ひょっとしてHEAVEN !? 2

シェリンカ

第一章 星空観察会

1.はじめての仕事

「暑い暑い暑ーい! こんなに暑いと、もう茹だっちゃうっ!」


 制服の胸リボンを取って、ボタンを二つ目まで外して、下敷きで作ったうちわでパタパタと胸元に風を送りながら、夏姫が絶叫する。


 放課後の『HEAVEN』。

 晴れて正式な生徒会となったことで、『準備室』の文字が消えた部屋の中は、気温四十度に迫ろうかというほどの、猛烈な暑さに見舞われていた。


「叫ばないで夏姫ちゃーん……よけいに暑くなっちゃう……」


 力なく机に突っ伏している可憐さんも、いつものように笑顔に余裕のない美千瑠ちゃんも、普段は背中に垂らしている長い髪をすっきりとまとめている。

 きっと少しでも涼しくしようという努力なのだろう。


 私はと言えば、夏姫同様最大限に風の通りを良くした制服姿で、窓から半分、体を乗り出すようにして伸びていた。


(暑い……確かに暑いわ!)

 心の中では叫んでいるけれど、夏姫のように口に出す気力さえない。


 ふと目を向けると、反対側の窓で一人だけまるで違う世界にいるかのように、すやすやと安らかに眠っているうららの姿が見えるが、その白い頬にだって、よく見れば汗が伝い落ちている。


(繭香ったら……自分だけさっさと避難しちゃってさ……)


 体があまり丈夫でない繭香は、一歩部屋に入るなり、

「私は保健室にいるから、男どもが集まったら呼びに来てくれ」

と空調の効いた避難場所にさっさと行ってしまった。


「ねえまだ? まだあいつら来ないの?」

 暑さのあまりかなりイライラしている夏姫は、私に向かって険しい顔を向ける。


「うん……ちょっと見えないねえ……」

 窓から出したままの頭をぐるりとめぐらして、特別棟の入リ口に目を向けてみても、男性メンバーの姿は誰一人として見えなかった。


「だいたいなんで、自分たちだけでこそこそやってるのよ! こんな暑い所で黙って待ってる私たちの身にもなれってのよ!」


(いや夏姫……さっきから全然黙ってないから……)

 怒りの火に油を注いでしまいそうな言葉は心の中でだけ呟いて、私はうんうんと夏姫に頷いてみせる。


 その時思いがけない方角から声がした。

「おーい琴美! その頭だけ出てるの琴美だろ? こっち! こっち!」


 起き上がって改めて窓のほうに体ごと向き直って、私はあんぐりと口を開けた。

 『HEAVEN』がある特別棟に並ぶようにして建つ第二校舎の屋上で、剛毅がぶんぶんと手を振っていた。


「準備出来たから早く来いよ。そこあっついだろー?」

 良く通る大きな声が聞こえるか聞こえないかのうちに、夏姫はもうダッシュで『HEAVEN』から出て行っている。


(さすが陸上部のエース!)


 いそいそとお茶の道具をバスケットに詰めている美千瑠ちゃんと可憐さんの様子を横目に見ながら、私は剛毅に向かって声を張り上げた。

「来いよって言ったって……どうやって行くのよ? 屋上って立ち入り禁止じゃないの? 確か校則で禁止されてるはずよ!」


 ピューッと口笛が鳴って、剛毅の後ろから順平君がひょっこり顔を出した。

「さっすが学年トップスリー! なに……? 琴美って校則も全部暗記しちゃってるわけ?」


「そんなはずないでしょ!」

 私の叫び声を聞いたからか、ハハハハハッと貴人の大きな笑い声がした。

「大丈夫だと思うよ? 智史がちゃんと許可を取ったって言ってたから……そうなんだろ?」


 智史君はいつものノートパソコンを小脇に抱えたまま、こちらに向かって頷いてみせた。

「ああ、大丈夫だよ」


 他のみんなのように声を張り上げているわけでもない、聞こえるか聞こえないか位の小さな声だったのに、まるで条件反射のように、すやすやと眠っていたはずのうららがすっくと立ち上がって、私はかなりビックリした。

「う、うらら……?」


 色素の薄い大きな瞳をパッチリと開いて、

「繭香には私が知らせるから」

言うが早いかスタスタと歩き出したところを見ると、どうやら寝ぼけているわけではないようだ。


「すごいわねえ……いつもながらにうららちゃんと智史君の絆……!」

 妙に色気たっぷりなため息をつく可憐さんに、私はうんうんと頷いた。


「琴美ちゃんだって、すぐにそうなれるわよ……いつも息がぴったりだものね」

 天使の微笑みで小首を傾げてみせる美千瑠ちゃんはいったい誰のことを言っているのだろう。

 私にはそんな相手はいないのだけど――。


「そうねえ……」

 まるで心得ているように艶やかに笑う可憐さんに問い質してみようかとした時、また違う声が窓の外から響いた。


「早く来ないと、ビリの奴は罰ゲームだって貴人が言ってるよ」

 玲二君だった。


 こっちこっちと手招きしてくれる様子に、美千瑠ちゃんと可憐さんはきゃあっと悲鳴を上げて駆け出す。

 慌ててあとを追おうとした私に、また違う声が待ったをかけた。


「最後に部屋を出る奴はキチンと閉じまり。そんなことぐらいまさか忘れたりしないよな……? 記憶力がいいのが、お前の唯一の取り柄なんだもんな……?」

 嫌みったらしく腕ぐみしながら言ってのけたのは、諒だった。


「諒! あんたねえ!」

 即座に言い返してやろうとしたのに、

「早くしないと罰ゲーム」

淡々と言われたので、私は口を噤んでピシャッと大きな音をさせて窓を閉めた。


 すべて開け放たれていた窓をどんどん閉めて行くたびに、向こうの校舎の屋上から大きな笑い声が聞こえ始める。

「ちょっと貴人!」


 間違えようも無い笑い声の主に、抗議の声を上げると、貴人は笑いながら、

「ごめんごめん」

と言ってくれる。

 でもいったん始まった貴人の大笑いがなかなか収まらないことは、私だけじゃなくてみんな知っている周知の事実だ。


「もうっ!」

 怒りの矛先をやっぱり諒に戻して、私は叫んだ。


「待ってなさいよ、諒! すぐに戸締りして美千瑠ちゃんたちに追いついてみせるから!」

 フンと鼻で笑った諒の代わりに貴人の大笑いが、いつまでもいつまでも私を急かしてくれた。



「じゃあこれが罰ゲーム。来週の月曜日、屋上の使用結果報告書を生徒会顧問の谷先生に提出することと、入り口の鍵を職員室に返すこと」


 智史君から手渡された鍵を、私は肩で大きく息をしながら受け取った。

(く、悔しい……)


 『HEAVEN』の戸締りをしたらすぐに美千瑠ちゃんと夏姫を追いかけたが、全然追いつけなかった。

 二人はそれぞれかなり大きなお茶道具を手に持っていたというのに――。


 始めのうち遠くに見えていた背中がそのうち見えなくなったということは、三人の中で一番足が遅いのは、まさか私なのだろうか。


「体力だったら自信があるの……毎日お家のプールで泳ぐのが、日課の中に入っているから……」

 美千瑠ちゃんがいかにも申し訳なさそうに両手を合わせれば、


「私も……ダンスのレッスンは毎日の積み重ねが大切だから……」

可憐さんもよしよしと私の頭を撫でてくれる。


「つまり部活もなんにもしていない上に、体を動かすこともほとんどなくって、体がなまりきっているのはお前だけってことだな……」

「諒!」

 運動不足とは言っても、もともとの運動神経が悪いほうではない私のこぶしは、今日も避けようとする諒のスピードをはるかに上回って、後頭部を直撃した。


「いってえ! なにすんだよ!」

 にらみ合いがつかみ合いに変わりそうな私と諒の間に、貴人がすっと割って入った。


「まあまあ……早く説明を始めないと、姫のご機嫌を損ねてしまうから……ね?」


 私と諒はハッとして、同時に背後を振り返った。

 一つだけ用意された椅子に腰掛けた繭香が、かなり不機嫌な顔でこちらを見ていた。


 蒸し風呂のようだった『HEAVEN』よりはマシだとはいえ、クーラーの効いた保健室から移動して来た繭香にとっては、この屋上だって暑いことには変わりはないだろう。


「それで……わざわざこんな所に呼び出した理由はなんなんだ!」

 怒りを込めた声が響き渡るのを、私たちはみんな息を詰めて聞いていた。


 ただ一人、繭香の怒りをなんとも思っていない貴人だけが、制服の胸ポケットの中から一枚の紙を取り出す。

「これこれ……! 今日はこれを実行しようと思って!」

 それは、生徒会選挙に向けて貴人が全校生徒に取ったアンケートの結果のうちの一枚だった。


『もしあなたが生徒会長になったら、この学園でどんなことがしてみたいですか?』


のアンケートで得られた回答を、貴人は自分の任期中に全部実現するのだと言い切っている。

 その数実に七百以上――。


 重なっている回答を考慮に入れても、一日に一つは叶えていきたいその希望書は、どうやら最初っから私たちをふり回してくれるようだ。


(いったいどんな内容なんだろう……?)

 ドキドキと次の言葉を待つ私の前で、貴人がその紙を読み上げた。


「今回の実行は……『立ち入り禁止の校舎の屋上で星空観察!』……全校生徒に告知して明後日の夜には決行したいと思うから、今日から早速準備に取りかかるよ。まずチラシ作りとポスター作りはいつものように、うららに……それを使って実際に宣伝するのは玲二と剛毅と夏姫で。望遠鏡や星座板なんかの設備の調達を智史と順平。美千瑠と可憐はちょっとした夜食を検討してみてくれるかな……? 繭香は全体の監督で、俺はまたちょっと秘密行動にさせてもらうから……会場設営は諒と琴美ってことでいいかな?」


「よくない!」

「いいわけない!」


 ピタリと重なった諒と私の声に、繭香がジロリと鋭い視線を向けた。

 その人の心を射抜くような威圧感たっぷりの視線をまともに正面から受け止めて平気でいられる人間なんて、きっとこの世に貴人ぐらいだろうと、私は真剣に思う。


「い、いいです……」

 おずおずと前言撤回した私同様、諒も渋々と貴人の提案に同意した。

「わかったよ……」


 クスリとそれはそれは魅力的に笑う貴人に、私はため息をつかずにはいられなかった。

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