02/21/00:40――刹那小夜・私たちの終わり
窓から見た校庭の風景は、傷痕を残しながらも変わらず、防衛された事実をのんびりと受け入れながら、潦兎仔は咥えたままの煙草が灰を落とそうとするのに気付き、窓の外へと誘導してやる。
一通りの治療を受けたため、死に体からは脱することができた。後遺症もなく、あったとすれば支払った対価くらいなもので、それ以上はなく、以下でもない。先ほどまで吹雪快が座っていたデスク前で、刹那小夜が輸血パックにストローを差して、ちるちると中身を吸っている保健室の中、落ち込んだ雰囲気もなく、けれど落ち着いてはいたか。
外傷、内傷ともに一番多かった紫陽花はというと、治療を受けて即座に復帰したかと思えば、「しーかー……紫花はどこだあ……」などと言いながら、夜中の病院を徘徊する幽霊もかくや、という様子で保健室を出ていってしまった。もちろん、二人にはそれを止める理由はない。
ぽつりと、言葉が漏れた。
「終わっちまったなー……」
おー、なんて声を返す兎仔も、気持ちは似たようなものだ。
「セツ、楽しかったか?」
「いや……そうでもなかったぜ。途中からは、流されるがままだった気がする。ベルは、楽しそうだったけどな」
だからだ。悔しさも、忸怩もなく、ただ終わったことを、良かったと――その一言で済ませることが、できてしまう。
「ん」
「おー」
兎仔が投げれば、受け取った煙草に火が入る。既に金色を取り戻した髪は眩しいが、慣れたのだろうか、直視が難しいほどではない。
「当時――どうして、ベルがオレを拾ったのか、疑問を抱いていたが、こうなってみるとよくわかる」
きっとそれは、ベルにとって救いだったのだ。
「次に繋げろ? なんだそりゃ、笑い話だ。確かに境界線も見えたぜ、オレにもまだ先はある。だが、やりようがねーよ。次なんてのは天文学的確率だ。それを見つけるまで、オレはオレでいなくちゃならねー」
「お前とは違って、ベルにゃ制限もあったんだろ」
「時間制限な。誰よりも楽しみにしていたのは、ベルだ。……もしものことを考えると、吐き気がするぜ。間に合わなかったら、こうならなかったら――」
「……ま、そうなったんだから、いいじゃねーか」
「そーだな」
酒がきた、なんて言葉を小夜が漏らすと、ため息交じりに鷺花が入ってきた。声を発する前にコートを脱ぎ、影の中に入れてから、ボトルを五本ほど取り出し、小夜の近くにあるデスクに置く。
「はい、お疲れ様。兎仔、あとで芽衣が来いって言ってたわよ」
「へいへい。気後れはするけど、顔は見せとかないとなー」
酒の一本を持ったまま、鷺花はベッドに腰掛けて足を組む。お疲れ様はてめーだろ、なんて小夜の台詞は笑って受け流した。
「おいサギ、妙に頑丈な結界張りやがって。外の様子が見れねーだろうが」
「分解させちゃ駄目よ、面倒なんだから。八割方は拒絶よ。学園の結界でも地殻変動そのものは防げるけれど、見ていて面白い光景じゃないものね。ついてに、まあ、いろいろと。丸二日で、なんとかなったかしらねえ」
「なんとかしたのは、鷺城だろ。あたしなんか、大して仕事もしてねーし」
「あ、それだ。てめー、朝霧に声かけられてマジになるとか、どうなんだ? 場を温めるにしたって、ありゃねーだろ」
「うるせーな。何もさせませんでした、なんてオチになったら、フェイだって満足しねーだろ。気遣いだ、気遣い」
「よく言うぜ」
「んでも、さすがに酷使が過ぎた。あたしは真っ先に〝餡子屋〟クークんところで整備だ」
「ああ、音頤んとこの。銃器専門にしてたっけな」
「――あ。そうか、あの子たちの移送も私の仕事か。あー面倒。父さんたちにも顔見せないといけないし。なにこれ、接待かなにか?」
「気を休めろって話だろ。サギにゃお似合いだ」
「雑務を片付けるのがお似合いだってことよね、それ」
「鷺城って、こうしてみると損な役回りしてんなあ……」
「そう思うなら、少しは肩代わりなさい」
「面倒だから御免だ。――ああ、酒が回るなあ。腹が減ってんのか?」
「――あ。そういえば私もだ。あとでなごみに何か頼もうかしら」
「おい、オレにも寄越せよ。輸血パックは飽きた」
「あとで。それよりも、セツ」
「ん……さすがに、まだだ」
小夜は、多くのものを背負うことになった。クロゥディアだけでも重荷なのに、四番目のナイフに雷系術式の特性そのもの。それらは許容量を越えてはいないが、だからといって担っているとは限らない。
見れば、ずっと小夜は左目を閉じている。
「金色の従属の血を優先して高めているんでしょ。髪の色は戻ったみたいだけれど」
「そうだ。今は抑制状態だから、快にも調査はすんなと言っといた。オレの場合、血がありゃ身体機能そのものは、維持できるからな。正直、ベルがこれを使ってた事実は、それなりにショックだぜ。知ってはいたけどってやつだ」
「クロゥディアについては、一通りしか知らねーけど、どうなんだ鷺城」
「あー……あれの製造過程はねえ」
にやり、と鷺花が笑う。嫌な予感がして迷わず逃げたかった兎仔だが、そもそも逃げる場所がない。
「それぞれが、かつての協会でいう長老隠に該当するくらいの魔術師が九人、己の術式の行使をね、こう、あえて限度を超えて使って、魔術品にしたのね。で、その九人はもちろん死んで、屍体となったものから、十人目がそれぞれの目を抉って、一つにしたの」
「マジかよ……」
「そう。ベルに頼んで精密な解析をした上で、古い書物を読み解いたの」
「なるほどな。だから、移植直後に、視界が一気に十個になったわけだ……」
「お前、よく正気でいられたな」
「気持ち悪かったから封じた。ベルはこの九つ使ってただろ……正気の沙汰じゃねえよ」
それが瞳である以上は、見なくてはならない。一つの機能を使うのに一つ、同時に九つ扱えるのならば、九個の視界を使わなくてはならず、それを重ねて〝一つ〟にすることすらできないのだから、呆れたものだ。
「四番目もそうだぜ? 引き抜いてみりゃ、周囲の式を消そうとしやがる。術式で抑え込もうにも、抑え込む術式を斬られちまうし……主導権を握るにゃ時間がかかる。唯一の救いは、雷術式の特性だな。元からオレが所持していた魔術特性に馴染ませて、雷系列に偏らせるだけで済んだ。知っちゃいたが――ベルは、化け物だったな」
「やっぱり、殺してやれなかったのは悔しい?」
「――うるせーよ」
「言ってはなんだけれど、仕方ないわよ。殺せるのはアブしかできなかったでしょうしね、現状では」
「……アブは、しねーだろ。やったって、生き残らねえと、あたしは思うけどな」
「てめーは、どうなんだ?」
「あら」
「どうなんだサギ。法式を失った生粋の魔術師、鷺城鷺花」
適性はあったけれど、適応したのは鷺花自身だ。それを道と称するのならば、ベルはともかくも、鷺花はエイジェイと同じ道を歩いていることにもなる。
特別? そんなものは、周囲が勝手に見ているだけだ。
花ノ宮紫陽花のように、あったものを得て、適応したのでもなく、自らの手で自身と呼ばれる魔術師を創り上げた、鷺城鷺花は、確かに特殊だけれど。
間違いなく、兎仔や小夜のように、道を外れてはいない。
何故ならば鷺城鷺花の術式は、その全てが、自らの研究成果なのだから。
その点ではあのエルムレス・エリュシオンだとてそうだ。
「そうねえ……可能不可能を問題視するのなら、可能だったでしょうね。今の私は領域を突破したけれど、かつて芽衣がそうだったように、ベルの居場所には至らないよう、境界を見据えている状況だもの。この先はベルが証明した、だから私がする必要はない」
「けど、鷺城は肉体の成長が遅いってヤツ、あるだろ」
「あるわね。〝
「待て。オレは初耳だぜ」
「でしょうね。因果追放者の方は聞いたことある?」
「そっちならあたしも聞いた。けど――おい、鷺城。そいつは……」
「ええ、そうね。それが〝魔術的〟な呼称である以上、私が魔術師であると自負する限り、解除することもできるわよ。といっても、現状ではあまり意味を成さない。それこそ千年後に私が生きていたら、積み重ねてきた時間の差そのものが問題になるでしょうけれど」
師匠も黙ってることだから、口外厳禁ねと鷺花は悪戯っぽく笑った。
「それでも、やるべきではなかった。ベルは気付いてたけれど、私には声をかけなかった」
「わかってるさ。オレのためってこともな……この先を発見できはしたが、越えるためにゃ――……いや、やめとくか」
「ん、そうなさい。お互いに時間はたっぷりあるんだから……ま、それはそれで憂鬱だけれど」
「じゃ、これからの話をするか。トコは旅か?」
「ま、継いだ以上、ある程度はな。次がいねえなんて結果になったら、あたしは婆になってもフェイだ。そんなのは御免だぜ。そういうお前はどうなんだ」
「オレかあ…………隠居だな。しばらくは細細と暮らしてーよ」
「似合わない」
「うるせーよ。そういうサギはどーなんだ」
「え? 私はもちろん、隠居生活よ? だって世界に干渉したくないもの。ただでさえ因果から追放された肉体を持っているのだから、当然じゃない。理由も完璧。といっても、アクアに請われたのもあるから、しばらくは楽園ね。レンも連れて行かなきゃいけないし」
「聞いたかトコ。こうやって荷物を増やすんだぜ」
「あー……鷺城も難儀だよな」
「ちょっと、そこは納得するところじゃないわよ。――ああ、でも、本当に終わったわね。新しく始まるのを、にやにやと眺める時間は退屈せずに済みそう」
「性格が悪いっつーか……ま、あたしも関わりはしねーけど。どういう形になるかは、そりゃ楽しみだ」
「終わったら、始まりか」
「――ね。なにが終わったのかしらね?」
「そりゃ……時代なんじゃねーのか」
「掌の上で踊らされた時期だな、オレに言わせれば」
「終わったのは」
そうだ、終ったのは。
「物語が……名を失った少女の物語が、ようやく終わったのよ」
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