第10話 シューティングガードは乙女ゲーキャラに憧れるんだよ!②

 月曜日の朝、私は昨日の出来事を渡辺先生に話した。いつものようにあくびをして、寝ぼけ眼をこすりながら空返事で答えていた先生も、さすがにことの重大さに気づいたらしい。私の肩をギュッと掴むと「事実関係がはっきりしないから今は何も言えないわ。このこと、絶対に口外しちゃダメよ。この件は先生が預かるから」真剣な顔でそう言うと、体育館の鍵を開けて足早に講師室に戻っていった。

「渡辺先生、いつもと違ってちょっと怖かったね」

 ストレッチをしながらハルちゃんが言った。

「ことと次第によっては、懲戒処分の可能性もあるわ。渡辺先生がピリピリするのも無理は無いわね」

「最悪、懲戒免職もなくない? この学校、教師にはやたらと厳しいじゃん」

「ちょ、懲戒免職!?」

 ウメちゃんの言葉に私は驚いた。

「風紀委員会の先輩から聞いた話だけれど、過去に男性教員が、自宅で数名の生徒に勉強を教えて懲戒処分を受けたことがあるらしいの。その教師はもちろん法に触れるようなことはしていないし、授業についてこられない生徒のために純粋な気持ちで行ったことなのだけれど、1ヶ月間の停職と3ヶ月間の減給処分を受けたそうよ。その後、懲戒処分のせいで色々な噂もたって、結局その教師は自主退職したそうよ」

「なんか、かわいそうだね。悪いことしてないのに……」

 ハルちゃんが沈んだ声で答えながら、皆にボールを渡す。

「おっ、サンキュー、ハル。でもさ、荒井先生の場合は確信犯だろ。学生に手出したらまずいっしょ」

「ウメ吉、禁句よ。渡辺先生にも注意するよう言われたでしょ。軽はずみに口にしてはダメよ」

「う~い」

 ウメちゃんがムスッとした顔で返事をする。

「よし、昨日の件は渡辺先生に任せて、ドリブル練習開始だよ!」

 モヤモヤする心をかき消すように、私は大きな声で号令をかけた。


 昼休み、ミーちゃんがお弁当を食べながらスマホをいじり続けている。ずっと笑顔、というよりニヤニヤしながら時々つぶやく独り言がちょっと怖い。

 そういえば、今日は朝からずっとこんな感じだった。ニヤケ具合も独り言も、スマホを操作している時間もいつもより多い。

 ミーちゃんの好きなアニメのイベントでもあるのかな?

「こら、美智子。ご飯中にスマホを触るのは止めなさい。お父さんはそんな子に育てた覚えはないぞ!」

「は~い。お父さんも食事中は考え事しないほうがいいよ。ご飯やおかずが机にこぼれてるよ」

 むむっ、不覚。昨日の荒井先生と女の子のことをつい考え込んでしまっていた。

「ミーちゃん、今日は朝からご機嫌ですなあ。何かいいことあった?」

「それがさ、昨日SNSで友達申請が来たんだけど、7組の子だったんだよね」

「うちの学校の?」

「そうそう。それでね、真由子ちゃんっていうんだけど、私とめちゃくちゃ趣味が合うんだよー。コウジョで話の分かる人に出会えるなんて感動だよー」

 ミーちゃんは、まさに幸せの絶頂と言わんばかりに語った。

 ミーちゃんの話についてこられるなんて、すごい子だな。ある意味、尊敬の念も生まれるくらいだ。と、いうのもミーちゃんはかなりディープなオタクである。「むしろ業界の人でしょ」とつっこみたくなるレベルで、アニメ、漫画、ライトノベル、ゲームといったオタクジャンルに精通している。アニメにおいては、製作会社、声優さんとその所属事務所についても博識であり、漫画、ライトノベルの人気作品や話題作は全て読破している。ミーちゃん自身、オリジナルの漫画を描いていたことがある。つまり、そんなミーちゃんと趣味が合うということは、真由子ちゃんも相当なオタクというわけだ。

「コウジョにミーちゃんと話せるヲタが生息していたとはねえ。驚きだね」

「あ、それでね。真由子ちゃん、バスケに興味があるんだって。『バスケの王子様』のコウタ君推しでね、彼と同じシューティングガードになりたいんだって」

 コウタ君って誰だよ!? 2次元とリアルをごっちゃにしないで!

「……ええっと、それは2次元の影響による、あくまで空想で留まる話だよね?」

「ううん、違うみたい。私が陽子ちゃんのことを話したら会いたいって。『体験入部したい』って言ってたよ」

「マジ?」

「うん、マジっす。あっ、今から教室に来るって」

 スマホを見ながらミーちゃんが答えた。

 ……うーん、バスケに興味もってくれるのはありがたいけど、アニメやらの影響っていうのはどうなのだろう?リアリティを追求した作品ならいいのだけれど、技術の誇張や、完全にありえないチート技繰り出す作品も多いみたいだし。そういうのに憧れられちゃうと困るかも。スポーツの経験が少しでもあればいいのだけれど……。

 ガラガラガラ。

 私が不安を抱く最中、教室の扉が開き1人の生徒が顔をのぞかせた。

「あ、来た来た。真由子ちゃん、こっちこっち」

 ミーちゃんが彼女に向かって手招きする。

 少し照れた表情の真由子ちゃんが、小走りに入ってきた。

 小柄で細身の体格、髪は肩の上で切り揃え、幼顔に不似合いな大きな眼鏡……。

「あああっ!」

 勢い良く立ち上がり、思わず大きな声で叫んでしまった。

 間違いない。昨日、荒井先生とカフェにいた少女だ。まさかコウジョの生徒でしかも同級生だったとは。これは、まずいことになったよ。懲戒免職のビッグウェーブがグイグイ押し寄せてきているよ。

「ど、どしたの陽子ちゃん?」

 ミーちゃんがびっくりした様子で尋ねる。

 私の声に驚いた真由子ちゃんは、小さな体をもっと小さくして萎縮していた。

「あ、ごめんね。ええっと、その……もうこれは、運命の出会いとしか言いようが無いんだよ! バスケ部にようこそ! マユちゃん、ウェルカム」

「あ、ありがとう。初めまして、真由子です。よろしくお願いします」

 マユちゃんが礼儀よくおじぎをする。

「もう、びっくりさせないでよー。でも、真由子ちゃん良かったね。一応、私から話しておいたよ。体験入部、頑張ってね」

「うん。美智子ちゃん、ありがとう」

 ミーちゃんとマユちゃんは両手を握り合い喜んでいる。

 しまった。やってもうた。

 反射的に荒井先生の名前が出そうになったのをグッとこらえた所までは良かったのに、動揺してついバスケ部に歓迎してしまった……。

 監督と部員が男女交際なんて、絶対ダメだよー。

「あの、飯田さん――」

「陽子でいいよ」

「じゃあ、陽子ちゃん。体験入部をさせてもらいたいんだけど、どの先生に言えばいいのかなあ?」

「顧問は塩屋先生で、コーチは渡辺先生だよ。多分2人とも講師室にいると思うよ。良かったら私も一緒に行くよ」

 あえて、荒井先生の名前を出すのは避けた。

「うん、どうもありがとう。よろしくお願いします」

 マユちゃんは笑顔でお礼を言い、再び頭を下げた。

 2人で講師室へ足を運び、塩屋先生にマユちゃんの体験入部の件を伝えた。

 渡辺先生の姿が見えない。荒井先生を問いただしているのだろうか?何だか、事の成り行きがますます悪い方向へ進んでいるような気がして、ものすごく気が重たくなった。

「おおっと、タイミングばっちしじゃん。美智子から講師室に行ったって聞いて急いで来たんだ。昼練行こうぜ」

 講師室から出たところで、ウメちゃんに声をかけられた。持田さんも一緒だ。

「えっと……今日は、ちょっと予定が……」

 マユちゃんを後ろに隠すようにして、さりげなく断る。

「マジ? らしくないじゃん。陽子がバスケより他を優先させるなんて、雨でも降るんじゃね? ハハハ」

「飯田さん、大丈夫? 顔色が悪いわ」

 持田さんが心配そうに覗きこむ。

「だ、大丈夫だよ。また放課後ね。2人とも、急がないとゴール取られちゃうよ」

「おう、またな。走れ、ブン吉」

 ウメちゃんは、マユちゃんのことを気にも留めずに体育館へ向かって駆け出した。

「……私も行くわね」

「う、うん」

 持田さんが、私の後ろにチラリと視線を向けてから歩き出す。

 一瞬ドキリとした。

「飯田さん」

「な、なに?」

 立ち止まった持田さんに呼び止められる。

「部活のときに話してくれれば、それでいいわ。それじゃ」

 穏やかな口調で答えた持田さんは、こちらを振り向かずに走っていった。

 緊張から開放され、疲労感がドッと押し寄せてきた。

 持田さんはマユちゃんに気がついていたみたいだ。私と一緒にいる彼女を見て、事情があることを察し、気を回してくれたのだろう。

「陽子ちゃん、さっきの2人は――」

「うん、バスケ部だよ。昼練習に行ったの」

「あ、ごめんなさい。私について来てくれたせいで、陽子ちゃん練習が出来ないよね」

 申し訳無さそうな表情でマユちゃんが深く頭を下げた。

 その様子を見ていると、マユちゃんのことを疑いの目で見ている自分がすごく嫌な性格に思えてやるせなかった。

「大丈夫! 部員勧誘も大事なことですからっ。それにゴールは我が部員が確保しているから、お昼食べ終えたら私も練習行くしね。ヒーローは遅れてやってくるものさ」

「フフフ、ハハハ」

 廊下に屈託の無いマユちゃんの笑い声が響く。

「さあ、戻ろうか」

「うん、ありがとう陽子ちゃん」

 私たちは並んで階段を上りはじめる。

 ――部活のときに話してくれれば、それでいいわ。それじゃ。

 持田さんの別れ際の言葉を思い出す。

 静かでいつも通りの冷静な声なのに、いつもより優しくて温かい声だった。

 自分が感じている嫌悪感とか不安とか、全部丸ごと聞いてもらいたくてたまらなくなった。


 午後の授業終了のチャイムが鳴り、私は深いため息をついた。

 いつもなら大好きなバスケができる放課後は一番心が弾む時間なのに、今日はどんよりと雨雲に覆われているかのような暗い気分に陥っていた。

 その理由は、マユちゃんが体験入部にやってくるからだ。彼女を嫌っているわけではない。今日初めて会って話をしたけれど、むしろ好感を抱いている。素直で礼儀正しくて、物腰柔らかな性格には裏の無い印象を受けた。講師室で塩屋先生から、体験入部の許可をもらったときのマユちゃんは嬉しそうに笑っていた。いい子だと思う。彼女自身に問題があるわけじゃない。彼女と荒井先生の関係が問題なのだ。疑惑として留まっているこの件は、この後渡辺先生によって明らかにされるはずだ。その場に渦中の2人が揃うなんて、想像するだけで胃が締め付けられるように痛くなる。

 はあ……。今日は部活、休んじゃおっかな。

 憂鬱な気分のまま更衣室で着替えを済ませてグラウンドへ向かう。

「後ろ姿がリストラ通告を受けた会社員みたいね」

「ハハハッ。たしかに言えてるし。陽子、元気ないじゃん」

 振り向くと、階段の踊り場に持田さんとウメちゃんが立っていた。

 昼休みから、ずっとモヤモヤしていたやり場の無い感情が一気に溢れてきて、私は思わず2人に抱きついた。

「持田さん、会いたかったよー。ウエーン。あとウメちゃんも」

「アタシはついでかよ!」

「ちょ、ちょっと飯田さん、落ち着いて。ウメ吉、離れてちょうだい」

「アタシに言うなっつーの」

 グラウンドに向かってゆっくりと歩きながら、私はマユちゃんのことを話した。全部話し終えるまで、持田さんとウメちゃんは静かに聞いてくれた。

「いやあ、アタシ全然気づかなかったし。ブン吉は気づいてた?」

「あなたが無神経なだけよ。飯田さんの様子が明らかにおかしかった上、後ろにいる彼女に気がつくのは人としてごくフツーのことよ。あら、ウメ吉は人ではなくて野獣だったわね。ごめんなさい」

「ぶっ殺す」

 ウメちゃんと持田さんの会話を聞いて私は笑い出した。笑っているうちに、ちょっとだけ涙が溢れてきた。

「飯田さん……」

「お、おい陽子、大丈夫か?」

 2人が心配そうに見つめる。

「ご、ゴメン。私、1人で抱え込んじゃって。いっぱい、いっぱいになっちゃって。持田さんとウメちゃんの声を聞いていたら何かホッとしたっていうか、楽になったっていうか」

「あなたは優しいから、余計につらかったわね。話してくれて、ありがとう」

「あとのことは、渡辺先生に任せようぜ。部活で陽子が元気じゃないと、マジキモいから」

「ヘヘヘ。だよねー」

 私が微笑むと、2人も安心したような表情でお互いの顔を見合わせた。

 グラウンドのバスケ部所定の位置、校舎側の階段前に集合したのは私たちが1番だった。後から、クラスの掃除当番を終えたハルちゃんが駆けつける。

「みんな、お待たせ~。あれ? めずらしく渡辺先生が遅いねえ」

「忘れたのか、ハル。あれだよ、昨日のカフェの件。多分、荒井先生と話してんじゃね?」

「あっ、そっかあ。そうだよね……」

 ウメちゃんに言われて思い出したらしく、ハルちゃんの表情が暗くなった。

 私はハルちゃんにもマユちゃんの体験入部の件を説明した。ハルちゃんは目を丸くさせ、驚いた様子で話を聞いていた。まるで私が話し終えるのを見計らったかのようなタイミングで、渡辺先生と荒井先生が階段を下りてきた。その後ろに米山先輩とマユちゃんが続く。

「みんな集まっているわね。まず荒井監督から話があるから聞いてちょうだい」

 私たちを見回してから、渡辺先生が緊張気味の声を発する。

「早速だが、オレと真由子の――」

「うわっ、いきなし呼び捨てとかありえないし、超キモいし」

 ウメちゃんがあからさまに嫌悪感をさらけ出す。

「ダメだよウメちゃん。荒井先生は勇気をふりしぼって自分の罪を告白しようとしているんだよ。ちゃんと聞いてあげようよ」

「そうだね、陽子ちゃん。荒井先生が変体ロリコン教師であっても、この国では言論の自由が許されているもんね」

「飛鳥さん、言論の自由の解釈が微妙に間違っているのだけれど。そもそも、荒井先生がロリコンであるという認識に誤りがあるわ。だって、真由子さんは私たちと同学年の女子高生なのだから、幼女を意味するロリータには当てはまらないわ。つまり、ロリータ風女子高生趣味の変体教師と表現するのが正しいわね」

 持田さんがいたって冷静な口調で解説する。

 ふん、ふん。確かにおっしゃるとおり。

「ゲッ、余計にタチ悪すぎだろ。キモいの飛び越してマジひくわ~」

 ウメちゃんが両肩を抱きかかえてブルッと身震いさせた。

「ちょ、ちょっとみんな。違うのよ。荒井先生わね――」

「うるせーーー! 黙れ! しゃべるな! 静かにしろ!」

 渡辺先生の言葉を遮り、荒井先生は大声で怒鳴った。

「わ、私から話すよ。だから、お兄ちゃんは怒らないで」

 マユちゃんが前に出てきて荒井先生の腕をギュッと掴んだ。

「う~わっ! お兄ちゃんとか呼ばせてるし。どんなプレイだよ。キモ」

「兄妹プレイ? それか妹プレイ?」

「飛鳥さん、あなたが答えなくていいのよ……」

 持田さんはうつむいて、首を横に振りながらハルちゃんの肩にそっと手を置いた。

「つまりまとめると、荒井先生は、妹プレイが可能なロリータ風女子高生趣味の変体教師ということだね」

「ち、違うんです。シン兄ちゃ……じゃなくて荒井先生は、私の従兄妹なんです!」

「えっ!?」

「えーーーっ!」

 マユちゃんの発言に私たち4人は度肝を抜かれた。

 荒井先生とマユちゃんを交互に見比べる。

 まあ、兄妹じゃないんだから似ているということもないか……。

「私、荒井真由子と言います。お兄……荒井先生のお父さんは、私の父の兄なんです」

「ああ、カフェのオーナーの名前、荒井貞二だもんね。なるほどねー」

 ハルちゃん、そういうことはもっと早く言ってほしかったな……。

「ん? てことはー、荒井先生は叔父の経営するカフェで、従兄妹とお茶してたってだけになんのか?」

「えっ? じゃあ、荒井先生はリアル従兄妹プレイが可能なロリータ風女子高生趣味の変体教師なの!?」

 ハルちゃん、リアル従兄妹プレイってなに!?

「想像しただけで悪寒がするわね。従兄妹という立場を利用して、違法性を問えないグレーゾーンに持ち込むあたりが汚いわ」

 持田さんが肩にかかる髪をファサッと払いながら、冷たい声を発する。

「ち、ち、違うんですー。シンちゃんはホントにただの従兄妹――」

「バカやろーっ!」

 荒井先生が夕日ではなく、私たちに向かってこれまでに聞いたことの無いくらいの大声で怒鳴った。

 マユちゃんを含め、私たちはびっくりして静まりかえる。

「じょ、冗談だよ。そんな、マジに怒ることでもないし。アタシらだって、疑ってるとかじゃないし。むしろ、信頼してるし……」

 ウメちゃん、この状況で勇気あるし。むしろ尊敬するし。

 荒井先生は私たち1人1人の顔を見つめてから、ため息をついた。

「オレもなあ、マジになるのはガラじゃねーから、大抵のことは笑い飛ばしてやる。でもな、今回のようなことはシャレじゃすまねーんだよ。マユがオレの従兄妹っていっても、話に尾ひれがついて広まる可能性だってある。それを踏まえて、渡辺には叔父の店でマユから相談を受けることは伝えてあったんだ」

「えっ、そーだったの? 朝、渡辺先生一言も言ってなかったよ」

 私が渡辺先生を見ると、先生はすごく気まずそうに苦笑いしながらうなだれた。

「それなのに、わーたーなーべっ! 何ですっぽり記憶無くしてんだよっ。なに昼休みに『聞きたいことがあります! 正直に答えてください!』とかぬかしてんだよ!」

「すみませんでした。荒井先輩ゴメンなさい。許してください、見逃してください」

 渡辺先生がおびえた様子で必死に謝罪を繰り返す。

「荒井先生、ごめんなさい。もともとは勘違いした私たちが悪いんだよ。もう渡辺先生を責めないであげてよ」

「先生、すみませんでした」

 私とハルちゃんが頭を下げると、荒井先生はポリポリと頭をかいて渡辺先生への叱責を止めた。

「アタシもちょっと調子乗りすぎたかも……ゴメンなさい」

「ウメ吉が調子に乗ってご迷惑をおかけしました。すみませんでした」

「アタシが悪者かよ!」

「あー、もういいから。2人ともやめい。この件はこれでしまいだ。今後注意いてくれればそれでいい。それより、ほれ」

 頭を下げながら肘で小突きあうウメちゃんと持田さんを仲裁し、荒井先生はオドオドした様子で後ろに控えていたマユちゃんを私たちの前に連れ出した。

「えっと、改めまして今日から3日間、体験入部させていただきます。1年7組の荒井真由子です。よろしくお願いいたします」

 丁寧に自己紹介をして、マユちゃんは少し恥ずかしそうな表情でペコりと一礼した。

「ん? 7組ならウメちゃんと同じクラスだよね」

「へ? アンタ、アタシと同じクラス?」

 ウメちゃんは間の抜けた声を出し、少し驚いた様子で尋ねた。

「は、はい。私、梅沢さんのクラスメイトです」

「はあ……呆れてものが言えないわ。入学してもうすぐ1ヶ月だというのに、クラスメイトの顔さえ覚えていないなんて。それから、肉食獣が小動物を狩るような目つきで睨むのはよしなさい、ウメ吉。荒井さんが震えているわ。そんな殺気立った目をしているから友達ができないのよ」

「睨んでねーし。余計なお世話だっつーの! アタシだって友達の1人や2人……」

 ウメちゃんは最後のほうだけ小さな声で話しながら頬を赤らめ、私とハルちゃん、そして持田さんにチラリと視線を向けた。

「私はウメ吉の友達じゃないから、誤解しないように。そうね、しいて言うなら部活メイトかしら」

「アンタは数に入れてねーし。そもそも、ブン吉だって友達なんかいねーだろ。性格直せよ、アイスハート」

 ウメちゃんと持田さんの小競り合いを見ていたマユちゃんがクスクス笑い出した。

「あ、今日はさー、アイス食べて帰ろうよ」

「陽子ちゃん、いいねえ。カヤさんのアイスハートって聞いたら、私も食べたくなってきちゃった」

「ちなみに、私のハートはいつもホットだぜ」

 みんなに向かって握りこぶしの親指を立てる。

 決まった。

 今、私超かっこいい。

「……うざっ」

「ハートがホットでも発言が寒いわ。いえ、寒いのを通り越して痛いわ」

「陽子ちゃんは、友達多そうだよね。つまらないことを楽しそうに言うところが、面白いよね」

 ハルちゃん、フォローになってないから。

 傷つくから。

「はい、では皆さん、練習を始めましょう。アップから始めますので、真由子さんも入ってくださいね。まずストレッチから。次にランニングですが、グラウンドの端から端までを3往復します。皆さんの後について行ってくださいね」

「は、はい。よろしくお願いします」

 説明してくれた米山先輩に少し緊張した様子で返事をしたマユちゃんは、私たちと一緒に輪になってストレッチを開始する。

 ストレッチを終えてからランニング。先頭は私とハルちゃん、次に持田さんとウメちゃん、そしてマユちゃんという並びで走り始める。

 グラウンドでは陸上部がトラックを使用し、さらにソフトボール部、フットサル部も練習をしている。私たちバスケ部はグラウンドの隅っこ、校舎側のスペースを利用してアップからフットワークメニュー、トレーニングを行っている。

「ハア、ハア、ハア……」

 後ろから苦しそうな息遣いが聞こえてくる。

「マユちゃん、大丈夫? もうちょいペース落とそうか?」

「ハア、ハア。だ、大丈夫です。い、いつも通りにやって……ください。ハア、ハア」

 振り返ると、マユちゃんは少し遅れながらも必死についてきていた。

 持田さんが首を横に振っている。

 ウメちゃんも「ペースダウンしろ」と手で合図を送っている。

 私が少しスピードを緩めると、マユちゃんは持田さんとウメちゃんのすぐ後ろに追いつき、そのまま離されずについてきた。

 私の隣で走っているハルちゃんが、安心したように微笑んだ。

 突き当たりのテニスコート前を折り返す。

 コートに接近する私たちをテニス部員たちが注目する。決して羨望の眼差しといった、心地よいものなんかじゃない。その視線は、好奇に満ちたものであり、中にはあからさまに悪意を感じる不愉快なものもある。ジロジロと嫌な視線を送ってくるのは、テニス部だけではない。グラウンドで活動しているサークルはみんな同様だ。

 その理由は分かっている。みんなウメちゃんを見ているのだ。

 校則があって無いようなものとは言え、金髪に褐色の肌をしているいわゆるギャルは、ウメちゃんを除いてコウジョには1人も存在しない。その風貌がめずらしくもあり、さらにバスケ部で活動しているということが、野次馬たちにとっては格好のネタなのである。

 しかしウメちゃんは全く気にしていない。部活の時間は人が変わったみたいに集中しているのだ。きっと以前のウメちゃんなら、1人1人を睨み返し、「見てんじゃねーよ。ぶっ殺す」の一言もあっただろうけれどね。だから私たちは、あえて何も言わない。彼女と一緒に走り、練習して共に汗を流すことが、今のウメちゃんにとって一番の支えになると信じているから。きっと、ハルちゃんと持田さんも同じように思っているはず。

「ハア、ハア、ハア……他のサークルの人たちに、何だかすごく見られてる気がするんですけど……」

 おうっ! マユちゃん初日に地雷踏んだよ。

「ああ。それ、アタシのせいだから」

 ウメちゃんがさらっと答える。

「えっ? 梅沢さんが?」

「そ。みんな、これがめずらしいんだろ。しかも、ギャルが運動部とか超うけるみたいな?」

 ウメちゃんが振り返りながら、自分の顔と髪を指差した。

「で、でも、梅沢さんの髪も肌も生まれつきですよね? 石井先生もみんなの前で梅沢さんに謝罪したじゃないですか」

 1年7組担任の石井先生は、髪を黒に染めるようウメちゃんに勧めたことを朝のホームルームで謝罪したのだ。入学当初、その件でウメちゃんは石井先生に暴言を吐いて掴みかかり、それが原因で停学処分を受けたのだ。石井先生は職員会議で自分に非があったことを訴え、停学処分の記録を取り消してもらい、ウメちゃんの両親にも正式に謝罪したのだ。

 この話は、すでに1年生の間でかなり広まっていて、バスケ部キャプテンである私はクラスメイトから色々と質問攻めにあった。

「ハハハ。まあ、そーだけどさ。自分で鏡見てもマジインパクトだし、この学校で浮くのは仕方ないっしょ」

 明るく答えるウメちゃんに卑屈さはまったく感じられなかった。

「クラスの人たちも理解してくれたみたいだし、学年全体、学校全体がそうなるといいですよね」

「ハハハ。そこまでは期待してないけどねー。てかさ、タメなんだし敬語とか無しね。あと、カヤでいいよ」

「う、うん。じゃあ、カヤちゃんで」

 ハニカミながら、そして嬉しそうにマユちゃんが名前を呼んだ。

「そう、分かったわ。じゃあ、カヤ吉で」

「何でだよ! 吉つける意味分かんねーし! フツーに呼べよ」

「縁起がいいからじゃないかなあ? 運気アップ的な感じしない?」

「じゃあハルちゃん、これからハル吉って呼ぼうか?」

「私はいいよ。持田さんとカヤさんが2人で呼び合ってくれたら、それだけで十分ご利益にあずかれそうだから」

 ハルちゃん、人が呼ばれるのは面白いけど、自分が呼ばれるのは嫌なんだね……。

「えっと、あのお。すみません」

 マユちゃんが恐る恐る持田さんに声をかける。

 見た目はウメちゃんのほうが話しづらいけれど、持田さんはリアルに話しづらいから仕方ないよね。

 でも、ホントは2人とも優しくてとってもいい子だから、仲良くしてね。

「何かしら?」

「な、名前を教えてください」

「あ、そー言えば、練習前ゴタゴタしていて、自己紹介してなかったよね」

 ハルちゃんが思い出したように呟いた。

「8組、持田文香。よろしく。好きに呼んでくれて構わないわ」

「う、うん。じゃあ……ブン吉さん」

 マユちゃんの発言に持田さん以外、爆笑する。

「プフフッ。フハハハ! やばいし、ブン吉さんマジうけるし」

「フフフ。いつも聞いてるのに、『さん』つけするだけで斬新に聞こえるよね」

 ハルちゃんも走りながらお腹を抱えて笑っている。

「それ以外で、好きに呼んでくれて構わないわ」

 私たち3人にキッと鋭い視線を向けてけん制すると、持田さんは冷静な声で答えた。

「ええっと……じゃあ、フミカちゃんで」

 持田さんは少し照れた表情で首を縦に振った。

 持田さん、あまり下の名前で呼ばれるの、慣れてないんだね。

「4組の飛鳥春香です。よろしくね」

「えっと、ハルカちゃんでいいかなあ?」

「うん、うん。いいよー」

 ハルちゃんは声を弾ませて返事をした。

「それでは改めまして、バスケ部キャプテン、2組、飯田陽子です!」

「改めまして陽子ちゃん、よろしくです」

「さあ、自己紹介も終わったし、2周目いくよー!」

 気合いを入れて声を出し、校舎側の階段前を折り返して2往復目に入る。

 荒井先生は階段の真ん中あたりに腰掛け、めずらしくまだ帰らずに残っていた。

 きっと、マユちゃんのことが心配なんだね。

 荒井先生もいいとこあるじゃん。

 振り返って後ろのマユちゃんの様子を確認しつつ、いつもよりゆっくり目のペースを維持しながら走る。

 マユちゃん、バスケ部へようこそ!

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