光城学園女子高等学校籠球部

日ノ光

第1話 バスケ部が無い!?

 昼休み、おおよそ女の子らしからぬ黒色のいかつい弁当箱を右手で持ち上げ、左手に持った箸をせわしなく動かし、猛スピードでそぼろご飯を口いっぱいにかきこむ。

 そんな私の様子を見ていたミーちゃんが、口元を手で隠しながらクスクスと笑い出す。

「陽子ちゃん、ほっぺた膨らんでリスみたいになってるよ。もっとゆっくり食べないと詰まっちゃうよ」

「わらひ、ひほがはいと! ほふから、ふはつかんふーはひまふんだ」

「フフフ。なに言ってるか分かんないよ。部活勧誘期間は1週間あるから慌てなくても大丈夫だよ。それに、陽子ちゃんはもうどこに入部するか決めてるんでしょ? それなら、お目当ての部活のブースに行って説明を聞くだけじゃん」

 何を言っているのか分からないと言いつつ、ちゃんと通じているところ、さすが私の親友だ。

 ミーちゃんこと、船橋美智子は保育園からの幼馴染だ。当時、私は「みちこちゃん」と言えずに「みーこちゃん」と呼んでいた。そしてその呼び名は、さらなる進化なのか退化なのかを遂げ、現在の「ミーちゃん」に至った次第である。

 ミーちゃんとは保育園から小学校まで一緒の大の仲良しだった。中学からミーちゃんが私立校へ、私が公立校へ進学したために離れてしまったけど、2人はめでたく高校で再会したのである。

 しかも同じクラスなんて超ラッキー&超キセキ。

「やっぱり私とミーちゃんは運命の赤い糸で結ばれてるんだよ!」

 そぼろご飯を飲み込んだ私は、向かい合ってお弁当を食べているミーちゃんに熱っぽく言った。

「突然話が飛ぶの、相変わらずなんだね。しかも赤い糸は男女を結ぶものでしょ」

「えっとじゃあ、あれだよ、あれ。魂で結ばれてる的なやつ。そう、ソウルフード!」

「気持ちは暑苦しいくらいに伝わってるけど、それはソウルメイトね」

 ミーちゃんは苦笑いしながら、お弁当の卵焼きを口に運んだ。

「それそれ、私が言いたかったの。ミーちゃん、私先行くね。バスケ部のブースに行かなくっちゃ!」

 特大の弁当箱を急いでバンダナに包んでカバンにしまい、私は走って教室を飛び出した。

「えっ! 陽子ちゃん、バスケ部希望? 私、学校案内のパンフレット見たけどバスケ部は――」

 ミーちゃんが後ろで何か言いかけたのが聞こえたけど、今はそれどころじゃないんだ。バスケ部の説明聞いて仮入部届けを提出して、戻ったらちゃんと話聞くから、ミーちゃんゴメンね。


 部活勧誘は、コの字の校舎に囲われた中庭で行われている。中庭の中央には樹齢100年のソメイヨシノが植えられていて、満開に咲き誇っていた。学園が創設された当時に植えられた記念樹らしい。老樹だけど、たくましい幹と枝ぶりを維持する大木からは強い生命力を感じさせられる。ときどき強く吹きぬける春の風が、薄ピンク色の花びらを宙に舞い上がらせ、美しく幻想的な情景に思わず見とれてしまう。

 おっと、お花見してる場合じゃないよ私。バスケ部のブースに行かなくっちゃ。

 バスケ部のブースを探しながら、中庭をゆっくり歩く……。

 あれ?見つからない。1周して元の場所に戻ってきちゃった。見落としたのかな?

 今度はもっと慎重に見渡しながら、もう一度中庭を歩く……。

 やっぱり無い!今日はバスケ部お休みなのかなあ?

「陽子ちゃ~ん」

 私が首を傾げているところに、ミーちゃんが走って向かってきた。

「ミーちゃん『部活やんない』って言ってたのに、気が変わった? じゃあさ、一緒にバスケやろーよー」

「ハア、ハア、ハア……。陽子ちゃん、バスケ部は無いの」

 ミーちゃんは苦しそうに息を切らせて膝に両腕をつき、上半身を前傾させたまま小さな声を発した。

「うん、今見てきたけど勧誘やってなかった。今日はお休みみたいだねー」

「違うの……。学校にバスケ部が無いの」

「えっ!?」

 驚愕の事実を突きつけられ、思わず言葉を失った。

 私が住んでいる地区は子供の人数が少ない。小学校は1学年1クラスで中学校も1学年3クラスしかなかった。必然的に部活の種類もわずかであり、中学にバスケ部は無かった。球技なら女子はバレーかソフトボール、男子は野球かサッカーという学校だった。そんな限られた選択肢の中で、私は球技を選ばずに陸上部に入部した。来るべき高校バスケ部デビューに向けて、体力つくりを目的に入部したのだ。

 3年間陸上部でみっちり走りこんで準備してきたっていうのに……。

「ほら、これ見て。学校案内のパンフ。部活紹介のところ」

 ミーちゃんに手渡されたパンフレットに目を通す。そこには、全国大会優勝経験のある吹奏楽部を筆頭に、合唱部、美術部、書道部など多数の文化部や文化系サークルの名前が連なっていた。対して運動部の数は圧倒的に少なく、剣道部、弓道部、薙刀部といった武道系と陸上部があり、球技系は全てがサークル活動として記されていた。

「バスケサークルすら無いなんて……」

「まあ、ここは県内有数の進学校だからね。生徒の3分の1は帰宅部らしいし。昔はもっと運動部も多かったらしいけど結果が出ない部は廃部になって、県大会やコンクールで上位入賞したり、全国レベルのクラブだけが今も残ってるって話だよ。」

 私立光城学園女子高等学校はミーちゃんの言うとおり、県内指折りの進学校として有名であり、お嬢様学校として知られている。

 まあ、私はごく一般的なサラリーマンの父と専業主婦の母という家庭で育った、お嬢様には全く程遠いごくフツーの女子高生なんだけどね。

 私立の進学校が、宣伝目的で強い運動部や実績のある文化部、文化系サークルを優遇している図式はすぐに納得できた。部活も進学を有利にするためのアイテムみたいなものであり、大きな大会やコンクールで知名度を上昇させることにより、入学希望者も増加するっていう仕組みだ。

 大人の事情で健全なる青少年の部活動が制限されるなんて、有名私立校の裏の顔を垣間見た気がしてちょっとげんなりした。

「無いなら作ればいーじゃん!」

「へっ? バスケ部を? 陽子ちゃん、バスケは5人制のスポーツなんだよ。1人じゃできないんだよ」

 ミーちゃんが、まるでダダをこねる幼い子を諭すような口調で話した。

「分かってらい! 失敬な」

「部員を集めるの? 顧問の先生とか、監督とかはどうするの? 私は入部できないよ」

「全部ちゃんと1人でできるって。どうすればバスケ部作れるか、今から職員室行って先生に聞いてみる!」

 私は職員室に向かって駆け出した。

「あっ、待ってよ、陽子ちゃん」

 ミーちゃんも私を追いかけて走り出した。

 職員室は3年生の校舎――コの字の建物、真ん中の部分に位置する校舎――の1階にある。

「失礼します」

 扉を開けて、担任の国府方昭雄先生の机へ向かう。先生はノートパソコンを開き、少し考えながらタイピングをしていた。

「先生、すみません。私、バスケ部を作りたいんです。どうすればいいですか?」

「えっ!? バスケ部? 作る?」

 パソコンを打っていた手を止めて、椅子に腰掛けたまま私の方を向いた先生は驚いた様子で聞き返した。

「はい。バスケ部に入りたかったんですけど、バスケ部が無くて。だから作りたいんです!」

「船橋さんと2人で?」

「いえ、私は違います。私はそのー、えっと……陽子ちゃんの保護司みたいなものです」

 いや、ミーちゃんそれ、刑務所出所した人の更生や社会復帰を支援する人だよ。せめて保護者って言ってほしかった。

「ハハハ。そーなんだね。同好会なら人数の規定も無いからすぐに作れるよ」

「私はサークルじゃなくって、公式戦に出場できるバスケ部を作りたいんです!」

「そーかあ。それだとけっこう大変になるよ。まずバスケだと最低5人の部員を確保する必要があるね。それから、顧問の先生もどなたかにお願いしないといけないね。監督やコーチは、現段階で外部から招くことは不可能だから、これも先生のどなたかにお願いしないとね。顧問の先生が監督やコーチを兼任しても構わないし、監督とコーチはいなくても構わない」

 国府方先生はゆっくりと分かりやすく説明してくれた。

「つまり、部員が5名揃って、顧問の先生がいればバスケ部できるんですよね?」

「そういうことだね。でもね、飯田さん。部を作るよりも、存続させることの方が難しいと思うよ。『創部2年以内に優秀な成果を得られない部は廃部とする』それが、ここの方針なんだよ」

「そんな! いくらなんでも無茶苦茶じゃないですか? 創部2年で結果を出せなんて横暴ですよ」

 私の後ろで聞いていたミーちゃんが、体を乗り出して声を荒げた。

「確かに僕も乱暴な話だとは思うよ。そのための救済措置がサークル活動の自由化なんだよ。同好会は学校から部費も出ないし、後援会からの支援も無い。そのかわりほとんど制限の無い状態で創設できるし活動できる。うちの球技系運動部がみんな同好会なのはそういった理由からなんだよ」

「わかりました。私、バスケ部作って試合で勝って、3年間続けます!」

 堂々たる宣言に国府方先生は若干驚いた顔を見せたが、すぐにニッコリ笑って頷いた。

「顧問になってあげたいのだけれど、僕は囲碁将棋部で顧問を務めているから無理なんだ。正式な部の顧問兼任は禁止されているからね。そうだ、副担任の塩屋先生に相談するといいよ。塩屋先生は40年勤められているから、部活動に関することでも詳しいはずだよ。顧問を引き受けてくれる先生や、監督も紹介してくれるかも知れないよ」

「ホントですか!? ありがとうございます」

 私とミーちゃんは国府方先生に頭を下げ、職員室をあとにした。

 塩屋先生は、まだ経験の浅い国府方先生をサポートするためにクラスの副担任を務めている。光城学園勤続40年のベテラン教師、ミスター光城と呼ばれる塩屋先生は定年後も講師として教壇に立ち続けているのだ。

 1年生の校舎1階にある講師室に入ると、塩屋先生はおいしそうにお茶をすすりながら新聞を読んでいた。髪はロマンスグレーで眉毛まで白い先生は、実年齢よりもおじいちゃんに見える。事実すでに『ご老公』というニックネームで我がクラスメイトたちに親しまれている。

「塩屋先生、私バスケ部つくりたいんです! 国府方先生に相談したら、色々教えてくれて、それで顧問のこととかは塩屋先生に聞くといいって。先生、顧問になってください!」

「えぇぇっ! 陽子ちゃん、いきなり?」

 頭を下げた私の横で、ミーちゃんが驚きの声を上げた。

 そんな私たちの様子を見つめて、塩屋先生は優しそうな笑顔を見せる。

「ふむ。構わんよ」

「やったー! 先生ありがとー」

「ちょ、ちょっと陽子ちゃん。ちゃんとお礼言わないと、失礼でしょ」

 バンザイしながら飛び上がった私を注意するミーちゃんを見て、塩屋先生は「ハッ、ハッ、ハッ」と声を出して笑った。

「あ、それから先生、監督やコーチをしてくれそうな人っていないですか?」

「ふむ、監督……。ああ、おるよ」

 先生は腕を組んで少し考えた後、思い出したように答えた。

 よっしゃー。顧問と監督一気にゲットー。順調な滑り出しだ。スムーズすぎて逆に怖いくらい。この調子で部員も集まれば楽勝だね。

「外部の人ですか? それとも教員?」

「おーい、荒井君。ちょっと」

 私の問いかけに対して、先生は講師室の一番奥の方、窓側に座っている男性講師に声をかけた。

 「荒井君」と呼ばれた男性講師は、こちらをチラっと見るが立ち上がる気配は無い。塩屋先生が手招きをするとやっと立ち上がり、面倒臭そうに足を引きずるようにしてこちらにやってきた。

 髪はボサボサであごには無精ひげ、体は引き締まってる感じはするけど、背は男性にしたら小さい。160センチくらいかな?

 えー、コノ人が監督? なんかイメージ違うんですけど……私が想像してたのは、もっと爽やかで、でもバスケに対しては熱血で。身長だって高くって、こう何て言うか「俺と一緒に全国を目指そう!」みたいな。

「君たちは知らんかな? 国語担当の荒井先生」

 塩屋先生が私たちの顔を交互に見ながら尋ねた。

「あ、はい。1年の担当の先生は違うので……」

「荒井先生は、駿河中央大学バスケ部の出身なんじゃよ。彼が4年生のとき、駿河大はインターカレッジで準優勝したんじゃよ」

 不信と不満な気持ちが私の顔に出ていたのか、それを払拭するかのように先生は力強く語った。

 ん? 全日本選手権で駿河大が準優勝したのって確かあのとき……。

「全国大会で準優勝ですか。すごいですね。では、荒井先生が監督を引き受けてくださるんですか?」

 ミーちゃんが塩屋先生に尋ねる。

「ふむ。構わんよ」

「大いにかまうわ! じーさん何の話だよ? 勝手に進めんなよ」

「お前さん、バスケ部の監督やんなさい」

「やるかよ! 何でいきなしそうなんだよ?」

 塩屋先生に乱暴な口調でキレている荒井先生の横顔を見て、私は7年前のあの日を鮮明に思い出した。

「ああああああっ! 駿河大の8番、荒井心! シュートフォームきったないのに、アホみたいに3ポイント決めまくってたヤツ」

「ちょっ、陽子ちゃんっ。ゴメンなさい、ゴメンなさい。本当にゴメンなさい。この子には私からキツく言っておきますので。今日はこれで失礼します!」

 ミーちゃんに無理やり頭を押さえつけられ、強制的にお詫びさせられた。ミーちゃんも何度も頭を下げて謝ると私の腕をギュッと握り締め、講師室の外へグイグイ引っ張っていった。

 廊下に出てから階段の手前でやっと開放される。

「ミーちゃん、痛いよー」

「当たり前でしょ! 陽子ちゃんのバカ。監督になってくれるかもしれないのに、タメ口きいて、あんな失礼なこと言って」

「まあ、タメ口はまずかったけどさ。失礼なことは言ってないし。むしろ褒めてたし……」

「……陽子ちゃん、荒井先生のこと知ってたの?」

 シュンとなった私を見て、ミーちゃんは静かな声で尋ねた。

「知ってるってほどじゃ無いんだけど……。7年前に見たんだ。インターカレッジ決勝戦、駿河中央大学vs東北体育大学の試合……」

 小学2年生の冬休み、国立代々木競技場の体育館で私はお父さんと一緒に試合を観戦した。

 お父さんは駿河中央大学バスケ部のOBで、インターカレッジ初出場を果たした母校を応援すべく、娘も連れて東京に駆けつけたというわけである。あの時の、お父さんの異様なまでのハイテンションっぷりは今でもはっきりと覚えている。

 駿河大バスケ部は、当時の東海地区1部リーグで常に上位ではあったものの、インターカレッジ予選では勝ちきることができずにいた。しかし、7年前にインターカレッジ東海地区予選で悲願の1位通過を果たし、しかも全国大会初出場で準優勝を決めたのだ。

 その駿河大チームを準優勝までに導いたのが背番号8番、荒井心である。インターカレッジ出場選手の中で最も低い身長ながら、彼は大会中3ポイントシュート確率50パーセントという数字を叩き出し、さらに決勝戦においては確率70パーセントという前人未到の数値を残した。

 お父さんは、荒井選手をすごく褒めていた。バスケの技術的なことじゃなくって、バスケに取り組む姿勢を。

 荒井選手は、小学生からバスケを始めたものの、高校までずっと補欠選手で公式戦に出場する機会は1度も無かったらしい。それでもひたむきに練習を継続し、大学2年でその3ポイントシュートの才能が開花した。試合でピンチになったとき、荒井選手が3ポイントを決めて流れを引き寄せ、何度もチームを救ったそうだ。

 実際、私が観戦したインターカレッジ決勝戦でも、そういうシーンが何度もあった。東北体育大に連続得点を許し、点差が開いたとき、そのあと必ず荒井選手が連続3ポイントを決めて逆転する。気持ちいいくらいによく決まる3ポイントシュートに、私は魅了されてしまった。

 最初はあまり興味も無くて、コート上を行ったりきたりする選手たちをただ目で追っていただけなのに、いつの間にか私は大きな声を出して応援していた。駿河大と荒井選手を。

「……まあ、そんなわけで、応援席から私が一方的に見ていただけなんだけどね。でも、ホントすごかったよ」

「そう、だったんだ。それで陽子ちゃん、バスケ部に?」

 ミーちゃんは意外そうな表情で私を見つめながら尋ねた。

「うん。バスケやろうって決心したきっかけは、確かにあのインカレの決勝戦だね」

「私はてっきり、漫画とかの影響かと思ったよ。陽子ちゃんなのに、ちゃんとした背景があったんだね」

「ははは。ミーちゃんさらりと失礼発言するね。でも、近所にミニバスケのチームも無かったし、中学にもバスケ部無かったから、結局やる気だけで高校まで来ちゃったんだけどね」

 私が話終えたところで昼休み終了の予鈴が鳴った。

「あ、昼休み終わっちゃう。陽子ちゃん、急ごう」

 ミーちゃんが走って階段を上り始める。

 私は振り返り、講師室を見つめた。

 荒井先生はあのときの、駿河大を準優勝に導いた3ポイントシューター、荒井心選手なんだよね?

 階段の踊り場から「陽子ちゃん、早く!」と、せかすミーちゃんの声で吾に返り、私は勢い良く階段を駆け上った。


 放課後、帰りの仕度を済ませてカバンを肩にかけ、階段を下りて再び講師室へ向かう。改めて荒井先生に監督をお願いすることに決めた。ミーちゃんは塾があるから、一足先に帰宅し、講師室には私1人で出向くことになった。

 2年生校舎からさっそうと歩いてきた荒井先生を発見し、私は彼のもとに走った。

「あのっ、荒井先生、昼休みはすみませんでした。それでですね、改めまして――」

「監督は断る! 他をあたれ。それにまだ部員もいないんだろ?」

 荒井先生は私の話を遮り、あからさまに面倒くさそうな顔をする。

「部員はいます! 私が1人。さらに、これから応募が殺到します」

「メンツが揃ってから来るんだな。そのときは前向きに検討する」

「やったー。じゃあ監督、今から練習見てください」

「なんでそうなる? 話の流れとしておかしいだろ? あと監督って呼ぶな」

 先生がボサボサに伸びた髪をかきむしりながら、露骨に嫌そうな顔をした。

 私と荒井先生が話しているところに、渡辺先生が通りかかった。

 渡辺玲先生、25歳。1年生の数学担当だ。渡辺先生は美人で背も高く、スタイル抜群。大学時代にミスキャンパスに選ばれたこともあるそうな。ルックスもさることながら、教え方も分かりやすくて丁寧で、生徒たちから人気を集めている。

 私も渡辺先生みたいに、ビシっとスーツを着こなす仕事のできるクールビューティーな女性になりたい。あと、身長分けて欲しい……。

「おっ、渡辺。いいとこ来た。ストーっプ」

「げっ、荒井先輩」

 荒井先生が両手を広げて渡辺先生を呼び止める。

「飯田、俺はこのあと予定がある。練習は渡辺コーチに見てもらえ」

 荒井先生が渡辺先生の肩をポンと叩き、ニッコリ笑った。

「渡辺先生、コーチになってくれるんですかあ!?」

「えっ、コーチって何? なんの話?」

「じゃ、あとは頼んだ渡辺コーチ。これ、先輩命令な」

「ちょ、ちょっと。荒井先輩、どこ行くんですか?」

 荒井先生は片手を挙げて後ろ向きのままバイバイすると、走り去ってしまった。

 渡辺先生は呆然と立ち尽くし、大きなため息をついた。

「渡辺先生、バスケの練習見てください」

「バスケ!? 飯田さんごめんなさい、先生このあと合コン……予定があるの。また今度ね」

 渡辺先生はすまなそうに断りつつ、ごく自然な様子で講師室へ入ろうとした。

 いや、先生、もう合コンって言い切っちゃってるし。自然にフェードアウトとか無理でしょ。

「先生、今日の合コンはどこでやるんですかー?」

「な、なな、何言ってるの飯田さん」

「今日の合コンの男性メンバーはどんな感じなんですかー?」

「ワーーーー! ワーーーー!」

 先生は大声を上げて話を遮断し、私の腕を掴んで走り出した。そのまま体育館まで連れて行かれ、倉庫の中でようやく開放された。

「学校で合コンの話ふるとかありえないし。私のイメージ崩れちゃうじゃない!」

 先生は少し怒った様子で早口で話した。

 そもそも、合コン言い出したのは先生なんだけどね。

「そーですかあ? 別に悪いことしてるわけじゃないんだから、私はいいと思いますよ。それに、先生がキレイなことや、授業が分かりやすいことは事実ですし、何か変わるものでもありませんから」

「そ、そお? でも、飯田さんのように思ってくれる子ばかりじゃないじゃない? それにこの学校、生徒には甘いくせにやたらと教員に厳しいのよね。服装が派手だとか、髪色が明るすぎるとか、化粧はナチュラルにしろとか、ネイルはダメだとか」

 不満の爆発した先生は独り言のようにつぶやき続けた。

 先生が生徒に愚痴るこの構図ってどうなんだろ?

 そんなことを思いつつ、大人の女性として美しく、そして完璧に見えていた渡辺先生の意外な一面を見ることができて、私はちょっぴり嬉しかった。

「じゃあ先生、練習見てください」

「飯田さん、私の話聞いてないでしょ? っていうか、明日にしましょうよ。ね?」

「荒井先生が『先輩命令』って言ってましたよ。あれって何ですか?」

「グッ、ク~。ああ、もう分かったわよ。見ればいいんでしょ」

 先生はようやく諦めがついたのか、不本意な様子ではあるものの、カゴからバスケットボールを取り出し私に手渡した。

 先生と一緒に倉庫から出て、体育館入り口の隅っこに移動した。

 体育館ではバレーサークル、バドミントンサークルがコート2面を使用して練習している。すぐそばにバスケットゴールがあるのに使うことができないなんて、なんとももどかしい。

 それでも私は嬉しい気持のほうが大きかった。これまで、体育館でバスケットボールを使える機会は滅多に無かったから。

 早速、渡辺先生にドリブルを見てもらった。

 右足を前に出して腰を落とし、前を向いて左手で同じ位置にドリブルをつく。30回くらいついてから、今度は右手に替えてドリブルをついた。ダム、ダム、ダムとリズミカルな音が体育館に響く。

 いいね、いいね~、この感じ。まさにバスケ部って感じ。

「うあっ、何か注目されちゃってる。私たちだけ浮いてない?」

 渡辺先生が周囲の視線を気にしながら尋ねた。

 スーツ姿の教師と彼女の前でドリブルの基礎練習をする制服姿の女子高生。そんな場違いな2人が周囲の視線を集めるのも無理は無い。

 せめてジャージに着替えれば良かった……。

「先生キレイですから。注目されるのは仕方ないですよ」

 とりあえずおだててみる。

「ま、まあそうね。先生、街でもよく視線を感じるし。美人のサガってやつね」

 乗った。先生って、案外単純。

「それより、ちゃんと見てくださいよー。ドリブルどうですか?」

「次、同じ位置でなく、前後交互についてみて」

「あ、はい」

 今どきOL風の雰囲気からコロッと変わり、渡辺先生は真剣な表情で私の姿勢や手の動きを見つめる。

「今度は両足をそろえて、左右にドリブルして」

「はい」

「膝を曲げて、膝の下を通すように。もっとドリブル強く。低く細かくついて」

「は、はい」

 先生の指示に従い、ドリブルを続ける。

 家で練習するときはいつもお父さんに教えてもらい、一緒に付き合ってもらった。

 そういえば、お父さん以外の人に練習見てもらうのは初めてだ。今さらだけど、緊張してきた。

「足と姿勢はそのままにして。腰の高さでドリブルして。そう。そこから頭の上まで上げていって。今度は低くして、しゃがんでドリブル。そう。最後に腰の高さに戻って」

「こ、こうですか?」

「いいわよ」

 先生が笑顔で答えてくれたので、少し緊張がほぐれた。

「次、8の字。足もっと開いて。右足の周りは右手で左足の周りは左手でドリブルして。3回ドリブルして、3回目で足の間を通して……そう、いいわよ。じゃあ、2回ドリブルで足の間を通して……うん、上手。じゃあ、ラストは足の間だけでドリブルしてみて」

「あっ」

 ドリブルで足の間を通そうとしたとき、ボールが足に当たって転がってしまった。慌てて取りに行く。ボールを拾って走って先生の元に戻った。

「ドリブル、上手いじゃない」

 先生がニッコリ微笑み褒めてくれた。

「ありがとうございます」

「いつからバスケやってるの?」

「えっと、部活とかではやったことなくて、中学はバスケ部無かったから。家でドリブル練習したり、お父さんとパス練習したりしてました」

 私はちょっと恥ずかしくなって、小さな声で答えた。

「えっ! そうなの? すごく安定感があるから、てっきり経験者かと思った。ちょっとボール貸してくれる」

 ボールを手渡すと、先生はドリブルで足の間を通しながらゆっくり歩き始めた。前進した後、今度は後ろに歩きながらドリブルを続ける。

 動きにくいスーツで、しかもタイトスカートでの見事なボール捌きに私は驚愕した。

「す、すごい! 先生うますぎ」

「レッグスルーね。足の動きを加えていくとより実践的な練習になるわね。飯田さん、サウスポーよね?」

「はい」

「右手のドリブル、もっと練習するといいわよ。右手でつくとき、たまに視線がボールにいっているから。ドリブルの基礎は、前を向いて、低く、強くね」

 先生は私にボールを返し、優しい声で言った。

「それから、ボールを2つ使って両手でドリブルするのも効果的な練習法よ。試してみて」

「は、はい。ありがとうございます」

 渡辺先生は美人なだけじゃなくって、バスケの上手いすごくカッコいい人だった。

「あっ、もうこんな時間。私、合コン……約束があるから、これで失礼するわ」

 ……そしてちょっぴり残念な女性だった。

 慌しく走り去っていく渡辺先生の後ろ姿を見送り、私はバスケットボールを倉庫に片付けた。

 バレーサークルとバドミントンサークルがそれぞれ試合形式で練習しているのを横目で見ながら体育館をあとにする。

 私も、早く試合やりたいな……。

 まずは部員を集めなくっちゃ。よし、明日から部員勧誘、頑張るぞ!

 校舎に戻ると、職員室前の廊下の窓から中庭のソメイヨシノの前で記念撮影をしている生徒たちが見えた。青色のネクタイをしているから、あれは1年生だ。

 私も明日、ミーちゃんと撮ろうかな。

 春風に舞い散る桜の花びらを少しの間眺め、さっき見せてもらった渡辺先生のレッグスルーや、教えてもらったことを回想しながら下駄箱へ向かった――。

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