レイン対魔王(3)

「……」

 

 無限の荒野に佇むは、たった1つだけになった。


 漆黒の服装に全身を包み、顔も銀色に鈍く光る無表情の仮面によって覆い隠された魔王は、文字通り自分自身以外全ての命ある存在がこの世界から完全に姿を消した事を何度も確認するかのように、その場を動かずじっと立ち続けていた。どれだけ攻撃が退けられようとも懸命に魔王に立ち向かい、その大きすぎる力に抗おうとしたレイン・シュドーと言うかつて人間だった者の痕跡は、体の欠片、オーラの粒諸共全て消滅してしまったのだ。


 あらゆるものを無に還し、再生するために必要なという概念をも消し去る魔王の攻撃への対応手段を、レインは事前に持ち合わせていなかった。鍛錬そのものを拒否し、今まで自分が鍛えた力のみを使い立ち向かおうとしたのだ。だが、純白のビキニ衣装のみに身を包んだ、世界で最も美しい存在が抹消されると言う可能への恐れは結局拭い去る事は出来ず、魔王の放ったオーラの渦に全身を呑み込まれ、吹き荒れる無限の濃淡を持つオーラの暴風と一体化し、やがてどこまでも続く灰色の空の中に溶けていった。何の感触もなければ何の記憶も、何の思考も持つことができない『無』の世界へとレインは還っていったのでえある。


「……」


 そんな空間を、魔王はずっと見つめていた。

 何を考えているのか、何故同じ方向に仮面を向けているのか、そのことを疑問に持つ者は、すでにこの世界から1人もいなかった。ただ魔王という存在だけが残るだけの世界が、どこまでも広がっていた。何を思おうが、何を考えようが、それを認識するのは魔王自身しかいなかった。


 やがて、魔王は目線を変え、灰色の地面とそこに転がる大小さまざまな石ころのみが目立つ大地を見渡した。当然ながら、そこに残る物体には命など宿っておらず、ただそこに置かれるだけの物体に過ぎなかった。例えそこに魔術の力を注ぎ『魔物』として動く体を与えたとしても、それは仮初の命にしか過ぎず、魔王の命に従うだけの模造品にしかならない。そのことを確かめるかのように、魔王は微動だにせず、空虚な景色を眺め続けていた。灰色の空の上で陽の光が何度ついたり消えたりしようがお構いなしに佇むその姿は、時間の流れを含めたこの世界のあらゆる常識に反旗を翻し、その強靭な力で抗い続けているようであった。


「……」


 どれくらいの時間が経ったか知れない時、魔王はようやくその体を動かし始めた。この無限の荒野を捨て去るかのように、ゆっくりと歩きだしたのである。その足からは乾ききったはずの大地がぬかるんでいるかの如く漆黒のオーラが飛び散り、何かを潰しているような奇妙な音が響いていた。まるでこの世界そのものを踏みにじるにしているかのように。

 そして、数百歩進んだ魔王が、ふとその足を止め、荒野の上に立った――。



「……!」



 ――まさに、その時だった。

 この世界に存在する『命』の数が、2に増えたのは。



「そこだああああああああっ!!!」

「!!」


  

 何が起きたのか、それはこの無限の荒野に響く、柔らかく伸びた物体を切り裂いたような音が物語っていた。


 健康的な肌の色と柔らかくたわわに膨らんだ胸を純白のビキニ衣装から大胆に露出し、長い黒髪を1つに結った美女、レイン・シュドーの手に握られた剣には、その銀色の輝きに混じり、まるで頑固な汚れのように『漆黒』の何かが付着していた。そして、彼女の傍で防御の構えをする寸前の状態のまま止まっていた魔王の右腕の一部が、その汚れの分だけ消失していたのだ。


 その事実を知ったレイン・シュドーは、全身から湯気を立てながら息を切らしつつも、本気で嬉しそうな笑みを漏らし続けていた。隙だらけの状態になっていた彼女であったが、魔王は攻撃を加えることなくレインを見下ろしながら、底冷えのするような響きを持つ言葉を投げかけた。


「……随分元気そうだな……生きていたのか?」


 そんな魔王に、レインはそのまま笑顔を崩さずに返した。魔王にしてはなかなか面白い冗談を言ってくれる、と。

 その言葉通り、魔王もまた、先程の状況を完全に把握しきっていた。純白のビキニ衣装の美女、レイン・シュドーは文字通りこの世界に蘇ったのだ。


 確かにあの時、レインは魔王の一撃をもろに食らい、この世界から完全に消え去ると言う『無』の状態に変貌してしまった。美しい体も維持出来なければ考える事も見る事もできない、そんな存在になり果ててしまったのである。そう、確かにそうなったにも関わらず、レインは『無』から再び自分自身という存在を『自らの意志』で蘇らせる事に成功したのだ。その間に何を考え、何を行っていたのか、彼女は漠然としか覚えていなかったのだが、レイン・シュドーと言う世界で最も美しく清らかで素晴らしい者をこの世界に存在し続けたい、と言う意地のようなものを抱き続けていた記憶だけははっきりと心に残っていた。まさしくそれは、彼女がこの決戦の地に辿り着くまでずっとずっと心の中に持ち続け、そして今もなお全ての行動の根底になっている、レイン・シュドーを構成する『意志』の要素であった。



「私が消されても……私は存在し続ける……」



 改めて口に出すとあまりにも無茶苦茶な現実だ、と笑うレインの言葉を、魔王はじっと聞き続けていた。

 まさか、こうやって再びこの世界に蘇った時に、魔王に一打を浴びせる事ができるとは思えなかった、と言う自分自身を嘲り笑うような言葉を述べられても。


 正直なところ、レインの笑顔を創り出していた最大の要因は、ぶっつけ本番で無から甦るという無謀かもしれなかった手段を見事に成功させたことよりも、あの攻撃を成功させたと言う事であった。今まで何度も何度も立ち向かおうとする度にその強さを痛感し続け、幾度となく辛酸を飲まれ、そのような考えに至った理由がわからない発想に振り回され、しかもその発想が見事に合致する事への悔しさを覚え、どこまでも聳え立つ頑丈で分厚く冷たい壁のような存在であった『魔王』の体に、彼女はついに一打浴びせる事が出来たのである。


 当然、それだけで魔王が倒せるという甘い考えは、レインは一切持っていなかった。そのような攻撃など幾らでも受け止めてやる、と言わんばかりに一切の攻撃をせず、ただ彼女の出方を見続けているかのような魔王の右腕は、既に元の状態へと回復し、先程レインが与えた攻撃は完全に無駄になってしまっていた。しかし、レイン・シュドーからは確実に、『無』に還るまで心の中に残っていた臆病な逃げ腰の自分は消え去っていた。


「……魔王……私を消さないの?」

「ふん、こちらは貴様が動くのに従うまでだ」

「相変わらず余裕そうね、魔王」


 でも、もう自分は何をやっても絶対にこの戦場から消滅することはない、とレイン・シュドーははっきりと魔王に向けて豪語した。一度覚えた技は決して忘れない、例え何度消されようともこの場所に必ず現れ、一打浴びせてやるんだから――なぜこのような言葉がすらすらと出てくるのか、今のレインははっきりと理解していた。魔王に勝てる、魔王にと言う希望や願望ではなく、何がなんでも絶対に魔王にと言う意志のみが、彼女を突き動かし続けていたのだ。


 心の中にいるもう1人の自分にそっとお礼を言いながら、魔王の言葉に甘えると言わんばかりにレインはゆっくりと剣を構えた。そして、彼女に合わせたような魔王の行動を見て一瞬だけ驚いた。彼女の右手に握られていた名もなきごく普通の、しかし様々なオーラを纏わせる事であらゆるものを切り裂き、自分の身を守る盾にも変貌する銀色の剣と全く同じ武器が、魔王の右手にも現れたのである。しかし、レインは今まで何度も同じようなことを経験し続けていた。失った自分の仲間、憎き『勇者』、果ては自分自身――魔王は様々な姿に変貌し、彼女の心を揺さぶり続けていたのだ。だけど、今は――。

 



「悪いけど、私の真似をしても無駄だから」

「いちいち口に出すな、鬱陶しい」

「ふふ……」



 ――そして、仕切り直しとなった決闘は、レインと魔王、双方の剣のつばぜり合いと――。



「はああああっ!!」

「ぬうううううんっ!!!」



 ――レイン・シュドーの耳に響く、が入ったかのような魔王の唸り声から再び始まった!

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