2.急ピッチの準備
「は? なんであたし? ……冗談でしょ?」
翌日、部活に行く前にちょっとだけと『HEAVEN』にやって来た夏姫に、二ヵ月後の文化祭で劇の主役に決まったと伝えたが、怒り狂うどころか、ちっとも信じてもらなかった。
「だってお姫様でしょ? 美千瑠は? 繭香だって可憐だっているじゃない……うららだっていいし……あたしなんかお呼びじゃないわよ!」
(どうしてそこで私の名前だけあげないの……!)
口に出すと虚しさだけがつのるセリフは、心の中だけで叫ぶ。
「でも貴人はそう決めたって言ってたよ? ……まあ確かになんかわけはありそうな感じだったけど……貴人が決めたんなら決定でしょ?」
「いやよ」
夏姫の拒否の言葉は極めて速く、なんの迷いもなかった。
「そんなこと言ったって……」
口ごもる私の肩を、トントンと剛毅が叩く。
「いくら言ったって無駄だって……貴人が自分で説得するって言ってたんだから、任せとけばいいんだよ……」
「なんて言って頼まれたって、絶対にあたしはやらないわよ!」
肩を竦める剛毅に向かって、夏姫がキリッと眼差しを強くした瞬間、部屋の入り口のほうから声がした。
「でも……頼みじゃなくって取り引きだったら、夏姫は応じるだろ?」
貴人だった。
いつものように余裕の笑顔で、トゲトゲに態度を硬化させている夏姫にも、なんのためらいもなく歩み寄る。
「夏姫が劇で主役をやったら、来年のインターハイ予選に俺も参加するよ」
「ほんとにっ?」
拒否が速かった夏姫は、食いつきも速かった。
「水泳部のほうに……とか、サッカーの試合が……とか言わない?」
「ああ。今度はちゃんと陸上部に参加する。だから……」
「わかった」
「ええええっ?」
私は思わず驚きの大声を上げてしまった。
(あ、あんなにきっぱりはっきりと断ってたくせに、いいの? こんなに簡単にひき受けちゃうの?)
心の中で叫んだだけだったのに、夏姫は私に向かっていとも簡単にこっくりと頷いてみせた。
「来年の夏の貴人を今から予約できるんだったら、これくらい安いものよ……ほんとは嫌だけど、しょうがないから受けてたつわ!」
「受けてたつって……」
頼もしい言い回しに微妙に不安にならずにいられない私に向かって、夏姫は右手をL字型に曲げ、細い腕に出来た立派な力こぶをポンポンと叩いてみせる。
「姫でもなんでもやってやろうじゃない! 気合いでやり切ってみせるわ!」
「うん。頼むよ」
笑顔で頷く貴人以外は、その場にいた全員、微妙に不安にならずにはいられない夏姫の意気ごみだった。
夏休みが終わるとすぐに文化祭の計画は全校生徒に発表され、まだ二ヶ月もあるというのに、すでに学校中が文化祭一色の雰囲気だった。
「後夜祭もあるんだって」
「ついに模擬店も出るんだね……楽しみ」
「初代ミス星颯は誰だと思う?」
聞こえてくる声はどれも今回の計画を喜んでくれているようで、やることは多くてたいへんだが、私の心も浮き立つ。
しかしワクワクとする気持ちも、一歩自分の教室に踏みこむと、穴のあいた風船みたいにシューッとしぼんでしまうのだった。
「なんで全クラスが参加しいないといけないわけ?」
「文化祭なんてやりたい奴らだけやればいいんだよ」
「図書室で勉強してるほうがよっぽど有意義だ」
嫌味ったらしく私の近くで囁かれる否定的な意見に、バアアンと机を叩いて立ち上がったり、「あんたたちねぇ!」と叫び出したい思いを私は必死でこらえていた。
隣の席の諒があからさまに「大丈夫か、お前?」と言うような目を向けるので、なおさらここで自分の短気に負けるわけにはいかない。
「だ、大丈夫よ……」
引きつった笑顔を向けたら、ブッと吹き出された。
まったく失礼な奴だ。
「とりあえず……展示のほうは何か簡単に調べられる物を教室に展示して、舞台のほうは歌でも歌っておけばいいんじゃないか?」
文化祭での出し物を決めようという話し合いでも、おざなりに誰かが提案したもの以外には他に意見もなくて、我が二年一組の演目は、実にやる気のないものに決定しようとしている。
(あのねえ……いくらなんでもそれはないでしょ!)
やっぱり我慢できなくて、満を持して立ち上がろうとしたのに、諒に先を越された。
「あらかじめ参加者を募っておいて、当日、舞台でクイズ大会でもやれば? そこで優勝した奴が、この学園で一番知識多い人間ってわけだ……まあ与えられる称号はクイズ王でも雑学王でもいいけどさ……」
キラーンと、二年一組三十六名中三十名以上の目つきが変わった気がした。
「この学園で一番……! 王……!」
とにかく周りよりも一つでも成績の順位を上げることに余念がない我がクラスで、みんなが注目せずにはいられない言葉の使い方を、諒はよくわかっている。
クラス委員をしている柏木一派の黒田君も、まるでもうそれが決定事項であるかのように、黒板にでかでかと『クイズ大会』と板書する。
「予選はやっぱりペーパーテスト?」
「もちろん俺たちだって出場できるようにするよなあ?」
「希望者ばかりじゃなくて、こいつはって奴には出場を打診することにすれば?」
途端に活発に交わされ始める意見。
放っておいても、どうやら熱のこもった舞台発表ができそうだ。
(やるじゃない……!)
素直に功績を称える気持ちで視線を向けると、諒は偉そうに顎をつんと上向けて胸を反らした。
「俺は出場者にまわるからな……お前も出ろよ? 絶対に貴人も出場させてやる!」
「諒……前回、一学期の期末テストで負けたもんだから、ひょっとして自分が貴人と勝負したいだけ……?」
まさかと思って尋ねてみると、諒はただでさえ大きな目をくわっと見開いて、私を睨んだ。
「悪いか?」
「…………別に悪くは無いわよ……」
諒の本来の目的を知る由もなく、クイズ大会の細かな内容を詰めるための話し合いは、どんどん進んでいくのだった。
お昼休み、三組からふらっとやって来たうららと佳代ちゃんと共に、繭香も誘って、中庭の芝生でお弁当を食べた。
九月になったばかりでまだまだ陽射しは暑く、じっとしているだけで汗ばんできそうなのは、教室にいたって外に出たって同じ。
だったら外のほうが風が吹くだけましなんじゃないかと移動してみたのだったが、正解だった。
木陰に入っていればかなり涼しい。
「だけど良かった……舞台発表が合唱にならなくて……」
佳代ちゃんの呟きに繭香が訝しげに首を傾げる。
佳代ちゃんはちょっと困ったように、照れたように小さく笑った。
「私、よくピアノ伴奏を頼まれるから……でも大きな舞台に上がると緊張しちゃうし、今回はもう別のところでやらなきゃいけないことがあるから、いくつもいっぺんに練習するのは難しいし……」
納得したようにコクコクと頷く繭香の横で、私は何気なく尋ねた。
「へえー、もう何か決まってるんだ……どこの手伝いをするの?」
佳代ちゃんは私の顔と繭香の顔とうららの顔を順番に見た。
「本当は関係者以外には秘密って言われてるんだけど……三人とも『HEAVEN』のメンバーなわけだから、各クラスの出し物は結局把握するんだもんね……」
「ああそうだな」
繭香の言葉を聞いて、ホッとしたように佳代ちゃんは続けた。
「二年五組よ。吹奏楽部の部員が多いから、生演奏でミュージカルをやるんだって……」
(なるほど……)
納得した。
きっと渉づての依頼なのだろう。
頬をちょっと染めて、そのくせ私のことを気にして表情をひき締めて、佳代ちゃんは早口で簡単に告げた。
「ミュージカル? しかも生演奏? そんなものやるのか五組……?」
呆れる繭香に向かって佳代ちゃんはニッコリと笑う。
「うん。主役は杉浦さんだって言ってたよ……」
「美千瑠! そうか……私たちの劇では主役を張らなくていいわけだからな……」
「うん」
「それにしたってたいへんだと思うよ? 美千瑠ちゃん、文化祭の実行委員長なんだし……」
私の心配に答えるように、これまで話を聞きながら黙々とお弁当を食べていたうららが突然口を開いた。
「美千瑠だけじゃない。六組のバンド演奏は順平が中心。三組のゲーム喫茶は智史が監修。きっと二組も……」
クルリと首を向けたうららに対して、繭香は忌々しげに頷いた。
「ああ、もちろん貴人を中心に展示も舞台もやるだろうな。とうの本人がノリノリだからな」
「凄っ!」
みんないったいどこにそんな余裕があるんだろう。
私なんて『HEAVEN』の出し物のほうも、クラスの出し物のほうも、その他大勢として参加するだけでいっぱいいっぱいなのに。
「でも今のところ一番凄いのはうららだ。ポスターもパンフレットも、一人で全部の原画を描いている……」
繭香の指摘に、思わずビックリしてうららの顔をマジマジと見てしまった。
「そ、そうなのうらら?」
「うん。だからあまり寝ていない。今朝起きたのは四時」
「四時!」
夜八時には眠ってしまううららのことだから、せめて早く起きて作業しようということなのだろうが、それにしても四時は早いと思う。
思わず叫んだ私の顔を真っ直ぐに見つめるうららの瞳には、実際には何が映っているのかよくわからない。
それぐらいに綺麗で不思議な色をしている。
「琴美……眠い……」
ガックリと細い首を折って、うららが私の肩の上に頭を乗せてきた。
いつでもどこでも寝れる特技を、今この場所で実行するように決めたようだ。
「ち、ちょっとうらら?」
とまどう私に繭香は言った。
「寝かしてやれ。起こすのは簡単だ。智史が声をかければ、それでいい。わざわざ呼びに行かなくても、うららがどこにいるのかだったらきっと把握してるだろう」
促されるまま第一校舎の二階を見上げると、三組の窓から智史君がニコニコと手を振っている。
(ほんとだ……)
私も手を振り返して、うららはしばらく休ませてあげることにした。
すうすうと軽い寝息をたてる彼女の頭を、不思議なことに私はいつだって重いと感じたことはなかった。
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