07/11/15:00――サクヤ・味覚の誘導

 ノックをして中から声が聞こえたので、サクヤはその部屋に足を踏み入れた。事前にハクナから設計図を見せられていたので――完成したものへの感想を要求されたのだ――内部がどのようになっているのかは、だいたいわかっていたが、そうして見渡せば、図面の完成度が随分と高い。それだけハクナも腕を上げたのだろう。

「仕事中か? サラサから聞いているとは思うが、サクヤだ」

「ああ聞いている。ギィールは今朝、挨拶に来たが」

 家主であるオリナは、手元の書類から一瞬だけ顔を上げて、サクヤを見るが、すぐに作業を続けた。

「すまんのう、やや面倒ごとが発生したのじゃ」

「ギィールとイザミさんが闘技場を壊したってか? その一枚で一度、ペンを置いたらどうだ、オリナ。厨房を借りて、おやつを作ったから休憩にするといい」

 後ろからは、大きなお盆を手にしたティレネが入ってきて、飲み物と料理をテーブルへ置く。相変わらずの侍女服だ。

「料理人、と聞いておったが……」

「その通りだ。各地を歩いて、特産品なんかを調べつつ、レシピを集めるのが主な作業だな。もちろん、地方における食材の確保なんかも情報として仕入れてるし、農作業関係にもそこそこ明るいよ」

「――なんだ、そうなのか?」

「まあな、師匠の教えなんだ。つーか、師匠じゃなく店長なんだけどな」

「よくサラサと付き合えるんだな、旅とか」

「面倒ばっかだけどなあ、あいつ……。ただ目的が違うだけで、道中、つまり過程は同じだ。お互いに上手くやってるさ」

「ふうん……」

「この前、五年ぶりに戻ったら、まだ師匠も仕事をしてた。集めたレシピを渡したら、ざっと見た後に、俺の倍はあるレシピをくれたよ。お前のは俺が貰う。だからそれはお前にやる――なんてな。認められたのか、そうじゃないのか、悩みどころだ。いずれにせよ旅は続けるつもりだったけど」

「そう――あ、お客さん。行ってくる」

「はいよ。おいオリナ、いいから手を止めろ。休憩を入れ忘れると、あとで大変だぜ。年齢も考えろ」

「ぬ……言いおるのう」

 新しい書類に手を伸ばそうとしたオリナは、ふと息を吐いてから眼鏡を外し、ゆっくりと席を立ち、応接用の椅子に腰かけてから、まずは飲み物を手に取った。

「紅茶じゃなくて、緑茶な。俺の所持品だが、この菓子にはよく合う」

「菓子か。どれ……お、栗か!」

「栗をペースト状にして、薄い皮で覆ったものを軽く揚げたんだよ。甘味も足してはあるが、ちゃんと栗の味はするだろ? ただ、ちょっと口の中が乾くのが難点だけどな。一口サイズだから食べやすいし、腹持ちも良い」

「ほほう、美味いのう……うむ、茶も良く合う」

「そりゃ良かった。二番目を回った時に見た食べ物を、ちょっと改良したものでな」

「二番目か。ウェパード王国というのがあるじゃろ、あちらへは行ったことがある。イザミの家があるから招かれたのじゃが」


「知ってるよ。そこは」


 彼らにとって。


「旅のハジマリの場所だからな」


「ふむ。……ところで、ギィールは無事か?」

「イザミさんの心配をしてやれよ。あの人も結構な無茶をする人だろ。ギィールは怪我したが、問題はないってさ。まだ反省会をしてる――ああ、そうだ。サラサが心配して、イザミさんを迎えに、コウノさんを呼んだからな。そのうちに顔を出す」

「ほう……よくもまあ、イザミが納得したものじゃのう」

「いや納得はしてないだろ、あれは。サラサが強引に呼んだんだ。まあ歳も歳だからな」

 あんたもなと言っても、オリナは嬉しそうに笑うだけだ。そこでノックの音が聞こえ、客が入ってくる。見たことのある男だった。

「おっと、第三騎士のリケーゼじゃないか。政治絡みの話なら、俺は席を外すぜ。深入りしたくはねえ」

「いや構わんじゃろ。どうした、リケーゼ。私ではなく姉のところにでも行けば良かろう」

「ああいえ、後でそちらには行きますが――失礼、サクヤとは?」

「縁が合ってのう。座ったらどうじゃ?」

「お気遣い、ありがとうございます。しかし私はこのままで」

「見ろこの堅物。どうにかならんか」

「どうにもならんだろ。それだけ、オリナの立場がしっかりしてるってことじゃねえか。闘技場が半壊した〝結果〟を報告しに来たんだろ。修繕やら何やらの金はどこから出るってのを想像すりゃ、オリナに筋を通すのにも頷けるってもんだ」

「なんじゃ、政治に明るいのか?」

「思い出したくもないが、裏側で動いてるものに巻き込まれたことも、潰したこともある」

「ほう、一国を相手にしたか、お主ら」

「相手にしたのはギィールとサラサだ。俺たちは情報を集めて落としどころまでの流れを作っただけ」

「なるほどのう。さてリケーゼ、闘技場そのものの話はこっちにも聞こえておる。気になる点はないので構わんじゃろ」

「は、そうでしたか」

「でだ、お主に問おう。イザミが強かった、その事実はよく知っておるが、ギィールはどうじゃった」

「残念ながら、私にはよく、わかりませんでした」

「ま、道理じゃのう。ちなみにサクヤはどうじゃ」

「ん? そいつは、ギィールがどうだったかって話か? それとも、リケーゼはどうしてわからなかったか、そっちの話か?」

「――」

「面白そうじゃ、後者を聞こう」

「簡単だよ、勝ち負けがはっきりしてないからだ。もちろん、何がどうなったのか――その過程も理解には及ばないだろう。だからこそ、余計に、結果そのものへの理解がなければ、彼らは何をしていたのか、なんて根本的なことすらわからなくなる。勝ち負けなんて明確なものを日常的にしてりゃ、余計にな」

「では、お主はどう見た」

「ギィールは何もできなかったが、先が見えた。イザミさんは試した結果、面白かったから、手の内を見せた。――そんだけだろ、あんなの」

「それだけ? あの二人にとって、勝ち負けはどうでも良かったのか?」

「本人に聞けよ、そんなことは。ただ俺の予想だが、ギィールは〝負けた〟とは言わないだろう、勝てなかったと答えるはずだ。イザミさんは逆だろうな、勝ってはいないと、そう言う。リケーゼ、あんたはこの〝意味〟を、きちんと理解した方がいい。仮にも学校で豪華な椅子に座る立場があるんならな」

「……そうか」

「うむ、昔から敗北に不思議なし、勝ちに不思議ありと、そう言うものじゃからのう。報告はもう良いぞ、リケーゼ。下がって良い」

「は、失礼します、オリナ様」

 確かに堅苦しいヤツだと、サクヤは苦笑する。もっとも、立場が違うのだから当然かもしれないが。

「ま、イザミもそうじゃが、お主らにとっての負けとは、死ぬことじゃろうて」

「それもそうだが、負けなかったことよりも、勝てなかったことの方を嫌がるのさ」

「お主はイザミの居合いを見ることができたか?」

「いや、後追いだよ。ギィールの動きから、斬戟の想定をしただけだ」

 斬戟を飛ばすのだとて、いわばギィールが使う遠当ての一種だ。ギィールは〝空〟の把握をしていたから、それを見ることができただろうけれど、サクヤは映像を見ていただけで、そこに関してはさっぱりわからない。現実としては、イザミが接近して居合いをしたら、どういうわけか多くの斬戟が周囲を割っていた――そんな感じである。

「俺もあのくらい読み取れれば、生存率も上がるんだけどな」

「ハクナはどうなのじゃ?」

「あいつは機械使った広範囲、まとめて消し飛ばす感じだ。んで、逃げる。その逃げる時の役目が俺ってわけ」

「なるほどのう……フルールが入る前は、そうして四人で旅をしておったわけか」

「最初の頃は、いろいろと衝突もあったけどな。衝突っつーか、悩んだよ。今じゃ野営の準備は手早いし、夜間警備はサラサとギィール、ハクナが補助する機械使って、俺は食事担当だな」

「では、食事で苦労した点はあるか?」

「んー、あいつらの好みを把握するのに時間はかけたよ。いろんな料理作って、苦手な食材を探したりな。あるいは、苦手な食材をどうやりゃ食うかとか、まあ、この辺りは俺、苦労というか楽しみにしてたから。あいつら、店で食うものに〝濃い味付けだ〟とか文句言うようになりやがった」


 肩を揺らしながら、サクヤは笑う。


「ギィールはおそらく、察しているだろうけどな、ありゃ俺の成果だ。五年間の食事で、上手く味覚そのものを変えさせたのさ。素材の味を大事にして、基本的には薄味。徐徐に、ゆっくりと味付けを変えてやれば、五年で随分と変わるもんだ」

「何故、薄味なのじゃ?」

「薄味に慣れたヤツは、濃い味付けを嫌うが、嫌うだけで食べられないわけじゃない。けど、この逆は駄目だ。濃いものに舌が慣れてると、そもそも、薄味の〝うま味〟ってやつに対して鈍感になる。本来ならそれは、幼少期の食事で配慮すべきなんだよ。特に子供の舌は敏感だ、大人が平気で食べるようなものも、濃すぎる場合が多い」

「いわゆる、舌が馬鹿になる、というやつじゃのう」

「そういうことだが、それを自覚しない連中だって多くいるさ。まあともかく、いつの間にかあいつらの舌は、俺の料理に合うよう作られたってことだ。もちろん、好みそれ自体も違いはある」

「たとえば?」

「そうだな……ハクナは、食えりゃなんでもいいって生活をしてた。七番目であいつが過ごしてた街に行って愕然としたぜ、クソ不味い食事ばっかでな。研究に没頭する時間を確保するために、片手間で食べられるものってコンセプトが多かったのも問題だ。その中でも、甘い食べ物を好む。それはきっと、不味い食事の中でも、辛い甘いがはっきりしたものだけは、美味いと思えたからだろう」

「そうか、生活も関わるのう……」

「まあな。ギィールはそもそも、食事に文句を言わない性質だから、好み自体もほとんどない。不味くても文句を言わないしな。ただ、どちらかと言えば躰に良い食べ物は好む。疲労回復に良い、怪我の治りが良くなる、そういうのを理屈込みで、俺と一緒に勉強したからな」

「それはまた随分と、現実的じゃな」

「今はちゃんと、美味い不味いをわかるようにはなってるし、口に合わないものもたまにある。そういうのは、ちゃんと俺に言うようになった。で、サラサは海の上での生活が長かったから、魚をよく食べた。調理方法はいろいろだが、その影響なのか、味付けがはっきりしているものを好む。塩なら塩、しょうゆならしょうゆ、そういう単一の調味料が良い。カレーなんかで香辛料を多く使うと、妙な顔をするんだ。何が美味いのかよくわからないってな」

「では、お主はどうじゃ」

「俺? そうだな……あー、ちょっと即答はできんな。んで、考えれば考えるほど、料理の〝手間〟を前提にしちまうわけだ。あれは美味いが手間がかかる、好みとは違う――なんてな。奇跡的とも思えるような微妙な匙加減でできた、傑作とも呼べる料理も何度か作ったけど、それも好き嫌いじゃないだろ」

「はは、料理人ならでは、じゃのう」

「ただ、一番美味かった飯なら即答できる。俺の両親は旅人でな、まだガキの頃に連れまわされてた時期があったんだが、ちょっとしたトラブルがあったらしく、満足に飯が食えない時期があったんだよ。記憶がおぼろげなほど昔の話だ。その時、親父が不器用に米を握ってくれてなあ……味付けは塩で、これがまた辛いくらいの。俺にとって、あれが一番美味い飯だ」

「そういうものは、誰にでもあるものじゃろ。私だとて、母親の作った料理を恋しく思うこともある。自分で作っても、同じようにはならん」

「そんなもんだよな」

「ところで、そのハクナはどうしておる?」

「第二区画に行って、さっき戻ったから部屋で図面引いてるはずだ。この国は、たぶんどの区画のどの位置からでも、王城の端が視界に捉えられる――そうだろ? ま、さっき行ってきた時に気付いたんだけどな」

「いわゆる、放射状に作られておるからのう」

「そっちはともかくとしてだ、一応聞いておくが、オリナの立ち位置は?」

「――はは、今更か」

「知っても知らなくても、そう変わらんだろうし、世話になるつもりもないからな」

「先代女王の妹よ。といっても、その頃は二人で国を動かしていたようなものじゃがな。今は私の孫がやっておる」

「孫か。それでも政治からは簡単に離れられない――か?」

「そうでもないぞ? 二番目に行ったのも、五年ほど前じゃからのう。じゃが私は、この国が好きじゃ。そのためにならば、孫の手伝いくらいはするとも」

「さすがに〝戦闘〟はできねえだろ」

「この年齢ではな。わかるか?」

「さっきは言わなかったが――オリナの方が、ギィールたちに近い。なんつーか、心の持ちようっていうより、なんだろうなあれは。獣を一匹飼ってる……って感じか」

「わははは! 昔、イザミにそれを言われたわ!」

「へえ? じゃ、当たってるのか。でもまあ、王族なんてのは、そのくらいじゃなきゃ――とも、思うけどな」

「ふむ、どうじゃサクヤ、お主はこの国をどう見る」

「意見を言えるほど、滞在は長くねえよ。けど、国が大きくなればなるほどに〝変化〟が遠のく。ハクナの言葉を借りるなら、第三区画に限って言えば、おそらく五十年以上、変わっちゃいない」

「また痛いところを突くのう……当時はオレグ・ティーアルという男が第三騎士でな、この区画を創り上げた本人だ。リケーゼはその血筋じゃのう。忙しい男じゃったよ。日ごろはティーアル騎士学校の校長と、区画をまとめる第三騎士。本業は当時の国王の側近である王騎士じゃ。もっとも、本業を知る者は僅かであったがのう」

「逆に言えば、だからこその成果かもしれないな。違う立場で、多くのものに触れることができるのなら、あえて〝普通〟を作るなんて考えも出る。周囲の連中はきっと、適当にやってる――なんて、思っていたかもしれないが、ここは居心地が悪くねえ」

「悪くはない、か。良いとは言わんのじゃな?」

「言うだけなら、言えるさ。けど、居心地が良い場所は旅人にとって毒だ。永住したくなるからな」

「わははは! 褒め言葉じゃのう!」

 本当にその通りだ。

 けれど、旅人にだって〝帰る場所〟がある。

 それを失わなければきっと、永住したいような場所なんてのは、見つけられないはずだ。

「さて、ご馳走様。仕事に戻るぞ」

「おう、休めたのなら、何よりだ。料理長と話をして、夕食の仕込みをしてくる。そのくらいの我がままは通させてくれ」

「構わんとも。期待しておるぞ」

「へいへい」

 ともあれ、まだ滞在は続くのだ。やり残しがないように、しておきたいものだ。


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