02/19/03:10――鷺城鷺花・最初の休憩

 三時間。

 戦闘の最中、ふいに訪れた空白で左手に巻かれた腕時計を一瞥して、現在時刻を確認した朝霧あさぎり芽衣めいは、そろそろまずいだろうと判断を下した。

 空白とはいえ二秒にも満たない間だ。左右の連撃で周囲にいた三体の妖魔を消滅させたものの、変わらず二歩の間合いを置けばほかの妖魔が位置している。それらがすぐに芽衣に喰いかからなかったのは、目の前の障害が消えて踏み込みのタイミングがズレたからで、たった二秒あれば――人でいう一呼吸が可能であり、認識が追いついて己の番だと襲いかかることができる。

 つまり現状、三時間の連続戦闘でありながらも、芽衣にはまだ余裕があった。時計に目を走らせたのも時間を確認する意味もあったが、何より己の疲労を確認する意味合いが強い。

 緊張や疲労は細かい文字を見えにくくする。その点、日常的に扱う時計というのは便利なもので、刻一刻と変化する数字が一瞥だけでどこまで把握できるのか、というのは簡単な基準になるものだ。

 バックステップを踏みながら姿勢を低くし、そのまま跳ね上がる勢いで一匹を仕留めてから後方宙返りの要領で周囲を見渡す。着地地点で待ち構えていた妖魔には右手のナイフを投擲し、着地と同時にそれを引き抜いて連撃で刻む。

 ――近く、にはいるが。

 そもそも芽衣にとっての近くとは射撃範囲内のことであって、言葉が交わせる位置ではない。おそらく全体を把握ができている鷹丘少止たかおかあゆむ久我山くがやまちがやあたりに一声かけようかとも思ったのだが、だからこそ同じことを気にしているだろうと判断。それはそれで気に入らなかったが、更に距離をとり、妖魔の集団から抜けた。

「おい鷺城」

「――? なによ」

 芽衣のいる前線から、ほかの連中がいる場所までの距離はおよそ百ヤード。それでも通じるだろうと思って声を放てば、返答があった。もちろん声は張り上げていないし、芽衣は戦闘を止めてもいないのに、鷺城鷺花はきちんとそれに応える。

「そこにいる連中をまとめて〝隔離〟するのは、限度を超えるか?」

「んー……それ自体はべつに構わないけれど、それなりの代償もあるわよ?」

「たとえば」

「完全隔離なら〝コキュートスの匣〟を使うけれど、いわゆる凝縮であってこちら側には角形として存在することになる。キューブは壊されることはないだろうけれど、復元に際しての危険性は考慮してもらうことになるけれど?」

「場所を確保しろと?」

「簡単に言えば。私ができるのは運搬でも防衛でもなく、単なる隔離と復元だけ。まあ、多少の回復くらいならサーヴィスするけど」

 つまり、芽衣の考えは既に伝わっているらしい。

「田宮、戌井、佐原、浅間、ロウと転寝を頼む。五十分は稼ごう」

「彼らの意見は?」

「聞いてやらん。十二秒後だ」

 集団から抜け出て来た少止が滑りながら停止、追ってきた妖魔を芽衣がすぐに排除、立て続けに襲ってくる妖魔の中で空中からの飛来を選択した数匹が糸によってばらばらに断たれ、八秒後に茅が声を張り上げた。

「――跳べ!」

 言葉と共に上空へ跳んだ茅が糸を張って足場にしつつ、空中の妖魔に対応。そして、そこから更に二秒後、芽衣が少止の前から退くとほぼ同時に、闇夜よりも更に濃い闇――影と、そう呼ばれるものが地面から這い上がり、一気に妖魔を食い潰した。

 ふうと吐息して立ち上がった少止は、更に前線へ行こうとする芽衣の背中を軽く叩く。それは待て、という意味合いではなく、まあがんばってくれ、といった感じだ。そして少止がちらりと背後を一瞥すると、鷺花と視線が合う。だから頷くと、すぐに無数の術陣が彼らを巻き込んで凝縮した。

 ――なかなかやるわねえ。

 少止が仕掛けていたのは儀式陣を媒介とした広範囲術式の一つで、己の影を拡大させて攻撃的な指向性を持たせるものだ。あの妖魔の群れの中で敷いたのだから、よほど注意深く、それこそ妖気に影響されないよう布陣したはずで、となればかなり精密な技術だと鷺花は思う。

 同じことをやれと言われれば、モーションなしで鷺花なら術式を展開できる。何しろ、媒介とした儀式陣そのものを布陣する必要がなく、術陣を展開するだけで代用――というか、術式そのものに広範囲の定義を組み込めてしまうからだ。けれど、そこはそれ、比較する相手が違う。

「――おっと、あんたたち、五十分間だけ休憩よ。食料はその辺りに、私の備蓄があるから好きになさい」

 おう、と返事をしたのはロウ・ハークネスで、さすがに元軍人でもあるため、すぐに佐原さはら泰造たいぞうの隣に腰を下ろした。そして接近戦闘で気になっていたことを言い始める。だからそれを見ながら、全体を俯瞰できる位置で鷺花は疲労回復、自己治癒を促す術陣を展開させた。

「鷺城先生……? なんだ、俺は」

「少し休みなさい。田宮は特にね」

「……そう、か。まだ生きてんのか、俺」

 そう思うのも無理はない。ここ二時間弱、田宮正和は力の使い過ぎで気絶し、そこを転寝夢見が補助、意識が戻ればすぐに戦闘を再開するという無謀なことを繰り返していたのだ。そこには戦うという、生き残る意志だけが残っており、意識も記憶もなかったはずだから。

「田宮、状態はどう?」

「……少なくとも頭は回ってるみてえだ」

「じゃあ訊くけれど、あなた、どうしてこんな死地に来たのよ。私じゃなくたって正気の沙汰じゃないわよ?」

「狂気か……俺としては、こんなことになっちまってるとは考えもしなかった」

「でしょうね。結果に対しては別にとやかく言うつもりはないのよ。ただ、どういう理由で行動したのかは、はっきりさせておきたいと思ってね。いうなればそれは行動原理でもあるから」

「単純なもんだぜ? 俺一人じゃ生き残れるかどうかあやしい、となりゃ誰かがいる。あの金色に問われた時、思い浮かんだのが浅間や佐原、戌井たちだったからこっちに来た。で、連れ出したら、朝霧がいたって感じか」

「そうね。芽衣との縁は合っていたから、引き寄せられたのも道理だけれど……主体が芽衣なのか、田宮なのかは熟考する必要があるわよね。ともかく、そっちの三人は田宮に乗った――ということでいいのかしら」

 ばらばらに頷いたので、鷺城も頷いて応えてから腕を組む。

「鷺城先生、一つ、確認なんだけれど、いいかしら」

「なによ戌井」

「彼ら……武術? なのかしら」

「ああそうね、武術家よ」

「彼らのやり方は私たちにはできない、という認識は合っている?」

「可能、不可能の判断をどこでするかにもよるけれど、現状でなら、まず不可能ね。武術家の討伐方法は、あくまでも妖魔と同一の領域に踏み込むことで対応しているわけで、まずその領域に踏み込む方法が問題でもあるし、踏み込めたところで対応できるかどうかも問題になるわよ」

「そう、ありがとう」

「――姉貴から話は聞いていたが、聞きしに勝る存在だな、あんたは」

 ゆっくりと立ち上がった転寝夢見は一瞥を田宮に投げてから、少し離れた位置の鷺花の傍にまで歩いてくる。疲労はあるようだが、歩けないほどではないらしい。

「鷺城鷺花、詳しく説明せずに答えてくれ。姉貴の動向を知ってるか?」

「現状の、ならばある程度は。探りを入れろってことなら、判断は保留よ」

「今知っている情報でいい。――俺の知っている情報で対価になりうるか?」

「ああ、交換条件……しっかりしてるわねえ。ちょっとハークネス、見習いなさいよこういうところ。本当ならあんたが一番、こういう立場で率先してほかの子を引き上げないといけないのよ」

「……うるせえ」

「負け犬の遠吠えね、文字通り犬だから間違いじゃないか。にしても、そんなにスイの状況が気になる?」

「気にしても仕方ないのはわかってるが、今の俺にはコンタクトを取る余裕もないし、この場所は……そう、いわば完全隔離されている。だとすれば聞くしかないし、知っておかないと後が面倒になるからな」

「随分と久しぶりにESPを使ってるんでしょう?」

「錆びついてはいない。未熟な田宮が生き残ってるのに、俺がフォローできねえようじゃ話にならん。そっちは心配してくれるな」

「そう」

 気遣いも含め、先輩だからこそ前に立って背中を見せ、それを追わせる。その態度は非常に好ましいところであり、つい余計なことまでサーヴィスしそうになった鷺花は、顔を笑みの形にするだけで留めた。

「まずはそっちの移動経路」

「つれづれ寮から、六六むつれさんを含め橘九たちばなここの四十物谷花刀あいものやかたなを鈴ノ宮に輸送してこっちに合流した」

「何故?」

「……なにがだ」

「プロセスが一つ欠けている、その説明を省いた理由はなにと聞いているのよ?」

 どこまで知っているんだ、と言いかけて止める。いつしかほかの連中もこちらを注視していたらしく、静寂が落ちたが、夢見は傍にあった水のボトルを拾ってキャップを開けながら続けた。

「恐ろしい女だな、姉貴が警戒――いや、頭が上がらないのにも納得できる」

「この程度、芽衣にだってできるわよ。鷹丘ならわかった上で見逃すでしょうけれどね」

「あの二人だって、鷺城ほどじゃないと言いそうだが?」

「言うわよ。――それで?」

「ああ、鬼灯とあやめ、それと旗姫にテレパスを送って話をした。その時にあいつらの繋がりを辿って田宮の視界を拝借したんだが……さすがにまずいだろう」

「俺、そんなにまずかったか?」

「いつまで生き残れるかも定かじゃない上、お前一人がくたばったら残りも全員道連れだ」

「まあそうね、芽衣が私に隔離を頼むくらいだもの」

「それは朝霧の貸し、か?」

「私たちの間に貸し借りはないわよ、ただ等価交換がされてるだけ。今回は芽衣が状況維持を買って出て、退避を私が請け負った――つまり、五十分後までの状況維持ね。簡単に言えば五十分間の空白を作り上げて、その前後を同一のものにしてしまうってことよ」

「負担だろう」

「そうね。けれど、ここにいる全員を足しても芽衣には満たないし、鷹丘も反応していたから、茅もたぶん、似たような考えをしてたはずよ。何しろ、三時間ぶっ通しであの状況下、ほぼ一般人だったあんたたちには無理だもの。もっとも、ハークネスだって似たようなものでしょうけれど」

「作戦行動を繰り返した軍人だって嘆きたくはなる状況ではあるな。お前らはよくやっている、と思う」

「やらなくちゃならない、と言い換えるべきね。もちろんハークネスも含めて。それで鈴ノ宮の状況は?」

「結界を敷いて防衛線だ。俺の所感にはなるが、あちらもここほどじゃないにせよ、妖魔を集めている。その結果としてほかは手薄になってはいるが、妖魔がいないわけじゃない」

「その辺りは、愛知県内が一番酷いでしょうね。特に野雨は日本の中心に、どっかの誰かが据えたから、この結果は――まあ、私は知っていた」

「やはり、あそうか」

「立場上、知らないじゃ通らないのよ。あんたたちは知らなくて当然――」

「立場とはいったが、何が違う?」

「そうねえ……結果論だけれど、あんたたち――いや転寝でいいか、昨日の日中に今日のこの現状を予想できた?」

「まさか。予想どころか想像もできない」

「でしょうね。わかりやすく狩人でいえば、ランクBまでの大半がその領域よ。もちろん一部例外を除いて。ランクA以上になると、なにかがおかしいと思ってたくらい」

「何かしらの予兆を感じていたと?」

「いや、それはない。予兆というよりも、社会的な図式に関連して、不具合ではないけれど、何かしらの意図――彼らにしてみればかみ合っていないと思えるくらいの違和感があった、くらいよ。ここにこれがあるのはおかしい、と感付くレベルね」

「だったら……」

「そうね、私は予想していたし、今この時を限定するのはともかくも、こうなることはかなり前から想定していたわよ。それこそ――東京の壊滅を知った時に」

「――」

「いいのよ、べつに、責めているわけじゃない。何しろここにいる子は当事者じゃないし、調べていたとしても体験したわけじゃないから、繋がらないことに悔いる必要はないわよ。ただ、さっきのたとえを続けるのなら、ランクA以上なら気付くでしょうし、気付いてる」

「……だから、か」

「そう、だから芽衣は自ら防衛線を買って出た。逃げることも可能だったのに、それが必要だとわかっていたからよ。繰り返すけれど、だから鷹丘も茅もこちらに来た。あとの二人は、紫花も凛も流されて来ただけだから、そこまでの考えはないでしょうね。紫花には前から、視野を広げろと言ってはいたんだけど……まあ、仕方ないか」

 もう手遅れだ。生き残った後ならば、じっくり反省する機会もあるだろう。

「どのみち状況をいくら考えたって、あとは生きるか死ぬかくらいしか選べないわよ。それで、鬼灯とあやめは?」

「五木の護送をしてる」

「ああ、誰の判断かはともかく、良い傾向よね。時間もだいたいわかるけど、黙っておくとして、慎重な子が多いのはどうかしら――おっと、無謀な子がいるんだからバランスは取れてるか」

「これくらいでいいか?」

「ああ、そうね、充分よ。私が知ってる限り、今のスイは――」

 たぶん今頃なら、時間的にこうしているだろうと思ったことを、あくまでも想定であることを前置して、鷺花は話し始めた。


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