05/12/08:00――コノミ・祖父母を頼り

 己の安定させるために、湖服こふくの行は大いに役立った。いわば精神統一の一種でありながらも、流動を観点に置くやり方が、コノミには特に合っていたようで効果的だったのだが、しかし、エンデ・ヌルに誘導されたようで少し癪ではある。

 五日の時間をおいて平時に戻した。とはいえ、カイドウやオボロでは、僅かな違和感を覚える程度のものでしかなく、本質的に見抜かれることがなかったのが幸いだ。仕事が終わったから、しばらくは休養だという言葉を、疑いなく受け入れたようであるし、ぼうっと庭で基本四種を試行錯誤するオボロを眺める時間も、暇つぶしとしては良かった。

 その日、時間帯を朝にしたのは、大した理由はない。どの時間であっても掴まえられるとは思っていたけれど、強いて言うのならば、問題が発生した時に、キリエを頼る時間を考慮してのことだ。本当ならばあまり頼りたくはないのだが、そんな性格を見越して、いいから気軽に顔を見せろと、キリエからは強く言われているのである。付き合いはたかだか一年で、ここのところ頻繁に顔を合わせるが、それまではひと月に一度もなかったのに、よく見抜いているものだ。

 ミヤコ・楠木とジェイセク・リエールが住んでいる家は、ウェパード王国を中心にして、カイドウたちが住んでいる家の反対側だ。どちらにしても城下町などではなく、森の傍にぽつんと建っている。隠れ住んでいる、という言葉は正しいのだが、しかし、それほど念入りに隠しているわけでもない。

 ただし、周囲に展開された術式の結界は、あちらよりも巧妙だ。気配察知、認知、警戒、そういったものが絡み合うように張り巡らされていながらも、そのどれもが、実に危険性の低いものだから厄介なのである。壊されることを前提としておらず、かといって発見されないことを念頭に、それこそ呼び鈴のような役目でしかないのだから、対処に困るというのが本音だ。

 ――が、いずれにせよ訪問したいのならば、わざわざ結界を解除する必要はない。呼び鈴なのだから、鳴らせばいいだけだ。

 コノミ・タマモという女は、少女は、正面から呼び鈴を鳴らすような性格ではないことは、もうわかるだろう。当然のように、すり抜けるように、ごまかしながら潜り抜ける。すべてが誤魔化せるとは思っていないし、増長もしていないが、それでも可能な限りはそうして移動し、家へ到着した。

 本来はカイドウたちが住んでいる建物に、二人は住んでいたが、増築はしたものの、リンドウ・リエールとクズハが結婚したのを契機に、彼らはこちらを建てて移った。だから、構造もそう大きくは変化がない。環境の変化は時として清涼剤になりうるが、生活の場にするのならば、慣れた場所の方が効率的だ。そういう考慮もしつつ、多少の手は加えたと、そう以前に聞いた。

 玄関の扉を四度ほど、拳で叩く。頑丈な一枚板なので、ごつごつと叩く感覚である。軽くではおそらく、音が通らないし、それでも気付くだろうけれど、まあ、そんなものだ。

「はあい――って、なあに、コノミじゃない」

「私じゃいけない理由があったら、先に教えてくれ」

「あはは、ないない。ジェイ! コノミがきたよ! ――あ、中入る?」

「いや外にしてくれ、そっちの方がいいし、面倒がない。あんたらの生活に立ち入ろうとは思っちゃいないさ」

「ふうん? あ、なんか用事?」

「ああ、たまにはミヤコさんに、祖母さんらしいことをさせてやろうって配慮だ」

「……なにそれ」

「すぐわかる」

 ひょいと肩を竦めれば、中から白髪の老人が顔を見せる。老人とはいえ、足取りはしっかりしたもので、コノミを見ると嬉しそうに笑った。

「ははは、久しぶりだな、コノミ。いかんなあ、どうも歳をとると腰が重くて仕方ない。来客に顔を出すのも億劫になる」

「抜かせ」

 庭にあるテーブルに移動するのを横目で見ながら、コノミは鼻で一つ笑った。

「賭場に行く時の足取りは軽いんだろう? 知ってるかジェイセクさん、繁華街の賭場じゃ、ディーラーが新人の札を外したいと言い出したら、口を揃えてこう教えるんだ。――その札を外したいなら、リエールを相手にしてからだ、ってな」

「だから、俺もたまにゃ賭場に顔を出してるわけだ。なあ?」

「負けて帰ってこないだけ、まだマシなんだけど、イザミがギャンブル好きになったのは、ジェイの影響だかんね」

「あいつが負けて、俺のところに帰ってきたら、その時に責任は取る。よしと、しかしどうしたコノミ。お茶でも飲みにきたのか?」

「いや、ジェイセクさんにも、祖父さんらしいことを、させてやろうってな」

「言うねえ。躰を動かすのなら、ミヤコに任せたぞ」

「わかってる。――つーか、気付かないか?」

 いつもの態度、いつもの対応。それはコノミに限った話ではなく、二人もそうで。

「初見で見抜かれないなら、私もそこそこ上手くやってるってことか……」

 付け加えるのならば、コノミの両親からも、なにも聞いていないのかもしれない。

 逡巡しつつ、コノミは煙草に火を点けた。そのことを、特に二人は指摘しない――が。

「あ。そういえば、コノミが煙草吸うのを、ジェイに文句言えとか聞いたんだけど?」

「いや、そりゃお前、あれだ、たまに賭場で勝った時に、酒と煙草を奢ってやっただけだぞ? それ以外ないぞ? たまに一本貰ったりとか、してねえし」

「…………」

「あー、……助けろ、コノミ」

「自業自得だろ。普段は吸わない癖に、賭場に行くと欲しがるって、どうなんだ。頭の回転を落として、ディーラーにハンデってか? 笑える話だが、そいつは後だな」

 まずは、どこからにすべきか。

「ジェイセクさん、私は今、安定しているように見えるか?」

「ん? ……そうだな、危うさは今のところ感じられないな。俺が探りを入れてるのにも、気付いているんだろう? その辺りは、コウノの教えだろうがな」

「そうか。ちょっと、まあ、いろいろあって――考え直している最中なんだ。五日ほどかけて安定はさせたが、ここからどうなるか、まだわからない。二人なら口も堅いだろうし、助言でも貰おうと思ってな」

「え、なに、手の内を晒すの? あんなに嫌ってたのに?」

「まさか、全部ってわけじゃないさ。それに教えを請うなら、それなりに手順を踏むし、手の内だって晒す。なにしろ、私は挑みにきたんだよ、ミヤコさん」

「……へ? あたしに?」

「ああ。戦闘に関連したあれこれも、一からちょっと練り直しなんだ。ここ数日で考えてはきたが、いかんせん、実践はまだなんだよ。――おいそれと、誰彼かまわず、見せるわけにもいかない。だから最初の一人にミヤコさんを選んだ。親父かお袋が傍にいれば、話は別なんだろうけどな……ないものねだりをしたって、仕方ない」

「それはいいけど、何を試したいの?」

「そこでジェイセクさんの出番ってわけだ。――術式だよ、ミヤコさん」

「あー……」

「対応できるんだろ」

「乱暴だよ?」

「知ってる。それでも、ジェイセクさんに戦えって言うよりは、マシだろ」

「まったくだ」

「なんでジェイが、もっともらしく頷いてんのよう」

「あのなミヤコ、こんなクソ爺が、こんな若いのを相手にしてられるか。俺に言わせれば、成長を見るために試すより前に、とっとと封殺しちまった方が気楽だぜ」

 そして、おそらく彼は、コノミを封殺できてしまうのだろう。だから、この場で無茶をしても、保険にもなる。

 小さく笑って、コノミは煙草を消した。

「で、相手をしてくれるか?」

「うん、いいけど、他言無用ってこと?」

「一応な」

 コノミはジャケットを脱ぎ、空いている椅子に引っかける。拳銃のホルスターも腰から外して、テーブルの上に置いた。それから脇の下に吊った大振りのナイフを引き抜いて右手へ、そしてブーツからサバイバルナイフを抜いて左手へ持った。

「あれ、最初から?」

「抜く瞬間を悟られないようにするのは、手の内を隠すためだからな。戦術の構築にも一役買うが、今から試したいのは、そういうことじゃないんだ。名目は訓練だが、まずいと思ったら止めてくれ。その後で、いろいろと聞く」

「ん……諒解」

 お互いに六メートルほどの距離を取る。もちろん、それはお互いに対峙する距離でもあるが、家からはもっと離れた。

 合図は、いらない。

 ミヤコの左手が、柄尻から離れて鞘へ向かい、握った頃には既に居合いの姿勢を取っている。以前から見ているが、本当に滑らかで、蓄積された経験が途方もないのだと再認識させられた。

 対するコノミは自然体のまま、こちらはまだ最初の一歩を踏み出すようなもの。経験はゼロの状態から、手探りで前へ進まなくてはならない。

 ――まずは六割。

 不動の行の延長である、牽制にも似た攻撃の〝意図〟がミヤコから感じられた直後、コノミはそれにあえて反応せず、目算で六割と決めた。最初から全力で使うのもアリだとは思ったが、上限を見るのは後でもいい。まずはその六割で、何ができるかを試さなくては。

 ミヤコの姿が消えた。

 目で追えない、いや追わない。まず試したいのは〝認識の錠〟から逃れること。以前は最終安全装置として使っていた術式を、使う。

 姿を見せるのは、居合いを終えてコノミの背後に出現した時だろう。だからその前に、ミヤコが踏み込んだ位置よりも後方に〝残影〟を作って、同一である己の位置を逆転させた。

 ――やっぱり馴染むな。

 馴染んでいる。

 最初からそうであったかのように、何の負担もなく、それこそ一瞬の時間でそれは成功する。八メートルほどの距離ならば、コノミの支配領域ドメインは軽く届くらしい。

 ただ、残影を一つ作ってお互いに目配せをし、意図の交換をした瞬間に、気付いた。

 どうして、封印していた――されていた――その理由を。

 残影が接敵する。その感覚は奇妙なもので、自分ではない誰かが戦闘を行っている感覚に近い。それでいながらも、コノミは、その残影に対して解除する鍵を所持している。いわば、オンオフのスイッチだけを片手に持ちながらも、人形の戦闘を見守る形に限りなく近いのだ。

 存在律は、残影そのものも所持している。コノミ自身と違うのは、つまり、そのスイッチを所持しているかどうか、その一点だけでしかない。

 一八○秒が経過して、コノミは残影を解除し、呼吸を全身で行いながら、わずかに浮いた汗を手の甲で拭う。

 ――おそらく、限界は五分くらい。

 その境界を越せば、コノミ・タマモという存在は、残影と己、どちらが本物なのかを、確定できなくなる。おそらく、その時点でも術式は継続、いや、永続し、緩やかな……あるいは加速度的に、命を落とすだろう。二人が存在するだけならば、それは世界法則の上で成り立っていながらも、それが術式である以上は解除しなくてはならないのに、二人がお互いを本物だと強く認識していたのならば、オンオフのスイッチは消えるか、あるいは二人分のものとなってしまう。

 なるほど、確かに、幼少期に扱えたのならば、かなり危険性が高い。それこそ人形遊びのような真似でもしていたら、目も当てられない惨事に繋がりそうだ。

 ふう、と呼吸を整えれば、ミヤコは待っている。こういう見極めがきちんとできるからこそ、相手に選んだのだけれど。

 軽く誘いの動きをすれば、ミヤコが後方宙返りをした。見たことがある、オボロとやっていた時に見せた技だ。

 空中で居合いが二度、十字を描くようにして〝斬戟〟の居合いが飛来する。瞬間的に残影を使った。数は三つ、己を入れて四つ。二人は直進し、一人は後方へ走り、一人は斬戟を受けるため、止まったまま。

 着地したミヤコが重ねて、いや、かさねて、十字に対して今度はバツの字を描くようにして居合いを生む。

 ――襲、〝退進すすみ〟。

 左の一人が直撃を食らう。右は抜けた、中央の一人はナイフに衝撃が触れた途端、残影を一つ増やして居場所を変えて。

 ――ちり、〝羽音はばたき〟。

 更に四つ増やした居合いは、あろうことか左右から、それぞれ二つずつ。正面、つまり面での攻撃が一気に立体化し、回避手段が狭まった。

 ――とう、〝曲鎌まがかま〟。

 跳躍したことを確認できたのは、空中でミヤコがぴたりと停止したからだ。けれど、そこから居合いは遠距離で放たれることはなく、曲線を描いて、今までの居合いの衝撃をすべて巻き込むようにして、コノミの背後へと抜けた。

 残ったのは一人、後ろ方向へと逃走していた残影だけ――いや、それは残影ではなく、コノミ自身となる。

 そうして、すべての居合いと呼ぶべき攻撃が、無数の風切り音と共に、周囲を切り刻みながら、役目を終えた。

「――は」

 停止していた呼吸が戻れば、全身からぶわっと汗が噴き出た。倒れそうになる躰をどうにかしつつも、コノミは膝に両手を置き、顔だけを上げて、納刀をするミヤコを正面から見る。

「楠木流抜刀術、五ノ段〝雨織アマオリ〟――と、ちょっとやりすぎた?」

「いや」

 そうでもないが、いや、やりすぎかもしれない。ぎりぎりではなかったし、回避手段は持っていた。それを見越してやってくれた。けれど、この大きな攻撃としての四つが、ほんの五秒の間にやられたことを考えれば、無茶が過ぎる。

「あんたが、化け物に近いってことを、再確認できただけでも、充分だ」

「はいはい。でも――なんだろ。術式にしては、おかしいというか、んー、ジェイ?」

「……おう。いくつかの予想は立てた。だがまずは確認だコノミ。それは、そう成ったのか? それとも、そうだったのか?」

「以前からこうだった。だが、その危険性から、自己封印を無意識に行っていて、それを取り除いた結果が、今だ。どこまで行けるのかは、今、ミヤコさんがやってくれたおかげで、だいぶ掴めた」

 こっちにこいと言われたので、呼吸を整えながら、椅子を引っ張って座る。見ればミヤコは一度中に入り、お茶を手にして戻ってきた。

「しっかし、相変わらずお前は、相手の実力を引き出すのが苦手だなあ」

「うるさい。そういう生き方してたんだもの、仕方ないでしょ。コノミが確かめたかったことは、だいたいできたんだから、文句言わないでよ」

「もっと上手くやりゃいいのに……まあいい、それで? コノミはどこまで把握できてる」

「先祖返り、隔世遺伝、――ミヤコさんと同様に、半人半妖だってことはわかってる。そして、〝残影〟の術式は、半妖の方を使うってことか」

「あー、それで妖魔みたいな感じがしたんだ」

「実際、ミヤコさんは天魔を持ってたのか?」

「そうね、以前は。ただし刀を形代にした天魔だったから、それほど強い影響はなかったよ。あたし自身、こうやって年齢を重ねても、外見があんまり変わらないってのを知るまで、自分に妖魔の――天魔の血が流れてるなんて、気付かなかったくらい、普通だった」

「血交じりにも程度がある。陰気に堕ちやすいヤツもいれば、ミヤコみてえに、そのまま自然体ってヤツもな。少なくとも、俺が〝視る〟限りじゃ、コノミは安定してるよ」

「何よりの言葉だね。祖父さんにそう言われれば、私も安心するってもんだ」

「よく言うぜ。〝残影〟の術式も知識にはあるが――その形は、術者によってそれぞれ違う。とやかく俺が忠告するまでもなく、コウノに基礎を教わったお前なら、危険性も理解できただろうし、するためにミヤコと交えたんだろ」

「まあ、ね」

「だよねえ、戦闘っていうよりも、いろいろ確かめたかったみたいだし」

「それがわかっていて、五ノ段を使うなよ……」

「だって、一番最初にコノミがあたしの知覚から外れて回避した時点で、回避手段だけはきちんと持ってるんだって気付いたから、あんまり対人で使えない技も、使っておこうかなって」

「お袋の乱暴さに慣れてるから、文句は言わねえよ」

 つまり、コノミの母親は間違いなくあんたの娘だと、遠まわしにそう伝えたのだが、当人はどういうわけか嬉しそうだ。

「問題はあったか?」

「当面、最大の問題は術式の研究をする場がないことだ」

 おいこれどうよ、みたいに指を突き付けられ、ジェイセクはミヤコを見るが、腕を組んだミヤコは首を横に振った。

「なんだよ、事実、その通りだ」

「お前ね、孫なんだからちっとは甘えて見せろよ。可愛くねえ。ほかの問題はてめえで解決するから、手出し無用ってことだろ」

「そう聞こえてたんなら、まだ耄碌は遠そうだな。良いニュースだ、クズハさんには伝えておくよ。ただ――」

「ただ、なんだ?」

「突破できなかった事実がある以上、これを言うのはどうかと思ったんだが、ガキのたわごとだと思って受け取ってくれ。ミヤコさん、あんた――遅くなったか?」

「へえ……」

「加減されてたのも加味した上で、真正面から見て、私の勘違いならそれでもいいが、そんな気がしてな」

「よく見抜けてるじゃねえか。おいミヤコ、下手を打ったか?」

「んや……見えるようになったと、そういうことじゃないかな。実際に、五年くらい前からイザミには敵わなくなったから」

「年齢とは関係ない部分でか?」

 今度はミヤコが、実に嫌そうな顔をして指を突き付けた。ジェイセクは苦笑だ。

「おい、私の皮肉にいちいち付き合うなよ。こっちの反応に困るだろうが」

「なら言うなよ……」

「性分だ。まあ、お袋が強いのはわかりきってたことだ。参考にはしねえよ。それに」

 それに、何よりも、これが厄介なのだが。

「――親父の方が上だ」

 上下関係など、意識したくはないが、それでも、あの化け物は遠いのだ。


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