164.5話
何をやってもだめな時の方が、多かったように思える。
頑張っても、もがいても、手を伸ばしても届かない事の方が多い。
ミラノの件でも、トウカの件でも──そもそも、自分の件でもそうだった。
上手くやれたはずだ、けれども何かがいつも足りない。
向き合っているような気はするのに、僅かなズレからすれ違ってしまう。
公爵とも……上手くやれたかもしれないのに。
自分は、本来なら闘技場に居るはずだった。
ゾルに囚われて、二度と手出しをさせないという条件の下で出場している。
……その、筈だった。
勝ち進めた、成功した、どうにかなるかもしれない。
そう思っていたのに、決勝戦を前にして自分が──あるいは、世界が千切れて消えるのを感じた。
断片と化した中、肉体も感覚もすべて失った中で思考のみが生き続けている。
その中で……ずっと、何が悪かったのかを考え続ける。
あるいは、自分の不手際による第三者による行為なのかを。
自衛隊に居たとき、人を精神的に追い詰めるのは孤独であり、感覚や刺激から切り離した状態で長時間放置する事が簡単だと聞いた。
今の自分が、それに近い状態に置かれていると認識した頃には、すべてが遅すぎた。
千切れた自分の中に、世界があった、歴史があった、物語があった、関係があった、他人が……あった。
それら全てが断片となり、あるいは砕け、あるいは壊れて消えた。
一つまみの砂を川へと流し、自分自身の細胞のような彼らを見つけ出すのは砂漠の中から金剛石を見つけ出すくらいに難しい話だった。
いや、あえて言おう。難しいんじゃない、不可能なんだ。
つまり、これは自分の……俺の人生の終わりなのだと理解した。
五感もなく思考だけのこの状態が本来の死なのかもしれないと、考えれば考えるほどに地獄に思える。
考えることは出来ても何も出来ないのだ。
何日経過した? そもそも一日が経過したのか? 一週間? 一月? 一年?
感覚が麻痺し、磨耗した中で徐々に死んでいくのは心だった。
諦め、受容、そして死。
強制されたのだとしても、回避できないのが死だとしたら、受け入れなければと思った。
終わったのだ、終わってしまったのだ。
ミラノと再び会うこともなく、トウカの件でなんら償いも果たせず、また自殺行為に奔走して何かに巻き込まれて死んだ。
悔しいという思いも、いつかは「仕方がない」と思った。
どうにかしたいという思いも、今では「どうにもならない」となった。
そして、思考という歯車は徐々に回転数を落とし、灯を落とした室内のように生命力を消していった。
終わりだ、終わったのだ──。
そう、思っていた。
──まだ、早いよ──
早いとか、そういう事はない。
──まだ、出来ることはあるはず──
何も出来ないんだ、なんにも……。
──諦めるのは、まだ待って欲しい──
待つも、クソもないんだ……。
誰かの声が、聞こえた中、諦めの言葉を吐き続けた。
失敗した、失敗した、失敗した、失敗したと延々と吐き出す自分に、相手は……いつだか聞いたことのある声が、諦めないでとささやき続けた。
それでも諦めて、楽になろうと努力する自分に、初めて光が差し込む。
そこに居たのは、カティアに似た少女だった。
違うのは白ではなく、黒を基調とした人物であるということくらいだ。
差し込む光の中、彼女はこちらへとやってきて目の前でしゃがみ込んで目線を合わせると、手をさしのべた。
身体なんか無いのに、どうしようもないのに、手を差し伸べられて……自分は、もがくようにその手を見つめ続けている。
すると、彼女の差し伸べた手の中にいつの間にか誰かの手が握り締められていた。
俺じゃない、自分じゃない。
それだけでショックだったが、彼女の後光が淡い光を放ってその手の先を作り上げていく。
手から手首が、手首から二の腕が、二の腕から腕が、腕から肩が、肩から胴体が。
首が、頭が、耳が、目が、鼻が、太腿が、膝が、脛が、足が作られていく。
それが……彼女の掴んでいた相手が自分だと理解できた時に、ちょっとだけホッとしてしまった。
自分が戻ってきた、身体が戻ってきた。
それによって、動くことや何かをすることが出来る。
とにかく、何処ともわからない場所に倒れている状態からゆっくりと立ち上がる。
「……ここは?」
声を出すのがいくらか億劫だったけれども、それでもちゃんと声が出たことに安心した。
けれども、目の前のカティアに似た少女は何も喋らない。
こっちこっちといわんばかりに手を引っ張るので、ゆっくりと彼女が現れた光へと進んでいく。
そこには、かつてアーニャが自分を招いたときと同じような空間があった。
ただ少し違いがあるとすれば、世界の隅々をも映そうとする画面や、彼女の好きなゲームやパソコンが無いことくらいだ。
── どうしたいの? ──
また声が聞こえる。
自分を椅子につかせ、何かスケッチブックに書き込んでいると思ったら字のようであった。
そして、その文面は今しがた頭の中に響いた声と同じ事を言っている。
「自分は……」
どうしたいのか、それは同じように昔尋ねられた言葉だ。
ミラノたちを救えたのだから、少なくとも”意味の無い人生ではなかった”と自己完結していた。
それを、彼女は「もう少し、欲張ってみても良いのではありませんか?」といってくれたのだ。
だからあの時は、もう少しだけ頑張ってみることにした。
けれども、今とあの時とでは状況が違う。
ミラノに見放され、公爵に切り捨てられ、もう戻れない。
トウカたちにとって必要であるかは疑わしく、プリドゥエンたちを必ずしも従えなきゃいけないわけじゃない。
── あきらめる ? ──
「諦めるも何も、今どうなっていて何が起きているのかすら分からないんだ。アーニャとも……連絡が取れないし」
アーニャとは一応繋がっており、念話のようなものでやり取りが出来るようになっている。
彼女なりにサポートやアシストがしやすいようにという配慮だったらしいけれども、どちらかが寝ていたり平穏でなければ通じないものだ。
確か、最後は……アーニャが倒れているという話だったので、その影響かもしれない。
「俺は、また……失敗したんだろうか」
── ちがう ──
「違う?」
── せかいが、ぐちゃぐちゃになっちゃったの ──
「……よく、分からないな」
── ひきだしのなかに たくさんのおもいでをいれてたけど ぜんぶでちゃって かたづけてない、みたい ? ──
「それって、記憶の引き出しが壊れるのとどう違うんだ?」
── かぎは あなた ──
「鍵?」
── せかいと ものがたり。 どっちも、すてることもできるし、またひろいあつめることもできる──
── あなたがまた あのせかいとものがたりをつづけたいのなら かえることもできる ──
── かんたんじゃないけど わたしは そのてつだいができる ──
「君は、いったい?」
どうしてそんなに親切にしてくれるのだろうか?
そもそも、誰なんだ?
色々と聞きたいことはあったし、実際に尋ねてみた。
けれども、彼女はそれらを聴いたりはしなかった。
ただ「どうする?」といった様子で、身体ごと首を傾げて見せた。
チリンと、どこかで見た首輪の鈴が鳴った。
「正直、俺はもう将来の展望が無いままにもがきたくは無いんだ。昨日よりも今日が、今日より明日が良くなると思うから頑張るんだ。けど、頑張れば頑張るほどに今日より昨日のほうが良かった、明日より今日のほうが良かったっていうのは……正直しんどい」
彼女は、愚痴のような独り言を静かに聞いていた。
けれども、吐き出した言葉は虚空に消えるよりも先に自分を刺し穿つ。
だから、すぐに打ち消した。
「──けど、心の99%が諦めたいって喚いていても、最後の1%が諦めたくないって泣いてる。その1%を裏切ったら、今までの全てが嘘になっちまう」
── そう ──
彼女は俺の回答を聞くと、机を掌でペチリと可愛らしく叩いた。
すると、そこにはいつの間にかさまざまなクレヨンやクレパスといった色がある。
白と黒だけではなく、他の色が始めて世界に現れた。
彼女はその色たちを手にすると、新たにスケッチブックに何かを書き込んでいく。
書き込んでいくものを見ることはしなかった。
ただ、彼女が必死に何かを書いているのと同時に、モノクロだった自分の手にも色が現れる。
肌色、皮膚の色。
赤色、生命の赤色……動脈。
青色、迎え入れるやさしい色……静脈。
それらを基調として、自分が構築されなおされる。
服も、見覚えのある爽やかな水色と白の色が塗られた。
── あなたは ゆめがすき ? ──
「どちらかと言えば、好きじゃない。起きて見る夢はいつも好きだけれども、寝てみる夢は好きじゃない」
── これからあなたは いままでの じぶんがしてきたことを またくりかえすの ──
「どゆこと?」
── ふかいいみは ない。 あなたが じぶんでせかいのしゅうふくをするの。そして、すべてがおわったら またわすれる ──
「……俺が直して、俺は忘れる?」
── しゅやく でしょ ? ──
主役、主人公。
それは遠い昔、日本に来る前に憧れていたものだ。
ライトノベル、アニメ、コミック、ムービー……。
様々な主役や主人公が居て、彼らは悩んだり傷ついたり迷ったりしながら必ず前に突き進んでいく。
誰かを助け、誰かを救い、その手は誰かを受け止めるためにのばされ、けれども決して自らの為には誰かにのばしたりはしない。
そういう、格好いい主人公に……なりたかったんだ。
「俺は、何をすればいいんだ?」
── さいしょから ぜんぶおなじようにやりなおすの。 そして またはじまりのとき≪一話目≫までもどってきて 今日まであるいてくるの ──
── けど あなたはためされる。 さいしょはいままでのことをおぼえていても、すこしずつわすれていくの ──
「それって、どこから?」
── あなたが うまれるまえから。あなたのおとうさんとおかあさんが であって うまれたところから ──
「そりゃ、だいぶ程度の低い賭けのようだ……」
── けど だいじょうぶよ ──
「ん?」
── あなたには わたしがついてるから。 まちがえても しっぱいしても またあたらしいぺーじをつかうだけだから ──
どうやらスケッチブックと色で支えてくれるということらしい。
それがどういう意味かは分からないけれども、自分は笑った。
クシャクシャと彼女の頭をなでると、久しく忘れていた”大人”な自分を演じる。
「そこまでしてくれるんだ、やらないなんて言えないよな。男としても、いい大人としても」
── ありがとう ──
「なんでお礼を言うんだ? お礼を言うのはこっちの方なんだからさ。諦めてすべてを終わらせるしかなかった自分が、万に一、億に一の可能性でまた戻れるかもしれないんだからさ。ゼロじゃないのなら、何度でもトライ出来るのなら……やってみせるさ」
彼女は照れくさそうに撫でられていたが、最後に彼女が描いたのは両開きの扉の絵だった。
すると、実際に目の前に現れ、そこに進めということらしい。
ゆっくりと歩を進めていたが、少しばかり開いた扉の先から”無”や”ゼロ”を感じさせるような冷気を受けて、少しばかり立ち止まった。
「そういえば、俺が以前毒に犯されて精神死しかけたときも、楽しい夢を……有り得たかも知れない夢を見せる為に来てくれたよな。君は、どうやら幸運の黒猫みたいなもんなのかもしれない」
── ………… ──
「けど、そうだな。もし、会えたとしたら、その時は名前を教えてくれよ。そうじゃなくても、お礼を言わせて欲しいんだ」
── ううん だいじょうぶ ──
「ぶわっ!?」
彼女が勢い良くスケッチブックの扉を捲ると、扉がすべて開かれて何かに掴まれたかのように吸い込まれていく。
そして、”今の俺”がすべて分解されていくのを感じた。
深く、遠くまで落ちていく。
その先に、いつかの光景が見えた気がした。
「我等が神々よ、世界を守護し人類の未来を切り開いた英霊よ。ミラノ……いえ、アリア・デューク・フォン・デルブルグの名と、我が身命全てを賭けて願う。死が二人を分かつまで、供に歩まん使い魔を与えたまえ──」
お前、そんな口上を読んでたのかと今更ながらに知った。
けれども、遠くに見えた光景に飲まれた時に、自分はそれを全て忘れていた。
~ ☆ ~
ヤクモが世界を再構築し、新たに物語へと復帰する為に自分を投じた。
その後ろで、黒い少女はスケッチブックの一枚の絵を見る。
遠い日、闇や暗さを感じさせる退廃的な絵だった。
寒さや悲しさ、哀愁さえ感じさせる中で一人の小太りの男性の絵が描かれている。
買い物袋から食べ物を取り出して、小さな黒猫へと与えている絵だった。
彼女は、ヤクモが去った後もずっとその絵を眺めながら撫でられた頭の感触を思い出すように触れている。
そして、世界の再構築という名の無謀な賭けを成立させる為に、千切れていく彼の記憶を維持して同じように歩めるように絵を書き続けた。
ボーイミーツガール、ミラノに召喚されて出会うところ。
男同士の友情、アルバートに挑発されて喧嘩するも仲良くなるところ。
ステップ・バイ・ステップ、戦いを経て無能ではなく戦いと少しの教養はあると認めさせたところ。
彼女はそういった印象的なシーンを描いて、それらを連続させることで絵本や断片的な物語の挿絵のようにし続ける。
一人で、いつまでも。
彼女が記憶違いや間違いで書き損じたとき、ヤクモはその世界での失敗を体験した。
けれども、彼女はすぐにページを破り捨てると彼の失敗を「なかったこと」にして、正しい物語に回帰するまでそうし続ける。
孤独など感じず、一人でも一人だと彼女は思ったりしない。
言葉も喋ることができず、ただ”ほんの少しの知識”の下で少女らしく、懸命に振舞うだけだった。
── ☆ ──
「おい、いつまで寝てンだ!」
「待ってくれ、時差ボケなんだって……」
悪夢のような夢を見続けた自分を待っていたのは、不十分な休息の先にゾルによって叩き起こされるという展開だった。
何があったのか、どんな夢だったのかなんていちいち覚えてられない。
自分が死ぬ夢か、当て所無くさまよい続ける夢だったのは間違い無さそうなのだから。
「てか、ゾルさん? もうちょっと選手が休息しやすいように出来ませんかねえ?」
「仕方が無いダロ。ここに王族貴族用の寝床でも運び込むカ?」
「はは、無理だな」
「だったら諦めろっての」
「へいへい……」
「今日は集団戦の決勝だって分かってないだろ? そんな調子で無様を晒さないでくれヨ?」
「わぁってるよ、うるさいな……」
ゆっくりと粗末な長椅子から起き上がる。
すると、何かが自分の上から零れ落ちた。
なんだろうかと拾い上げると、携帯電話だった。
寝る前に弄っていただろうかとロックを解除すると、一枚の絵が現れる。
それはカティアに良く似た……どこかで、見たことのあるような少女の頭を撫でている自分の姿だった。
「いやいやいやいや、何でこんなのが──」
すぐにいつも背景にしているゲームの一枚絵にしようとしたが、そのまま指が止まる。
何度か修正したり手直ししたのだろう、それでも上手く”焼き付けよう”としたようなその絵を見て、なんだか心苦しくなったのだ。
── やりなおしても ぜんぶわすれるの ──
「朝から、頭が痛えなあ……」
幻聴が聞こえ、これも全て闘技場でとにかく乱戦させまくるゾルのせいだと決め付ける。
携帯電話をしまい、食欲の無いままに地味な食事を平らげると、少しばかり気力がわく。
「昨日より今日は良い日にする、今日より明日はもっと良い日になる……」
根拠の無い理屈ではあったけれども、それでもこのクソッタレな状況下でも諦めずにやって来られたのはただの意地だった。
そうであって欲しいという願望が、諦めをはねつける。
たとえたくさん弱音を吐いても、最後には「やるっきゃないよな!」と立ち上がるしかないのだ。
それに──。
「ここまで来たんだ。99%の諦めが胸を占めても、1%でも諦めたくないって思うのならその心を無碍にしたら嘘だ……だろ?」
なんか、どこかで誰かに向けて言ったような気がする言葉を吐いて、顔を洗うとゾルと監視の二名と供に待合室へと送り出される。
そこで幾名かの獣人に囲まれながら、ミラノの関係で預かったままの剣を見つめていた。
「耐えて生き抜け。静かに出口に立って、暗闇に光を撃て……か」
そう言うと、一度だけ剣を抜く。
伝説の剣と言われながらも、アルバートや他者に使わせると何も斬れないナマクラと化す変な武器。
しかし、自分が使った時にはゴーレムすら切り捨て、城壁に突き刺すことすらたやすく行える変な剣。
これが「勇者のみ扱える剣」だとか「心の繋がりを大切にする、光の世界に生きる人に使える剣」だとか、それっぽいのがあればよかったのだけれども。
今の自分には、ただの便利な道具でしかない。
「……ふぅ」
試合が迫り、出場前に携帯電話を再び見た。
誰かの描いた幸せそうな絵。
自分がカティアに似た少女を楽しそうに撫でていて、それを笑顔で受け入れている光景。
そんな光景を、自分は知らない。
どこかで混じったバグデータか、それとも……。
『さあ、飛ばして行くゼェ! あの人間がいる集団がこれから入るが、オレサマはコイツは勝ち上がると予想してる。さあ、入場ダゼェ!!!』
「行け、時間だ」
「……はいはい、分かりましたよ」
携帯電話をしまい、剣を帯にねじ込むとゆっくりと立ち上がった。
敵意を隠していないただ今回限りの味方たちと供に、背中を刺されないようにと祈りながら長い通路を出て行く。
長い、長い通路だ。
なんか、どこかで同じような光景を見たような気がする。
ただ、そのことを考えると思い出すのはミラノのことだった。
さあ、もう少し人生を続けようか。
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