アンブレイド・キャバリア 優しき騎士の物語
らんらんるー
第0話、あるいは世界設定説明的なプロローグ
精霊(スピリア)、および厄霊(ヴァイス)の存在を国際精霊騎士協会(以後、協会と表記)が初めて公表したのは2035年である。
2035年6月15日、ロシア連邦のノリリスク付近にて身長90m、全長150mを超える超巨大未確認生物が出現した。ノリリスクを壊滅させたそれは周囲の自然、町、目についた全てを破壊しながらモスクワへと西進していった。当時のロシア連邦軍は懸命に抵抗したが全ての兵器はその巨大生物の体に傷一つ付けることさえ出来ず、核ミサイルを三度使用してもそれは無傷のままであった。
これを撃滅し、ロシア連邦崩壊を水際で食い止めたのが7人の精霊騎士キャバリア、後の「始まりの七騎士(ザ・グレートセブン)」である。始まりの七騎士はロシアの復興に尽力しながらも、全世界に精霊および厄霊の存在を公表し、精霊と契約し厄霊に対抗しうる唯一の存在、すなわち精霊騎士(キャバリア)の育成を目的とする組織を2036年に立ち上げた。これが後の協会となる前母体である。
今回私の持論を述べる前に再確認の意味を込めて記述したが、協会の設立、およびその経緯の不透明さについては拙著『国際精霊騎士協会設立の謎――始まりの七騎士は何を世界に隠したか』を参照していただきたい。
さて今年で協会設立、精霊と厄霊の存在が確認されて200年目の節目を迎えるわけであるが、これまでの日本政府は――
ぱらり。
――精霊との契約資質が判明するのは12歳までであり、各国はそのような子供たちを精霊騎士学校へと入学させ、中等部三年間、高等部三年間の計六年の所属を義務付けている。厄霊と対抗する唯一の手段は現状、精霊騎士のみであり、資質を持つ子供たちは貴重な人材であることに相違はない。
しかしながら彼らに有無を言わせず囲い込み監視下に置くかのような現状はいかがなものか。ともすれば未来ある子供たちの選択肢を摘み取り、その権利を踏みにじることになる、あるいはすでにそうなっていると私は危惧する。
さらに言えば精霊騎士は国防を担う戦力であり(拙著『精霊騎士が与える軍国化への影響』参照)、まだ確固たる主義思想を持ち得ていない子供たちが精霊騎士学校によって著しく偏った軍国化、右傾化の思想に傾倒する可能性があるのは自明である。我が国が世界に示すべき平和主義の観点から言えば看過できぬ由々しき事態であり――
ぱらり。
――本作第三章において、精霊との契約資質、および契約が成されるのは12歳までであると述べた。これまで例外は存在しなかったが、2234年10月24日に発表されたあるニュースが、全世界に衝撃を与えた。
日本人として史上初、そして日本人として現在唯一の殿堂入りを果たした精霊騎士、《煌翼の姫武者》こと、桜咲 椿。その姉の子は今年の4月で高校生になる予定の15歳だったが、その彼がこれまでの常識を覆し、2234年10月20日に精霊契約を果たしたという。
これまでの定説を覆し、12歳以降でも精霊契約可能な人材が他にも現れるかもしれないと、各国がこぞって自国民に強制テストを行ったのは全世界で批判されている最中である。なお、2035年1月15日現在、未だ有益な報告は出ていない。
また件の彼、あるいは彼女についてだが、協会日本支部、および本部はその詳細を性別含めその一切を公表するに至っていない。全世界のジャーナリスト、報道陣が調査しているが、杳としてその存在の尻尾すら掴めないのが現状だ。高位の精霊騎士ともなればその個人情報も厳重に協会、および国家が守秘するため、桜咲 椿の家族構成、親類も不明な点が多く、その線から辿っていくのは難しい。精霊騎士に対するあまりにも一般人とかけ離れた情報保護がもたらす危うさは、拙著『精霊騎士の功罪』の第二章『騎士たちに与えられた過度の特権』で述べた通りであり――
ぱらり。
ジャーナリスト仲間であるアメリカ人のK氏によれば、アメリカは合法・非合法を含めて日本に圧力をかけ、その未来の騎士についての情報を引き出そうとしているらしい。らしい、という曖昧な表現を用いるのは、K氏の言葉の裏を私が取れたわけでなく、読者にそのソースを示せないためである。しかしながらK氏は10年来の友人であり、そのジャーナリストとしての姿勢、手腕は私も高く評価するところである。ゆえにこの言葉の信頼度は高いものであるとし、彼の言葉を今回示した。
若干横道に逸れたが、つまりは、アメリカという大国の力を以てしても、その存在の影すら踏ませてくれない件の若騎士は異常に過ぎるということである。これは日本政府が人工的かつ後天的に精霊騎士を作り出す技術を開発し、それによって作られた第一号の精霊騎士であるからだとする噂も、我々報道者の中でまことしやかに囁かれている。
ともすればどこぞの三文小説のチープな陰謀論のように聞こえるこの噂話も、桜咲の家名が関わるとなれば看過できない内容になる。精霊と厄霊の根本的な違いは、突き詰めれば我々人間に害を成すか否かであるということは拙著『精霊と厄霊、その境界は』で述べている。この定義の通りの解釈なら、日本古来より住まい、存在するとされてきた妖怪も厄霊であったと言える。その妖怪の中で最強かつ最も残忍とされてきたのが「鬼」。桜咲家はその――
「ふむ。なるほど」
ぱふんっと、重々しく、柔らかな音が、彼女が左手に持っていた本を勢いよく閉じることで部屋に響いた。古き良き日本家屋、その和室は縁側から差し込む日の光に照らされている。本を閉じた際にぴたりと止んだ鳥たちの囀りも、庭に咲く桜の木が風で揺れる音を背景にして、すぐに自由気ままな歌を取り戻した。
桜は風に揺れることで花びらを散らし、絶え間なく薄紅色の雨を降らしている。舞う花びらは陽光に照らされ、その美しさを如何なく発揮している。
桜の木自体も陽光に照らされ、鮮やかに庭を彩る。さらに風に揺れることで刻一刻とその色合いを変化させ、景色に動的な趣も添えている。
庭の生垣を越えた先には、桜で化粧付けられた山間の風景が広がる。縁側からそれらが見えるのならば飾り過ぎだったのかもしれないが、生垣がある程度その光景を遮断することで、景色が過美に陥ることを防いでいる。
春爛漫。その一言で名づけられる、一つの完成した世界がそこにあった。
その場に居れば誰もが嘆息するだろう景色を。
多弁に走らず、さりとて無言に甘んずることなく。
雄弁に日本の春を、その雅さを語りかける風景を。
部屋に居座る屋敷の主は見向きもせず瞑目し、身動き一つせずその姿勢のまま座っていた。
その姿はあまりにも超俗的であった。
まず目を奪うのはその髪だ。腰元まで伸びた長髪は眩いほどに輝く白銀で、見ただけでもその滑らかさが伝わる。並みの理性なら、指を通したいと欲求に抗うことなどできないだろう。上質な絹を贅の限りを尽くして揃え、丁寧に紡いで作られたと言われても、果たしてどれ程の人間が疑いの目を向けられるだろうか。
着ている和服は『肩がはだける』などという程度を超えて、その豊満な乳房が今にも転まろび出ようとするほど胸元に落ちている。染みのない柔肌は抜けるような白さを持ちながらも、生物らしい健康的な温かさを見る者に与える。
その瞳は思案に耽るように、あるいは悲愴に心痛めたかのように閉じられている。その瞳が開くためならば、世の男はその身を呈して憂いの元を断ち切ろうと尽力するだろう。
宝石すら、彼女の前に色を失う。
花ですら、彼女の前に己を恥じて自ら散り消えるだろう。
彼女は、何物にも例えられない。
その美を語るに、およそ人の美を飾る幾千幾万の言葉たちはあまりにも脆弱に過ぎた。
だがそれは、必然といえば必然だ。女を何かに例える、あるいは言葉で飾るのは、
あくまで人においての話である。
彼女の左側頭部、遠目から見れば黒い髪飾りに見えなくもないが、近づいてみれば先端が尖っており、根本が額の皮膚に繋がっているのが分かるだろう。
人外じみた(実際人外なのだが)オーラを持つ彼女はやがて、ゆっくりと目を開けた。その黒い瞳は力強い光を放ち、彼女の固い意志を映していた。
左手に本を持ったまま立ち上がり、すぐ側にある縁側へと足を運ぶ。ただでさえ転びでそうな胸が一歩進むごとにさらに際どく揺れ、深く切れ込む和装の隙間から肉感的な内腿が眩く現れる。
色気を通り越して、下手をすれば醜悪ささえも催させるほどに節操のない恰好と所作でも、彼女が行えばそれは芸術の域にまで達する。その装いに関わらず、男ですらも性欲を忘れるほどに、彼女の姿はあまりにも神々しい。
左手に持っていた本を右手に持ち替えて、彼女は息を大きく吸い込み、
「ざけんなこのボケがぁぁぁあぁぁああぁぁ!」
屋敷と山、その全てを震わせるかのような叫び声とともに、本を桜の木へと投げつけた。カコーンと甲高い音が鳴り響き、本は数枚その頁を散らして桜の根元に落ちた。木の幹に傷は無かったものの、衝撃で花びらが大量に散って根元に落ちた。まだ木に花は残っているものの、先ほどと比べて圧倒的にみすぼらしい。叫び声の所為で庭にいる鳥たちだけでなく、どこか遠くで一斉に鳥たちが羽ばたく音が聞こえた。
「ネット売上数3週連続一位とか椿だけじゃなくてハルのことについても触れられてるとか書いてあって楽しみにしてたからレビューもよく読まずに衝動買いで即ポチったのに、書いてることほぼ協会批判と政府批判とそれ利用した手前のふざけきったお花畑思想だけじゃろが金返せおどりゃぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁ!」
色々台無しであった。
景色も彼女も、元の素材が極上のものであっただけに、落差による残念さがここにきて極まっていた。
今や鳥たちの歌はなく、桜の木も大部分の花をその根元に落としたみすぼらしいものとなり。
女性らしい身体からは想像もできないような声量で、文字通り『鬼』の形相で怒り狂う鬼女が居るのみだった。
「ちょーっと桜咲について触れてきたかと思ったらやれ情報を公開しろだのハルが人体実験の末にできた倫理の外に居る存在だの、揚句の果てに儂が厄霊じゃ!? 馬鹿にすんのも大概にしろ糞餓鬼がぁぁぁあぁぁああぁぁ! つか手前、拙著拙著しつこいんじゃい! どんだけ自分の作品売り込みたいんじゃボケ! 今すぐ精霊騎士ジャーナリストの看板降ろせ! お前の本全部お前ごと焼いてやろうかぁぁぁあぁぁああぁぁ!」
そうして叫び終わったところで、
「へくちっ」
と、見た目と言動とから想像できないような子供らしい、可愛らしいくしゃみを一つ。
いくら春だと言っても、山間に吹く風はまだまだ冷たさを残す。彼女は渋々といった体で服を直し、縁側に腰掛けて、
「何が『精霊と騎士の200年を振り返る』じゃ。こんなの、お前の60年ぽっちの人生を振り返ることが先じゃわタワケ」
拗ねたように呟くのだった。
彼女はふと庭先に目線をやり、自分が起こした惨状に苦笑する。コロコロと様々な表情を見せるその様は、人外である彼女も人並み以上に心があり、感情があることの証だった。
そして次に見せた表情は、憂いに満ちた曇り顔だった。
「精霊騎士は誰よりも頼られる存在であるとは限らず、か。便所の紙にもならん屑本じゃったが、そこだけは唯一同感できるところじゃな」
呟く言葉の色は暗く重い。誰にも聞かれることなく景色に溶けていく独白は、許しを請う懺悔の言葉のようでもあった。
「椿にも、ハルにも、辛い道を選ばせてばかりじゃ。肝心なときに何もしてやれん。永代顧問とは名ばかり、所詮ただ無駄に歳を取り過ぎた老害に過ぎんわな」
自嘲するように言葉を続ける彼女は視界の端に、懐かしい少女の影を見たような気がした。驚いて目線を庭にやるも、影のあった場所には花の溜まりがあるのみだった。風は弱いながらも絶え間なく吹いていたが、その割には花はあまり飛ばされていないように思えた。弱々しく微笑み、彼女は独白を続ける。
「ハルにはもっと穏やかな道を選ばせてやりたかった。いやそれを言うんなら椿もじゃが、ハルが背負おうとしとる約束もの、すでに負うとる傷ものは大きすぎる。いつか耐え切れずに潰れかけて、その時に優しい道を示してやろうと思うておったのじゃが……」
まるでそこに誰かがいるように。久しく会ってなかった誰かに語るように、花の溜まりに向けて胸の内を告げる。
「あいつ相当の馬鹿でなあ。『強くなりたい』って泣きながら言って、何度も向かって来おる。何回痛い目見せても自分を曲げん。あいつのためを思えば心を砕いてでも止めるべきだったんじゃが、あいつの姿見てるうちに、儂も見てみたいと思うたのじゃ。ハルが貫こうとする誓いとそのための道、その先にハル自身が何を見つけて、掴めるのかを」
淡々とした口調で声音に変化は無かったけれど。
彼女の頬を涙が伝っていた。
祈るように胸の前で手を組み、
「椿やハルにもしものことがあったら、儂は儂が死ぬまで己を殺し続ける。勿論そうならんように儂は全力であいつらを助ける。だから、優華。お前も二人のことを、どうか見守っていてくれんか?」
その言葉の直後に、一際激しい風が駆け抜ける。そして地面に溜まっていた桜の花が、大空へと解き放たれた。桜の行方を見ようとして、彼女は空を見上げる。
眩いばかりの蒼穹が広がり、桜の花は彼方へと消えつつあった。そうしてそれが消えるまで空を見続け、
「頑張れ椿。頑張れ、ハル」
思いを乗せて。桜よ届け。彼らの待つ空の下へと。
願いを込めて呟いた彼女の表情は、今日一番の柔らかな笑顔だった。庭には山間から届く風とともに桜の花びらが運ばれ、鳥たちは誰かを求めあう歌を再び奏で始めていた。
精霊騎士。それは精霊と契約を交わし、魔法を行使する術を身につけた者たち。人と世界に仇なす、厄霊と戦う使命を帯びた戦士たち。
これは、誰かを傷つけることを誰よりも恐れ、それ以上に誰かが傷つく姿を恐れた臆病な少年が、強さとその意味を見つけるための旅路。
一人の、優しい騎士の物語。
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