第20話 小っちゃくても勝てるんです!③

 かなり強い雨になった月曜日の朝、駐輪場に自転車を停めてタオルで雫を拭いているところに、ハルちゃんが登校してきた。私に明るく挨拶したハルちゃんは、脱いだレインコートを自転車のハンドルに引っ掛けて、濡れた髪を拭き始める。

 そういえば、ハルちゃんに初めて話しかけられた日も、今日みたいに強い雨の日だった。

「どうしたの? 陽子ちゃん、何かいいことでもあった?」

 思い出し笑いをする私に、ハルちゃんが尋ねる。

「いや、そうじゃなくてね。懐かしいなあって。まだ1ヶ月とちょっとしかたってないのにね。へへへ」

「あっ、そっかあ。陽子ちゃんと初めて話したの、雨の日の朝だったよね。うんうん、懐かしいよー」

 笑顔のハルちゃんは声を弾ませながら答え、私と並んで歩き始めた。

 部室で練習着に着替えて体育館へ。

 思い起こせば、4月の部活勧誘期間にバスケ部が無いことを知り、ショックを受けた日が始まりだった。立ち直りの早い私は「無いなら作ればいーじゃん!」という安易な発想で創部に動き始めたのだ。

 ミーちゃんに手伝ってもらって、と言うより描いてもらった部活勧誘ポスターを掲示板に貼ったり、そのお陰で米山先輩がマネージャーになってくれたわけで。

 そしてバレー部とちょっとしたいさかいの後、記念すべき最初の部員となるハルちゃんが入部してくれた。

 それから滝沢先輩たちと一騒動あって持出さんが入部した。

 ウメちゃんのときは、もっと大騒動だったな。

 体験入部にきたマユちゃんがハルちゃんと険悪なムードになったときは、かなり焦った。

 渡辺先生は嫌がりながらも熱心にコーチやってくれているし、荒井先生も少しは監督っぽくなってきた。

 私が創部を決意したとき、すぐに顧問を引き受けてくれて、今もしっかりとサポートしてくれている塩屋先生にはホントに感謝。

 あの日から1ヶ月と半月。みんなとの出会いと目まぐるしいほどの出来事があって、私はバスケがもっと大好きになった。

 走ってばかりの練習は正直キツイけれど、みんなとバスケができることが嬉しくて仕方ないんだ。

「ウィーっす」

「飛鳥さん、飯田さん、おはよ」

「陽子ちゃん、ハルカちゃん、おはよー」

 体育館でストレッチを始めていた3人が元気に挨拶した。

「みんな、おはよー。よし! 今週もはりきっていくよ! コージョウ、ファイッ!」

「オーッ!」

 午前6時半、静かな朝の体育館にコウジョバスケ部の気合の入った声が響き渡った。


 昼休みの練習を早めに切り上げた私たちは部室に集まり、米山先輩がまとめてくれた御殿場商業高校バスケ部のデータに目を通していた。

 (御殿場商業高校女子バスケットボール部)

 部員は1年生8名、2年生7名の計15名。3年生はインターハイ静岡東部地区予選敗退後に全員が引退。

 インターハイ予選は第一試合、裾野東高校に72対24で勝利。第二試合、シード校の三島学園に66対58で敗退。

 インターハイ予選には、2年生3名がスタメンで出場。

 現在の新チームキャプテン、森佳代子。ポイントガード。身長167センチ。

 杉浦直子、センター。身長177センチ。

 大竹安奈、パワーフォワード。身長173センチ。

 オフェンスは高さを生かしたインサイドからの攻撃が主体。

 ディフェンスは基本的にゾーンディフェンス。

「土曜日に会った森先輩って、キャプテンだったんだ……」

 ということは、あの3on3の相手は私たちと同じ1年生。それにしちゃ、かなり大きかったな……。

「そのようですね。御殿場商業には監督がいませんからキャプテンが指揮を取っているようです。これを見てください」

 先輩が、プリントアウトしてきた御殿場商業女子バスケ部のホームページをみんなに見せる。そこには、顧問の先生の名前は明記されていたが、監督の名前は無かった。

 さらにホームページには、インターハイ予選の試合結果だけではなく、近隣校との練習試合の結果も掲載されていた。

 練習試合では今のところ負けなしで、ほとんどの学校にダブルスコア以上の点差をつけて勝利していた。

 私たちがゴールデンウィークに練習試合をした三島南高校も、60対50で退けている。

「おいおい、あのサンナンが10点差で負けたのかよ。とんでもねーな」

「あら、あなたらしくないわね、ウメ吉。怖くなったかしら?」

「バカ、ざけんなっ。全然ビビッてねーし」

 持出さんにからかわれたウメちゃんがむきになった。

「インハイ予選一試合目もそうだし、練習試合でもダブルスコアが目立ちますね。相手校が特別弱いというわけじゃないですよね?」

「もちろんです。真由子さんの言うようにほとんどの試合を大量得点で圧勝していますが、それは御殿場商業が特別だからです。最大の理由は身長の高さです。オフェンスは高さとパワーを生かしたインサイド中心の攻撃、ゾーンディフェンスでも高さが大いに効果を発揮しています」

 米山先輩が詳しく説明して答える。

「ゾーンディフェンス……」

「多分、飯田さんが想像しているものとは違うと思うわ」

「し、失礼なっ。ぞ、ゾーンディフェンスくらい知ってるやい!」

「いや、その顔はぜってー知らねーし」

 ウメちゃんがニヤニヤしている。

「一応、解説しておきますね」

 苦笑いしながら、米山先輩が作戦ボードを使って説明してくれた。

「まず、皆さんが普段しているディフェンスがマンツーマンです。このように、5人がそれぞれの相手をマークするディフェンスですね。そしてゾーンディフェンスですが、これは人をマークするのではなく、自陣コート内で自分の決められた場所を守るディフェンスです。自分の近くのプレイヤーに注意しつつ、ボールを持つプレイヤーに意識を向け、全員でゴールを守る形のディフェンスです」

「へー、そうなんだー!」

「陽子ちゃん、やっぱり知らなかったんだ」

 ハルちゃんの一言で部室が笑いに包まれた。

「このゾーンディフェンスでインサイドをしっかり固めているため、どの学校も攻めるのに苦戦しているようです」

「私たちより20センチ以上も高い選手がいるんだよね……」

 マユちゃんが不安そうな声で呟く。

「心配すんなよ、マユ。アタシたちにはカンケーねーし。なあ、キャプテン」

「おうよ! 鬼監督と鬼コーチに毎日死ぬほど走らされてるからねっ」

「ディフェンスの陣形が整う前に速攻を決めれば問題無いわ。日々の練習のお陰で、ラストまでスピードを維持して走りきるスタミナも備わったことだし」

 持出さんが自信に満ちた表情で答える。

 それを聞いてマユちゃんの顔が明るくなった。

「それにうちには、中距離から打てる持出さんと、頼れる3ポイントシューターがいるじゃないかー!」

 ハルちゃんに抱きつかれ、マユちゃんは照れた様子で「そうだね」と頷いた。

 インハイ東部地区予選を1位通過した三島学園に8点差まで迫り、他校にはダブルスコア以上の得点で勝利している御殿場商業は確実に強い。

 正直、勝てるイメージとかは全然思い浮かばないけれど、負ける気だってしないんだ。

 矛盾しているようだけれど、確信や自信でもなく、夢とか希望みたいなものでもない。この不思議な感情は、初めて敗北を味わったあの日から、毎日厳しい練習を乗り越えてきたみんなと共有する勝利を掴むための信念のようなものなんだと思う。

 だから、私たちは絶対に負けない。


 放課後の練習を終え、ミーティングで私たちが練習試合の件を依頼すると渡辺先生は難色をしめした。

「まったく、あなた達は無茶なことばかり言うわね。それに今は試合より、練習が大事でしょ」

「私たちには戦わなくちゃいけない理由があるんだよ!」

「レイちゃん、お願い。このとーり」

 私とウメちゃんが手を合わせてお願いすると、先生は「ダメです!」と意固地になって首を横に振った。

「それに、この御殿場商業高校ってかなり力のあるチームじゃない」

 渡辺先生が米山先輩のまとめた資料をパシパシと叩く。

「私たちの練習の成果を試すには、いい相手だと思いますが」

「先生、お願い!」

「試合させてください」

 持出さんが淡々と答え、ハルちゃんとマユちゃんが懇願すると、先生は困った様子で額に手を当てた。

「成果を試すにしたって、いきなり強い学校とやることないでしょうに……」

 ずっと御殿場商業の資料とにらめっこしていた荒井先生が私たちに視線を移し、まるで悪ガキのように悪戯っぽく笑った。

「いいんじゃねーの、練習試合。どうせお前らのこった。また何か面倒ごとに首つっこんだんだろ」

「ちょと、荒井先輩っ。この子たちはまだ――」

「まあ、渡辺もそう怒るなって」

 言いかけた渡辺先生をなだめる。

「監督ありがとー! 愛してるぜい!」

「シンちゃんサンキュー! フーッ!」

「とりあえず、飯田と梅沢は静かにしとけな」

「あの、ポジションはどうすればいいですか? この前、監督は『ポジションは無い』って言っていたけど、実際試合ではそうはいかないですよね?」

 マユちゃんの質問に荒井先生が笑って答える。

「あー、あれな。お前らで好きに決めていいぞ」

「えええっー!」

 私たちはもちろん、渡辺先生まで大きな声を上げて驚いた。

 なんといい加減な、監督とは思えない投げやり発言。

 またしても、体育館にいた他のサークルに白い目を向けられてしまった。なんだか最近、この展開が多い気がする……。

「自分のやりたいポジションやっていいぞ。ただ、ちゃんと話し合ってバランスは考えろな。インサイドあるいはアウトサイド一方に片寄ることがなきゃ、どーでもいいから」

 どうでもいいって……。

 大丈夫かなこの人。

「分かりました。ポジションについては皆で相談して決めます。現段階での御殿場商業の対策と試合までの練習内容を教えていただけますか?」

「おっ、さすが副キャプテン。どこかのキャプテンと違ってしっかりしてんじゃねーか」

「私だって、しっかりしてるやい!」

「えっ、陽子ちゃん以外にもしっかりしてないキャプテンがいるの?」

 ハルちゃん、私の言葉をさりげなく否定しながらボケをかますのはやめてください。

「デカイい奴らがガッチリ中を守ってくるわけだ。相手が完全にディフェンスへ戻る前に速攻で点を取っていけ。スタートからラストまで、チャンスは全て速攻しかけろ。速攻以外のオフェンスは好きに攻めていいぞ。お前らは勝つ気でいるだろうが、俺としてはこれまで練習してきた速攻が通用するかどうかが見たいからな。練習は通常通りでいく。ただ試合では飯田、持田、梅沢の3線速攻が中心になるだろうから、その当たりは連携を確認していく」

「ディフェンスはどーすんの? 相手、インサイド鬼強いぜ。抑えらんないと一気に持ってかれんじゃね?」

「ディフェンスのことだが……」

 ウメちゃんの質問に、荒井先生はいつになく真剣な顔で重々しい口調で話そうとする。

 全員が息を呑んで、荒井先生の次の言葉に耳を傾ける。

 もしや秘策があるのだろうか?

「あきらめるしかねーな」

「って、おいっ! 何でやネン!」

 大声でツッコミを入れた私たちは、またしても他のサークルから痛い視線を向けられてしまった。

「バスケはな、ゴールを守ったチームが勝つんじゃない。相手より1点でも多くシュートを決めたチームが勝つんだぜ」

 私たちを見つめる荒井先生の瞳は真っ直ぐで、真剣そのものだった。

 何か、ちょっとカッコいいこと言ってるじゃん。

「つまり、点の取り合いをしろと」

 持出さんが不敵な笑みを浮かべる。

「そっちの方がお前らにはお似合いだろ?」

「シンプルでいーじゃん! 点の取り合い、やってやろーじゃん」

「そうね。単細胞なウメ吉にはぴったりの作戦ね。プフフ」

「ぶっ殺す!」

 わざとらしく嘲笑する持出さんに、ウメちゃんがお決まりの文句を吐き捨てた。

「んじゃ、御殿場商業には練習試合を申し込んでおくからな。ということで、解散」

「ありがとうございましたーっ」

 解散後も私たちの練習は終わらない。自主練習という名のシュート練習が待っているのだ。

 そそくさと帰ろうとする渡辺先生はハルちゃんに捕まり、3ポイントシュートを指導させられている。「コーチになったせいでオシャレできない、爪伸ばせない」とかよくブツブツ言っている割に、部活中の渡辺先生はまるで火がついたみたいに熱心に指導してくれる。

 一昨日の土曜日に感覚を掴んだ持出さんは、ひたすら3ポイントシュートを放っている。得意な角度の斜め45度からは、すでに5割くらいの確率で決まるようになってきていた。

 ウメちゃんはゴール付近からミドルシュートの練習を繰り返す。フリーならかなり確実に決まっている。ディフェンス役のマユちゃんを前にすると、グッと確率が下がって悩んでいる様子。マユちゃんからアドバイスをもらいながら、2人でひたむきに練習している。

 よし、私もみんなに負けてられないや。

「監督、私の3ポイント見てくださいっ!」

「お、おい。引っ張るな飯田。ちゃんと見てやるから」

 コートの外で、いかにも監督って雰囲気をかもし出している荒井先生を無理やり引っ張って連れて行く。

「見るだけじゃなくて、ちゃんとアドバイスもください。それから逃げないでください」

「わ、分かったから。逃げたりしねーよ」

 荒井先生も観念した様子でポリポリと頭をかいた。

 荒井先生は、点の取り合いをすると言った。

 チームの武器は速攻だ。今までの練習で着実に形ができてきている。

 個人で言えば、ハルちゃんには跳躍力を生かしたディフェンスとリバウンド、持出さんには中距離シュート、ウメちゃんにはキレのあるドライブ、そしてマユちゃんには高確率の3ポイントシュートがある。

 じゃあ、私は……。

 御殿場商業との試合までに、少しでも自分の武器を増やしておきたい。

 強い気持ちで放ったシュートは、徐々にゴールまで届くようになっていた。


 翌日の火曜日、体育館で昼練習に励む私たちのところに珍客がやってきた。

 ものすごい勢いで駆け込んできた彼女は、息を切らしながら持出さんを睨みつけた。

「留美から聞いた。ゴテショに練習試合申し込んだって。どういうつもりだよ?」

 御殿場商業高校、通称ゴテショ。このあたりではよくこう呼ばれている。進学よりも就職する生徒が過半数を占め、男子よりも女子生徒が多い学校である。

 簿記などの資格取得も可能なので、普通科高校と比べると人気のある高校だ。

「だって私たち、バスケ部ですもの。他校と練習試合をするのはいたって自然なことよ」

「その相手が何でゴテショなのか聞いてんだよっ!」

 とぼけた様子で答える持出さんに、滝沢先輩が大きな声を出した。

「……」

「私の腕時計だろ? チッ、あいつら余計なことしゃべりやがって」

 滝沢先輩は舌打ちをして苛立ちをあらわにする。

「滝沢先輩のお母さんの形見なんですよね? 大事なものなんですよね?」

「バカか、てめえは! 余計なお世話なんだよっ。キャプテンならチームのこと第一に考えろよっ」

「陽子ちゃんは、いつでもチームのことを私たちのことを1番に考えてます! でも、とってもバカだから、困っている人をほっとけないんです!」

 一応、褒め言葉として受け取っておくよ、ハルちゃん。

「私たちバスケットボールが、バスケ部が大好きです。そのバスケで賭け試合をして人の大事なものを奪うなんて、見過ごすこと出来ません。フミカちゃんもきっと同じ気持ちだと思うから……」

「チッ、バカが。今度はアンタ達の大事なものまで奪われるぞ」

 滝沢先輩が脅すような口調で言う。

 怯える様子のマユちゃんの肩にウメちゃんがそっと手を置いた。

「なんで滝沢ちゃんはさー、アタシら負ける前提で話するかなー。陽子やブン吉は、アンタが取られた時計のこと気にしてるみたいだけど、アタシ的にはどーでもいんだよね。自分たち超ツエーって勘違いしてる奴らの鼻をへし折ってやりたいだけだからさ。ま、時計取り返すのは、そのついでみたいな」

「アンタたちは、ホントに……」

 滝沢先輩が言葉を詰まらせる。

 その顔はもう怒ってはいなかった。

「カヤさん、そんな言い方ダメだよ。滝沢ちゃんは学年が上なんだから、ちゃんと先輩つけなくっちゃ」

 ハルちゃん、そこ? と言うか、ハルちゃんも先輩つけてないし。

「じゃあ……滝沢先輩ちゃん?」

「カヤちゃん、それは違うと思う……」

「ブン吉、あなたやっぱりバカなのね」

「うっせ、バーカッ。なに1人でしみじみ納得してんだよ!」

 はあ……また始まった。お決まりのパターン。

 話が脱線してそのまま醜い罵りあいに発展していく様子を放置された滝沢先輩はあっけに取られて見ていた。

「アンタらは心配するだけ損って感じだな」

「ははは。ですよねー」

 呆れた顔の滝沢先輩に愛想笑いを見せる。

「今度はスタメンが出てくる。ゴテショのキャプテンはマジで潰しにくるよ」

「覚悟してます。みんなも同じです。でも、私たちは負けませんから」

 私の言葉に返事はせず、滝沢先輩は持出さんを見つめた。

「もう私は何も言わない。文香の好きにすればいい」

「滝沢さんに言われなくても、好きにさせてもらうわ」

 持出さんの答えを聞いて、滝沢先輩はちょっとだけ口元を緩めた。

「それから文香、アンタ昔より楽しそうだな」

「ええ。そうかも知れないわね」

 静かに答えた持出さんとしっかり目を合わせ、何かを確認したような滝沢先輩はゆっくり歩いて体育館をあとにした。

「滝沢先輩、フミカちゃんのこと心配してくれたのかなあ?」

「どうかしら」

 独り言のように呟いたマユちゃんに、持出さんは笑いながら答えた。

「なんかさー、ブン吉と滝沢ちゃんって不思議な関係だよなー。この前まで敵対してたのに、今は暗黙の了解で歩み寄ろうとしてるみたいなー」

「うんうん。カヤさんの言うこと、分かる気がする。滝沢ちゃん、私たちのことまで気にかけてくれたたよね、絶対。持出さんはどう思う? 今でもやっぱり苦手?」

 ハルちゃんが尋ねると、持出さんは首を横に振って答える。

「個人的にはどうとも思っていないわ。いいえ……私がどう思われているか気になると言った方が正しいかしら。元ハンドボール部の先輩としては、尊敬しているわ」

 とても意外な答えだった。

 中学時代に嫌がらせをしていた先輩に対して、持出さんの口から「尊敬している」という言葉が出るとは思いもしなかった。

 普段あまり感情を表に出さない持出さんの気持ちは分かりづらい。だからこそ、たまに見せるほんの一瞬の微妙な変化に気がつくときがある。

 ――それから文香、アンタ昔より楽しそうだな。

 あのとき、持出さんは嬉しそうだった。

 そして、改めて決意を固くしたようにも見えた。

 御殿場商業に勝って、滝沢先輩の腕時計を絶対に取り返すと。


 御殿場商業高校との練習試合は思ったよりもスムーズに決定された。

 いつもは面倒臭がりで大雑把な荒井先生が、今回に限ってすぐに段取りを整えてくれたお陰で、今週末の日曜日に練習試合が決まったのだ。

 時間は午後1時から、場所は御殿場商業高校の体育館に決定した。どうやらゴテショの監督兼キャプテン、森佳代子先輩の提案らしい。この条件を出したのはゴテショバスケ部の顧問の先生だけれど、「どうせキャプテンの入れ知恵だろ」と荒井先生が言っていた。渡辺先生曰く、午前中に練習とアップをしっかり済ませて体の動きやすい午後から、自分達の慣れたホームコートで迎え撃つため、とのこと。

 実際、私たちが他校でバスケをするのはこれが初めてだ。「こうなったら、ヒットアンドアウェイだね」と持出さんに言ったら「上手いことアウェイをかけたかったのでしょうけれど、微妙に意味と合わないわよ」と辛口のコメントをちょうだいしてしまった。

 アウェイと聞いて、マユちゃんは相変わらず不安がっていたけれど、ハルちゃんとウメちゃんはすごく喜んでいた。ウメちゃんは「学園バトルの王道じゃねーか。燃えるわー」とか言い出すし、ハルちゃんは「どうしよう。当日は何を着ていこうかなあ」なんて天然ボケかますし……。

 まあ、全く気負いしないところはホント心強いのだけどね。

 そして持出さんは、普段と変わらず冷静だった。いつも通り口数少なく、いつもと変わらず静かな口調でウメちゃんを罵っていた。いつもと少しだけ違って見えたのは、瞳に力強さを感じたこと。それはまるで、内面から湧き上がる闘志を練習試合当日まで温存している、そんな感じだった。

 ゴテショとの練習試合が決まってから金曜日まで、私たちは普段通りの練習メニューをこなした。しつこいくらいのフットワークメニューで足腰を鍛錬し、パス&ラン、2メンや3メンといったひたすら走る練習でスタミナとスピードをつけた。

 あまりのキツさにマユちゃんは毎日倒れていたけれど、部活終了後の自主練では相変わらず正確な3ポイントを何本もゴールに沈めて私たちを驚かせた。

 ハルちゃんとウメちゃんもミドルシュートの成功率が上昇し、マークがついている状態でも体勢を崩さなければ決まるようになってきた。

 持出さんは得意な角度、斜め45度以外からでも中距離、ミドルレンジのシュートが入るようになってきた。マークがついている状態ではまだまだ安定しないけれど、フリーならば高確率でシュートが決まるようになった。さらに3ポイントの調子も上がっている。

 私はと言うと……

 3ポイントシュートが10本に1本入るようになった!

 ……私の3ポイント、試合で役に立たないじゃん。

「陽子ちゃん、どうしたの? 深刻な顔して」

 マユちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「いやいや、何でもないよーん」

「3ポイントだろ?。まあ、悩んでも仕方ねーし、練習するしか無いっしょ」

「分かってるし。って言うか、ウメちゃんだって10本に2本しか入んないじゃん!」

「私はねえ、10本に0本しか入ってないから、2人とも心配ないよー」

 ハルちゃん、それ入ってないから。カウントしちゃダメだから……。

「全員が3ポイントを打てたなら、身長の低い私たちにとって力強い武器になることは間違いないわ。でも、今の私たちの最大の武器は――」

「速攻ですからっ!」

 持田さんが言い終える前に私が叫んだ。

 みんなで笑いながら顔を見合わせて頷いた。

 荒井先生が監督就任してから、私たちの練習時間は延びた。部活後も自主練をしているので帰りはほとんど8時くらいだ。

 部活帰りに寄っていくコンビニで夕焼け空を見ることも無くなった。代わりに今は、みんなで星空を眺めながら小腹を満たしている。

「ああっ! 流れ星」

 マユちゃんが指差した星空を皆で見上げる。

「願い事、考えなくちゃ」

「ハルの天然がマシになりますように」

「カヤさん、ひどーい」

 ウメちゃん分かってないねえ。その天然がハルちゃんの可愛さを3割増しにしているのさ。

「3年生まで、このチームでバスケができますように」

 目を閉じて優しい声で願う持出さんを皆が微笑みながら見つめた。

「その願い、ワシが叶えよう」

「プフッ。誰だよ?」

「もう、陽子ちゃん台無しだよー」

「フミカちゃんの願い事で、せっかくいい雰囲気だったのにー」

 ブーイングを浴びせられる私を見て、持出さんはクスクスと笑っていた。

 持出さん、私もホントにそう願うよ。

 だから日曜日の練習試合、御殿場商業に絶対勝とうね。

 部活帰りのいつものコンビニで、私たちの頭上に輝く星空がとてもキレイな夜だった――。

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