知らない懐古と愛す土地

北海ハル

函館

 人と人との繋がりは、なるべく持っておきなさいとよく祖母に言われている。

 確かにその通りだと思ったのは、一昨年。私が高校に入学して初めての夏休みの事だ。

 故郷である函館に残る気などさらさら無い状態で高校に入学した私の思いを大きく覆す出来事だった。


 もともとのきっかけは、中学時代に訪れた書店で、ほんの暇つぶし程度に見ていた函館の写真集だ。

 特に深い意味もなく、ただ「写真を見る」だけで美しく撮られた函館の観光名所を流して見ていた。

 そんな中、ふと一枚の写真が私の目を奪った。

 そこに写っていたのは、冬の朝市で新鮮な海産物に目を輝かせる観光客に対して、寒い中頬を赤く染めながらにっこりと笑いかける朝市の女性だった。

 函館の冬は他と比べて特別寒いというわけではないが、風が突き刺さるように冷たい。

 手袋を付けずに外に出ようものなら、すぐに指先の感覚が無くなるほどだ。

 その風をものともしないように笑う女性は、一体どれだけ朝市の冬を越えてきたのだろうか。

 そんな思いが、立ち読みしていた私の脳裏を駆け巡った。

 ただ、ものごとを捉える感覚がまだ未熟だったその頃の私には、その写真集を深く読むような事はしなかった。


 それが、高校一年の夏休みに変わった。

 行動範囲が大きく広がり、自転車に乗る機会も増えた高校生活で、自分にとって遠い場所まで行く事も多くなった。

 ある時、一人で赤レンガ倉庫の方へ行く事があった。

 理由もなくぶらぶらと一人で歩くことが大好きなので、その時はとても楽しかった記憶がある。

 そんな中での出来事だ。

 赤レンガの一角にあるオルゴール堂にふらりと立ち寄ったとき、あの中学時代と同じ感覚が私を襲った。

 オルゴールの単音が幾重にも重なり合いながら、不思議な音色を奏でているオルゴール堂からは、全くと言っていいほどそれ以外の音が聞こえてこないのだ。

 皆一様にオルゴールの落ち着いた音色に耳を傾けている。

 ほとんどは観光客だろう。きっときらびやかで爛々とした夜景や大きな建造物を目当てに来た人たちだろうが、その妙な「騒がしさ」が自然に消えていた。

 この奇妙に安らかな光景に、私の心は何か違うものを浮かべていた。

 函館なんて小さな街、早く出て他の所で就職してしまいたいと思っていた自分の思いが、ふわりと揺れた。

 入って数分もしないうちにオルゴール堂を後にした私は、自転車に足をかけて急いで朝市の方へ向かった。

 赤レンガ倉庫とはさほど離れていないため、時間もかからない。

 摩周丸の近くで自転車から足を降ろし、歩いて移動する。

 朝市には、あの写真集と変わらない人の鼓動があった。


「おっきいやついっぱいいるよ!」とか、「活き良いから、ほら、今食べてっちゃえ!」とか、地元に住む私にとっては馴染みの、良い意味での馴れ馴れしさ。

 会話の中でのか行はよく濁点が付く。「んだっけがぁ」や「こごじゃなくて向ごうだー」などといった不思議な訛りだ。

 そして何より、飾らない、顔をくしゃりと歪めるような笑顔が、とても温かい。

 その温かさが、私の中でひっそりと思い描いていた将来と肩を並べるように浮かんだ一つの思いを構築した。


 それから今まで、私は日本中の「ならでは」を探しふけっている。

 それは確かにイメージでしかなく、スポットライトを浴びる部分しか探していないかもしれないが、それでも美しい。

 京都で言えばあの古風な街並み。秋田で言えばきりたんぽ鍋のかかる囲炉裏を囲むように座る家族の姿。岐阜県には今なお存在する茅葺き屋根の家屋が集まる白川郷と、探せば探すほどそこに住む人たちの生活の形が目に浮かんでくる。

 ある一種の「懐かしさ」。私はそれに魅せられている。

 私は昭和時代を知らない。それでもその時代を生きた人たちの、その生活を聞くたびに「懐かしいなぁ」という言葉が口を突いて出る。

 その度に彼らからは「知らないくせに」と笑われるが、本当にそうなのだろうか。

 その場所特有の景色は、自分の親から、祖父母から、そのまた……と、あらゆる人が見てきたものだろう。

 その時に刻まれた感情、思いがDNAに刻まれているのではないだろうか。

 だから知らなくとも「懐かしい」と言えるのではないか。

 その懐かしさに身を寄せ今を生きる。私はそれだけでも不思議な嬉しさを感じていた。


 私はもう、進路を決めなければならない時期に入った。

 だが、これらの事象を踏まえると高校受験の頃の目標が揺らいでくるのだ。

 故郷を捨て、自らの「懐かしい」という感情に従って旅と生を共にするか。

 故郷と共に生き、その故郷の中、人生を費やしても全てを見出せない「懐かしさ」を探求するか。

 もちろんそれで私の人生が決まるわけではない。だからこそ悩んでいるのだ。


 最後になるが、これは私の個人的な思いとして受け取ってほしい。

 函館は、あらゆるものが詰まった都市だ。

 確かに都会と比べれば劣る部分もあるし、不便をすることもある。

 でも、住めば全て分かる。

 ここは、何をするにも常に誰かが優しく接してくれる土地だ。

 これを読んで下さった方は、どうか一度足を運んでほしい。

 一人の高校生が悩むほど、また出どころの分からない懐かしさに涙をこぼすほど何かが詰まった、函館に。


 ────追記させて頂きます。2018年6月21日現在、私は故郷か新天地か。その選択をした結果、現在東京におります。

 何が正解か、何が良いか。未だに分かりません。

 故郷を捨てた……いや、決別した事が本当に私にとって良かったのか、その結果は分からないままです。その方が良いのかもしれません。

 上記のエピソードは敢えて私が高校時代に書いたものをそのままにしておきます。

 私がまだ青く、拙い言葉で紡いだ故郷の思いを、少しでも汲み取って頂けたら幸いです。

 私の人生の旅は、きっとまだまだ続くでしょう。

 その度に必ず、故郷を思い浮かべることだと思います。

 突き刺さる寒さにも負けない、朝市の人の鼓動。

 隔絶された世界に鳴り響くオルゴールたち。

 絶対に、忘れられません。

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