第72話 追憶2【狙われた皇子】

 突然の煙により王女の視界は塞がれた。目の前にいたはずの天使の皇子、ルルゥの姿さえ見えない。急な事態で彼女は何が何だかわからなくなった。そして、しだいに恐怖が湧き起こってくる。

「な……何なの……!? お、お父様……! お母様……!」

 王女はそう遠くにいないはずの両親を呼んだ。不安で仕方がなかった。

「だ、誰か……誰かむぐうぅっ!?」

 怯えを掻き消そうと叫び続けていると背後から現れた腕により鼻と口を塞がれた。声を出せなくなる。

「む……むぐむぐむぐうっ……!?」

 そのまま体を持ち上げられる。じたばたと抵抗するが何者かは力を緩める気配は無い。

「落ち着かれて下さい王女様! 私です! サルーノです!」

「むぐっ!?」

 目の前に浮き出たごつごつとした顔に見覚えがあった。家臣のひとり、サルーノだ。

「もう大丈夫です! もうすぐ抜けます!」

 彼の腕に抱かれ煙を脱出した王女は、サルーノが呼吸器を塞いでいた手を離せばすぐに空気を体内に吸い込んだ。

「ごほっ……ごほっごほっ!」

 彼女の身を案じていた両親がすぐに駆け寄って来る。王女は体に異常が無いかを聞かれ、何も感じない事を伝えた。

「大丈夫か!?」

「う……うんっ! ……っ、お父様……!」

 声を震わせながら父に抱き付く。温かい。その大きな体は心地よい安心感を与えてくれる。母はその様子をほっとした様子で見守っていた。

 煙は徐々に薄まっていた。

「何だったのだ……今の煙は……」

「わかりません……毒素も無い様ですし。おそらく何者かが魔術で起こしたのではと……」

 魔王の質問にサルーノが答える。

「……! ル、ルルゥ皇子はどこへ行かれた!?」

「!?」

 煙が晴れた時彼は中庭から忽然といなくなっていた。それにニーウェッグ達使節団全員の姿も見えない。

「……!?  天使の方々がいなくなられた……!?」


「……」

 ルルゥはニーウェッグに抱えられ空を移動していた。先ほどまでいた魔王の城からどんどん離れている様だった。

「……どこまで行く気? ニーウェッグ」

「そうですね……もうこの辺りでよろしいでしょうかね……」

 ニーウェッグ一行は大魔城から1kmキロほど離れた谷に下り立った。辺りに人のいる気配は無い。

「申し訳ございませんでした、皇子様。長い間拘束してしまっていて」

「……さっきの……っ!」

 何だったの? そう尋ねようとした時、彼は背中に鋭い痛みを覚えた。

「……っ! ……!」

 全身から力が抜けていくのを感じる。息苦しい。やがて彼は自分が背後から刃物で刺されたのだという事に気が付いた。

「……っ! あっ……! ああっ……!」

 つるぎを抜かれたルルゥは弱々しくその場にひざまずく。背中が生温かい。血だ……。

「ニ……ニーウェッグッ……!」

「ここなら、人目につきませんので」

 ルルゥの後ろには見知らぬ男がふたり立っていた。内のひとりがつるぎを持っている。

「……っ! このためにわざわざ悪魔を雇ったっていうのか……?」

「少々違いますね」

 ニーウェッグは静かに続けた。

「そのふたりは我々天使側に寝返った者達です。これは最初の仕事です」

「さっきの煙も……?」

「そうです。彼らにやらせました。彼らはつい先ほどまで魔王の家臣でした」

 話を聞いている間にもルルゥは度々口から血を吐き出した。意識が朦朧としてきた。

「……ふ……うう……ううう……ああああああアアアアアアアアッ……!」

 胸の奥が熱くなってくる。全身に力が入り、筋肉はみしみしと音を立てる。目は見開かれ、口は裂け……歯は鋭い牙へと変わっていった。

「ウウウウウアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

「……始まりましたか。『ゆらぎ』が」

 彼の姿はもはや人ではなかった。定まった肉体はそこには無く、例えるなら獣の形をした火花……電気エネルギーの塊と化していた。

「……オレヲオコラセルトドウナルカワカッテルヨナ……!」

 頭上にある男の顔を唸りながら睨む。獣の目だ。

「……はい。だからこうするのです」

 懐から札を一枚取り出したニーウェッグはそれをルルゥの額に当てる。するとルルゥの体から発せられる熱がみるみる弱まっていく。

「……! ウウウウウ……!」

「量子を定めさせる効果があります。その『ゆらぎ』を魔術的に分析し、科学の力を以て開発させました」

 天界では捕虜となった悪魔から魔術に関する知識を聞き出し、研究をしていた。例えば魔術を無効化させる道具などが実戦ですでに役立っている。

「あなたにはここで死んでもらいます」

「フ……ザケルナ……!」

 腕を必死に振り上げようとするも、思う様に動かせない。

「ウ……ウォオオオオオオオオ……!」

「無駄です……さっさと始末して下さい」

「はい」

 ニーウェッグの指示を受けルルゥの背後にいた悪魔の男は再び彼の背中に剣を突き刺した。

「ウガアアアアアアアッ!」

「痛いでしょうが我慢されて下さい、皇子様。いずれ楽になります」

「ウ……ガ……アアアアアアアッ!!」

 しかし、ニーウェッグの予想外にもルルゥの帯びる光が爆発的に増した。額にあった札は焼かれ、その右腕はバチバチと電流を走らせながら彼の左目を抉り取ったのだ。

「! うわあああああああああああああっ!」

 激痛からニーウェッグは悲鳴を上げる。

「うわっ! うわっ! あひいひいうわあああああああっ! ああああああっ!」

「ニ! ニーウェッグ殿!」

「こっ、殺せえっ! 早くその化け物を殺せっ!」

「はっ! はいっ……! ひっ!」

「ウガアアアアアアアアアッ!」

 悪魔の男達は襲い来る獣に怖じ気付きたじろいだ。その隙にルルゥは谷間へと駆け、そのまま底へと飛び込んでいった。

「うううううおおおおおおおっっっ! ばっ、化け物めえぇぇぇぇっ……!」

「どうされますか!? ニーウェッグ殿!」

「き、きき決まっているだろう! は、早く私の治療をしろ! ……ま、まあいい……! 既成事実さえあればそれでいいのだ……!」

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