第59話
男性自衛官は数合わせに参加するように。
──自衛隊、いや……自衛官と一般やOBとの交流と言うのは存在する。
これもまた理解を深めるとか、地域住民との交流と言うものに当るのだろう。花見の場に呼ばれ、仕事の一巻として飲み食いや会話をしながら交流をする。
まあ、そこまでは仕事として飲み込める。
しかし、俺にとって一番苦手なのは”アフター”であった。
つまり、OBの人や上官が、時折セッティングしてしまうのだ。
交流の一巻として、若い女性の人と一緒に”交流”する事を。
……あの時の事は思い出したくも無い。
俺は女性との交流や会話経験が無いのだから、記憶から引っ張り出すと頭を抱えて「死にたいよぉ、もうあの人たちとは会いたくないよぉ!」と悶絶したくなる。
まあ、その地獄は二度目が有ったのだが。
LINEのアドレスに、その時俺とコッソリと連絡先を交換してきた女性は居たが、当然ながら女性と言う物が頭に入っていなかった俺は連絡をする事も、その日が終わった後に「今日は楽しかったですね」なんて送られてきても、それらしいやり取りが出来る訳がなかったのだ。
……まあ、あえて言うのなら。
自衛隊を除隊してからすっかりと腐った俺が考えたのは。
医者として自分でクリニックを構えている三十代なりたてで、そこそこ可愛い女性なんて超有料物件やんけと言う、的外れな考えでしかなかったが。
昼食を終えた俺が、さあ午後は何をしようかなとか考えながら携帯電話で、キャッシュで残っていた動画を見ながら楽しい出来事に耽っていると、静かに扉がノックされた。
別に疚しい動画ではないのだが、言ってしまえば「実況動画」と言う物そのものがこの世界においてはおかしなものだろう。
携帯電話と言う小さな箱で、映像が流れ、しかも姿の見えない相手の声が聞こえるという現象。
俺にとっては全て大まかに説明は出来るが、それは概要であってシステムじゃない。
説明が出来ない物なので、どう言えばいいのか分からないのだ。
「はい。は~い、少し待ってください!」
動画を止めて携帯電話をしまい込むと、俺は扉の前まで行って「どちら様で?」と訊ねた。流石に食器の回収には些か早すぎる、けれども理由や事情が有って早かった可能性も有るので幾らか警戒もせずに扉まで行った。
すると扉の向こうから「マリーだけど」と声が聞こえる。どうやらノックをして部屋に入るという事を覚えたらしい。俺は考える事も無く、扉を開けた。するとそこにはマリーがいる。まあ、それは当たり前だ。しかし、更にもう一人追加がいるのに気がついた。別に来客が一人や二人増えても俺は気にしない、騒がないのであれば落ち着いて居られるのであれば療養中名目の今でも長居してもらっても良いと思ってる。
しかし、そのもう一人は顔を赤らめていた。そして表情は優れていないように見えて、俺は戸惑うしかない。まず疑うのは俺の苦手な負の感情を持っていること、その二に病気や体調不良だ。俺は、マリーが何故そんな状態のマーガレットを連れてきたのかが理解できなかった。
「マリー、何で──」
「マーガレットが、貴方にどうしても会いたいって言うから……その、つい」
「ヤクモ様、その、私……」
俺の顔を見て、マーガレットの表情は一気に崩れた。さめざめと泣く、うるさいわけでも無いし、周囲に泣いていると気づかれにくいようなものだ。だが、だからこそストレートにぶつかってきて、俺は慌てながら彼女を部屋へと招きいれた。当然、マリーも一緒だ。一人だけ逃げるのは許されない。
そして俺はどうすべきか迷い、結局逃げるようにお茶の準備をしていた。こいつ、お茶ばっか飲んでるなと言われかねないが、ガチこの世界はお茶の時間が多い。貴族だからか? コーヒーブレイクが霞んでしまいそうだ、
「マリー、何で……その、マーガレットが泣いてるか聞いても良いかな? 俺にはちんぷんかんぷんだ」
「ええ、そうね。──貴方が先日余計な事をしたおかげで、マーガレットの眼が治ったんだとか。色が分かるんだって」
「あぁ、そう……」
本来なら喜ぶべき事柄なのだろうが、カティアの膝枕で寝ていたりマーガレットが泣いていたので面食らったりしたので、素直に「良かったな」と言えなくなっていた。
お茶を出すと、マーガレットは少し泣きが落ち着いたのか「すみません……」と言って、お茶を受け取った。どうやら今日は飲んでくれるらしい。落ち着こうとしているようだが、それにも時間を幾らか要した。俺はまたその場逃れの為に席を立って普段身に付けている装備を点検するように弄って見たり、壁にかけたままの戦闘服や磨いてなかった半長靴の中敷を取り出して湿気を解放させたりもする。
半長靴は蒸れるし、水虫になりやすいのでこうしてやら無いと発症してしまう。足の裏がグジュグジュになったり、皮膚がボロボロになるのはごめんだ。
「そういえば、マーガレットも滞在するんだって? マリーはどんな言い包めをしたのやら」
「私は、別に。ただ事実を告げて、世話になるふりをして情報を仕入れてると言っただけ」
「なるほど」
「けど、まあ……。あんまり信じてなかったんじゃないかしら。じゃなければマーガレットをわざわざ人質みたいに差し出すわけがないし」
「マーガレット様、相変わらず毒舌なんですね……」
初めてのちゃんとした発言のあとで、数度深呼吸を繰り返したマーガレットは落ち着きを取り戻した。それから、笑ってみせた。泣いてる時もワンワン泣く訳ではなく、笑みも微笑みのようなささやかなものだ。消費エネルギーが少なそうな子だなと思っていたけれども、むしろこれですら本人にとっては精一杯の可能性すらあった。勝手に判断するのは良くない、そりゃ区別じゃなくて差別だ。
「──ヤクモ様、本当に、本当に有難う御座います。こんな素晴らしい贈り物をして頂けるだなんて、思ってもなかったので……」
「あぁ、えっと。まあ、うん、良かったんじゃないか? これで自分が何を見て、何を口にしていて、どう思っていたかが正確にわかるんだ。少なくとも……飲食がより楽しくなる、だろ?」
「私に振らないでよ。どうせ考え無しなんでしょ? はいはい、自己満足の正義感を有難う御座いました~」
「お前はネラーか……」
しかし、事実なので強く何も言い返せなかった。マーガレットは「”ねら~”?」とか言っている、どうやら彼女にとって知らない情報らしい。まあ、知っていても多分「インターネット」とか「パソコン」とか「掲示板」とか、色々な事を事前情報で知らなければ難しい話だ。
「自分で自分の首を絞めてるって分かってるのかしら」
「別に万人に分かるような事をしてる訳じゃないし、当事者と関係者が黙ってればバレないって」
「けどね、そうやって安易に人を助けてると、その内助けなきゃいけない人が増えるのよ?
最初は身近な人だけかもしれない、けれども気がついたら集団を、団体を、国を助けなくちゃいけなくなるんだから」
「ミラノみたいにガミガミ言わないでくれよ、俺だって分かってるつもりなんだからさ」
「アンタが分かってないから言ってるの! それと、あんな──」
そこまで言って、彼女は何かに気づいたかのようにハッとした。そしてその口を押さえると、暫くそのままで居てくれたが──その眼が恨みがましく俺を見つめる。何か嫌な予感がするんだよな──。
「──貴方のせいよ」
「なんでさ!?」
「ふふ、お二人とも仲が宜しいのですね。マリー様が誰かと楽しそうにしてるの、初めて見ます」
「楽しくない」
「──……、」
まあ、グサリと来るよね。うん。正面きって「コイツと話をするの楽しくない、マジ不愉快」みたいに言われると。俺はその言葉を無防備に、モロに正面から受け止めてしまった。だからこそ、言葉を失ってダメージを受けてしまう。
表情が引きつるのを実感してしまい、それを誤魔化すように身体ごと顔を背けた。そして噎せる事で気落ちしてしまった事実をなかったことにしようとする。
「ああ、ちがっ。そういうつもりじゃなくて……」
しかし、何故かマリーが慌てた声を出す。
毒舌対応な彼女がそんな声を出すとは思わなかったので、演技ではなく本気で噎せてしまった。
鼻からお茶が少しばかり逆流する、鼻が痛い……。
「──ええ、楽しいわ! どう? せいせいした?」
「何で俺怒られてるんだろうな……」
「マリー様は、人と関わるのが苦手らしいので。
たぶん、どう接して良いのか判らないんだと思います」
「じゃあ、仲間だ」
「そんな安い同情は要らない!」
いや、同情なんかじゃないよと言った。
事実、俺も他人と関わるのが苦手だし、わからないとありのままにぶっちゃける。
兵士として、戦闘に関しては仕事の領分で色々話が出来る。
義務が生じている範囲でなら、自然に話が出来る。
けれども、義務の生じていない場合は、何を話せば良いのか分からなくなる。
同席しているマーガレットには悪いけれども、好意を向けられてもどうしたら良いのか判らない。
義務や責任の生じてない状態で、自分や私として女性と関わった事が無いのだと。
「兵士みたいな事をしていた時だって男しか居なかったし、性別の差が無い分気安くてさ。
だから、しょーじき、こういう時、何を話せば良いのかさっぱり分かんないな」
「私達では、理解出来ない事柄が多いでしょうしね」
「貴方の住んでいた国の知識は、私達には扱いかねるし……。
あ、けど。魔法! そう、魔法に繋がる知識は聞きたいわ」
「あぁ……」
マリーは前に俺に打ちのめされた時の事を思い出したのかもしれない。
俺もあの時、マリーがベッドでジタバタしながら「刺青なんかしたくなかった~」と喚いてるのを思い出す。
「コイツ、刻印も居れずに動作術式を使うのよ?」
「え、本当ですか?」
「いや、まあ。まだ簡単な物しか使えないけど」
そう言って俺は指を鳴らす。
指を鳴らして人差し指のみを伸ばしてライター程度の火を出す。
指を鳴らしてからその手を開けば手の平程度の火が出る。
指を鳴らしてから手の平を開き、空気を巻き込むように手を動かしてから引き付けると攻撃出来るくらいの炎が出せる。
今はまだ試行錯誤の段階中だけれども、もしかすると「詠唱で意味を持たせるのではなく、意識や認識によって極限まで簡略化できるのではないか」とさえ思っていた。
例えば言葉や音によって行使する魔法が決まるのなら、そんなものは脳に任せてしまえばいいのではないかと。
「ね? こんな犠牲を払わなくても、コイツは魔法が使えるんだから」
「ふわぁ……。ヤクモ様、凄いです!」
「私が時間をかけて編纂してきたこの魔導書も、必要ないのよ。ホント、むかつく……」
「これで昔の英雄じゃないから凄いですねえ」
「今のコイツがあの時に居たら、もうちょっと戦いは楽だったと思う。
凄い武器を持ってたし、あれだけでも助けられたわね」
「まあ、あんな武器を持った兵士が一人でも居れば大分違うだろうなあ……」
六四や八九だと弾倉装填数に+一の弾数しか入らない。つまり、最大でもリロード無しで三十一人しか倒せない。
しかし、MINIMIだと二百発まで吐き散らかせる。
六百から八百メートルの距離からそれだけの弾を、指切りしながら集団に叩き込めば凄い事になっただろう。
少なくとも、マリーが詠唱をし、前線部隊が近接戦闘を開始するまでに大分敵を削れるわけだ。
この前の軍事演習を見て居る限りだと、隊列を組んでご丁寧にも進軍してくれる。
あんな風にこられたら、第一次世界大戦の二の舞だ。
機関銃で作り上げられたキルゾーンに、並んでやってくる。
全員蜂の巣殉教だ、そこにかけてやる慈悲は無い。
「マーガレットは見てないだろうけど、魔法じゃなくて武器が凄かった。遠くでセルブからグランくらいの爆発が起きるの。それに、武器の方も連射が早くて、鎧なんて直ぐ穴だらけ」
「ふわぁ……」
「しかも
爆発した、穴が開いてる、当たってた。それくらいね」
「ですが、なんだか、そういった凄さを感じさせませんよね、ヤクモ様は」
「いや~、だって、なぁ……」
銃が凄いのであって、俺はその扱い方を心得ているだけだ。
確かに、相手を視認してから直ぐに射撃体勢に移行し、それが遠くであろうとも一発目で当てられるのは凄いかも知れない。
けれども、それは銃があってこそ発揮される才能だ。
銃がなければ、遠くの敵を視認した所で攻撃は出来ない。
兵士としての質によって強さは変わるというが、それでも前提条件は装備の有無なのだから。
「凄いのは装備であって、俺じゃないし」
「どういうことですか?」
「例えばマリーやマーガレットに剣や槍を使わせても、技量や体力とかの差はあっても武器そのものの性能は変わらないだろ?
と言うことは、俺がコレを誰かに持たせてその扱い方を教えれば、同じ事は出来るって事。
そう考えたらさ、俺は凄くないだろ? 誰でも出来るもん」
「そんな簡単に使えるのでしょうか……?」
「え? あ、うん。ただ、俺もこんな武器を気軽に誰かに預けたくないし、渡したいとも思ってないけどね」
やだよ、わざわざ自分に向けられるかも知れない武器の危険度を高めるのは。
どうかこの世界の住人の皆さんは弓だの剣だの魔法だので戦って下さい、俺は銃で戦いますので。
魔法に関しては、多少仕方が無いので話はする。
する、が──理解されなければそれでも構わないし、他人が真似できなければ「や~、魔法の才能が有ってごめんね?」と誤魔化すつもりだ。
「つまり、俺自身はべっつに凄くないの」
「まあ、それを判断するのは周囲だけどね」
「それじゃ意味無いんだよなあ……」
「だから言ったでしょ。安易に人助けとかしてると、そうなるって」
マリーの言葉にため息を吐いたが、数秒だけ考え込むとため息と共に諦めた。
「ま、その時はしょうがない。死んだ英雄じゃなくて、本当の生きた英雄って方向で頑張りますかね」
「具体的に何を頑張るの?」
「生活の向上と安定。
何か有れば手伝いはするけど、常に忠勤に励むんじゃなくて何か有ったら声をかけて下さいって感じの自由な生活」
「わ、いろんな人が聞いたら怒りそうな言葉」
「皆さん忘れてると思いますがね? 俺、この世界の事知らないんだって。
せめて色々と知る為に時間を使いたいんですけど」
それから数秒考え込み、ヘラリといつものように自虐的な笑みで”逃げ”の為の言葉を放った。
「だからさ、マーガレット。止めとこうよ」
「何をですか?」
「こ~んな事を言ってる、働きたくないし好きな事をしたいって言ってる男と結婚しても、上手く行かないって。
ずっと家に閉じこもってるか、出かけたっきり帰ってこない方が多いだろうし。
そんなのマーガレットに良くないよ」
「いいえ、そんなこと無いと思います」
「え?」
いやいや、そんなまさか。
俺の脳裏では、家の中で毎日グータラしている俺を見ながら周囲からなんと言われているかで心苦しんでいるとか。
あるいは、冒険や探索の旅に出るといって半年も帰ってこない家で寂しげにしている光景が想像出来た。
公爵には個人の家が欲しいと願ったので、少なくとも個宅だろう。
そんな中で、一人で暮らすのは──。
ちょっとばかり、俺の生前を思い出してしまって陰鬱だったのだが。
「ずっと一緒に居られるのは、嬉しいです。お傍に居られて、お姿や声を聞けるだけでも幸せです。
けど、それは私の我儘ですから。ヤクモ様が為さりたい事をして、その結果ヘトヘトで疲れていても、笑顔で元気ならそれが一番良い事だと思います。
ヤクモ様が居ない時は普段の事を思い返して、想い出という宝箱の中を綺麗にする。そしてヤクモ様が戻ってきた時に、忘れそうだった何気ない幸せをまた大事にして末永くお付き合いできれば、それが一番かと」
「──マリー、この子って天使か何か? なんか、こう……。なんで地上に存在してるの?」
マーガレットの言葉を聞いて、俺の素直な感想がそれだった。
真意がどうであれ、彼女は「傍に居てくれるのも良いけど、居ない時間も有る事で大切さを知る事が出来る」と言ったのだ。
コレが漫画とかなら感極まって抱きしめてるだろうが、残念ながらコレは現実なのでそんなことはしない。
「天使だなんて、そんな……」
「言いたい事は分かるけど、落ち着きなさいよ」
「いや、だってさ。なにこの性善説の塊のような子。綺麗過ぎて勿体無いと思うんだけど」
「しっかりした子なのよ。察してあげて」
「うん、ますます──勿体無いと思ったね、うん」
「ヤクモ様は、私がお嫌いなのでしょうか……?」
「いや、そうじゃなくてさ!単純に、自信が無いんだよ。──マーガレットは、不安に思わないの?
俺、この世界の事なんか全く分からないのに、価値観ですら違う相手を旦那にしたいだなんて」
「それでも、気になり、好いたのならついて行きたいのです」
「──俺が、戦う事でしか自分を表現できないとしても?」
「確かに、危ない事や危険な事は出来ればして欲しくありません。ですが、それに関してとやかくは言いません。だって、ヤクモ様が戦ったという事は、その分だけ助けられた人も居るという事ですから」
「ぐぬ……」
──なんか、こう。上手くやれなかった。
偽悪的に振舞って、嫌われようとする事も出来た筈なのに、それが出来なかった。
うごご、グギギと言葉に詰まった時点で俺は負けていた。
こんな天使な子に悪ぶって嫌われるのは良いとしてもだ、その為に傷つける事に躊躇いが出来た。
そんな俺の肩を叩くマリー、その表情は「ザマァ」と言った様子だ。
「ほら、諦めて身でも固めたら?」
「気楽に言ってくれるね、他人事だからと思って」
「貴方が結婚してくれると、私が堂々と監視を口実にこっちに来られるからよ」
「マリー様は、お父様の事が本当に苦手なんですね」
「全てを見透かして、見下したような感じがするから、嫌」
「仮にも自分の主人によくもまあ毒づけるね、本当……」
よっぽど酷い扱いを受けているのか、単純に相性の問題なのかも知れない。
まあ、俺も最初はミラノの事をあんまり私事レベルでは良く思ってなかったし、そこらへんドッコイドッコイだろう。
「それに、裏で色々言われてるけど、マーガレットみたいな子が居れば、貴方も渡り鳥にはならないでしょ」
「どういう意味だよ……」
「別に、ただそう思っただけ。貴方のご主人様を見てると、そんな気がしたのよ。
抑圧されて、強いられて、得られる物が無ければどこかに行ってしまう様な──ね」
「カティアの面倒を見なきゃいけないしなあ。それに、今更だ」
「あの子が居なかったら、どうだったかしらね」
どういう意味だろうかと訊ねたかった。
「まあ、カティアが居なかったら──たぶん、あの生活は続かなかったと思ってるよ」
「あら意外。素直に認めるのね」
「使い魔だった時なら仕方が無くても、使い魔じゃなくなれば逃げられた訳だし。ミラノに恩返しをしたいという義理はあっても、義務は無い」
「ふぅん?」
「俺が被る不利益と、ミラノの下に居て得られる利益のみで考えたら。どう考えたってワリに合わないだろ? アルバートとの私闘、オルバからの喧嘩、それと街からの脱走とマリー救出」
「どれも、貴方は怒られてるわね」
「怒られる理由はわかる。けど、一つだけ決定的な事柄がある」
「何?」
「ミラノは、怒りはすれども一度も褒めた事がない」
それは、決定的な事柄だと思っている。人は、たとえそれが本人の為であっても、怒りだの罵声だので構築された事柄に嫌な気持ちしか残らない。
街から学園へと助け出した時も、怒られただけだった。
オルバが勝負を仕掛けてきた時も、相手が非を認めたのに俺は謝罪されずにボコボコにされた。
「けど、待遇は良くなったんでしょ?」
「あのさ。それ、全部ミラノの父親がやってくれた事であって、ミラノがしてくれた事じゃないだろ。まあ、価値観が違うと言われたらそこでこの話はおしまいだけど」
そう言ってから一息置いて、俺は言い放った。
「頑張っても報われないなら、あいつにゃついてけねーよ」
それが全てだった。
事実、拭いきれない不満はある。
個人としてミラノを好意的に思えていても、上下関係でミラノをどう思うかは別の話なのだ。
いい人が、いい上司であると言うことは無い。
人として首を傾げるような人でも上司としては立派だったりするし、逆も然りだ。
ミラノは、悪い奴じゃ無いと思っている。
けれども、使い魔だの護衛騎士だのとして下につくのは難しいと思っていた。
俺がそう言うと、マリーは席を立つ。
突然の事で少しだけ驚き、何だろうかとマリーを見てしまった。
「──そ、そういえばアイアスと約束をしてるの。マーガレット、私は十分責務を果たしたと思うわ」
「そうですね、部屋まで有難う御座いました」
「別に……」
そして去ろうとするマリーだったが、自分の座っていた椅子に足を引っ掛けて転んだ。
俺は直ぐに彼女を助け起す。完全に無意識、考え無しでの行動だった。
「大丈夫か? どこか調子でも悪いのか?」
「いえ、ちょっと考え事をしてただけ。けど、ちょっと調子が悪いのは確かね。……身体、小さく纏めようかしら」
「どゆこと?」
「負傷に対して魔力の供給や充填での回復が間に合ってないから、密度が足りてないのよ……」
「なるほど。けど、身体を小さく纏めると言うのは?」
「そう、ね。こういうこと」
そう言って、マリーが指を鳴らした。
すると若干の煙のような物を発し、彼女の姿が少しの間視認できなくなる。
そして煙が直ぐに霧散すると、その先には──
「わぁ、マリー様可愛らしいです!」
マーガレットが手を合わせて大絶賛。俺も驚いて彼女を見つめてしまっていた。
まあ、なんだ。第一印象を引きずっていた事と、その後回復してからの毒舌。
ミラノと喧嘩していた事などと、色々含めた印象が強かった。
しかし、今ではどうだ? カティアと殆ど変わらぬ小ぢんまりとした背丈になっていた。
一瞬ブカブカとした服に”着られていた”マリーだったが、それも直ぐに体系に合わせて調整される。
ドキリときてしまったが、それは不健康そうな所が一切抜け落ちたからだろう。
健康的な表情をしているし、眠そうと言うか疲れたような表情が別の物に見えるようになった。
若返った、と言うのが分かりやすいかも知れない。
そもそも何歳なんだ? マリーとか、そこらへんの全員……。
ただ──。
「あのさ、マリー。一つ聞きたいんだけど」
「なに?」
「密度を高める為に身体の大きさを変えたのは分かるんだけど、それだと睡眠不足とか疲労、痛みとかも圧縮されない?」
「──ええ、だから、寝るわ」
「人様のベッドぉぉぉおおおおッ!!!!?」
アイアスと会うという予定はどうなったんだ。
しかもベッドに向かう途中で長いローブの裾を踏んづけて転んでるし、どうやら顔面を強く打ったようだ。
「身体の動きが違う……」
「そもそも目線ですら違うんだから、下駄履かせたような感じになっても仕方ないだろ……」
「抱っこ……」
「子供か手前はぁ!?」
思わず突っ込んでしまったが、マリーが床に倒れ伏したままに「ウッウッウッ……」等と泣き出す。
いや、フリだろ? フリであってくれ、フリであって欲しい、フリじゃなかったらどうしよう……。
結局、俺は心まで鬼に出来なかった。
仕方が無く抱っこしてやると、マジで涙と鼻水たらしてた。
「ふふ、勝った……」
「マリー様の深謀遠慮、お見事です」
「あのさぁ……。はぁ、もう──なんでも良いや」
以前はおんぶして歩いたが、サイズが変わったので抱っこでも楽に運搬できる。
やれやれとベッドに下ろすと、彼女は鼻をすすっていた。
「あ。あ~……、鼻水が」
「ご、ごめん……」
「いや、いいよ。と言うか、薬は足りてるか?」
「まだある、ありがと」
「んじゃ、ま。程々に」
「ん」
マリーが速攻で寝落ちる。
疲労とかまで圧縮したのだろうか?
俺の身体は魔力じゃないから分からないけど、あまりにも非現実過ぎる。
服についた鼻水とかをハンカチで拭う。
若干湿っているけれども、あまり気にしないことにした。
「マリー様、本当に楽しそうです」
「とは言え、ニコル辺境伯が主人だから、ここで楽しそうにしても後で辛くなるだけだと思うんだよなあ」
「──そうですね。けど、その気になればどこにでも行けるのに、マリー様は何故父様のお屋敷に留まってるのでしょうか?」
「使い魔って、制約が有るんだろ?」
「ですが、制約をしなければただの人と人です。生きた人であるヤクモ様と、かつての英雄であるマリー様に。生きていたか、死んでいたかの違い以外で、何が違うんでしょうか?」
そう言われると、俺も言葉に詰まる。
今の言い方だと、制約がそもそも課されていないと言う風にとれる。
とれなのに、嫌な相手の所に居座る? なんで? 何のために?
「俺は──主人が居なくても飲食が出来れば生き延びる事ができるけど、マリーは魔力の供給が無くなったら消えるしかないから、とか」
「ふふ、意地悪な事を言ってすみません。真面目に話を聞いてくれるんですね」
「え?」
「使い魔と言うのは、基本的に従えるだけのものだと皆さん考えてるので、こういうお話をしても変な顔をするんです。先ほどの考え込んでいたヤクモ様の表情は、良かったです。ヤクモ様風に言うのなら”ぐっど”でした」
──なんか、カティア以外からカタカナ言葉を聞くと違和感があったけれども、正しい用法だった。
けれども、彼女は少しばかり考え込んでから親指を立ててその手を見せる。
サムズアップだ、俺もそれに倣って親指を立てて見せた。
マーガレットは嬉しそうだ。
「一つ、お聞きしたいのですが」
「ん? なにかな」
「ヤクモ様は、もし──帰ることが出来るのなら。ご自分の居た場所に帰りたいと思う事は有りますか?」
「思わないほど、絶望も失望もしてないよ」
間を置くこともせず、当たり前だと言った。
それから少しばかり考えて、椅子への座り方を変える。
「──マーガレットは、俺の事をどこまで理解してる? と言うか、どこまで”見た”?」
「たぶん、ヤクモ様が今言おうとした事は分かってると思います。ヤクモ様にとって、ここが……いえ、この世界がどういったものか」
「別世界、別の場所と言って良い場所だよ。魔法は無いし、この世界じゃあまり発展してないカガクと言うのが進んでる世界。俺の使っている武器に似たものが全ての国で手に入るし、たぶん平和かどうかで言ったら、こっちの方が余程平和だと思ってる」
少なくとも、人類が銃や火薬等ではなく、その多くがまだ剣だの弓だの馬だのに頼っている限りは、そうだろう。
兵士が減っても輸送手段に頼って増援だのは無いし、一度の戦闘で多く死んだとしても通信手段が無いから敵味方の行動に大きなラグが生じる。
そういう意味では、通信インフラも軍事的なインフラも、そもそも科学的なインフラも発達していない現状が争いを鈍化させている。
とは言え、農業だの医療などで人は大勢死んでいるのだろうが……。
「今はこうやって話をしてるし、実体も有るけど。本当は死んでるし、あの世界じゃ生きてちゃダメなんだってさ」
「それを、受け入れるんですか?」
「神様に言われたら仕方ないと思うよ。それに、未練が強かったみたいだし」
「思い残した事があるんですか?」
「──親に、顔向けできるくらいに立派になりたかった、死んだ時もそれが維持できてればなって。それだけだよ」
そう言ってから、自分の胸を撫でた。
そこには、ドッグタグがぶら下がっている。
本当の名前、認識番号等々──俺が自分のちっぽけな自尊心を支えるための思い出。
自衛隊時代の思い出が”窮地でも冷静に振舞う為のもの”なら、カティアと言う存在は”庇護すべき存在”である。
無職になった俺が言うのもおかしな話だが、安定した生活をさせてやりたいのだ。
「なら、頑張らないといけませんね」
「や~、けど本当は楽したいんだけどな。どうして頑張らないといけない方向に話が転がるんだろ」
「ヤクモ様の思う努力って、どういったものなんですか?」
「え? 自分の家を持って、仕事をして……歳をとったら引退して、老いて死ぬ?」
「あはは……」
というか、それは努力じゃなくて理想的な楽な生き方だった。
少なくとも仕事をしていれば良いのだし、それで老後も安泰だと思えるのならそのまま仕事をすれば良い。
それじゃダメなら他の仕事を探すのもいいだろうが──。
そっか、この世界じゃ現代と同じように職を転々とするのは難しいのか。
履歴書とか無いから楽じゃね? って思ったけど、逆を言えば信頼出来ない奴を誰が雇うのだ。
今のうちに実績作っておかないと将来積むんじゃね?
あるいは、傭兵にでもならないとやっていけないわ。
「──止めよう。今の俺は未来を考えるんじゃなくて、今を理解しなきゃいけないんだ。必要なのは個人の戦い方と集団の戦いを知ること、自身を鍛えてこの前のような失態を犯さない事、そして周辺を含めたこの国の事を理解する事」
「やる事が多くて大変そうです。私は──学園を出て、ヤクモ様と添い遂げる事しか考えてませんでした」
「マーガレットは……。もし、もしの話だよ?」
「”いふ”って言う奴ですか?」
「そう、IFの話。俺と結婚したとして……どうしたいの?」
「どうしたい、とは?」
「結婚して、その後。まあ、その、なんだ……。結局、行き着くところは子供が産まれてって話になるだろうけど、それ以外には──」
「へっぷしっ!!!」
真面目になったらこれだ。
マリーが大きなくしゃみをしたので、俺は気分が削がれた気持ちになる。
ベッドに転がすだけじゃダメかと、マリーを抱きかかえてベッドに入れようとする。
その前に靴が邪魔だな、帽子もはずさないとなんて作業をしていると、マジで親の気分。
「ヤクモ様は良い父親になると思います」
「そうかな。けど、こんな尊大な子供は嫌だなあ……」
「子供は、何も分からないのですから尊大なんですよ。出来ない事が何か分からなくて、何をしちゃいけないのかも知らなくて、多くを与えられてきたからこそ何でも思うがままになると思って……。そういうものじゃないでしょうか?」
「──確かに」
マリーをベッドに入れる。
もうね、俺のベッドなんだと言う気力も失せて来た。
勝手に寝転がるし、鼻血塗れにするし、睡眠するしでどうでも良くなる。
これも交友とかになるのだろうか?
少なくともマリーが気を許してくれているという認識の仕方も出来るのだし、そう考えると悪い気はしない。
「やれやれ、マリーもいい年だろうに。男の部屋で無防備に寝るだなんて、危機感が足りないんじゃないか?」
「たぶんそこまで歳は離れてないと思いますよ? 確かに幾らか落ち着きを見せていたりしますけど、それと人としての若さは別だと思います」
「それは勘?」
「勘、と言うよりも確信だと思います」
「──だったら、尚更ダメじゃないか。男と言うのは、時には本人ですら抑え切れない欲望と言うのがあるんだし、そういうのは気をつけないと」
「あの、その……」
俺がもっともらしい事を言っている傍らで、マーガレットが顔を赤らめて消沈する。
なにかマズったかなと思ったが、考えてみりゃマーガレットも女子である。
幾らやんわりと言った所で、そういったことを連想や想起させてしまう。
「その、仕方の無い事ですよね。マリー様が起きたら、伝えておきますね」
「やめて!? なんか、俺が問題発言したみたいな雰囲気!」
「大丈夫です。その──殿方と言うのは、そういう考えをするものですよね。忘れてました……」
顔を赤らめていたマーガレットが両手で頬を押さえていた。
冷たさそうな手で顔を冷やしてるのかも知れないが、雪のような肌の白さと相まって頬の朱が良く映えるなと思った。
「そ、そうですよね。英雄色を好むと言う言葉もありますし、私は理解が有りますから──」
「色を好むんじゃなくて、俺の場合は優柔不断で普段は異性とか考えないようにしてるの!」
「もも、もしかして男性の方が好みですか!?」
「止めて下さいお願いします」
一瞬で底冷えしてしまった。
俺が冷めたのに対して、マーガレットはなにやら今度は別の意味で赤くなっているような気もするが……。
何で女に興味が無いように取られると男に興味が有ると思われるのだろうか?
それがもしかして一般的? いやいや、う~ん……。
「けど、あの、その……ふふ、本当に奥手なんですね」
「顔を赤らめて言われるとなんだか怖いけど、その通りだよ。欲に関しては否定しないよ? はっきり言っておくけど。だけどさ、相手も生きた人間な訳で、そこに到達するとなると未知の領域なんだよ」
「戦いとは、どう違うんです?」
「お互い、敵意と殺意と害意と悪意しかないから安心できる。けど好意は色々なものが絡むから……怖くなる」
「たとえば、どういう事がですか?」
「好いても、愛していても、相手がそうだと言う可能性は無い。それに、好意や愛情にも段階があって、こちらが相手を想っている高さまで相手が来てくれなかったらと考えるのは辛いし、そもそもその過程で嫌われていく事も考えたら踏み出せない」
自分も相手も敵対したマイナス感情の関係なら安心できる。
けれども、相手をプラスの感情へと持っていかなきゃいけない。
愛されたいのなら、好かれたいのならその為に相手に関わらなきゃいけない。
だが、行動の結果によってはプラスの感情が動かない所か減る事もある。
例えるなら、溺死寸前の状態と同じだ。
水面が見える、息をしないと死んでしまう。
けれども、もがいたり泳いだりしても水面に届かないようなものだ。
そういう時は精神が磨耗していく、そして時には心が死にそうになる。
──何回片思いからの既にスリーアウトしていた経験をしてきたと思ってる?
片手じゃ足りなくなったら、もう諦観の境地に辿りつきもするわ。
「だから、はっきり言うと。マーガレット、確かに君は魅力的だと思う。結婚して、肌を重ね合わせて、子を成して──その子を育てながら巣立つのを見送って、年老いても健やかで穏やかに居られるのなら……それはきっと素晴らしい事だと思う」
「──けど、そう思ってない、と」
「俺は、その……。勝手に他人を好いた事は何度か有るし、大事にしたいと思ってきた事もある。けれども、マーガレットの想いと、俺の感情が一致してるか分からないんだ」
対人の欠陥はそれだった。
他人に愛されたいのなら、まず自分から愛せとは言われる。
それは俺の「認められたい」という願望にある種適していたと思う。
全ては与えられないが、可能な事は幾らでもしてきた。
しかし──転校の多さや、思春期時代に劣等感に沈んでいた事がたぶん災いしたのだと思う。
華が欲しければまず種を植え、水を適度にやり、面倒を見ながら声をかけてやればいい。
そうやって来たにも拘らず、華が芽を出す前に俺は国を移動してしまうのだから続かない。
今回は、世界丸ごと移動して来たので、色々と違うのだろうが。
「マーガレット。だから、俺は怖いし嫌なんだよ。俺はマーガレットの想いに応えられないかも知れないし、俺の募らせた想いとマーガレットの気持ちが釣り合わない事だってあるんだから」
「まあ、たしかに──その怖さは有ると思います。事実、私だって……怖かったですよ? ヤクモ様が、こうやってお話すら出来ずに袖にすると言う事もありえたのですから」
だから、興奮じゃなくて緊張なんですと、彼女は僅かに震える手を見せてくれた。
それを見てから俺も同じように手を見るけれども、それはたぶん彼女のような立派なものじゃない。
臆病とアルコールの影響だと思う手は、ほんの僅かに、微弱に震えていた。
直ぐに手を握り締め、一つ息を吐く。
「こういう言い方しか出来なくて悪いけど。有難う、それとゴメン。マーガレットの気持ちを、受け入れるにしろ拒絶するにしろ、それまで待たせると思う。けど、そんな俺でも──本当に良いと思うのなら、これからも見ていてくれるかな?」
「大丈夫です。これからも、ヤクモ様を想いながら眺めてますから」
「いや、そんな遠のかなくても良いんですけどね? 学園でも、普通に声をかけてくれていいから」
俺がそういうと、マーガレットは数秒経過してから「はい?」と首を傾げた。
なんだろう、本気で遠くから眺めてるだけのつもりだったのだろうか?
いやいやと俺は手を振る。
「学園じゃ話かけちゃダメなんて無いだろ。あ、そっか。ミラノか……」
「それも有りますけど、邪魔に……なっちゃいませんか?」
「まあ、時と場所と場合を弁えれば大丈夫じゃないかな。それに……、ミラノもそんなに邪険にはしないと思うけど──」
そこまで言ってから、扉がノックされた。
誰だろうかと対応しながら、また無意識で銃に手を伸ばしていた。
マーガレットが口に手をやって驚いているのを見て、何を驚いているのだろうと目線を居ったら俺の銃に目が行っていた訳だ。
「これは、ほら。念の為? それに、家の中だからって武器を傍から離してると思われるのも嫌だし」
そんな、誰に言ったのかも分からない言い訳をしながらドアへと向かう。
その手には、銃口は向けないにしてもしっかりと銃を握り締めたまま。
普段のように声をかけ、入室しても良いように促すとドアが開かれた。
──そこに居たのは、ミラノだった。
彼女は扉に近づいて、少しばかり手を隠す事で得物を隠している手を見て呆れた。
「ねえ、なんで武器持ってるの?」
「ああ、いや。その、なんだ? 念の為にって奴? ロビンが、他人を操る魔法が有るって事を前に言ってたから、警戒の為にさ──」
「そんな魔法があるのね……。それで……直接は初めましてかしら、マーガレットさん」
「初めてお目にかかります、ミラノ様。いつも遠巻きに見てました。この度、父様とマリー様が無理を言ってすみません。暫く滞在させていただきます」
マーガレットが恭しく礼をする。席を立とうとした彼女を、ミラノは手で制する。
高貴さは義務を強制する……とは違うのだろうけど、マーガレットに座ったままで良いと言ったのだ。
俺は部屋の主ではあるが、ミラノは俺の主人であるので席までとりあえず案内する。
しかし、椅子を引いた所で彼女が着席しないので怪訝に思っていると、「うへへ……」なんて言いながら寝ているマリーを見て唇をひくつかせていた。
「なんでこの女……っ!」
「や、その。体調が悪いって言ってたから、薬を飲んだり身体の大きさを小さくする事で不具合を埋めてみたら眠くなったとか何とか」
「すみません、ミラノ様。マリー様がご迷惑をおかけしてます」
「いえ、そんな。良いのよ。別に”家には”迷惑かけてないし、問題も起してないから。ええ……」
……その言葉を吐き出すのに、どれくらい自分を抑えたのだろう。
『家には』というワードのみが、若干震えて聞こえた。
まあ、マリーがアリアやカティア等と言った他人に厳しく当たっているのは見ていないし、聞いていない。
つまり、完全に個人的に標的にされているだけなので、こんな他家の娘さんの居る所で失態を晒せないのだろう。
癖でホルスターに銃を格納しようとして、抵抗が無い事に気が付いた。
──俺、呆けてるのかな。それとも、地味にマーガレットとのやり取りで追い詰められてた?
ミラノが座るのを見てから、俺もゆっくりと腰掛けた。
銃はその時、背凭れにかけた弾帯にぶら下がったホルスターにしまった。
「仲良くしてるみたいね」
「まあ、悪くは無いと思ってるよ」
「で、あの女が小さくなったのはアンタの要望?」
「──なぁんで俺がそんな要望出すんですかね」
「小さい子が好きとか」
「ほっとけ。俺から見ればアルバート以外全員ちっさいわ……」
「そう言えばそうね。と言うか、アンタ歳幾つ?」
「──二十」
外見的には最下限の十七を名乗っても良かっただろうけど、そうなると「お前、何歳から兵士っぽい事してるのよ」と言う話になってしまう。
それに、あまり若くしてしまうと今度はミラノやアルバートが割り切れなくなる。
年上だから仕方が無いとか、自分より長く生きてるから~と見てもらえれば良いが、若いと「お前、俺とかと歳変わらないだろ!」という騒ぎにもなりかねない。
しかし、二十だと答えた俺をミラノとマーガレットが信じられないと言った様子で見ている。
「悪かったな、大人っぽくなくて」
「あ、いえ。気分を悪くしたなら謝る、ごめん。けど、なんか信じられなくて」
「ええ、なんか……。いえ、しっかりしているとは思ってましたけど、思ったより数年上でした」
「ちなみに、二人とも何歳だと思ってたのさ」
「「十七」」
……たぶん、クラインだろうなあ。
クラインが今十七歳だとか言ってたし、完全に見た目も背格好も同じだからそこから来てるのかも知れない。
「早ければ男性十四、女性十二で婚姻するものだと思ってたから……」
「私も、そう思ってました」
「俺の居た所では男性二十、女性十八からだから異常じゃないのです」
「大分遅いのね」
「それなら、女性経験が無いのもわか──あっ」
マーガレットが口を押さえ、失言したと言わんばかりに驚いている。
俺は居た堪れない気持ちになり、まるで全裸で人前に出されたレベルの羞恥心を味わっている。
これはあれかな、マーガレットと言う婚約者カッコカリを手に入れた事の対価かな?
幸せを味わえば、その分だけ落差がある。俺の人生観だ。
「女性経験どころか、仕事じゃ無くて私事で女性と会話した事すらないわ」
「それ、遠まわしに私とのやり取りが全て仕事上必要だからって言ってない?」
「いや、まあ。お互い、踏み込んだ会話とかしてないし、日常会話をした記憶……ある?」
問いに問いで返す。
ミラノは何か言いかけたが、数秒考え込んだ。
それから「ない、わね」と搾り出すように言った。
「ミラノも俺も、お互い必要な情報しか話をしてない。ミラノはこれから自分に仕える使い魔を知る必要が合って、俺はこれから仕える必要がある相手の事や世界、社会の事を──これからを考える為に聞く必要があった。けど、お互い個人的な情報は聞かなかっただろ?」
「なんか、そう言われるとお互い淡白と言うか、義務以上の事はしてないみたいに聞こえるんだけど」
「みたいじゃなくて、事実。お互いの年齢なんて知らなくても良い事だったし、家族構成だって特に語る必要も無かっただろ? つまり、お互い義務以上の関わりが無かった事は認めなきゃいけない」
「認めなかったらどうなるの?」
「ただ前に進めないだけさ」
ここら辺は、俺が殆ど海外育ちで感性がそちら寄りという事も手伝ってスパスパと言える。
悪意は無い、ただ「こうだよね」と臆面無く言える。それに関しても私事じゃないから可能な事だ。
ミラノの年齢を知らなくとも尽くせるし、そこに俺の年齢は関係ない。
「まあ、別にそれでも良いと思うけどね」
「どういうこと?」
「だって、俺はミラノを護る盾として頑張れば良いだけだし。それで今は給料出て、カティアに好きなものを買ってやれるから、良いかなって」
「アンタ、何も聞いてないの……?」
「ん?」
ミラノが怪訝そうに俺を見る。
俺は何故ミラノがそんな顔をするのか理解できなかった。
少なくとも、不愉快そうにするか、最悪怒るかなと発言をした後で思ったが、そのどれでもなかった。
彼女は信じられないと言った様子で俺を見ていた。
「父さまが、アンタがこの家の一員になるって。子になるって聞いたんだけど」
「ああ、養子になるって話だろ?」
「え?」
「ん?」
何言ってるんだろう?
俺は──と言うか、お互いに言葉を失う。
それからミラノは「ちょっと失礼」と言ってから、部屋を出るとダッシュをする音だけが響いた。
屋敷の中で走るとは、何が起きたのだろうかと考え込んでしまう。
「あの、ヤクモ様。さっきの話──」
「本当だよ。公爵から持ちかけられたんだ、うちの子にならないかって。流石に俺には後ろ盾が何も無いし、それも良いかなって思って受けたんだ」
少なくとも、公爵家の後ろ盾はでかい。
権威失墜やそれ以上の相手が居なければ少なくとも有る程度は自由さが増える。
ヴィスコンティであれ、他国であれ。無闇に地位の高い相手に喧嘩は売らないだろう。
そう説明するが、マーガレットは苦笑していた。
「あはは……」
その笑いの意味が理解できずに居たが、遠くで騒がしいのが聞こえたなと思ったけど、直ぐに足音で消えた。
そして戻ってきたミラノには、何故か返り血が……。
「おっ、おま──」
「あれが血ですか?」
「そんな呑気な反応してる場合じゃないから!? というか、誰の血!?」
暫くミラノは肩で息をしていたが、ズカズカと席に戻って座ると、若干温くなったお茶を飲みだす。
自分で注いでいるあたり余裕が無いのかも知れない、そもそも顔も赤い。
「──これは父さまの血だから大丈夫」
「なにしてんの!?」
「何って、ちょっと叩いてきた。それと、デルブルグ家は鼻血が出やすいだけだから」
「親父殴って鼻血出させるって……」
「ちゃんと仕事をしてないんだから、当然の処置。それにアンタがさっき言ったじゃない、認めなきゃ前に進めないって」
「それを他人に強いるのは暴力だからやめようね!?」
「──冷たいお茶が飲みたい」
「あぁ、えっと。ちょっと待っててくれ」
もう突っ込むのも疲れた。
マリーは幼女化してベッドで「うえへへ……」とか言いながら寝てるし、ミラノは返り血浴びてるし、マーガレットは状況に思考が追いついてなくてフリーズしてるし。
俺は冷やす為には風と水属性かな~なんて考えながらお茶の準備を始める。
「あの、さっきの話……」
「──父さまにも困ったものね」
「え?」
「必要な事が、まるで伝えられてなかったの」
「それじゃあ、やっぱり……」
「たぶん、貴方の考えてる通りよ」
なんか不穏と言うか、不安だな。怖くなってきた……。
俺の認識と何が違うんだろう。
もしかして、本気で俺は影武者にされる可能性もあるのだろうか?
俺が能天気に「えっへへ~、公爵家の養子~、将来安泰~」とか考えてるから、その齟齬にミラノが気づいたのかもしれない。
「あのさ、ミラノ」
「な、なに?」
「もしかして、俺……殺される?」
「なんで!?」
「俺、何か勘違いしてたのかな? クラインの影武者になれって意味? え、やだ、俺が俺じゃなくなるのはもう嫌なんですけど……」
調整し損ねて、お茶が一瞬で凍ってしまった。
やべえと思ったが、一部が氷として浮いているだけみたいなので、冷茶と言う事にして出してしまおう。
ミラノは茶葉が凍り付いて綺麗に見えるそれを拒否する事無く受け取り、口にした。
「……なんか、魔法の制御上手くなってるし」
「俺の居た場所の知識を魔法に適応して使ってるから、その影響かなと」
「それ、私にも真似できない?」
「ん~、どうだろ。理論とか理屈を脳で理解してるのと、そうじゃないのとじゃ違うんじゃないかねえ。カティアは真似できるけど、それをミラノが出来るかどうかは分からないし。そもそもマリーですらジタバタしてたくらい違うらしいぞ」
「え、ジタバタしてたの?」
「マリーは……色々対価とか代償を支払って、魔法を手短に行使してるけど、俺はその対価や代償無しでやってるから、悔しいって前に喚いてた」
「……アンタの頭の中、一度見てみたいわね。取り出せないかしら」
「取り出したら死ぬんですけどね!? 脳が身体を維持してるって知ってます?」
「え? 魂が身体を動かしてるんでしょ?」
俺はもう泣きたくなった。
なんだこの非科学的な世界? 魂がどうやって身体の主要部位を動かすんだよぉ!?
まあ、仕方ないね。宗教が根強い世界だしね……。
なんか、もう……変化についてけ無いんですけど。
「お酒飲んでさっさと寝たいなあ……」
俺のぼやきは、誰にも聞かれる事なく霧散して散った。
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