seasons after story
桜井今日子
her birthday
2017年が明けた。年末年始の休暇も終わり会社も新しい年を迎え、仕事も始まった。
仕事始め早々、俺は別の部署の田口さんから声をかけられた。
「年末に頼んでおいた仕様変更、どうなった? まだ仕様変更書も届かないし、資料にも反映されてないみたいだけど」
「仕様変更ですか?」
俺には心当たりのない話だった。現在俺のグループは別の部署第2システム営業部と一緒にプロジェクトを進めている。発注先の企業は第2システム営業部の顧客だが、扱うシステムが俺たちの部署のシステムと似通っていたため、後方支援という形でプロジェクトに参加していた。
「年末に頼んだんだけどな。えっと上原さんに」
2営の田口さんは少し思い出すように話す。
「すぐ確認して連絡します」
俺はそう言って自分の部署に戻った。
俺の部署、流通システム開発部に戻る。いくつかの机の島があるが、客先に出かけていたり、別室にこもってプログラムを組んでいたりと席についている人間の方が少ないくらいだ。後輩の上原楓はちょうど自席に座っていた。
「上原。年末に2営から仕様変更の依頼があった?」
それを聞くと、上原の顔が一気に蒼ざめた。
「どうしよう!」
彼女は両手で口元を押さえている。
「すみません! 皆さんに伝えていませんでした。私のミスです」
そう言ってあわてて机の中を探りはじめた。
「コレ、です。仕事納めの日に田口さんに口頭で言われて、仕様変更依頼書書いて、皆さんにお伝えしなきゃいけなかったんです……」
小さいメモ書きを上原は俺に見せた。どうしよう、と彼女は今にも泣きそうな表情だ。本来は仕様変更依頼書を2営側が作成するべきであるが、田口さんがその日客先へ行かなければならず、上原が代わりに依頼書作成も引き受けていたらしい。
「とにかく三村さんに連絡だ」
俺は自席にいないリーダーの三村さんに連絡をとり、事の経緯を説明した。三村さんは仕様変更の件をメンバーの戸村に任せて、俺には2営への状況説明を指示した。
「私も行きます」
彼女も俺について第2システム営業部へと向かった。
数日後、残業をして帰るタイミングが同じになった俺と上原は前に立ち寄ったブックカフェの前を通る。今日はこっちにしておくか? と俺はブックカフェに上原を誘った。
ランタンのような照明がいくつも下がっているカフェスペースでそれぞれの飲み物をオーダーした。今日は本や写真集はテーブルに持ってこなかった。
「本当にすみませんでした」
上原はもう一度俺に謝った。
あのあと、迅速に各自が動いて仕様の変更は反映され、納期も守ることができた。年末年始の休暇が幸いした。
「佐藤さん、2営で私のミスって言いませんでしたね」
彼女が2営に状況説明に行ったときのことを話す。
「後輩の女の子突き出すなんてみっともないことできないだろ?」
少しおどけてそう話しながら、俺はコーヒーを口にする。
「でもひとりのミスが部署全体のミスになるから気を付けないとな」
はい、と上原は神妙な面持ちで俺の指摘を受ける。
「なんて言ってるけど、俺も似たようなことやらかしたんだよ」
えっ? と彼女が俺の目を見る。
「そのときは三村さんが頭下げてくれた。もちろん俺のミスだなんて言わずにね」
少し上原の顔に笑みがうかんだ。
この前のバーと違ってこっちのカフェは賑やかだ。本の購入やドリンクカウンターでの注文を接客する店員の明るい声が時折聞こえてくる。邪魔にならないBGMもかかっているが、何の曲かはわからない。近くの席では女性ふたりが楽しそうに話し込んでいる。店内も明るい。オレンジ色のランタン照明が高い天井からいくつも吊るされている。ガラス張りの向こうの通りはまだ賑やかで大勢の人たちが通り過ぎる。
店の入り口とは反対側、一番奥がバースペースだ。この前彼女と過ごしたバーカウンターがグッと照明を落とした朧げな空間の中に見えている。
「あの、言い訳になるんですけれど」
彼女がひと口カフェオレを飲んでから話し始めた。
「別れたんです。彼氏と。クリスマスに」
「えええっ?」
思わず俺は声をあげた。しまった、近くの客がこっちを見ている。ごめん、と上原に謝る。
「なんで? クリスマス? ついこの前じゃん」
彼女は俺と目を合わそうとはしない。うつむいていて、それでも少し微笑んでいるようにも見える。小声で上原にそう聞く。
俺は動揺しているのを悟られまいと必死になる。声、うわずってなかったか?
うつむいている彼女、彼女の視線の先のカフェオレボウル、俺のコーヒーカップ、彼女の後ろの本棚……、俺の視線が泳ぐ。俺の胸がざわつく。
彼女の話によると、24日は仕事で会えないから25日に一緒に過ごそうと彼と約束をしていたらしい。彼女は24日が仕事なら仕方ないと思い、その日は女子会の予定をたて、友達と待ち合わせをしているところで別の女性と一緒にいる彼を目撃してしまった。いつからか二股をかけられていて、その女性とは24日、上原とは25日にクリスマスを過ごすつもりだったらしい。
「何ですか、ソレ」
呆れたように彼女はカフェオレボウルに向かってそう言った。
「……。なんつーか、何だよ、ソレ、本当に」
俺も彼女に同調した。呆れた。自分のことのように腹が立った。
そして25日に別れたのだという。彼への未練はなかったがやはり精神的に参ったという。そんな状態で年末の業務をこなしていた。
「本当に、だからってミスをして許されるわけではないんですけれど、ボーっとしていたんだと思います。本当に申し訳ありませんでした」
彼女は深々と頭を下げた。
「辛かったな。大丈夫か?」
俺は上原にそう言った。確かに失恋が仕事のミスの言い訳にはならないが、影響は及ぼしたんだろう。
「佐藤さんに聞いてもらえてスッキリしました」
彼女は力弱い笑顔で答えた。コーヒーを飲み終え、俺達はブックカフェを後にした。
……。彼女のキーホルダー、どうなっただろう? あの'T'は外したのだろうか。彼女のKは? そいつも外しただろうか。いや、でもそいつ、そもそもつけていたんだろうか、彼女のKを。二股なんてふざけやがって。
上原、傷ついただろうに。
電車を降り、ひとりで駅から外へ出ると真冬の夜空が街の上に見える。吐く息が白い。吸い込む空気が喉を冷やす。もう一度大きく息を吐く。冷えたため息が空へと溶けていく。なんだ? やけに心臓の音がよく聞こえる。なんでだ? 住宅街で周りが静かだからか? その音を消そうと何回か息を吐いた。くっきりとクリアな夜空のような気がする。澄んだ夜だ。
そう……か……。
別れたんだ……。
そう……だったんだ。
1月も終わりにさしかかった頃、部署のメンバーと昼食を終え、俺と上原は会社に向かって並んで歩いていた。今日は金曜、明日は休み。心なしか皆気分が弾んでいるような感じがする。今日飲みに行くかとか、明日は野球の試合だの、デートだのと、そんな話を周りのメンバーがしている。
「あのさ、上原」
「何ですか?」
「来月の14日、俺にくれない?」
「チョコですか?」
来月の14日と言えばバレンタインデーだ。
「いや、違う。違う。そうじゃなくて」
俺はあわてて否定する。違う。そうじゃないんだ。
「その日の上原の予定を押さえたいんだ」
え? と驚いた表情で上原は俺の顔を見た。歩きながら話していた彼女が立ち止まる。合わせて俺も立ち止まる。動いていた風景も止まる。ビル風がショートカットの彼女の髪で遊ぶ。彼女は俺から視線をそらさずに風に揺れる髪を整えようとする。ブラウンの大きな瞳から目がそらせなくなる。コートのポケットの中でこぶしを握り締める。
「誕生日、祝わせて」
目尻を下げながら俺は上原にそう告げる。ランチ帰りの人々が
そうして2月14日をふたりで過ごし、誕生日を祝い、俺はきちんと告白をした。まあ、あのランチの後の会話が告白とも言えなくはないが、俺と付き合ってくださいと告白したのは2月14日のことだ。
ピンクのバラの花12本とプレゼントを贈った。ネットで調べた。バラの花言葉とやらを。なんでも色や本数によって意味が違うらしい。でもうってつけの本数を見つけた。色はまあ花言葉は無難だったが彼女のイメージで選んだ。彼女はチョコをくれた。彼女を名前で呼べるようになった。いや、もちろん会社では今までどおりだが。
あのブックカフェやバー『seasons』にはよく行く。店中の写真集を制覇すんの? と俺は彼女に聞く。彼女が写真集を眺める横顔が好きだ。ふいに笑顔でこちらを向かれるとまだ動揺するのだが。
今日は世界の料理を紹介している本だ。見知っている料理もあるが、そうではない方が多い。コレ、美味しそう! こっちはどんな味なんだろな? この国知ってる? ふたりでする机上の世界旅行。
あのときもオーダーしたタパスをつまむ。タパスはスペイン料理らしい。妙に懐かしいタパス。昨日の敵は今日の友だ。乾杯だ、タパス。
また聴き心地のよい音楽が店内に流れている。相変わらず何のジャンルの曲かよくわからないが、明るい感じの曲だ。明るいと言えば、バーの雰囲気もそうなような気がする。雰囲気のある照明にキャンドルの灯りだけだが、揺れる灯が踊っているように見える。そのキャンドルの灯を受ける彼女がすごく綺麗だ。俺がプレゼントしたピアスをつけてくれている。彼女の誕生石のアメジストのピアス。
「誕生日いつ?」
「笑わない?」
「うん」
「3月3日」
「んぷっ!」
「笑わないって言っただろ?」
「んふふふ~はふ」
「俺は2月14日を笑わなかったぞ?」
「お祝いしようね。やっぱりちらし寿司?」
「怒るぞ」
「んふふふふふ」
「あのなぁ」
「大地が好きなものを作る」
「え?……」
「リクエストをどうぞ」
「楓……」
誕生日だけでなく、これからいくつもの
あのときのバーで過ごすふたりの時間。楓のオーダーしたカシスソーダの泡が弾けている。俺のバーボンの氷が溶けるときの音が軽やかなのは春が近いからだろうか。
fin.
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