6.文化祭開幕

 眩しいくらいの晴天に恵まれ……なんて言ったら、まるで運動会の常套句のようだが、実際に文化祭当日は、十月も終りだというのに汗ばむほどの陽気だった。


 初日に行なわれた校内中を駆け巡っての『HEAVEN』主催のトレジャーハントで、途中リタイア者が次々と出たのも無理はない。

 けれど見事一番乗りでお宝にたどり着いた男子生徒――確か三年三組の委員長は、滴る汗も、疲れきった体も厭わないほどに、涙を流して大喜びした。


「だあってさあ……お金も手間もかからないのに、みんなが喜んでくれる副賞っていったら……やっぱこれしかないだろ?」

 トレジャーハントの責任者だった順平君は、表彰式の間中、悪びれもせずにそう言っていたけれど、傍から見ている私は、優勝者の隣に立つ可憐さんがいつになく怒っている様子がひしひしと伝わってきて恐かった。


「後夜祭のダンスパーティーで誰でもパートナーに指名出来る権利なんて……いくらなんでも事前に許可ぐらいとってて欲しかったわ……!」

 あとからやんわりと順平君を諌めた可憐さんが、まさに精神的に大人だったからこそ、成立できた副賞だった。


「大丈夫だと思ったんだよ! 頭脳よりも体力勝負のトレジャーハントで優勝する奴なんて、男に決まってるだろ? そんな奴らが指名するのなんて、おおかた美千瑠か可憐だろうし……二人とも彼氏はうちの学校の奴じゃないんだから、後夜祭で踊るくらいなんの問題もないじゃん?」

 あまりにも堂々と満面の笑顔で言いきった順平君に、可憐さんはハアッとため息をつく。


「それはそうだけど……順平……あなたひょっとしてその論理で自分も彼女とは別の子をダンスに誘おうとしてるんじゃないでしょうね……?」

「そ、そんなこと! 彼女命の俺がするはずないじゃん! はははっ!」

 乾いた笑い声を聞いたその場の全員が、可憐さんの言うとおりに順平君が他校生だという彼女には内緒で後夜祭を楽しもうとしていることを悟った。


「おい順平!」

 妙に凄みのある声で、諒が順平君の肩をバシンと力任せに叩く。

「大丈夫、優勝者は男に決まってるなんて言ってたけどな……実際に準優勝者はうちのクラスの斎藤だっただろ! あいつが優勝してたらどうするつもりだったんだよ!」


 そうだった。

 運動部所属の並み居る男子達をさし置いて、まさに努力と根性で準優勝の座を勝ち取ったのは、なんと我が二年一組きっての才女――斎藤さんだった。

 彼女が諒のことを好きなのは、当の本人も含め、うちのクラスの人間だったら誰もが知っている事実である。


「どうって……踊ってやればいいじゃん? お前だって別に決まった相手はいないんだし……」

「だーーーっ! もうっ!」

 飄々とした笑顔で言ってのけながらも、順平君は諒の傍から飛び退いた。

 その判断はまちがってなかった。

「勝手な事言ってんじゃねえ!」


 怒りに任せてつかみかかろうとする諒から、ヒラリと身をかわして、さっさと順平君は表彰式の場から逃げ出す。

「待てこら! 順平!」

 言葉だけは勇ましいが、しょせん運動なんてものとは無縁の諒からだったら、何もしなくても軽々と逃げられるだろうに、順平君はわざわざこちらをふり返って私の名前を呼んだ。


「琴美! 諒を止めろ! 早くっ!」

「は? なんで私?」

 瞬間、順平君を追いかける諒のスピードが段違いに跳ね上がった。


「順平!! ぜったい許さん!」

「ぎゃはははは! ごめんごめん!」

 遠くなって行く二人の背中を唖然と見送りながら、私は首を傾げた。


「なんなのよ……? 全然意味がわからない……」

 智史君が銀縁の眼鏡を取りながら、腕に抱えたノートパソコンを逆の手に持ち替えて、ふわりと笑った。

「わからなくていいと思うよ」

「……そう?」


 なんだか納得いかない気分の私の首に、うららが両腕を回して抱きついてくる。

「琴美……眠い……」

「う、うん。そうだね……あと一時間くらいしたらうちのクラスの舞台発表なんだけど……それまでちょっと休んでよっか?」

「うん」

 もう今すぐにでも瞼が閉じてしまいそうなうららに、智史君が囁く。


「うらら……行くんだったらうちのクラスの喫茶店……」

「うんわかった……琴美……二年三組へ……」

 耳元で囁かれた不思議な響きのうららの声に促されるまま、私は普段は滅多に足を踏み入れない、自分のクラスの隣の隣の教室へと向かった。


 しかしそこに広がっていたのは、もはやここが学校だということさえ忘れてしまうほどのビックリ空間だった。

 

 

「な、な、なにこれっ!!」

 窓という窓に暗幕を貼って真っ暗にした教室には、どうやって浮かべているのかわからないキラキラと光る小さな物体が、そこかしこに輝いていた。


「いらっしゃいませお客様」

 暗闇の中で顔さえ見えないウェイトレスに手を引かれて、まるで飛行機のシートのような椅子に座らされると、おもむろに注文を取られる。

「ご注文は何になさいますか? コーヒー? 紅茶? 緑茶? それともお水?」


 まさかメニューはそれだけしかないのかと私が突っこみを入れる前に、首にぶら下がったままだったうららが、さっさと答えてしまった。

「水でいい……」

「かしこまりました」

「み、水って! まさかお水でもお金取るの?」

「ううん……ただ……」


 ならばいいかと一瞬納得しかけたが、私は慌ててそんな自分を追い払った。

「せっかく喫茶店に来たんだから、せめてコーヒーぐらいは飲もうよ!」

 顔が見えないうららに、首に巻きついた腕の感触を頼りに抗議したら、いつものように抑揚のない声が返ってきた。


「コーヒーと言っても缶コーヒーを温めてカップに移しただけ……飲みたい、琴美?」

「……いいです……」

 いったいどこが喫茶店なのかと文句を言ってやりたかったが我慢した。

 たしかここの監修は智史君だったはず――。

 滅多なことを口にしたらあとが恐い。


(待って……でもここって普通の喫茶店じゃなかったはず? 確か……ゲーム喫茶……?)

 首を傾げた瞬間にすぐ隣で声がした。


「お待たせいたしました。ただの水です」

「ひえっ!」

 ついつい変な声が出てしまったのは、何も見えない状況で急に話しかけられたから。

 そして誰かが近づいてきた気配なんて、まるで感じなかったから。


「あ、ありがとう……」

 見えないウェイトレスにお礼を言って、手探りで受け取った紙コップには蓋がしてあった。

 どうやらそこに挿してあるストローで水も飲むらしい。


(変なの……)

 口に出すわけにいかない感想を、心の中だけで呟いた瞬間、かけていた椅子がグググッとリクライニングした。

「きゃあっ!」

 驚いて悲鳴を上げただけですんだのは、コップに蓋がついていたから。

 もしそうでなかったら、頭から水を被っていただろう。


(ということは……コップの蓋にもそれなりに意味があるってこと?)

 私の人よりちょっとだけ回転のいい頭が、超高速で動き始める。


(智史君のことだから、きっと素人離れしたもの凄いコンピューターゲームでもプログラミングして、大量にパソコンを持ちこんで、それを売りにした喫茶店をやるんだとばかり思ってたんだけど……なんだか予想外……だいたいなんでこんなに真っ暗なんだろ?)

 きっと私達以外にもお客はいるはずだし、ウエィトレスだってまだ近くにいるはずなのに、まるで人の気配がない。


 不気味なほどの真っ暗で静かな空間に背筋が冷えて、思わず手探りでうららの体を抱き寄せた瞬間、頭にカポッとフルフェイスのヘルメットのようなものを被せられた。

「えっなに? なんなの!?」

 焦って脱ごうとしてもなかなか上手くいかない。

「ちょ……ちょっと! ねえうらら!」

 このクラスの所属であり、この展示についても理解しているはずのうららを慌てて呼んでみた。


「大丈夫、琴美……目を閉じてないで開いて……」

 この真っ暗闇の中で、どうして私が目を閉じていることがうららにはわかったんだろう。

 疑問は尽きなかったが、驚いてギュッと閉じていた目を、私は恐る恐る開いてみた。


 途端――目に飛びこんで来た信じられない光景に、最大級の悲鳴が喉から飛び出す。

「なにこれええええええ!!!」


 ほんのついさっきまで真っ暗だった目の前の空間に、ものすごい速さで小さな光が飛び交っている。

 私の鼻先を掠めるようにして飛んで行ったものをよく見てみたら、なんと戦闘機型の小さな飛行機だった。

 背後に見えるのは巨大な惑星。

 そう、まるで映画のワンシーンのように、私の目の前には広大な宇宙空間が広がり、その中を無数の宇宙船が、光の速さで飛び交っていた。


「嘘でしょ? ねえちょっと……こんなの嘘だよねえ?」

 あまりにリアルな映像と、どうやらこちらに攻撃を仕掛けてくるらしい無数の宇宙船に、半泣きになりながら問いかける。

 うららはちっとも焦っている様子のない声で、いつものように淡々と説明だけをしてくれた。


「琴美、ここを握って……これが操縦桿。このボタンが攻撃ボタン。がんばって……」

「がんばってって……! がんばってって……!」

 衝撃のあまり言葉さえ上手く出てこない。


 いったいこれは何なのだろう。

(これってひょっとして……うわさのVR? 普通のヘルメットを被ったようにしか思えなかったんだけど……まさか智史君が作ったのっ!?)

 拒否権も質問する時間も与えられないまま、私はこれまで経験したこともない戦いの中へと突っ込んでいった。

 

 

「琴美……下手過ぎ……すぐゲームオーバーになったら、ちっともあそこでゆっくりできない……」

(こっちは、はなっからゆっくりできなかったわよ!)

 叫び返したいのに疲れ過ぎてて声も出ない。


 私はうららと二人で、二年一組の教室の真ん中に置かれたベンチにぐったりと座りこんでいた。

「どうだった? 僕の作ったリアルなシューティングゲームは?」

 フラフラと三組の教室を出た途端、待ち構えていた智史君には取りあえず、「凄かった!」と伝えたけれど、本当にそれ以外にはなんとも表現のしようがない。


(確かに……日頃からゲームをやってる人たちは、感動して大喜びだろうけど……そうじゃない私に、いきなりあんな高度なものをやれと言われても……!)

 散々に負けて、うららにすら愚痴られるような結果だった。


(よかった……うらら以外には知られなくて……)

 もしも諒や柏木なんかが、私の出したワースト得点を知ったらどうなるだろう。

 きっと鬼の首でも取ったように大喜びして、意気揚々と言いふらすに決まってる。

 そうしておいて、自分はもっと高得点を上げるんだ。


(くやしいっ! でももう本当に、あれ以上は上達するとも思えないっ!)

 あまりにもリアルな映像と動きに、ちょっと乗り物酔いにも似た症状に悩まされながら、フラフラと辿り着いた二年一組に誰も人がいなくて良かった。


『二学期の期末試験の山掛け予想』なんて、およそうちのクラス以外には興味さえ湧かないような展示を選んでくれていて良かったと、今だけは心の底からクラスメート達に感謝した。


「とにかく……少し休むわ……このままじゃうちのクラスの舞台発表にだって影響する……」

「うん……ごゆっくり……」

 しかしちょっとやそっとの休憩じゃ、心身ともに疲れ切った疲労感は抜けきれなかった。

 

 

「納得いかない !こんなのぜんっぜん嬉しくないっ!!」

 約一時間後。

 二年一組の舞台発表である『星誠学園初代クイズ王決定戦』の表彰式では、諒が苦虫を噛み潰したような顔で、優勝席に座っていた。


「貴人が出場していなくて、お前も体調不良の状態で勝ったって、なんにも嬉しくないんだよっ!!」

 頼むから隣で、そんなに大声で叫ばないで欲しい。

「そんなこと言ったって……貴人はこの時間どうしても展示のほうを外せないって言うし……私にだって具合の悪い時もあるのよ……」


 ぶつぶつと口の中で言い訳する私に、諒はただでさえ大きな瞳をカッと見開いた。

「午前中は元気だっただろ! 大喜びしながら五組のミュージカルを見てたじゃないか!」

「だって……」

 問題はそのあと連れて行かれた三組の『ゲーム喫茶』にあるとは言えなくて、黙りこむしかない。


 まだ目がぐるぐると回っているような状態で、それでも準優勝の座は保持したんだから、本当は褒めて欲しいくらいだ。

 寝る間も惜しんで勉強に励んでいたという噂の柏木は、三位の席で見る影もなく落ちこんでいる。


(お気の毒……)

 ちょっと申し訳ないような気持ちで舞台を降りた私は、そこに待ち構えていた智史君に天使の笑顔で告げられた事実に、気分の悪さも吹き飛ぶような思いだった。


「ごめんね琴美、無理させちゃって……どうぞゆっくり休んで……おかげで大勝ちさせてもらったぶんは、きっと後々違った形で琴美にも還元するから……」

「…………はい?」

 なんだか思いがけない言葉を聞いた気がする。


 訝しげに問い返した私を真っ直ぐに見つめて、智史君は眼鏡の奥でガラス玉みたいに綺麗な瞳を、意味深に輝かせた。

「本命の貴人と琴美の組み合わせをあえて外して、諒に勝負をかけてた人間はそう多くはなかったってこと……特に柏木を大穴だなんて言ってた連中はがっくりきてるだろうな……くくっ」

「智史……君……?」


 このクイズ大会が裏で賭けの対象にされていたことに、ハッと気がついた私の口の前に、智史君は右手の人差し指をすっとかざした。

「心配無用。元締めは教師だから……だから琴美はなんにも知らなかった顔をしてればいい……」


「そ、そんなこと言われたって!」

 考えていることがそのまま顔に書いてあるというので有名な私を、智史君は忘れてしまっているのだろうか。

「大丈夫。琴美は何も聞かなかった。しっかりと心に言い聞かせておけば、きっと平気だよ。案外これがポーカーフェイスの練習にもなるかもしれないよ?」


 口元には優しげな微笑を浮かべながら、その実、眼鏡の向こうの瞳はちっとも笑っていない智史君の笑顔は、いつもとは全然違っていて、背筋がゾクッとするほどに冴え冴えとした美しさだった。

 もし私のせいで秘密が漏洩したならば、その時はどうなるか――考えるだけで恐ろしい。


「わ、わかった! 努力してみる!」

「うん」

 腹黒な裏の顔を持つ『白姫』は、文化祭初日も元気に健在だった。

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