誰もが知る物語の誰も知らぬ物語

田間世一

序章:月歌始まり

 ここはくさびむつぶうてなと並び、悠々三大国と称される国の一つ。大陸一つが丸ごと国土であり、三大国の中でも特に広大でかつ、歴史の長い国だ。

 広い国土を、皇帝が各都に派遣する都守ともりが皇帝の代弁で治める。ただし、都守には一切の決定権も与えられておらず、命令は全て皇帝より下されていた。ゆえに、代理ではなく、代弁。国土がまだ大陸全土に到る以前の過去にはそれが徹底されていた。しかし、国土が大陸全土に及び、人も増え、些事が増えるにつれ不便が生じ、限定的に都守の権限を拡大することになった。

 皇帝の目が届きにくいことを良いことに、中心から離れた地域から徐々に独立した統治を行う都守が現れるようになる。これに危機感を覚えた十七代目の皇帝は、双子の息子たちを同時に即位させ、兄に北半分の、弟に南半分の都守をそれぞれに支配させることにした。弟は兄を深く尊敬し、慕ってもいたので、兄を正当な皇帝とし、自らを亜帝ないしは南帝と呼んだ。

 弟は南都なんとと呼ばれる楔の南半分の土地を皇帝から託され代理で支配している立場であると明言し、三ヶ月に一回、皇帝の下へと参内し、各季の報告をしていた。その習慣は双子の皇帝の後の代でも続いていった。しかし、時が流れ、代を経る内に、南北の皇帝間の血の繋がりは薄くなり、それにつれ南帝に皇帝を立てる気持ちも薄くなっていった。

 南にいる者たちは皇帝を北帝と呼ぶようになり、領土争いが起こった。北都ほくとと南都は大陸を横切るようにして流れる大河を境としていたが、南帝側の勢力が河を越え、北都へ侵攻してきた。

 長きに渡り激しく争う中、このまま歴史ある楔が南北で分裂してしまうことを恐れた一部の皇族・貴族のとりなしにより、皇帝は北都の中で最も肥沃な土地を南都に分け与え、南帝は皇帝の正統性を認め、年に二回参内することを約束し、ひとまずの終焉を見た。その後も皇帝は南都としたはずの土地から南帝を通さず直接徴税し、また、南帝はそれまでのように自ら参内することなく代理の者に行かせ、共に約束を反故にしながらも、それでも両都間の関係はそれなりに良好に落ち着いていた。

 だが、今度は北が動いた。

 第三十二代の滄桑帝そうそうていが南都に与えていた土地を召し上げ、北都の土地とした。今まで、皇帝が南都の土地であるはずのその土地から徴税していることを黙認していた南帝はその行為に怒りを現にした。当然だ、名義と、ほんのおこぼれ程度の税の分譲で文句も言わずに来たのだ、何のいわれがあって名義まで奪われる必要があるのか。

 南帝は代理の参内を拒否し、徹底抗戦に出、大小の戦を繰り返す、今の楔の状況となっている。皇帝は滄桑帝から龍欺帝りゅうぎていへ、南帝は穆敷帝ぼくふていから朱明帝しゅめいていを経、現在は玲綜帝れいそうていが就いている。


 龍欺帝に、滄桑帝(今は滄桑院)から始まった混乱を鎮めることを期待する者はいない。滄桑院が保身のため幼き龍欺帝を表に出し、自分は裏へと回ったことは誰でも知っていたし、即位時こそ幼帝であった龍欺帝が、成人後も父親の滄桑院の影響下から抜け出ていないことも、大いに楔の人間を失望させている。

 南では穆敷帝(今は穆敷院)が病で倒れ、一命を取り留めたものの政治を執ることは難しい状態になった。だが、第一皇太子の玲綜子れいそうしはまだ成人前だったため、第二皇太子であった朱明子しゅめいしが中継ぎとして即位。その後、玲綜子の成人に伴い譲位し、朱明子は現在第一皇太子に戻り、玲綜帝が南帝となっている。


「少し混乱したかな。何も今全てを覚えてしまう必要はないよ。大雑把に外枠を話したに過ぎない。これから少しずつ覚えていこう」

 静かに聞き入る子どもたちにいかにも文士といった風情の男が言う。南帝直営の孤児院・養栄園ようえいえんで歴史の講釈を請け負っている男だ。

 養栄園には主に戦乱で親を亡くした子どもたちが集められている。歴史の講釈を受けるのは十二歳以上の子どもたちだが、ここに一人、まだ十歳にも満たない少年が紛れ込んでいる。名は汰虎たとら。聡明さが買われ、養栄園にちょくちょく足を運ぶ朱明子に見込まれて、年齢よりも上の教育を受けている。当の汰虎はあまり朱明子が好きではないようだったが。

「先生、北帝が化け物だっていうのは、本当?」

 生徒の一人が聞いた。皇帝を『北帝』と呼べるのはここが南都だからであるし、ここが南帝直営とはいえ、あくまで私の空間であるからだ。公の場や、北都で北帝などという呼称を使えば、それだけで反逆罪に問われる。だが子どもたちは無邪気に皇帝を北帝と呼んだり北の化け物と呼んだりする。

「お前達はどうして龍欺帝を化け物だと思う?」

 師は生徒らに聞き返す。一斉にやんやと騒ぎ出す子どもたち。龍欺帝は母親の存在が知られていない。父親が分からないのはありうる話だが、母親が分からないとはどういうことだろう。そのために、人でないものから産まれたのだと噂されるようになった。また、異例尽くしの即位式も、その噂を広めさせるきっかけとなった。

「汰虎、お前はどう思う? お前も龍欺帝は人でないものだと思うかい?」

 噂話で盛り上がり騒ぐ子どもたちの中で、一人静かに思案していた汰虎に師は尋ねた。汰虎が顔を上げ、師をしっかりと見つめて口を開いた。

「北が荒れているのも、南が荒らされているのも、北帝が私利をむさぼり民を思う心を持たないせいです。それは化け物と呼んで良いと思います」

 年の割にはっきりと物を言う汰虎を、師はとても可愛く思っている。年上の者たちが騒ぐばかりでいる中で、これだけの回答が出来れば上出来だろう。師はゆっくりと頷いた。

「お前たちの中に、玲綜帝れいそうてい朱明子しゅめいしのお顔を拝見したことのない者はいるか?」

 師からの問いかけに生徒らは一斉に否定した。不定期ではあるが、玲綜帝も朱明子もこの施設に時折訪れ、子どもたちと接し、見込みがあれば官吏として登用することもあった。

「それが大きな違いなのだよ。龍欺帝りゅうぎていの姿を知る者は少ない。その上、母宮の存在すら知られていないために、不名誉な噂が流れる始末だ。これはひとえに、宮殿に閉じこもり、民を見ようをする意思がないためだ。だから現実を見ない政を執る。これが龍欺帝が悪帝たるゆえんだよ。こういう意味でなら、確かに化け物なのかもしれないね」

 師の言葉に生徒らはじっと耳を傾けていたが、一人が釈然としない様子で師に問うた。

「姿を見せないのはやっぱり化け物だからではないの? 即位式を見に行った大人たちは言ってるよ、あれは紛れもなく化け物だって」

 龍欺帝の即位式は異例だった。一般の見学を許したこともまず異例だったが、何よりも、夜、月の光のみを頼りに行ったというのが異質だった。色素の薄い龍欺帝の髪は月明かりを受けて銀色に輝き、肌がぼうっと浮かんで見えた。

 滄桑院そうそういんの思惑では恐らく、龍欺帝の人ならぬ姿で、人々に畏敬の念を抱かせるつもりであったのだろう。だが、その異質さに、思惑は外れ、人々に忌避の念を抱かせることとなった。いや、もしかしたらそれが思惑だったのかもしれない。当時、長引く争いの種をまいた滄桑院に人々の非難が集中していた。その中での突然の退位、そして前代未聞の演出が施された龍欺帝の即位式。ものの見事に人々の注意は新たなる北の化け物へと移っていった。今では北都でも南都でも、憎しみの対象といえば龍欺帝だ。

 師は生徒から投げかけられた質問には答えず、時間だと言い、生徒らを解散させた。

 化け物なんてものがこの世に存在するものだろうか。師はしかし、はっきりと子どもらに否定してやることも出来なかった。あれは十年前のこと、師も機会を得、北都で行われる龍欺帝の即位式を見に行った。神々しいと言おうと思えば言えるのかもしれない。だがあれはやはり、禍々しいと言った方がしっくりしていた。


 一度部屋を出て行こうとしていた汰虎たとらが戻ってきた。師が促すように汰虎の顔を見る。

「化け物を殺したいと思う者もやはり化け物なのでしょうか」

 師は短く息を吐いた。

「汰虎、どんなに化け物じみた人間も、やはり人間なのだよ」

 師の言葉に汰虎がうなずく。言っていることは分かっているのだろう。ただ、それを感情と結び付けられない。

「あれのせいでたくさんの人間が死んでいます。同じ人間でも殺されても仕方のない人間もいるんだと思います」

 意思の強い瞳だ。お前が誰も殺さないで済むことを願うよ。師は口には出さなかった。


 人が人の死を願う世界は悲しい。こんな幼い子どもが親の報復のために誰かの死を望む世界は悲しい。


 一週間後、汰虎は朱明子の命により養栄園から離れることが決まった。養栄園の人間にもほとんど知らされなかったが、汰虎は北都へ、北帝のいる宮殿へ、潜入することになった。主な任務は北帝付近の情報を集めることだったが、朱明子は隙があれば殺しても構わないと命じていた。

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