レイン対魔王(9)

「いつから……気づいていた?」


 魔王の問いに、レインは答えた。

 はっきりとを導き出せたのはこの決闘の最中、それも自身の方針を大きく変え、魔王が動揺し始める前後だった。でも、本当の事を言ってしまえば、それよりもずっと昔から、既に自分は気づいていたのかもしれない、と。しかし、たとえそのような考えが心の中にあろうと、彼女はそれからずっと目をそらし続けていた。自分たちの議題に出すこともなければ口に発することもなく、ただレイン・シュドーという存在全ての心の奥底に共通して持つ、言葉にすることが出来ない感情として、ずっと溜まり続けていたのだ。



「……もしかしたら、ずっと真実から逃げていたのかもしれないわね……」


 もしその考えが本当であったとしたら、自分の今までの行動が全て無駄になってしまう――レインはこれまで無意識の中でそう思い続けていた。勇者として戦い、レイン・シュドーとして奮戦し続けた日々は何だったのか、自分という存在は何故ここにいるのか、など自分を構成するうえで必要不可欠な様々な問いの答えが、すべて失われてしまうような、そんな危機感があったのかもしれない、と彼女は語った。しかし、その思いを発する今の彼女の顔は、満足感、安心感、そして限りない嬉しさに満ち溢れていた。その真実は自分という存在を消し去るのではなく、このレイン・シュドーという存在を無限に輝かせる、何よりも代えがたい最高の要素であることを、彼女はようやく掴み取れたのだから。



 結局私はまだまだ未熟だ、リーゼにもライラにも、魔王にも敵わない――そう告げた彼女の頭を、『魔王』は右手でゆっくり、優しく撫でた。漆黒の手のひらから溢れ出るのは、何物も寄せ付けないような冷たい肌触りではなく、レイン・シュドーを包み込むような暖かな感触だった。

 そして、あの低い声を維持しながらも、魔王は穏やかな口調で告げた。



「……案ずるな。『レイン・シュドーは魔王に勝てない』、それは元から決められていた事だ」

「……えっ……」


 魔王の銀色の仮面にレインが創り出した亀裂は、いつの間にか仮面全体に広がり、まるでひび割れた大地のような様相を見せていた。それを何とか左手で押さえつけ、漆黒のオーラを接着剤代わりにしながら、魔王はレインを驚かせるような発言をした。『魔王』と言う存在をこの世界から消し去るためには、3つの要素が必要であった、と。



「……言っておくが、決して嘘ではない。以前の光のオーラのようなハッタリではない。信じてくれるか?」

「……ええ、勿論。私は、魔王がとてもだから」

「その強い信念が、第一の要素だ」

「……!」


 

 魔王の皮肉や嘲笑を笑い飛ばし、人間の愚かさや虚しさを哀れに思い、そして例えどれだけ外部から妨害を受け続けようとも自分という存在をどこまでも愛する。何事にも揺るがず、レイン・シュドーを信じ続けるその心が、魔王を消滅させる大きな力の1つになる――自らの弱点を、野太くも優しくはっきりとした声で、魔王はレインに伝え続けた。その『心』に加え、『力』も決して欠かすことのできない要素である、と付け加えながら。



「……レイン、もう図に乗っても構わない。お前の力は『魔王』とほぼ互角だ」

「魔王と……互角……」

「あの魔王を動揺させ、隙を作らせてしまうほどの実力だ。もっと誇れ」

「うん……」


 魔王本人からはっきりとそう断言されてしまえば、レインは遠慮の言葉も返すことが出来なかった。

 油断をしない、相手を見くびらない、しかし決して容赦はしない――その信念を懸命に維持し続けようとしていた結果、レイン・シュドーの目の前にあった漆黒の壁は、いつの間にか彼女の『足元』にある床に変貌していた。純白のビキニ衣装の美女1人だけでも、この世界を十二分に揺るがす事のできる存在になっていたのだ。改めてその事実を突きつけられた彼女の全身から、今まで溜まりに溜まっていた力が少しづつ抜け始めた。魔王に勝利を収めることが出来たという実感を、ようやくレインの身体が感じ始めたのかもしれない。

 しかし、それでも彼女には疑問があった。確かに崩れそうになる『心』を維持し、魔王に何度消されても『力』を使って蘇りながら、レインは果て無き戦いを魔王と続けていた。しかし、この2つの要素をもってしても、漆黒の存在を打ち破ることはできなかった。そんな状況下で何故自分は魔王に勝てたのだろうか――。



「……ふふ……それは簡単な答えだ」



 ――レインの問いに、嘲りではなく悪戯げな笑みをこぼしながら魔王が告げた答えは、あまりにも意外なものであった。

 魔王を事こそが、最後の要素である、と。



「愚かで哀れな人間たちも、私利私欲のために動いた勇者も、皆『魔王』という存在を消し去る事だけに動いていた。あまり言いたくはないが、レイン・シュドー、貴様も同じだったな……」

「……大丈夫よ、魔王……でも、確かにそうだった……」


 魔王の言葉通り、ずっと持ち続けていた魔王を『倒す』事で世界に平和をもたらすという目標を撤回し、まずは魔王の『正体』を調べるという目先の利益を優先する方針に切り替えた途端、それまでずっとレイン・シュドーに見せ続けていた余裕を魔王は突然失い始めていた。魔王を倒す形で消すのでも、『浄化』=消滅させるという形で勝つのでもなく、それ以外の要素で敗北に追い込もうとした事が、自らを消し去ろうとする者に対して絶対的な力を持つ魔王に対しての最後の切り札であった――今にも崩れ落ちそうな仮面を抑えながら、魔王は自らがレインの剣を避けきれなかった要因を語りつくした。

 それは文字通り、レイン・シュドーに自分自身を倒させるまでの過程そのものの説明であった。


「……そして、貴様はようやく、この時を迎えた……」

「うん……私は……魔王に勝った……魔王の仮面を砕けた……」


 そうなれば残された道は1つ。レイン・シュドーを導く別の存在など、もうこの世界には必要ない。

 やがて来るその時がもう間もなく訪れようとしている事を実感し始めたレインの心が、魔王に回復してもらう過程で一旦落ち着かせて貰った思いが、再び込み上げ始めてきた。これでもう二度と魔王と言う存在に会えなくなってしまうのではないか、そんな良からぬ事までつい頭の中に浮かんでしまった甘えん坊の美女の心を察知した魔王は、彼女を優しく慰めた。確かに自らを倒すための要素をすべて満たしてしまったレインの底力により、ここにいる『魔王』という存在はこうやって一旦は消え去る事となる。しかし、『魔王』は完全に消滅することは決してあり得ない、と。



「レイン……『貴様』がいる限り、『魔王』はいつでも、何度でも蘇る……覚えておくんだな」


「……うん……うん、分かった……私、『魔王』の事、絶対に忘れない……」



 勇者の心を完全に捨てた純白のビキニ衣装の美女は、溢れそうになる思いを堪えながら、自らの右手をそっと魔王に差し出した。直後に感じた漆黒の右腕の感触は、全てを優しく包み込む夜の穏やかさを思い起こさせるものだった。

 何度も何度もその手を握り合い、この時を絶対に記憶に留めておく事をしっかり約束する事が出来た自分自身の姿に、満足そうに息を漏らしたのが、レイン・シュドーが見た最後の――魔王がとして振舞った最後の姿だった。長い長い戦いが終わり、地平線の彼方へ沈みゆく陽の光が作る影よりも暗く、冷たく、そして優しい漆黒の衣装と、ずっとずっと長い間その本当の姿、本当の想いを外部に決して洩らさなかった無表情の銀色の仮面――レインは、その全容をはっきりと全ての体の器官を使いながら覚え続けた。



 そして――。



「さらばだ、レイン……」



 ――ずっと抑えていた左手が外れた直後、魔王の身体は太陽をかき消すほどの眩しい光に包まれた。レインがつい目を覆ってしまうほど、魔王を形作っていた『闇』を払いのける光の力は凄まじかった。どんな色でも示すことが出来ないその空間の中に、どこまでも黒々とした衣装も、粉々に砕け散った銀色の無表情の仮面も、そして『魔王』という存在までもが溶け込み、輝きの中に同化していった。



 しばらく経った後、その光は収まった。ずっと目を閉じていたレインも、ようやく魔王がいた場所に視点を合わせることが出来た。



「……そして、、レイン・シュドー……♪」



 夕日を背に受けるその存在は、純白のビキニ衣装の美女へ暖かな声をかけた。彼女の予想を超えた美しさや凛々しさ、頼もしさ、艶やかさ、そして優しさを全身に纏いながら。

 彼女がずっと否定し続け、それでも完全に忘れる事が出来ずに心の中に溜めこみ、決戦の場で再び噴出し、そしてはっきりとその心で認めることになった『真実』は、灰色の荒れ果てた大地を癒すように立っていた。その体はレインが知る人間たちのどんな芸術よりも素晴らしく、その唇はあらゆる泉よりも潤い、そしてその肌はどんな風景も敵わない美しさや滑らかさに包まれていた。

 この時をどれほど待っただろうか。この瞬間が訪れるまで、どれほどの苦しい戦いを経てきたのだろうか。いや、もうそのような辛さや苦しみなどどうでも良い。今、自分にできる事は――。

 


「……ここまで、よく頑張ったわね……」



 ――心の中でずっと耐え続けていた気持ちを、全てこの場に発散する事だ。



 次の瞬間、たった2だけの世界に、今までにないほどの大きな声が響き渡った。文章にも出来なければ単語にすらならない、何を言っているか本人もわからない、レイン・シュドーの言葉で例えるならば『泣き声』と呼ぶべきものであった。しかし、その声を生み出す原動力には、怒りや悲しみなどの後ろ向きな気持ちは一切含まれていなかった。嬉しさ、喜び、感謝、楽しみ、慈しみ、そしてレイン・シュドー――あらゆる前向きな心が、大粒の涙と共に、レインの体全体からあふれだしたのである。そして、彼女はもうそれを我慢する事はしなかった。


 そんなとめどなく流れる感情を、『レイン』は優しく受け止め続けた。たった1人、魔王にも完全に心を開く事がないまま、世界を平和にするという目標のためにひたすら邁進し続けた美しい存在が確かにここにいるという事を全身で確かめながら、いつまでもいつまでも、優しく抱きしめていた。





「うあああああああああああああああああ!!ああああああああああああ!!!あああああああああああ!!!!!!」

「本当に……本当にお疲れ様……レイン……!!」





 この無限に広がる世界に、誰もはいなかった。

 健康的な肌を純白のビキニ衣装から大胆に露出し、長い黒髪を1つに結い、たわわな胸や滑らかな腰を魅せ続ける美女、レイン・シュドーという名の勝者のみが存在し続けていた……。

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