第10話 前触れ

 ライアスが独房に入れられて一時間が経過した。


 まだ昼間だというのに陽の光が当たらない地下監獄内は肌寒い。唯一の光源は、ポツリポツリと等間隔に並んだ蝋燭のみである。


 この監獄には五十人分の独房が備えられている。しかし近年では犯罪者がほとんどいないため、収容されている人数はライアスを含めても片手の指で収まるほどだ。


 それは現在の国王——ヴァン=アルルド=ルムガンドが即位したことに起因する。

 国王は即位したと同時に、代々引き継がれていた国政を根本から変えた。その内の一つが、罪人に対する処罰なのである。窃盗から殺人まで、ありとあらゆる罰を厳しくしたのだ。


 以前までは、情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地あり、と判断されれば減刑されていたこともあった。窃盗であれば、最長でも二ヶ月の投獄。

 それが今や、どれだけ軽い罪でも最短で三年。重犯罪を犯せば、問答無用で死罪という徹底ぶりなのである。

 しかしこの結果として、犯罪はほぼ無くなり、より一層民衆からの支持も増したのだった。



 見回りの兵士が、足音を響かせ歩いてくる。見回りの頻度は犯罪低下と共に減少し、現在は三時間に一回。そのためその兵士は、ライアスが収容されたことをまだ知らないでいるのだった。


「ん? 鍵のかかった扉が増えているな。今回はどんな輩が……」

 少し陽気な雰囲気を持つその兵士は、面白半分で収容人の顔を松明の火で照らした。

「……ラ、ライアス様! 何故このような場所に!?」

 そこから見えた顔は、数年前に幾度と見た、以前所属していた隊の副隊長だった。


「そなたは確か……コルドーだったか。そうか、今は監獄の見回りをしているのか」

 ライアスの端正な顔立ちが、疲れを感じさせる苦笑いを形作る。

「私のような一兵卒のことを覚えていてくださったとは……。しかしライアス様、どうされたのですか? まさか、あなた様ほどのお方が犯罪を犯したとも考えられないですし……」


 コルドーの知るライアスは、誠実で、不正を許さず、愚直と思うほどに真っ直ぐな青年なのであった。

 それ故に、独房にライアスが収容されている、というこの状況が理解できない。


「……陛下の命に背いた。いや、ご意向を汲み取れなかった、というのが正しいか」

「なんと!! ……その、畏れ多いとは思いますが、私に理由をお聞かせくださいませんか? 私にも、微力ながらお力になれることがあるかもしれません」


 しかしライアスには当初、何も話すつもりはなかった。

 信頼していないのではない。ただ今のこの心境の中、とても愚痴をこぼす気分にはならなかったのである。


 ただライアスは、その言葉の真意を問おうとコルドーの目を覗いた。

 そこには、かつて隊を共にしていた時の柔らかな目ではなく、何かの覚悟を決めた強い眼差しがあった。


「……女帝山で、伝承に伝わる竜と相見(あいまみ)えた。そこで——」

 ライアスは一瞬だけ迷ったが、今日の出来事を話すことを決意する。


 静かに語られるライアスの一言一句を聞きながら、コルドーは一つのある決断を固めていくのだった。


—— — — —


 一方その頃、ルムガンド王国軍議室では。

 鶴の一声により、各部隊の隊長と専属占い師が集められ、三十分が経過していた。


わたくしめが愚考しますに、即刻殲滅するが良いかと思います」

 飄々と怪しく喋る、フードを目深に被った専属占い師。

 彼は、占い師という職にありながら、それに似合わず身長が高い。また、全身を覆う灰色のローブのせいで細かな体格は分からないが、その見た目からがっしりとした印象を受ける。


 占い師は机に置いた水晶に手をかざし、さも未来が見えるかのように続ける。

「見える……。見える……!! 宵闇よいやみの中、大きな竜が地に這いつくばる姿が!!」


 各部隊の隊長達は、おぉっ、と感嘆を口にしながら顔を綻ばせる。

「陛下! 是非、一番槍を我が隊に! 竜など恐れるに足りません!」

 そんな中、騎馬部隊四番隊隊長であるマルドゥクは、嬉々として国王に進言する。


「しかしマルドゥク殿、騎馬隊では山を登れないのではないのですか」

 その進言に対し、また違う隊長が言葉を重ねる。

 また更に他の隊長達も加わり、その場で議論の火蓋が切って落とされようかとしていた。


 開始の合図から沈黙を続けていたルムガンド国王。隊長同士で議論が白熱し始めたところを見計らい、大臣に目配せをした。


 大臣は軽く会釈をして、室内を見渡す。

「静粛に! 陛下の御前でありまするぞ」

 虎の威を借りた大臣の一声で、軍議室内に静寂が訪れ、重い空気が流れ始める。


「エリゴス」

 占い師の名前を呼ぶテノールが、静寂を破った。


「何でございましょう、陛下」

「竜が這いつくばる姿を見たというのは真か」

 威厳に満ちた声が室内に響き渡る。


「はい、しかと見ましてございます」

 エリゴスと呼ばれた占い師は、全く臆した様子も無く答える。


「そうか。……今夜、女帝山に向けて奇襲を仕掛ける。マルドゥク、一番槍を任せよう」

「ありがとうございます、陛下。必ずや、竜めの出鼻をくじいて見せましょうぞ!」

 マルドゥクは深々と腰を折った後、目を輝かせて宣言した。


 各部隊にもそれぞれの役割を命じられ、今夜の女帝山奇襲の作戦が決まっていく。


 フードから覗く、占い師の口元が怪しく緩んでいる。この場にいる誰一人として、それに気づくことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る