円つみれ・来訪のついでの乱入
大きな杯をイメージするのが、一番早い。
杯といっても多くあるが、西洋のものではなく、むしろ日本古風な酒を飲む時に使う杯のイメージが強い。中には酒でも水でもいい、透明な液体が入っている。
そのイメージこそが、全体像だ。
器が揺れる。左右に、あるいは上下に。水が大きく零れ落ちることもあるが、それは〝戦場〟においての必然だ。五人の伝令はひっきりなしに行っては帰りを繰り返す。
敵も味方も含み、全体を見渡している
その隣には、妙に目つきの悪い男が戦場を眺めている。短い袖の服であるため、細い腕につく柔らかい筋肉が目立つが、肩口にある入れ墨が僅かに見えていた。
腕を組みながら見てはいるが、サミュエル・白井にとっては常に戦闘状態だ。これはいついかなる時も同様であり、寝ている時や女を抱いている時もそうであった。
「――あ」
つみれの声が放たれてすぐ、鼻を鳴らすようにしてサミュエルは視線を左側の戦場へ向けた。
「あー、いいから」
「そうか」
サミュエルが気付いたことに、つみれも気付いていた。というか、気付かない可能性など一切考えていないような言葉だ。
「伝令、全体通達。模擬戦は中止、理由は第三者の介入。力があり余ってるなら、第三者を攻撃しても構わない――以上」
「諒解であります、マァム!」
傍にいた二人が走り出し、途中の伝令に言葉が伝われば、一気に戦場へと拡散する。五部隊混成の模擬戦闘だ、あとの判断は好きにさせておく。
実際につみれは、指揮をしていたわけではない。それなら一人将棋のようなものにしかならないし、一人よがりも好きじゃあない。それぞれの部隊状況を見て、適切なアドバイスを出して、戦場をコントロールしていただけだ。
「二人か」
「誰だろ。水がばっしゃんこぼれちゃったし、かなりの腕だと思うけど」
上半身をやや倒すようにしてブーツナイフを引き抜いたサミュエルは、つみれの後方に向けて踏み込みをしようとする直前、ナイフを手にした左の肩を軽く押され、行動を制御された。
驚きはない。納得だ。
そこまでの手合いであることを確認できたのならば、それでいい。アイウェアをつけた女がそこで視界に入れば――。
「芽衣か」
「芽衣さんかあ……」
サミュエルはナイフを戻し、つみれは僅かに肩を落とした。
「……おい待て貴様ら。その反応はなんだ? まさか、私が落ち込まないとでも思っているんじゃなかろうな!」
「いや」
「芽衣さんの連れに遊ばれる彼らが大変そうだなって。照準器でこっちの位置、確認しなかったんだ?」
「やればサミュエルに発見されるからな。サプライズとは隠れてやるからこその結果だ。おおよそ十年ぶりだが、元気そうだな」
「俺たちを見てそう思うなら眼科に行った方がいい。少なくとも芽衣の出現でテンションが二段階は下がった」
「で、どんなトラブル? 自分で解決できないなら回れ右でどーぞ」
「いや待て、この私がトラブルを持ち込むとでも?」
「うん」
「ああ」
同時に即答であった。
「うむ、その通りかもしれんな」
「かも、じゃない。……つみれ」
「ん。連れの子の〝教育〟ついでってところじゃない? 大陸の様子見なんて柄じゃないだろうし」
「娘――いや」
「拾ったのかな」
「三年以上は育てたはずだ。戦闘の〝やり方〟が似てきてる」
「仕上げは、まだみたい」
「だろうな」
「ふむ。相変わらず貴様らは仲が良いな」
「そりゃミュウだし」
「なんの返答にもなっていない。それで、どうしたいんだ芽衣」
「どうしたい、か。話が早くて助かる部分はあるが、本当に貴様らは変わらんな。ミルエナも、やはりここには、おらんか」
「うん。ミルエナは一緒にいる〝理由〟がなくなったからね。ここが落ち着くまでは一緒だったけど、オワリにするって、上に行った」
上かと、芽衣は空を見上げる。まだ浮遊大陸の通過時間ではないようで、薄雲が出ているだけだ。
「いや、まあいい。お前たちの住居近くに、勝手に使えそうな山はないか?」
「距離はあるけど、あるよ。私やミュウがたまに使ってるから、ほかの人たちはほとんど近寄らない」
「ほう……現地は見させてもらうが、しばらく私に貸してくれんか」
「貸す? ――冗談だろう、芽衣」
「消滅させても被害がなけりゃいいんだけどねー」
「……こっちの行動を読まれるのも、なかなか面倒ではあるんだがな。今、あっちに置いてきた娘――対外的には娘を、戦場に出す前に殺し合いを私とする」
「あー……」
「確か、鷺城とやっていたな」
「あいつには、私のすべてをやると、そう約束した。ならば必要だろう」
「そりゃ、私らが多少のフォローを入れた方がやりやすそうだね。少なくとも場を提供して、休める場所と反省会くらいは落ち着いてやらなきゃ」
「そうしてくれるなら助かる」
「随分と殊勝な物言いだな?」
「何を言うサミュエル、私はいつだとてこうだとも」
いいんだけどねと、立ち上がったつみれは大きく伸びを一つ。
「――ふむ」
「あ、わかる?」
「内臓器官がだいぶやられているな。酒、煙草は当然だが、消化の悪い肉類も食べられんだろう。あれからまた〝やった〟のか」
「ちょっと殺伐としてたからね。その癖、対人ばっかで妖魔には打つ手がない馬鹿だったから」
「それで指揮する立場を得たのか?」
「指揮っていうか――怖がられてるだけ。私もミュウも、容赦はしないから」
「部隊が五つくらいに分けられているようだが、どうなっている?」
「この近辺は、縄張り争いの凌ぎ合いが日常になっててね。〝
正直、そんなことは知ったことじゃない。
「殺伐としているものだな?」
「こんなもんでしょ。こっちに
「なんだ、今もまだ逢うのか?」
「あー、町に行けばわかるけど、音楽が鳴らされてるのは、私たちの影響かも。最初の頃から、暇なときには音楽奏でて、ハッピーしてたから」
「妙に鳴り物が多いと思ったのはそれか……
次第に戦場は静かになり、一人の少女がこちらへ向かってくる頃になれば、騒がせていた人たちは散らばっていく。
「――おい」
美海は、呼吸こそ平常なものの、真っ先に芽衣の前に立った。
「なんだ?」
「あたしの襟首を掴んで、放り投げた後に尻を蹴り飛ばして、――大笑いしたことに対する謝罪は?」
「え、普通でしょそれ」
「芽衣、お前優しくなったのか?」
「――」
さすがの美海も、言葉を失った。
「どうだ聞いたか。これで私の正当性が証明されたぞ」
「初対面でこんなこと言うのは何だけど、あんたらおかしいよ!」
頭を抱えて蹲った。顔を見合わせたつみれとサミュエルは、苦笑する。
「俺らのことは?」
「私の知り合いだと伝えてある」
「そりゃまた的確だね。私はつみれ」
「サミュエルだ」
「ああ……美海だ。朝霧美海」
ゆっくり立ち上がる美海を顎で示し、芽衣は薄く笑う。
「サミュエル、どうだ?」
「評価が聞きたいなら煙草を寄越せ」
「と、言っているが美海、どうする。それともここで挑んでみるか? 悪いが、うっかり死んでも私は保証しないが」
「あたしかよ……」
羽織ったジャケットから煙草を取り出し、美海が投げ渡せば、一本目は火を点けてすぐ、隣にいるつみれに渡した。
「あんがと。んー、対ESP戦闘もかじってる感じだね。でも相手は芽衣が中心で、ようやく動き始めたってところかな」
「……」
「私を見ても美しさは盗めんぞ? ちなみに、何も言っていない」
「十年経っても老けない芽衣さんを羨ましいとは思わないなあ。ね?」
「美しさなんてのは老いてこそ磨かれるものだ」
「んふー」
「はっきり言って羨ましいので殴っていいか。こう、胸を張っているつみれが気に食わんのだ」
「俺に言うな」
「殴ったらミュウが許さん!」
「……俺に言うな」
同じセリフを違う相手に言うのは、なんだか負けた気分だった。
「基礎はできてる。技術も――術式も、かなり使える」
「何度だ?」
「十六回目から、なんとか」
「そんなにかかるか……?」
「うん」
「そこまで適応力が低いとは思ってなかった。芽衣」
「ははは、さすがだな、貴様らは。そして、これからそれを私が教えなくてはならん」
「おい、美海」
「なんだ?」
「俺のことはエルでいい。使う術式は〝
「……経験と、戦術」
小さく、つみれが笑った。
「もっと根本的なものだよ、美海」
「根本的?」
「戦闘の中に在る〝恐怖〟を、お前は知らない。死んでもいいと思えてるうちは、下働きと同じだ。それが死にたくないと思えるのなら、一歩前進できる」
「エル、あんたはそうじゃないのか?」
「そんなくだらない考えが浮かぶのなら、余裕があって何よりだと笑ってやるよ」
「できるか、できないか。やるか、やらないか。私たちの場合は基本的に、やらなくちゃいけないって状況が常だったからね」
「私はまだ、追い詰められてない――ってことか?」
「ま、似たようなものかな」
「芽衣、エスパーは誰を?」
「
「ああ……だったら、最終的に勝てただろう? だが、夢見は負けなかったはずだ」
まるで、見て来たかのように言い当てられて。
「そうだ……」
美海としては、肯定せざるを得ない。
「理由は?」
「……わからない。奥の手を隠し持っていた? 殺し合いじゃなかったから? 少なくとも、まだ余裕があったのは確かだ」
「奥の手はないだろうねえ」
「同感だな。だが、殺し合いじゃなかったというのは事実だ。――芽衣」
「いや構わん、続けろ」
「えらそうにー」
「なにを言う、私は偉いのだ」
「馬鹿は放っておいて、だ。真正面から向かい合って、開始の合図がある。それだけが戦闘じゃないことは理解できているな?」
「ああ。一つの油断、一つのミス、あるいは一つの成功が死に繋がることも知ってる」
「そうだ。実力差なんて呼ばれるものが、簡単に覆ることがある現実において、だがしかし、明確なラインがあるのも事実だ。現実として、――俺は芽衣には勝てん」
「馬鹿を言え、私がサミュエルと場を構えようなどとは思わん。つみれも一緒となれば、頭が痛くなる一方だ」
「だが勝つのはお前だ」
「二つの屍体を前にして、満足感も得られないまま、続きができない状況を勝ちと定義するのならばな。だが確かに、生き残るのは私だろう」
「美海、今の会話は技術的なことなんだけど、わかった?」
「それは、わかるが……」
「でも美海は混ざれない。それが差だよ」
「……、実力差では、ないんだな」
「技術の前に必要なものがある。それは理由でもあるが――根本にあるのは」
「〝志〟」
サミュエルの言葉を、つみれが引き継ぐようにして答えを言う。だが、そこに文句はない。
「殺し合いになった時、一番差が出るのがそれなのね。実力なんてのは二番目以降かな」
「実際に今ここで俺とお前がやったら、一分以内に俺が殺すはずだ」
「二十秒で済むよ」
「そうか。それをお前は実力の差であると勘違いするだろうし、実際にそれが間違いでもない。最初に言っただろう、お前は恐怖を知らないと。俺も芽衣もそれを知っている。何よりも心の削り合いが重要だと認めている。だから」
そう、順序が違う。
「だから、実力を身に着ける。そこに至らないように、志を折られないように、そこに至る前に終わらせようとする」
「よくわかんないって顔だね、美海」
「なんとなくはわかるが、実感は伴わない」
「たとえば、私はほとんど戦闘はしないんだけど、美海が私を殺そうとした時、そう思った瞬間に、芽衣さんが止めなければ美海の首は飛んでる。術式を使う暇もなく、瞬間的に対応できていたとしても、次の瞬間には殺されてる。ミュウが、殺してる」
「俺にとってのつみれは、共に生きると誓った相手だ。一人だけ残さないし、一人だけで死にはしないと決めている――そのためなら、何でもするし、できるように力を得る」
「生きるため、ってのは駄目なのか?」
「いや、それでいい」
「それが〝朝霧芽衣〟だから。ね?」
「ふむ、そうでもないのだがな」
「どこでも一人で生きて行ける女がよく言う……」
「おいサミュエル、私に対してはちょっと厳しくないか貴様」
「純然たる事実だ。もっとも――度が外れてはいる。芽衣の怖さは、これから嫌ってほど教えてくれるだろうし、わかるだろう」
「ということだ美海、しばらくこおで過ごすが、私が訓練をする。移動するぞ」
「ああ……そういう話だったのか。あんたの訓練なんてのも、久しぶりだな」
「いや本格的なものだぞ? 格闘訓練や射撃訓練とはわけが違う。いいか小娘、何度死ぬかわからんから、覚悟だけはしておけ。それこそ、生きるためであるのならば、常に、生きたいという気持ちを忘れるな。なあに、かつては私も通った道だ」
「へえ? あんたはその時、どういう気持ちだったんだ?」
「――愉悦だ」
そう、芽衣は笑いながら即答し、歩き出す。美海は三人の背中を見るようにしてついて行った。
「自己評価は難しいものだが、相手の信頼や評価は目に見える。ただそれだけのことが嬉しくてな、思わず殺してしまいそうになったものだ。ははは」
「どうかしてる……」
「安心しろ、俺にもその気持ちはない」
「ははは、相手によるがな」
「それよりも、おいあんた、どういう訓練なのかを先に教えてくれ。あんたのやり方はそれなりに知ってるが、心構えくらいはさせろ」
「それではサプライズにならんだろうが」
「頼むよ母さん」
「貴様! 私のことを母と呼ぶなと言っただろうが!」
「あたしは気にしてない」
「まったくその性格の悪さは誰に似た⁉」
間違いなく芽衣である。
「で?」
「なあに、そう難しいことではない。全力で貴様は私を殺せばいい。――私も貴様を殺してやる」
「……? 今までの訓練と何が違う」
「違いは多くある。まず、フィールドは山だ。つみれ」
「んー、雑木林に限りなく近いから、サバイバル向きではあるかな。油断すると死ぬけど。小川もいくつかあるし、食料の確保は結構できるよ。油断すると死ぬけど。一応、ステルヴィオは殲滅してあるから、いないはず。油断すると死ぬけど」
念押しのように三度も言うのは、優しさだ。山で過ごすというのは、それだけ難易度が高いことなのである。
ちなみにステルヴィオとは蜂の一種で、攻撃的でありながら猛毒を持っている。見分けは簡単だ、一般的なスズメバチの二倍ほどのサイズだから。
「サミュエル、データを」
「山頂まで直線距離で二キロ。呼吸が苦しくなるほどじゃあない」
「ふむ、良い環境だな。いいか美海、かつて私が通った道を、おそらくお前も通ることになる。だが、育成では初めてのことだからな……」
少し、考えるような素振りを見せて。
「軽くやるか。まずは十二時間だ」
「十二……⁉ そりゃ……」
「よくよく考えておけよ、美海。この私と、十二時間、殺し合いだ」
「優しいねえ」
「まったくだ。美海よかったな、最初はたかだか十二時間で済むらしい。先に俺から忠告をしてやろう。十二時間、飲まず食わずで生き残れ」
「だがそれは……」
「ま、いいんじゃない? ――どうせ無理だし」
「あんたら無茶苦茶だろ……」
「失礼な!」
「芽衣ほどじゃない」
「いや貴様らはそうでもないだろう、心外だな。二人揃えば、私程度なら十二時間くらいあしらえるだろうに」
「めんどい」
「冗談じゃない」
「息が合ってるようで何よりだな! クソッ、十二時間かよ……」
「ガッツだけはありそうだな。つみれ」
「しばらく、近づかないように警告出しておくよ。ま、馬鹿が立ち入ってもすぐ殺されるだろうけど?」
「ふむ、処理をしろというのならば、やっておこう」
「じゃ、そうしとく」
しかし、なんというか――唐突な来訪に対して、まったく動じない二人である。
あるいは。
いつか、来るだろうことを予想でもしていたのかもしれない。
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