのとき自炊をしてしまったのか。

 男は何度もその臭いを嗅いでみた。

 ・・・臭い。

 もっとよく確かめようと思い、鼻を近づけてみた。

 ・・・やはり臭い。

 いや、味噌汁は、時間が経つと独特な臭いを放つものである。

 だからこそのこの臭いなのだ。

 男はもっとその臭いを確かめようと鍋に顔を近づけてみた。

 それだけではわからないので、とりあえず火をつけてみることにした。しばらくして、味噌汁は湯気を立たせて、程なくその臭いを漂わせていった。やはり臭う。

 違う、違うはずだ。

 これだけの具材と肉を有しているためであろう。

 ちょうど人間でいると、剣道部やら柔道部でぶつかり合って汗と汗が混ざり込み、血と汗と努力の結果、部員は汗臭くなる。そんな感じだろう。


 きっと、鍋の中でそれぞれの具材がぶつかり稽古でもしていたに違いない。


 ちょうど良い具合に、味噌汁が温まったようだ――。



 手記はここで途切れていた。

 全てを思い出した。

 そうだ。自分にここ数日の記憶がないのは、魔女の釜戸の中身のようなものを口にしてしまったからである。


 それもそのはずだった。

 男が目覚めた時、男はトイレの中にいたのだから。



 執筆は全然進まなかった。





 ***あとがき***


 大げさに書きすぎていますが、とりあえずお腹を壊していただけです。

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