三章

試験の鬼Ⅰ

 試験当日、気持ちよく寝ていたところをタナシアに叩き起こされ、竜也は寝惚ねぼけたまま手を引かれ会場まで連れて行かれた。

 学校の教室を一部屋だけ切り取ったようなその部屋は机が二席しかないせいで強烈な違和感を醸しだすとともに、その寂しさを一層強くしている。

 悪趣味だな、と竜也は思う。この会場を用意したのはおそらくイグニスだと直感した。竜也があまり好きではなかった場所、学校の教室にあえて放り込むことでいらついてゆがむ顔を見ながらにやにやと笑う。あれはそういう男だ。

「お揃いのようですね。時間厳守、結構なことです」

 竜也の予想したとおり、イグニスが教室に入ってくる。隠そうとはしているが、こちらの表情を見てわずかに頬を緩ませていた。いつもの修道服ではなくワイシャツにネクタイ、それから白衣を羽織って教師の振りでもするつもりのようだ。

「何だその格好、どこで手に入れたんだ」

「私は人間界の見回りが主な業務ですから、ちょっと休憩時間に」

「あいつはフラフラしてるだけよ。私以下だから」

 額に手を当てて頭を振る竜也にタナシアがそっと付け加える。自分のことを棚に上げて、とも思ったが、反論したところでいい結果にもなるはずがない。

「では席に着いてください。教科書はしまって」

「そういうのはいいから」

 ノリが悪いですね、と不満そうに唇を尖らせる。試験官が一番不真面目なのはどうしたものか、と考えていると、タナシアと竜也の前にそれぞれ一組の束が置かれた。

「せっかくですから竜也も受けてみてください。そんなに難しくはないですから」

「おいおい、俺は何の対策もしてきてなんだが」

 そんな話は全く聞いていない。タナシアがちゃんと試験を受けるように監督する、という話だった。多少の不正も認めるくらいの口調だったが、しっかり監督役のイグニスがこうして試験官をやっているし、竜也の目の前には死神の資格試験の問題用紙が置かれている。

「うるさいわよ、黙りなさい」

「いや、だけど」

「受けるつもりだったんでしょ? だったらちょっと早くなったって構わないじゃない」

 やれやれ、と首を振った竜也にイグニスから五角形の鉛筆と消しゴムが手渡された。

「これ縁起がいいらしいですよ」

「ご丁寧にどうも」

 引き攣る顔を向けながら微塵の感謝の念もない言葉を返すと、イグニスはとうとう笑いが堪えられないというように空席の机を拳で叩きながら大笑いし始めた。竜也はその姿を横目にしっかりと手渡された鉛筆の尖り具合を確かめて、はっと自分がこうして勉学ばかりに気を囚われていたのだと思い直した。

「早く始めようぜ」

「はい、それでは試験開始!」

 さっきまで大笑いしていた姿を取繕ってイグニスが教卓に戻って声をあげた。隣で少し緊張したようにタナシアが試験用紙をめくる音が聞こえる。それにならって竜也も問題に目を通した。

「なんだこれ?」

 第一問。次のイラストを見て金額を答えなさい。

 竜也がそのまま問題用紙の下に目をやると、レジでよく見るトレイの上に日本の小銭が散らばったイラストが描かれている。

 百円玉が二枚、五十円玉が一枚、十円玉が一枚。

 二六〇円。本当に? 小学校の、それも低学年でやるような内容だ。確かにタナシアは見た目はせいぜい中学生になったところというくらいだが、日常会話をしている分には竜也と大差はない。それがこんな問題を解くのいちいち勉強なんかに励む必要があるだろうか?

 竜也は教壇に置いたパイプ椅子に腰かけて手帳をめくるイグニスを盗み見た。竜也の安易な行動に気付かないはずもないのに、イグニスは視線を向けようともしていない。

 何か裏があるんじゃないか、と竜也は思った。たとえば複雑なひっかけが裏に隠れていて、イグニスはそれを知っていて俺の様子をほくそ笑んでいる。ありうる。十分過ぎるほどにありうる。竜也は書きかけていた解答を消しゴムで丁寧に消し、今一度じっくりと問題文を読み返した。試験時間は五〇分。もしも何も見つからなければ、素直に解答欄を埋める。五分もあれば十分だ。

 縦読みや一文字ズラシの暗号テクニックまで考えてみたが、結局わからないまま問題文が読めたとおりに埋めることになった。解答用紙をイグニスに託すと、竜也は自分が学校での試験後にそうするように机に突っ伏した。人間界から持ってきたのか、あるいは死神の力でそっくりに作ったのか。傷に強くなるようにコーティングされた学習机の表面はひんやりとして気持ちがいい。

「ちょっと」

 暗号解読で疲れ果てた頭を冷やしていると、上から押し付けるようにタナシアの手が伸びる。

「アンタ、本当に人間なの?」

「は? 当たり前だろ。何を今更言ってんだ」

 自分たちが勝手に連れてきておいて何を言うのか。いや、死んだのは全くをもって竜也のせいなのだが、間に死神の審判が入るなど竜也は聞かされていなかった。

「本当に人間ならあんな問題楽勝のはずでしょ。ちょっと自信のないところ見ようと思ったのに全然解答埋まってないじゃない」

「堂々とカンニングを暴露するなよ」

 それに最終的にはきちんと埋めた。全て正解しているはずだ、何もなければ。

「とにかくさっきのはどういうことよ? もしかして私がズルするってわかってそうしたの?」

「そういうわけじゃないが」

 どうして不正に協力しなかったことを責められているのだろうか? 竜也は納得がいかないまま理不尽に怒り散らすタナシアをどうどうと抑えてみるが、わがままな死神少女は竜也の手ではぎょしがたい。

「それについては私から説明しましょう」

 さてどうしたものか、と竜也がまだ冷え切らない頭で考えていると、ドアが音を立てて開き、試験開始前と同じように笑いを堪えきれない様子のイグニスが入ってきた。

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