第15話 覚醒

 数分前。


 兄は母の元へと飛び立ってしまった。

 いつものように、その背に跨って空を駆けることは許されなかった。


 自分も追いかけたい。

 飛んでかけつけたい。

 早く行かなくてはならない。


 そう思う一心で、ハクはプラーナを練る。


 涙は溢れ続け、嗚咽も止まらない。

 しかしハクは必死に混乱した頭を切り替え、飛ぶことに集中する。


 そして少しずつ、ハクの背に赤い竜の翼が生えていく。完全に翼が生えきると、ハクはそれを力一杯羽ばたかせ、ゆっくりと、ゆっくりと、空へ飛翔する。


 脳裏には母の姿が焼きついている。


(母ちゃん……!!)

 ハクは母の元へと向かう。


 ——。

 その内なる声に未だ気づかないまま。


 —— — — —


「ハクーー!!」

 母は飛びながら叫んだ。今まで、一度もまともに飛ぶことができなかった息子。それが自分を呼びながら、顔を涙と鼻水まみれにしながら向かってきている。


 砲弾がハクに迫る。

 砲撃部隊の兵士はだいぶ減ったとはいえ、少なく見積もっても二十発はある。

 竜の鱗を持たないハクは、一発でも当たればその命が危ない。


(——お願い! 間に合って!!)


 女帝竜は風を切りながら、その泣き虫な命を守るべく夜空を駆けた。



 ハクと砲弾との距離が残り二十メートルを切る。

 ハクは今さらになり、目の前に砲弾が迫ってきていることに気付く。


「……っ!!」

 声にならない声を上げ、恐怖に竦んでしまったハクは反射的に両方の瞼をきつく閉じた。


 ——その時。

 両脇を優しく抱き上げる感触が、懐かしい匂いと共にハクを包み込んだ。


 ゴゴン、ゴゴゴン、と十数回の鈍い音が夜空に響く。


「……大丈夫? 頑張ったわね、ハク」

 柔らかい声に導かれ、ハクは目をゆっくりと開ける。

 そこには、毎日見ていた、甘えていた、どんな時でも優しい母の、傷だらけの顔があった。


「母ちゃん!!」

 ハクはそう叫ぶと、母の両手を抜け出し、その堅くて柔らかい胸に飛びつく。

 女帝竜はハクを潰さないよう優しく両手で抱きしめながら、翼を広げてゆっくりと下降を始めた。


 子を抱え高度を下げていくその母の背から、十数個の鱗が鮮血と共に地に落ちていく。



 ラドとライアス。そしてマルドゥクでさえも。

 それぞれ表情は違えど、その親と子の姿に目を奪われていた。



 女帝竜はラドとライアスの側に降り、手を広げてハクを離す。しかし、ハクは泣いたまま離れようとはしなかった。

 ラドもすかさずその胸に飛び込み、母は子ども達をボロボロになった翼で大きく包み込んだ。


 そして、と泣く子ども達の声が戦場の中心地から響いていく。


「……騎士、ライアス」

 女帝竜は子ども達を抱いたまま、ライアスへ話しかけた。

「……一つ、お願いを……聞いてくれますか?」


 ライアスは覚悟を決め、女帝竜に向き合った。

「……聞こう」

「……この子達、ラドと、ハクを……。お願いします……」


 息も絶え絶えでありながら発されたその言葉には、しっかりとした意思が籠もっていた。


「騎士の誇りにかけて」

 ライアスは剣を真っ直ぐ縦にして、目を閉じて誓う。


「……ありがとう」

 感謝の言葉を述べた女帝竜は、翼と両手を解く。そして、胸元で未だ泣き続ける子ども達の顔を見つめた。



「……ラド。……ハク。いい……? これからは、二人で仲良く……生きるのよ」

 ハクは泣き続ける。ラドは、母の最期を見逃すまいと、懸命に涙を堪える。


「……それと、私の……。母さんの……心を置いていきます……」

 そう言うと、女帝竜の右手の人差し指が柔らかい光を帯び始めた。

 その光をラドとハクの、額に当てて流し込んだ。


 温かい光が二人の全身を包んでいく。


 ハクとラドの頭に、優しい母の声が響く。


『ラド。ハク。……これからは、二人で仲良く生きなさい。本当に残念だけど、ここでお別れです。これから、沢山の人と出会い、沢山の大変なことがあるでしょう。だけど、どんなことがあっても二人で仲良く、皆が仲良く暮らせるように頑張りなさい。いい?……母さんとの最期の約束ですよ』


 声が止み、ハクとラドを包み込んでいた光が、それぞれの身体の中に溶け込んでいく。


「愛しているわ……。可愛い子ども達……。……強く、……強く生きなさい!!」


 母は最期にそう言い残し、空へと飛び立った。


「「母ちゃーーん!!」」

 ハクとラド、愛する子ども達の声を身に纏い、女帝竜は夜空へと舞い上がる。


 飛翔しながら母は徐々に灰と化していく。


 そして、子ども達に見守られながら、伝説の女帝竜は空に溶けていった。


 ハクとラド、そしてライアスは、それをただ見ていることしかできなかった。




 ——鼓動が聞こえる。

 ドクン、ドクン、と脳内に響いていく。



「手こずらせおって……! しかも導師までいたとは!」

 マルドゥクが思い出したかのように剣を引き抜く。そして目をギラギラと輝かせながら、剣を高々と掲げた。



 ——(……ろ)

 鼓動と共に、ひどい耳鳴りがする。



「総員、突撃ィィー!!」

 マルドゥクが剣を前に振り下ろす。残り五百人足らずになった兵士達は、雄叫びをあげながら二人と一頭に襲いかかる。



 ——(……ろ)

 煩わしく響く耳鳴りが、ハクの脳内を占領していく。


 ——(……吼えろ)

 そしてそれは、ハクを呼びかける声へと次第に変わっていく。


 そして、鼓動の音が止む。



 ——(吼えろ!!)


「うぁぁぁぁぁぁーーー!!」


 ハクが雄叫びをあげる。


 その瞬間、地が揺れ、雲が割れた。


 その雄叫びは正しく——竜の咆哮だった。

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