02/02/05:30――サクヤ・朝市場からオトガイへ

 早起きをすることは苦ではない。時期によっては陽が昇るよりも早くに起きる必要もあった。

 そう、必要だ。前日に仕込みを行うが、それでも朝の仕込みが不必要なわけではない。更に言えば、朝市場での調達なんてものは日課だ。店が開く時間なんてのは関係なく、仕入れをしなくては料理を作ることもできない。

 だから、朝にやることといえば、市場巡りである。買うか否かはともかくも、どちらかといえばサクヤは、店の準備をするくらい早くから見ているのが好きだ。なのだが、出遅れたというべきか、既に朝市場には活気があった。

 ふらふらと歩きながら目と耳に集中する。店主との会話や、動き方で料理店の仕入れかどうかはすぐにわかった。何しろ、今までは自分もそうしていたのだ、その行動の基本はどこでも変わらない。

 とはいえ、全ての料理店が買い付けに出ているわけではない。特に大きな料理店になれば、事前に契約をしておき、契約分を配送といった形にして、一定の鮮度が保たれた食材を定期的に、つまり毎日、規定量を手にするようにしているはずだ。買い付けの手間が減るし、そもそも、大きな料理店では、個人で荷物を運ぶのも困難になる。もちろん、そうした場合の方が、経費はかかるのだけれど。

 三十分もすれば、人がはけ始めた。誰もかれもが荷物で手一杯、邪魔にならないよう隅を移動しつつ、サクヤは手近な店舗をひょいと覗き込んだ。野菜を主流とした露店形式だ、場代を支払うだけで済むぶん、維持費はそうかからないため、この周辺には多い。繁華街の一画――といったところだ。

「よう、ちょっと聞いてもいいか?」

「らっしゃい!」

「あー悪い、冷やかしだ」

「なに?」

「客がきたらすぐどくよ。俺は三番目で料理店の下働きしてたんだが、あっちよりここの野菜は随分と鮮度が良い。近くに畑があるのか?」

「いや、この近辺にゃねえよ」

 冷やかしだと言ったのに、顎髭のある男はきちんと返答をくれた。ありがたい話だ。

「でもこの鮮度だろ……昼までに出すなら棚置きで充分じゃないか」

「ふん、嘘じゃないようだな。良い目利きだ。夕方取りの夜間配送だ、荷受けはそこで済ます。暑い時期は氷を使って冷やしておくんだ」

「夜間にここへ運び込んでるのかよ……ってことは、契約店舗はそのまま倉庫に荷卸しって感じか」

「まあな。ちなみに、うちの商品の売れ残りは、この街にある加工所へ卸してる。さすがに元は取れねえがな」

「そういうサイクルもきっちり作ってるのは、ここらじゃ当たり前か?」

「そうだが、そっちは違うのか」

「三番目はそもそも、街ってのが長続きしない。続いたところで三十年、長くて五十年くらいなもんだ。そうなると、同じ場所に居座るって感覚がなくなるから、いつでも動けるようにしておくため、そもそも加工所みたいなところが少ないんだよ。商人たちに言わせれば、そもそも、外から荷物を運んでくるだけで精一杯。そういう商品は随分と値が張ったから、仕入れの基本は――まあ、いわゆる、畑から直接、みたいな個人営業店からだったよ」

「大陸ごとの事情ってやつか。俺はここに長いから、ピンとはこないがな」

「そりゃそうだ。買い付けが終われば一休みか?」

「まあそうだな。一般客はもうちょい時間を置くことになるから、俺らも朝食って寸法だ」

「なるほどね。ありがとな、兄さん」

「おう、次は買ってけよ」

「あいよ」

 買い付け客が少なくなるのを待ってから、また移動を開始すれば、確かに店を一度畳む露店も多く見かける。そのどれもが生鮮食材関係の店舗だ。

 ここには、商店ばかりが並んでいる。たとえば肉にしても、捌いて作るような場はほとんどない。ここが貿易を主軸にしている国だという情報は得ていたので、なるほどと納得できよう。流通拠点、とでも言うべきだろうか。

 ぐるっと回ったサクヤは、そのまま宿への帰路を辿る。香辛料や調理道具類などの店は、朝食を食べてからでも遅くはない。

 サクヤたちが取った宿は、一階が食堂になっている場所だ。ちなみにハクナだけでなく、ギィールも一緒であり、ただし彼だけは別室だ。さすがに付き合いの長さもあって、同じ部屋で寝ようとは思わなかった。

 さて朝食は何にしようと、食堂でメニューを眺めていると、二階からギィールが降りてきたので、軽く手を上げる。部屋は別だが、飯を一緒に食うくらいは問題ない。

「よし。姉さん、珈琲とこのベーコンエッグコースってのを頼む」

 注文を済ませ、空いているテーブルを探して確保しておけば、すぐにギィールが注文を済ませてきた。

「おはようございます、サクヤさん」

「おう、早いな」

「そちらこそ。もしかして、市場を見てきたのですか?」

「まあな。つーか、そんなにわかりやすいか?」

「ははは、新しい土地にきた料理人ならば、どういうところを気にするか、考えた結果ですよ。外れていても問題にはなりませんし。自分は外周を走ってきましたが、いやなかなか広いですね、この街は」

「おいマジか、起きて飯も食わずに走ったのかよ……」

「はは、日課とは言えませんが、基礎鍛錬ですよ。今では走った方が調子が良いくらいです。二周ほどして確かめましたが、だいたい外周は五キロくらいの距離になっていますね」

「朝起きて十キロ走るとか、冗談だろ……おい」

「最終的にものを言うのは体力と根性だ、なんて教え込まれているんですよ」

「すげーなあ」

 サクヤだとて、体力はそこそこある。料理人なんてのは、火と向き合って何時間、という職業だからだ。

 運ばれてきた料理は、朝食としては軽い部類に入るだろう。よく運動するのならば、とギィールを見れば、サンドイッチと珈琲という、これまた軽い組み合わせで、下手をすればサクヤの方が、ベーコンエッグなどが追加されているため、多いくらいだった。

「え、そんだけか?」

「ええ。どちらかといえば自分は小食なので、これくらいで充分ですよ。時間問わず、軽い食事を回数摂取するような生活が多いです。一時期、あまり食べられない時期があって、その時の影響かもしれません」

「粗食に耐えた時期……ってことか。いや、深入りはしねえよ。食べようぜ」

「はい」

 いただきますと、きちんと言ってお互いに食べだすが、その前にサクヤは小さなメモ帳代わりのノートをテーブルに置き、ペンを走らせながらだった。

「それは?」

「悪い、癖なんだ。食事をする際、特に料理人が作ったものなら、食材やら調味料やらを書き出してるんだよ。昔から大将――酒場の店主に、やれって言われて続けてる」

「なるほど、自分が走るのと似たようなものですか。しかし、たとえば知っている料理や、サクヤさんが作れる料理でも?」

「おう。配分までは当て推量も含まれるが、いつもやってるよ。俺の旅の目的は、基本的に料理のレシピを集めることにあるからな、その修行みたいなもんだ。そうやってれば、自然と俺の料理ってのも、独自に開発できるだろ? そういうのをレシピにしたいんだよ」

「なるほど……そのための旅ですか」

「ま、とはいえだ、少なくとも現状じゃ、俺の飯を美味いって言って食ってくれる人がいるだけで、だいぶ満足はしてる。その筆頭がハクってわけ。あいつ、よほど不味いモン以外は美味いしか言わねえから、あれだけど」

「ははは、それは自分だとて同じですよ。ともすれば、腹に入るのならば不味くても良いと思う時もあります」

「ああ……食えない状況ってのは、苦痛だよな。俺もそれは経験したし、その時に食った飯は今でも覚えてる。塩辛いと思えるほどの握り飯に、漬けすぎたキュウリの漬物……たったそれだけのものを、今でも、覚えてるよ」

 そして、それは唯一と言ってもいい、親父が作ったものなのだから、忘れるはずがない。今にして思えば、それは旅先にあって、子供であるサクヤにしか渡す食料がない状況下で、どうにか作り上げたものだったはずだ。思い入れも強い。

「空腹は最大の調味料、なんて言うけどな……ありゃ、本当にそうだ。体験したことを否定はしないし、だからこそ俺は料理人になりたい」

「こう言ってはなんですが、良い志だと、そう思います」

「おう、ありがとよ。……そういうお前は、どうなんだ?」

「なにがですか?」

「旅の理由だよ。サラサの付き添いだとは言ってたが、何かあるんじゃないのか?」

「何か、ですか……自分としては、旅自体に忌避はありませんし、見聞を広める意味合いでも、あるいは修行としてでも、構わないと思っています。しかし、これと目的を問われても、返答は難しいですね。ああ、地図集めくらいはしたいですが」

「は? 地図集め?」

「そうです。たとえばこのウェパード王国の概略図など、販売されていますからね。かさばるものでもなし、知り合いの土産にはちょうど良いでしょう。だから実際のところ、義務や強制ではなく、サラサ殿が旅をすると言うのならば、しばらくは同乗しても構わないと、そう考えています。自分にも考えはありますので、それがいつまでなのかは、わかりませんが」

「少なくとも今は――か。いや、それでいい。なんつーか、ちゃんと考えてるってのがわかっただけでも、俺としちゃ充分だ」

「そうですか。それほど付き合いが悪い方でもないですが――と、ご馳走様です」

「ん? もう行くのか?」

「ええ、これから荷下ろしの仕事です」

「はあ?」

「ほら、そこに掲示板があるでしょう。あちらには依頼などが張り出されているんです。自分は昨日の内に、店主に聞いたのですが、その中で朝済ませられる仕事があったので」

「はあ……勤勉なんだな」

「路銀に困ってはいませんが、こういうのをやってみると、内情もそれとなくわかりますし、肉体労働は嫌いではありませんから。じゃあサクヤさん、また」

「おう、またな」

 また後で、とは言わない。どうせ別行動だ、お互いに何をするかなんて、いちいち話さなくても良い。

 珈琲を飲み干すまで、しばらくはのんびりとしていたが、どうやらハクナは起きてこない様子だったので、面倒だと思って宿を出た。陽が昇りきった街は、暖かさを孕んでいて、足が軽くなる気分である。

 再び繁華街方面に赴いて市場の様子を見つつ、目的の香辛料を扱っている店を発見して覗き込み、しばらく会話をしてから、サクヤはその店舗を見つけた。龍の顎を模した看板をぶら下げた、オトガイ商店である。

 各地に店舗があるとの事前情報はあったが、本当だったんだなと思って中に入れば、カウンターに腰を下ろし、こちらに背中を向けていた女性が、首だけでぎろりと睨むようにして、こっちを見た。

「――、サクヤだ。サクヤ・白舟びゃくしゅう

「知ってる。とっとと扉を閉めな、若造。悪いが当代のクークは最終試験で店を出てる。仕方なく私が店番だ。運がないね」

「いや……そう言われてもな」

「わからないってか? ま、それでいいさ。けど引退するのは確かだ、私のことはリリュと呼びな」

「諒解」

 ぱたんと扉を閉めたサクヤは、小さく肩を竦めた。

「店番ってことは、こっちの用事は?」

「構わないよ。言っただろう、今までは私がクークだったんだ。言っちゃなんだが、馬鹿弟子よりゃ扱いは上手い。ちょっと待ってな」

 ひょいとカウンターから降りたリリュは、扉を開けて奥へ行くが、数分も経たぬ内に小さな木箱を手にして戻ってきた。

「あんたらが街入りした昨日から、もう察してるのが良い商人ってもんだ」

「頭が上がらねえなあ……これ、三つだ。黒が一つ、白が二つ」

「はいよ。こっちの〝薬局〟に分析させておくよ。前回に預けたものは、あったか?」

「ん、ああ、二つ」

「じゃあそっちの報告は、明日までに聞いておくから、またおいで」

 頷き、腰にある小瓶を――紙が巻いてある――三つカウンターへ並べる。その際には、ポーチにある白色の手袋を着用した。

 白はいわゆる調味料、あるいは香辛料の調合品。そして黒は、それらに際して作成された――毒物である。これらをオトガイへ渡すことで分析結果を知ることができ、サクヤは新しい調合を考えられるし、そのレシピ自体を提供もできる。お互いに金銭の授与を目的としないやり取りだ。

 代わりに受け取った空きビンはベルトに差しておくが、その際には手袋をしまう。即効性のある毒ではないにせよ、安全には留意すべきだろう。

「ん、なんだい、先客がいるよ! ――……ふん、連れか」

「おはよ……ここ何作ってる?」

「店主はいないよ、私は先代で店番だクソガキ。作ってるのは火薬系と銃器全般」

「おー」

 まだ起きて間もないんじゃないか、といった様子でハクナがきた。というか。

「お前……客だったのかよ」

「うん。サクヤいてびっくり。ふあ……ん、ほんで、えっと」

「リリュと呼びな。とりあえずは、こいつだ」

 ごとん、と拳銃がカウンターに置かれると、眠たそうな顔が途端に輝き出す。そういうところは本当に変わっていないんだなと、サクヤは苦笑した。

「しかし――どうしたってお前ら、あんな厄介な二人と一緒に来たんだ?」

「成り行きだけど……厄介なのか、あいつら」

「赤だからな」

「なんだ、それは」

「知らんか。まあいい、暇だし説明してやる。おい白色、熱中するのはいいが話は聞けよ」

「だいじょぶ、聞いてる」

 立ったまま、テーブルの上で分解を始めたハクナは、呼び方に文句を言うのでもなく、そう返事をした。本当に聞いているかは疑問だが。

「うちの顧客には、いくつかの分類がある。まずは白、こいつは優良顧客ってやつだ。逆に出禁にするような連中は黒、状況によっては客になるが、基本的にはお断りって連中。ちなみにお前ら二人は灰――ま、白でも黒でもないって扱いだな」

「確かに、客っつーか、同業者に近い……って言えば、まだまだ俺の実力不足だけどな」

「ふん、よくわかってるじゃないか。でだ、こっからが問題だ。問題というか、まあ知らないだろうって話になる。まず緑、これも厄介な連中だが、いわゆる五神系列が該当する。敵対すりゃ手も足も出ないが、相手はそれをせずに、こっちを利用するってやつらだ。次に黄、これは完全に敵だ。敵というよりも商売敵になるのか……」

「商売敵って、いるのかよ、オトガイに」

「お前が今、思い浮かべたのとは違うだろうさ。技術屋ってのは当たりだ、間違いない。だが黄に類する連中は、商人としてのルールから逸脱してる」

「よくわかんねえな……」

「私らは客をきちんと選ぶ。だが、そうじゃない馬鹿もいるってことさ。お前が理解しやすいたとえをするのなら、たとえば料理人に薬師が作った毒薬を売る馬鹿がそうだ」

「……そういうことか」

 料理人とは、人が食べるものを作る。たとえば妻が夫を殺したいのならば、刃物を首に突き立てるよりも、毎日の食事に塩を一振りずつ、次第に増やしていくだけで済むことをサクヤは知っている。それでも、毒物があればもっとうまくできるだろう。

「確かに、そいつはルール違反だ」

「そういう馬鹿がいるから困る。対処もきちんとしてるけどな。でだ、最後になったがあの二人は赤に該当してる」

「色合いだけで、それが危険信号なんだってことはわかるけど、どういう分類なんだ?」

「最初に言っておくが、そもそも赤には〝敵〟がいない。実際にこっちへ流れてきてる情報からすれば、まだガキってこともあるが、出自も把握してるし、これはオフレコだが、あの二人の周囲には、うちの顧客も――ま、大勢いる」

「それは俺らのことじゃないよな」

「もっと付き合いの長い連中だよ」

「だったら――そんなに危険か?」

「顧客じゃない。しかもおそらく、客になりえない。それでいて、もしも〝敵〟になった場合、こっちに打つ手がないんだよ。情けない話だけどね。もちろん、今は敵になる可能性なんてのは低い。高ければそもそも、黄に該当させる。だがそれでも――ってやつさ」

「……害はない。ないけど、もしも敵になったらって、可能性の話か」

「そういうことだ。あの年齢で赤指定なんてのは、冗談にしても笑えないね。つまり、当人の気分次第ではあるだろうが、一緒にいればかなりの戦力ってことさ」

「……そうかよ」

 一緒にいた時間は短いが、それほど危険だとは思わなかった。

 だが、サラサが見せた何か。そして未だに何も見えないギィール。

 これから旅を一緒にすれば、いつか見ることもあるだろうけれど、果たしてその選択は正しいのかどうか、サクヤにはまだ考える時間が必要だった。


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