第22話

 訓練や鍛錬というものは、一日という石を積み重ねるようなものだ。

 机上の空論、知識として知っている、見た事が有る――。それらも一つの会得という手段には違いないだろう。けれども、それが手足動かしその身で戦いをこなす兵士や戦士にとっては知ってるという事や真似が出来るというだけではあまりにも心許無いだろう。

 射撃が出来るというのは、引き金を引けるという事だ。狙いが精確だというのは、武器の性能を理解し、適切な射程範囲で命中させる事が出来るという事だ。射撃が得意だと言うのは、武器の性能や癖を理解し、咄嗟な行動や現出等に対応し、それこそコンマ秒レベルでの反応や照準と射撃で”やられる前にやる”という事が出来るという事でしかない。

 さあ、それが出来るようになるまでにどれくらいの反復演練を積み重ね、実際にそれらを駆使した実戦や想定訓練をし、それらを経験・体験した上での反省点や改善点を踏まえた上で更に訓練しなければならないか分かる人はいるだろうか?

 それは決して短い時間ではないだろう、射撃や格闘が得意と言われた自分でも――それ以上の人は必ず居た。遠距離だろうと満点を取る二曹、誰よりも早く全ての弾丸を的に当てる一曹、市街地訓練でどのような行動の最中だろうが、的の出現位置だろうと的確に短時間で的をぶち抜く曹長――。自分よりも長く所属し、多くの経験をし、どのような事が起きるかを想像でき、それに沿った行動を適切に取れるようになるにはそれこそ二桁の年数がかかるだろう。

 富士での演習中に味方を撃つ事数回、何も言わずに出たが為に撃たれた事も数回。敵の捜索を怠ったが為に戦死判定をされた事も有るし、報告しなかったが為に分隊長が戦死してしまったことも有る。

 何をしなきゃいけないのか、その為には何をしたら良いのか。そう言った物事なども全て自分の身につけなければいけない。やらなきゃいけないことは膨大で、その為には機会が多いとはあまりいえない。だから新兵の育成だけでも半年はかかるが、一人前には更に数年以上かけ無ければいけないし、更にプロフェッショナルには長い年月をかけなければならない。目指すところがどこであれ、終着点は無いというのも特徴である。


「それじゃあ、次は好きなタイミングで投げてくれ」

「本当に好きなタイミングで良いのかしら?」

「フェイントあり、メチャクチャ時間をかけても良いし、会話の最中に放り出すのもありだ」


 俺はカティアが人の頭程度の光を作り出し、それを中空に投げてもらっては撃ち抜くという練習をしていた。先ほどまでは百m間隔での射撃訓練をしていたし、市街地訓練のように的を移動させたりもしてみた。

 かつての自分だったならもうちょっと早かったかも知れないと思うのだが、それは自分の過去を美化しすぎなのだろうかと思わないでもない。強化された肉体は動体視力や反応速度も強化されているので、的が出てくるのと姿勢制御や安全装置の解除と狙いつけに関して素早いとは思ってる。

 それでも、それでもだ。過去の自分よりも優れていたとしても、それは与えられた恩恵に過ぎないし、それこそかつての上官であった方々に比べると児戯に思えて歯がゆさと惨めさがこみ上げてくる。

 だからカティアに付き合ってもらって、何発も何発も弾を吐き散らかす。しだいに球体がかつての自分に見えてくる、そうすると次第に命中速度と反応速度が上がっていった。新兵時代から俺は自分に嫌気が指していて、MINIMIだろうと、六四や八九だろうが、的が自分だと思えば成績は良くなった。

 カティアが前触れ無しに球体を宙へと放った、それを見て先読みして引き金を引く。一、二、三、四、五、六――。極度の集中下で、体感速度が遅くなったかのように感じた。球体の動きも、自分の動きも、世界そのものが遅くなったかのように感じる。そんな中で、俺は引き金を引くたびにその反動と的の移動先を見据えて先読みをし直して引き金を引くという事を繰り返しただけに過ぎない。

 だが、球体が上昇速度を喪失して落下し出す前に六発の弾を叩き出せたのは良いと思う。そしてその弾がことごとく球体に命中している事も確認できた。何度か繰り返しやってみたが、どうやら強化された肉体のおかげで命中精度がかなり高まっているようだった。視力も良いので八九小銃で狙える限界に近い六百mでも効力射を出せたし、弾のまとまりも良く短時間での照準と射撃が出来たので良かった。

 球体を手繰り寄せ、空いた穴の数をひ~ふ~み~と数えたカティアが「六発」と言って、それに若干肯定するかのように頷いてから銃口を地面に向けて安全装置をかけ、弾倉を外し、薬室を確認するかのように解放してから誤射などの危険性をすべて排除して一息ついた。


「知識では知ってたけど、実際に見ると凄いのね。弓って言うものと比べると射程距離も、発射速度も凄いみたいじゃない?」

「速度は武器になるし、射程も正確に知る事で武器になる。知っている事は武器になるけど、それを的確に使いこなせば更に効果的に戦える」

「そうやって教わったって事?」

「そうだ。俺の居た場所では、近隣の国は軍事的な脅威を増す一方で、自分の事を棚上げしたそいつらや、国内の日本人なのか或いは戦争アレルギー持ちや、平和を語る”夢想家”が多すぎて軍事力の――防衛力の増強を殆ど行えてなかった。

 だからいつしか連携や訓練で、少ない手勢で多くの打撃を与える事ばかりが特化していった。数を揃える事も許されず、武器を進歩させる事も難しい中で出来る事は質の良い人材の育成だから……」


 今でも「日本人はすげぇ」と言われる。それは気質なのか、それとも敗戦前から続く軍隊の性質なのか、そもそもの人種や国家的な特性なのか。自衛隊は兎に角細かい、行ってしまえば職人のようなあり方を求められる。けれども米軍のような潤沢な資金もなければ「まあ、これでいっか」というアバウトさも許されなかった。

 共同訓練などではその正負の両面を見ることが出来るが、個人レベルでの規律やら責任やらと下っ端の内から叩き込まれている自衛隊の方がやはり様々な行動には優れ居ている。射撃を終えて個人で射撃した弾数を数え、撃てた数と撃てなかった数を把握し、使用した銃に不具合がないか点検し、安全装置や弾倉を外して薬室を空けて危険のない状態にして報告するだけで良い。

 しかし米軍ではそうではない。毎度毎度、射撃場を出る射手のように一人ずつ点検を受けている。責任のあり方が違うともいえるし、逆を言えばそこまで教育が徹底されてないので上に責任が行っているとも言える。

 聞いた話では「機体性能で劣って居る日本だが、パイロットがクレイジー」と言われているとも聞くし、海は海で合同演習の中、潜水艦が米軍の数でカバーしている分厚い監視の目をすり抜けて空母を撃沈判定を出しまくったとも聞いた。

 つまり、有る意味阿呆なのだ。下っ端の内から責任を付加され、精確な報告を自主的に出来るようにし、そこに疑いを挟まずに居られる事がどれだけ把握や行動を速めることか。上官が全責任を持って「お前は? よし。次、よし」と点検して回るには時間がかかりすぎる。とは言え、自衛隊は失敗すれば反省やら叱責やらをされるが、米軍などはそもそもクビにしてしまえるので考え方の違いもあるのだろう。


「まあ、俺のことは良いや。それが通用するかどうかなんて実際にこの世界での戦いに身を投じなきゃ分からないし。色々想定や見知った事の中から考えるくらいに留めて、出来る事をやっていった方が効率が良い」

「それはそうね」

「――射撃はこの程度でいいか。拳銃も突撃銃も大丈夫だし、さすがに学園内で狙撃銃の試し撃ちなんか出来ない」

「狙撃銃は撃った事ないの?」

「レンジャーじゃないから……」


 レンジャーというのは、それこそ自衛隊員の中での選りすぐりとも言われるくらい凄い人々で有る。教育期間中は否定を許されず、教官に言われた行動予定すら途中で変えられ、即座に言われた事に対応する事を求められ、食わず飲まずで命令を遂行し、何日も寝てない中で失敗する事無く作戦を実行し、補給無し、味方も居ない状態で敵地に乗り込んで行くような、鋼の精神と鍛えられた肉体、膨大な知識と柔らかい頭で様々な事を行うような連中だ。

 レンジャー隊員は志願したとしても素養、素質がなければその時点で落とされる。そしてレンジャー教育に行ったとしても脱落者は決して少なくない、そして中には命を落としてしまうような人も居るわけで――。狙撃を任されるのはレンジャー上がりの人で、擬態をしたまま移動し続け、最大効果最小手数の射撃をし続けるのだろう。

 レンジャーには向かない自信が有る、そもそも激しい運動をした後で何秒以内で心拍数を規定数以下に出来なければ弾かれるって言うのはどうしようもない。

 俺の発言の意味が分からず「レンジャー?」と首を傾げたカティアに、なんでもないよと言って頭をなでる。彼女は頭を撫でられるのが好きなようだ、けれども頭を撫でたまま目を離すとその手を顎に持っていこうとしている。頭よりも顎を触られるのを好むのだろうが、俺がドキドキしてしまうので顎は触らない。


「――しっかし、ミラノもなんか厳しい時は厳しいのに、何で”訓練してくる”って言うと放置するんだろうな。

 それこそ離れるなって怒られそうなものなのに」

「前に死に掛けたから――、というか、死んだから今度は負けないように訓練させてるとか」

「なるほど、自分の傍に置いて何かさせるよりも訓練させておいた方が戦力的に良いって事か。

 とは言え、こうやって訓練してるだけで強くはなってるんだよな」

「みたいね」


 自分のパラメーターウィンドウを展開し、詳細を出す事で今日という日までにどれくらい成長しているかを確認できる。そして確認してみたところ、筋力や耐久力の上昇が大分良かった。銃を持っている時の疲労具合が軽減されたり、それこそあまり重みを感じなくなっていたのは成長していたからだ。しかもカティアに蹴り倒されていたおかげなのか耐久力も上がっており、復帰までの時間やダメージによる意識朦朧とか衝撃による認識のズレなども低減されていた。

 つまり、全体的に自分のステータスが強化されていた。そして思い違いとして、知性のパラメーターは別に勉学のみで伸びるわけでは無さそうだ。言ってしまえば魔法を行使しまくる事で効果的な魔法の利用を習熟する事による消費魔力の低下とか、威力の強化とかであって、知性を鍛える事で万物を理解した超越者になるわけでは無さそうだ。理解度とか、そう言った意味なのかもしれない。


「そういや、他人のパラメーターって詳細は見れないんだよなぁ……。

 名前とか、身長や体重程度なら見れるんだけど」

「それは貴方個人にしか扱えない魔法だからじゃないかしら」

「あぁ、そっか。喪われた魔法とかも有るって言ってたし、これがそうなのかな――」


 カティアに向けてステータスの魔法を発動するも、名前とその命名者で有る自分の名前、そして自分の世界基準での身長と体重が記載されていた。当然他人には見えないので、空中に何か有るように忙しなく手を動かしているようにしか見えない。その事はカティアに指摘されているので、基本的に画面操作的な事は他人の前ではあからさまにやらないようにしている。


「――カティアにこの魔法を教えて、使えるようにしたら出来るのかな」

「まあ、物は試しとは言うけど。大丈夫? 私が使って変にならない?」

「魔法って失敗したら効果が発揮しないだけで済む……筈だから」


 そう言うとカティアは若干しぶしぶでは有るが仕方無しと頷いてくれた。なのでカティアに『ステータス』という詠唱を教え込み、詠唱してもらう。当然、俺には見えないので彼女の視界にウィンドウが表示されているかどうかなんて彼女にしか分からない。


「どう、かな?」

「えっと、なんか変なのが見えてるけど。これが貴方の教えてくれたものかしら?」

「なんて書かれてる?」

「ステータスとか、状態とか――なんか細かいかしらね。

 けど、ふ~ん……。貴方のしていた操作を参考にするなら、こううやって手を動かせば――。

 ええ、たぶん貴方の言っているようなものが私にも見れるわね。

 STRとかENDとか……意味は分からないけど」


 あ、この子英語読めないのか。筋力とか身体能力等とは書かれていないので理解が出来ないのだろう。しかたない、彼女に見えているものを自分が見たものと同じものだと仮定し、彼女の歩みにあわせて進めるほか無い。


「一番数字が高いのは?」

「AGIって書かれてるわ、その次がINTかしら」

「素早さと、知性かな? けど、なるほど……」


 知性と速さが高いと言うことは、魔法と一撃離脱などの変則的な、或いは奇襲陽動などによる正面きっての戦いではない分野に向いてるかもしれない。自分の能力地画面から戻ると、コネクトという項目が新たに現れているのに気がついた。意味は繋がりとかそう言うものなのだろうが、このシステムがオンラインゲームなどに近いことを考慮するなら――


「カティア、一個戻って『コネクト』って言うのを探して見てくれないか?」

「コネクト? コネ……頭文字はなにかしら」

「Cの字」

「じゃあこれよね。あ、貴方の名前が出てる」

「俺のほうにはカティアの名前が出てるな」


 さて、何が起きるだろうか。タップして選択してみると『この人物と繋がりますか?』というのが出てきた、それに対して肯定するとカティアが「きゃっ」と小さな悲鳴を上げた。――なんだろうと考え、もしかしたら着信などのシステム音声が彼女には聞こえたのかもしれない。頭の中で響くようなその音になれないのだろう、俺も一々能力低下系のマイナス効果が生じるたんびにシステム音が響くのは喧しいので音声を切った。彼女にもそれを教えておこう。


「この『八雲が貴方との繋がりを求めています』って書かれている文面と、YESとNOの二つで良いのかしら」

「YESを選択してくれ。そしたらたぶん良いはずだから」

「ええ、やってみる」


 そしてカティアが選択しただろう瞬間に、視界隅に新たに表示が現れた。カティアの名前と体力、それと魔力の現在の状態が描かれている。完全にオンラインゲームだ、けれどもこれでカティアを戦いに参加させて『体力は大丈夫か、魔力に余裕が有るか』を視覚だけで瞬時に把握できる。

 さらには彼女のステータスを詳細に把握できるようになった。能力値やマイナスの負荷効果などが生じればちゃんと把握できるというものだ。しかし、開いた瞬間に出てきた『責任感からの緊張』とか『好意からの高揚』ってのはなんだ? 『責任感からの緊張』は全てのパラメーターに若干のマイナス補正を与えているが、その分能力値などの成長を高めているようだ。『好意からの高揚』は全てのパラメーターにプラス補正を与えているようで、総計でプラスしか発生していない事になる。

 まあ、踏み込まないでおこうと詳細を消すと、カティアのほうはまだ何かしら見ているようで――。何を見ているのか、彼女のウィンドウが見えるようになっていた。

 彼女は俺のパラメーターを見て、ついでに俺に発生している効果を見て「ふんふん」等と言っている。どこに面白みが有るのか分からないが、彼女にも慣れ親しんでもらう為にも顔を上げるまで待った。


「これで、互いの状況を確認できるって事かしら?」

「離れても効果が有るのかどうか、って言うのも確認しないといけないけど」

「じゃあ、ちょっと反対側まで行ってくる!」

「え、ちょ――」


 言い訳させてもらうと。俺は自分が楽をするためなら他人に苦労してもらうのを好むという性質は無い。カティアに「じゃあ待ってて、反対側まで行ってくるから」と行って、離れても効果があるのかを確認したかったのに、それよりも先に彼女は何をすべきか理解して走り出してしまったからだ。

 何が悲しくて俺よりも年下にしか見えない女の子を全力疾走で、今居る場所の対面くらいに存在する壁まで行かせなければならないのだろうか? 体裁的な問題ではなく、個人的に嫌な気にさせられた。

 しかし、そんな事でグチグチ言うのも器が小さいので、俺は一番近い壁面まで歩いて寄る。そしてカティアが豆粒くらいのサイズで立ち止まるのを待ってから、彼女の名前がまだ視界隅で体力や魔力を表示されているのを確認した。

 遠くて彼女がどういう表情をしているのかまでは分からないけれども、両手を振っているのが見えた。だから俺も片手を振って見せると、彼女はまた同じような速度で走ってこちらまで戻ってくる。急がなくても良いのにと思っていると、途中で転んでいた。なんだろう、『責任感からの緊張』というやつは緊張感からの失敗の可能性を高めるのだろうか? それはそれで嫌な効果だなと思うと目の前に彼女が居る。


「大丈夫っ、見れたわ!」

「こっちも確認できたよ。えっと、他の項目は……っと」


 今までは使用しなかった、或いは新たに出てきた項目を見る。ウィスパーとか、メールとか、フレンドとか、実際のゲームだったとしても使った事なんて殆ど無いか皆無な機能ばかりだった。そう言った機能をひとつずつカティアと一緒に使用しながら理解していく。

 ウィスパーというのは念話のようなもので、コネクトしていなくとも『フレンド』という項目の中に存在する人物であれば使えるのだろうと憶測する。メールはそのままで、文章か音声メッセージを相手に送れるというもので、これもフレンドに入っていれば可能なのだろう。フレンドはそのまま『友好である事を互いに認めた相手』みたいなものだろう。そもそも『コネクト』という相手と自分の能力だのを見せ合える間柄は自動的に相互登録されるみたいで、カティアは既に登録されていた。

 実際に使いながら、カティアに説明をしながら理解を深めたところで幾らかの手札や切り札が増えた気がする。それこそ別行動をしていても無線のように連絡や情報のやり取りが出来るというだけで点数は高い、そして互いの状況を把握できるのでメンバーチェンジにも役立つ事だろう。


『これ、良いわね』

「良いけど、普通に声帯を通した音声で会話してくれ」

『あら、良いじゃない』


 カティアは一切口を動かさずに、弄ぶような表情で可愛らしく首を少しばかり傾けた。表情と動作で「どうしようかしら?」とか「やめて欲しかったらなんて言ったら良いか、分かってるわよね?」みたいにも読み取れるあたり想像力が豊かとも人間観察が出来てるとも言えるし、カティアのキャラ性があまりにも”らしい”というところからも来てるのだろう。


「――口で直に会話した方が可愛いくて良いのに」

「えっ!?」

「口を動かせば表情も動く、表情だけ貼り付けて喋らないカティアよりも喋ってくれるカティアの方が俺は好きだけどね」


 素直な思いだった。もし俺が、目の前に居て会話が出来る程度に仲が良いのにも関わらず、漫画やイラストのように「不変だからこそ良い」という想いをリアルに持ち込めていたなら、たぶん精巧な人形のような彼女が念話で話しかけてくる事のほうが好んだだろう。

 しかし、俺が見たいのは人形のような彼女ではなく、言葉を発し表情を変えてくれる彼女の方が好きだった。普段は小悪魔のように澄まし、それでも役に立てる時は興奮して耳や尻尾を出してしまいながらも興奮し、急ぐがあまり転んでキョトキョトとしている彼女の表情も好きだった。

 生きている人で有るのなら、生きている所が一番美しいはずなのだ。だから、単純な、それだけの事なのだが――カティアは耳と尻尾を出して硬直していた。その頬も幾らか赤い気がする。


「……カティアは俺がずっとボケーッとした表情で、何かあったら口と表情を動かさずに声だけ届けるのってどうよ」

「え!? えっと、うん……。それも、なんかクールで良いんじゃないかしら」

「あ、マジで? あ~、うん。まあ、人の趣向はそれぞれだからなぁ……」


 俺の意図した方向とは違った形で着陸した。しかし互いに意見がぶつかり合う事も無く、ならば別に荒立てなくても良いかなと思った。しかし、この前買い物に連れていってもらった時に似合うとされる服装を見繕ってもらったのが大きく、容姿と服装が似合う事似合う事。

 まるで令嬢とか、姫様みたいだ。もしかしたらもともとは良い所で飼われていたけれども、何らかの理由で捨てられたか――或いは、手違いで飼い主とはぐれてしまったのかもしれない。そして野性味が無いが故に俺が発見した時には殆ど衰弱していて、死んでしまったとか――そう言う事も考えられるだろう。

 外見に関してはどういう理由で幼げになったのかは分からない。けれども、彼女が時折見せる年相応の表情や感情がきっと素なのだろう。だから、そう言った面を見たいなと思った。


「そういえば、借りてきた剣の練習はしないの?」

「あぁ、そう言えば……やってないなぁ」

「使うために借りたんじゃないの?」

「結局一度も使ってないんだよなぁ」


 モンスターの襲撃の時、俺が借りてきた剣は帯びて持ち出したものの、一度も使わずに騒動は終了。しかも良い位置に帯びれずにバランスが悪いと言う事で今では寝床の傍らで立て掛けたままだ。ミラノは特に文句を言わないし、俺もそれに甘んじて銃の訓練ばかりしている訳だが。


「少しは練習して、”騎士”らしくしておいた方が良いかねぇ」

「貴方のしたいようにすれば良いと思うわ」

「そう言うときは是非建設的な意見を聞きたいものだね」

「あら、私の命は貴方と共に有るのよ? 貴方がもし全てから隔絶した場所で過ごしたいというのならついて行くし、戦いを望むのなら共に戦ってあげる。傭兵がやりたいのなら傭兵を、兵士をしたいのなら兵士をしてあげるわ」

「――カティア、お前」


 それは、幾らなんでも丸投げ過ぎないだろうか? 自分の命運が俺と共に有るというのなら、”自分の為にも”もうちょっと色々考えて欲しい。盲目の輩は、今を生きるに必死で未来を生きようとはしていないのだから。

 しかし、俺が何か言いかけたその口をカティアの小さな人差し指が止めた。静かにという意味なのか、続きが有るのかは分からないが――俺はその通りにした。


「だって、貴方は私よりも色々な経験をしてきていて、その中で様々な情報から何をしたら良いかを理解しているじゃない。私なんてまだ知恵と知識も浅いのよ? なら、貴方に従うほうが今はまだマシ」

「なら、学んでくれる事を願うよ。なら俺の考えとしては”剣の練習はした方が良い”だな」

「その根拠は?」

「騎士階級を得た事で、見栄を発揮しなきゃいけない時が来るかもしれない。手合わせを言い渡された時に応じられるようにしなきゃいけないし、それが結果としてミラノの――俺やカティアを貶しかねない。

 第二に、俺の外見がミラノ達の兄に似ているからこそ、二人とも、或いはどちらかは剣が使えてくれる事を望むと思う。ミラノは刃物を怖がるとは聞いてるけれども、”使わない”のと”使えない”のは別だ。

 第三に、帯びた刀はそれだけで示威行為に繋がる。今までは軽んじられてきた俺も、騎士という階級を後ろ盾に、帯びた剣に意味がつくようになった。銃は理解が浅いから知る者は恐れたとしても、知らない者には分からない存在でしかない。けれども剣は、それそのものが武の象徴になる。

 そもそも一番下とは言え貴族階級に属してるから、剣の修練ぐらいしてるだろうと言う思い込みも有るだろうし、修練積んでるだろうという事は有る程度の実力は有るんじゃないかって思う奴も居るだろうなって。そこに、この前の騒動で取り上げられた事を付加すると――」

「英雄で、神の祝福で蘇った……ね。確かに、おいそれと手出しできないでしょうね」


 カティアが理解してくれたようだ。ただ生き延びただけであれば、たぶんそこまで意味合いは強くならなかっただろう。けれどもアルバートやミラノといった公爵家の子息を数名救った事、その後国王のお気に入りであるミナセを救うために自己犠牲を発揮したという事、死に瀕したはずなのに神の祝福にて蘇ったという噂。

 その噂は枷になりそうだが、暫くは俺に対する加護にもなるだろう。身分は関係無しに恐れられ、敬遠されるか媚び諂われるかだ。幸い、今の所媚び諂ってくる輩は居ないが、侮蔑や嘲笑の目ではなく、警戒や恐れを感じ取るようになったのだが。そうだとしても、魔物の海の中から公爵家の子息・子女を数名救ったなどという実績を含めて”強いだろう”と思わせられるのは良い。


「そういや、ミラノが俺とカティアだけで出ても良いって言ったのは本当にあってる?」


 訓練もそろそろ良いかなと話題を変えた。カティアに買出しの許可を求めてくるようにお願いしたところ、ミラノはどうやら今日でも構わないという風に言ったそうだ。なら早い内に出たほうが良い、何かがあって予定が狂うなんてありえない話ではないので、後回しにするよりはさっさと行動した方が良い。


「ええ、間違いないわ。自分達の荷物を纏めるのに忙しいし、触って欲しくないものも有るかららしいけど」

「その代わり荷物持ちをさせられそうだ……。今の内にモノを浮遊させる魔法でも覚えようかな? それか、いっそストレージにぶち込むか。あぁ、けどそうしたら説明が面倒か……」

「頼りにしてるわ」


 あれ、おっかしいな。こういう時こそ「私も手伝ってあげる」とか、そう言う台詞が聞けると思ったのだが……。どうやらカティア、面倒ごとは基本丸投げして、手伝えそうな事や興味有ることは手伝いたがるとかそう言うのだろうか?


「手伝ってくれないんですかねえ?」

「力仕事は紳士の仕事ですわ」

「魔法使うのに!?」

「あら、こ~んな小さなレディに荷物を運ばせて自分は空手かしら?」

「あ、はい。うん、なんか――そうなるだろうなって予感はしてたさ、くそう……。

 となると今日の外出で手伝ってくれたりは?」

「貴方が八、私が二でどうかしら」

「……ま、持って貰えないよりはマシだな」


 いざとなればストレージにコッソリ叩き込めば良いだけの話だ。それに、買い物を通して幾らか荷物もちでの筋力トレーニングとか出来そうだし、角を付き合わせるような案件でもない。


「あ、そうそう。色々見てみたいのだけれど、良いかしら?」

「あれ、前にミラノ達と出なかったっけ?」

「それはそれ、これはこれですわ。前は何も分からないまま連れ回されてるだけだったし、最低限の買い物しかしなかったもの。もうちょっと色々な店を見たり、ちょっと軽い食べ物を買ったり、無駄な事がしてみたい」

「無駄な事?」

「ええ」


 無駄な事と言われて、俺のしてきた事は無駄な事だらけじゃないかなと考え込んだ。けれども、きっと俺がこちらの世界に来てからしているとおもわれる無駄な事というのは、ただの非効率的な事柄でしかないのだろう。非効率的なことは、無駄な事ではない。きっと彼女の言う無駄な事というのは、言ってしまえば思い出に残るような”日常”とか――そう言うものなのかもしれない。

 そう言えば、何かをする事ばかりで、”無駄な時間”という奴を過ごした記憶が無い。おかしいな、面倒な事はやりたくないし、楽して生きたいはずなのに勉強と訓練と交友と模索ばかりしている記憶ばかりが蘇る。

 ニートの時は何してたかなと思い返せば、散歩したり、買い物したり、料理に趣向を凝らしてみたり、ゲームしたり、読書をしたり、ネットで動画を見まくっていたはずなのだが――


「あぁ、なるほど。ことごとくやっていた事が潰されて、やりたい事と出来る事が一致しないのか……」


 散歩が出来るほど自分の立場が確立していない、買い物を自由に出来るほど自由じゃない、料理で色々するほど場所も機材も無い、ゲームをするにはまず電子機器が発明されてない、読書をするにはまず字が読めない、ネットもないしパソコンも無いので何も出来ないというクソっぷりだ。

 無ければ仕方が無いという精神が、考えもしないうちに”じゃあ、何をしようか”という方向へと進み、その結果”撃ち放題の銃の訓練”とか”魔法の勉強”とか”全く違う世界での読書”だとか、そう言った方向で着地してしまったのだろう。ゲームや動画などのお手軽さや気楽さは無いが、それでもそれぞれ自分には娯楽性が有るのだろう。

 携帯電話とウォークマンだって殆ど役に立たない。支給品の中に何故か”無限チャージャー”とか、”私の考えた最高の便利アイテム”臭がするものが混じっていた。確かに携帯電話とウォークマンの充電で困る事はないだろうが、これからずっと生きていく事になるのだから盗難や破損、故障や劣化等で結果的に使えなくなることは分かっている。早いか遅いかの問題でしかない。

 音楽が聴けなくなる、これは暇つぶしや時間経過、夜のちょっとした御供だからかなり痛い。携帯電話はキャッシュとして残っている動画が見られるし、そもそも写真やチャット履歴などが有るから一番壊れて欲しくない。


「じゃあ、買い物ついでにぶらりとしよう。それと荷物の回収と、教会と、この前行った武器屋に行こうかなって」

「武器屋はまだ分かるけど、何で教会に? もしかして信仰心でも芽生えたのかしら」

「いや、その――。まあ、俺が世話になった女神に”教会に来てください”って言われたから」

「エスコートは任せるわ」


 はい、もう投げられました。自分の要望や意見を出し、それが受け入れられて俺が行動プランを立てたら直ぐに「後はお任せします」と言わんばかりに引きやがった。まあ、良いんだけどね? ここで「あそこ行きたい」とか「あの店行きたい」とか、街並みに関して全く情報が無いのに独立した情報だけ投げられまくっても困る。

 マップシステムとか無いのだろうかとか考えていると、視界にウィンドウが勝手に表示された。そしてそこには”戦場の霧”で殆どが覆い隠された世界地図と、自分が今居る場所を表示している。携帯のアプリのように、拡大や縮小も出来るのかと弄っていたら可能で、自分が今まで行った所が全て表示される。隅っこに「最後に得た情報で構築されたマップです」等と表示されており、万能ではなく自分の知っていることを思い描く事無く丁寧にも表示してくれているようであった。

 この地図情報は共有できないのだろうかと試行錯誤していたら、カティアと情報の交換が出来る事も発見できた。当然カティアの行っていない場所場所であっても俺が行った場所であれば表示されるし、逆もまた然り。ただし情報が新しい方が優先され、かつては店が有った場所が崩壊していて”瓦礫”とか”廃墟”と追記されていたりもする。

 地図をわざわざ描かなくても良いわけだ、縮図や倍率も拡大や縮小にあわせて数字が変動してくれるし。どこかで地図を手に入れたり目にすることができれば概観は出来上がる。必要なら赴けば良いだけの話だけれども、今の所別にそこまで求めてないのでアバウトで良いと思う。


「で、”バッグ”だったかしら?」

「あるいは、甲冑とかの重量の有る防具を身につけさせても良いかもなあ。

 バッグのほうは売ってるかどうか分からないし、いざとなったら有り合わせでも良いかなって」

「それを背負わされるわけね」

「何言ってるんだ、俺とお前も背負うんだぞ」

「え?」

「いや~、懐かしいな~。四十Kgの背嚢、五十Km超えの師団検閲行進、か~ら~の~突撃。

 七日間の状況想定下での行動、良くて三時間は眠れる中でずっと作戦行動――

 へ、ふへへ……」


 思い出していると、当時の自分の情けなさとか辛さとかを思い出して。涎が口端から垂れて涙がタパーっと流れ出してしまいそうだ。入隊したてほやほやの二等陸士如きには脱落しないようにするのがやっとで、対戦車誘導ミサイルの重い事重い事。行軍中に何人か闇夜に消えて行ったし、人数が減った事でローテーションが早まって負担がドンドン辛くなる。小休止ですら寝落ちする有様だった、あの時ほど「ヤベェ」と思ったことはない。しかも最期は突撃で、防弾チョッキを着たりバンガローという”鉄条網を破壊する装備の一部”を持たされたりと酷かった。装備含めて自重が百Kgをゆうに超えていた事だろう。

 埋めてきた装備の中にもそう言った装備は有ったかも知れない。ボーナスとして『陸上自衛隊装備一式』と書いて、それで丸っと受理してもらえた上に弾までサービスしてもらえたのだから、有るのだろう。さすがに右も左も分からぬ状況で吟味している暇はなかったので、装備の大半は置いてきたのだが。

 しかし、辛さから涙と精神崩壊を起こしている俺を気味悪がったカティアが若干引いていた。というか、実際にズザッと音を立てて距離が開いた。精神的に苦しい。けれどもカティアはきっと思い知るだろう、後日クッソ重い荷物を背負わせて歩かせまくったミナセとかの中で、涙を流し、ゲロを吐き、魂を手放して現実逃避している姿が今の俺に似ていると。


「――じゃあ、俺はちょっと剣を取ってくるけど。カティアはなにか準備するかい?」

「私はいつも準備万端でしてよ?」

「じゃあ、ちょっと行って来るから――」

「出入り口で?」

「出入り口で」

「分かったわ」


 なんか物分りが良すぎて怖い。もしかするとコネクトした事で何かしらの情報を読み取ったか、或いは何かしらの影響を受けたのかもしれない。あまり回り込まれた発言や行動をされるのも怖いなとか考えながら部屋に戻るが、どうやらミラノは不在のようだ。机の上にメモが置かれており、それを解読して読むと『用が有る方は妹の、アリア・・ダーク・フォン・デルブルグの部屋までどうぞ』と書かれている。しかも『もし妹の部屋にも不在だった場合、夕食後にまた訪ねてきて下さい』と書かれている、二度も無駄足を踏ませた上に探し回る事が無いようにと配慮しているのかもしれない。

 こういう気配りが出来るのかと若干驚いてしまったが、冷静に考えて今までが俺は使い魔扱いの奴隷のようなものだったからそういった面を見ることが出来なかっただけなのだろう。俺も胸ポケットからメモ帳を取り出して『ヤクモ、は、買出しに、出ています。夕食、前、には、戻ります』と拙く書いて置いた。これでミラノやアリア、アルバート等の人物が俺を訪ねてきても大丈夫だろう。行き先の明示とは良く叩き込まれたものだ、このおかげで無駄が少なく出来るのだから仕込まれてから素晴らしいと思った。

 剣を掴み、忘れ物は無いかなと確認する。しかし忘れ物をするほど持ち物が多いわけでもなく、所有しておきたい品々の大半は『ストレージ』にぶち込んで有るので重量も数も量も関係無しに自由に行動できる。とりあえず金の無心をする必要も無く、貨幣は良いアドバンテージの一つだったかもしれないと、少しだけ思った。


「ねえ、ヤクモ、さん」

「ん? アリアか、どうかしたのかな?」


 部屋を出た所で、廊下の向こうからパタパタと小走りするように来たのはアリアだった。少し顔が赤い――と言うか、小走りしたような感じだ。幾らか髪の毛が汗を含みながら肌に張り付いている、実家に帰る準備でもしていたのだろうか? その影響で汗ばんでいるのかもしれないし、何かしら用があって小走りしていたから汗ばんでいるのかもしれない。

 俺の傍にまでやってきたアリアは膝に手をついて幾らか呼吸を繰り返し、それから大きな呼吸をして場を改めた。


「これから、どこかに行くのですか?」

「ちょっと買い物に行こうかなって。借りた剣の取扱とか、一度死んだ時に会った女神が教会に一度寄るようにと言ってたから見放されないようにね。

 あとは――俺が拾われた、ミラノと会った場所に色々と物を置いてきちゃったから、その回収もかな」

「えっと、時間かかりそうですか?」

「ミラノに許可は取ったよ。それに、夕方までには帰るって書置きもしてある。

 学園が一時的に休みになった事と俺の扱いが改善された事でちょっと自由になったかな」

「あはは、姉さんに聞かれたら怒られますよ」

「ん~、どうかな? なんか最近のミラノはやらなきゃいけない事に対しては厳しいけど、その一環でやる事に対しては大分自由と裁量与えてくれてる気がする」


 前だったら自由度はかなり低く、特定の状況を除いてミラノと一緒に居るのが基本だった。そしてしっかりするように、主人の恥にならないようにとメチャクチャ言われまくり、少しなら大丈夫だったが基本的に叱責されまくった。しかし、今は口頭で言われるだけであり、負荷は少ない。

 俺が無意識にハンドサインで『行こう』といった合図を出してしまうが、アリアは「はい」と言って歩き出してくれた。ハンドサインに関しては『進め、止まれ、走れ』の三つだけは前回教えたので理解してもらえたのだろう。ミラノ相手だったら「舐めてるの?」と顎下に蹴りでも入れられてそうだ。

 閑散とした廊下、部屋それぞれに防音の魔法が仕込まれているそうで、扉と窓さえ閉まっていると中で何が起きていようとも誰も知ることが出来ない。そう、それこそ”ナニ”が起きていても分からないのだが、そう言った事に及んだ場合即座にメイフェン先生の作成したゴーレムがかっ飛んで来るらしい。監視と情報の連結がされているらしく、前までは教職が察知し次第駆けつけるしかなかったのだが、今ではゴーレムによって『男が』叩きのめされるのだとか。怖い話だ。


「姉さんは、大分変わったんですね」

「変わったと言えば、そうかもな~。けど、その分やら無きゃいけない事、やれる事、自主性に任せた思考とか――色々増えた。

 けど同じように、自由度が増えて、責任が増えた」

「責任、ですか?」

「考え方にもよるけど、ミラノが傍に置きたがったのは何も分からない俺に対して手っ取り早く多くを教え、仕込む為だったと言える。ミラノの責任で、ミラノの裁量で、ミラノのやり方で色々な事を教えられるってことだから。けれども自由になった分、自分で何をするか考えろって事になる。

 ミラノに教わった事を守り、そしてそれらから上を目指せる箇所は目指していき、何をすべきでどういう方向へと進むべきかも全部自分でやらなきゃいけない。使い魔では無くなったけれども、騎士階級になった事で行動に対するミラノやアリアへの見方ってのも前より重くなってると思う。

 俺が強ければミラノやアリアを守れるし、武力がそのまま家名に繋がる。魔法の扱いに長けていれば貴族としての誉れがもらえる。それらを適切・適正に扱えるのなら名が高まるし、無駄な敵を作らずに済む。

 未来の俺が、どんな立場や扱いになるかは分からない。平和なら立ち振る舞いが、そうでないなら武力が、それらの根幹には知識や情報が必要になる。そう考えると、時間が幾らあっても足りないよ。

 捨てられる可能性、そのままミラノに仕える可能性、誰かに召し上げられる可能性、誰かに仕える可能性――。俺が逃げ出す可能性、或いは何らかの可能性で逸れて一時的にでも自力で身を立てなきゃいけない可能性、或いは戦いの中で逃げ落ちなければならなくなった場合の可能性――」

「色々、考えてるんですね」

「まあ、死にたくはないしなあ。死にたくないって事は、生きなきゃいけないって事だし、生きなきゃいけないって事は、死なない方法を考えなきゃいけない。ずっと、ずっと……」


 戦術はその場限り、戦略は終焉まで続いていく。今俺が預かっているのはカティアの命、そして主人であるミラノとその妹で有るアリアの名誉や名声、体裁だ。それらを守りながら、且つ更によりよい状況へと変えていくために頑張らなきゃいけない。たぶん、手放さない限りは荷物は増えていくのだろう。

 ――昔の俺は、ここまで考えていたのだろうか? 余裕が有る今だから”余裕ぶって”色々と思考して、立派な人間を演じている”フリ”をしているのではないだろうか?

 そこまで考えて、馬鹿馬鹿しくなってやめた。結局、色々と考えたりするのも、そのために何をすべきで、どうしたら良いのかを考える癖は自衛隊の時に叩き込まれた可能性が高い。それ以前の自分だったなら、ただの盆暗だ。それこそ、善意と偽善の区別もつかずにただ良い顔をしてその場限りの行動をし、その後でその相手がどうなるかまでは考えた事もないバカなのだから。

 アリアは俺の言葉をどう受け取ったのだろう、無言で俺の事を複雑な表情をしてみていた。なんと言うべきだろうか、それを知ってなんと言うのが良いのだろうか。そんな迷いも、逃げるような「姉さんは――」という言葉で振り切れたようだ。


「姉さんは、そういう事を全て理解してるのでしょうか?」

「どうかな、全部はしてないと思う。けれども、やっている事の多くはミラノ達にとって益のあるものだって理解はしてるんじゃないかな。

 じゃなけりゃ怒られてるか、止めるように言われてるはずだし。ミラノ自身も今は俺を傍においておくことに益を感じてなくて、荷造りで忙しい合間に勉強や交流、訓練をしてもらった方が良いって思ってるんじゃないかな。――たぶんだけどね」


 もしくは、見捨てられているかだ。あまりにも自分の想像した枠組みに当て嵌まらなくて、絶縁という程ではないけれども嫌われているという線だ。それこそ、レムが俺を嫌悪していたように、ミラノも同じように俺を嫌悪して近くにおいて置きたくないのかもしれないが――


「――さて、と。そろそろ行かないとカティアにまた怒られる。それじゃ」

「え? あ、いえ、その。私も、一緒しても良いですか?」


 若干、慌てや戸惑いの色を見せたアリアが恥ずかしがるように指同士を突っつきながら上目遣いでこちらを見てくる。どうやら一緒に外に出たいらしいけれども、何かしら事情が有るらしい。


「良いけど、何か用事でも?」

「いえ、ゲヴォルグ様がどうしているか見に行きたいですし、世話になりましたから」


 ゲヴォルグというのは、ドワーフ族の鍛冶屋だ。かつてはミラノの父親の護衛をしていた時期もあったらしい。旅人をしていた事もあったらしく、筋骨隆々としたその肉体は学園厨房のおやっさんとは別の色を醸し出していて凄い。膨れた筋肉と研ぎ澄まされた筋肉、どちらも目的は違うけれども同じように凄い。たぶん、今の俺でもあの筋力には逆らえないと思っている。


「了解、こちらは特に断る理由はないよ」

「そうですか、良かった……」

「それじゃあ、行こうか。ミラノには断わってあるのかな?」

「あ、はい。大丈夫です。ちょっとした息抜きですから」


 そう言って彼女はいたずらっ子のように舌を出した。彼女にも何かしら理由が有るのだろう。特に追求するつもりも無く、彼女もミラノに無断で出たりはしないだろうと判断した。もし無断だったとしても、それを許さないような予断の許されぬ状況でもなく、裏切りでもない。さすがのミラノもちょっと一緒に外出したくらいで怒ったりはしないだろうと踏み、アリアも連れ出すことにした。

 寮を出て学園を囲う二つの門のうち、南――は瓦解している為、北のほうへと向かった。あの時俺を吹き飛ばし橋を崩したアレは何だったのだろうかと考えないでもないけれども、そう言ったことを検分するには時間という塵が全てを埋めてしまったし、気付けるような感性も鈍ってしまった。

 なので気にしてはいない。むしろ今気にすべきは、まるで麻生さんのような三角口と半眼でこちらを睨んでいるのか放心しているのか分からないカティアへの対処だった。

 俺はきっと、女運に関しては最低なのだろう。いや、対人関係のスキルが低いが故に地雷を踏み抜きまくっているとも言えるのだろうが――。カティアに腹部への鋭い、突く様な蹴りを貰ってから拝み倒すような謝罪で何とか機嫌を直してもらえた。今回の外出で何かプレゼントをすること、それが条件だった。

 一瞬、脳内で「コイツちょろいわ」という下種な台詞が再生された。どこかの動画で聞いた声だが、それを自分が思うようになったら終いだなと思う。そしてアリアはアリアで「こんな主従関係で良いんですか?」と零していた。俺は肩をすくめ、けれども少し笑う事しか出来なかった。否定じゃない、むしろ――今の所は肯定しているような態度だったかもしれないが、それも良いだろう。

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