02/19/00:50――蒼凰連理・待ち合わせ場所
魔法師の大量発生は東京事変を起因とする。
それ以前にも存在はしたが、極少数だった。世界はそれほどまでに安定していて、内部からの支えを必要としていなかったからだ。けれどあの日、東京事変で世界は一度混乱した。
――と言うとまるで世界には感情や思考があるようだが、実際には〝
行使しろ、というわけではない。単純に人がそれを持っているだけで、世界法則の補強が可能なのである。魔法とは文字通りの法、人が作り出したのが規則ならば、法則とは上位にあり規則を成り立たせる根源的なものだ。逆を言えば法則がなければ規則は成り立たない。
世界とは法則が集まった器だ。あらゆる法則が重なり合い、二つ、あるいは三つで均衡を保っている。三大意味が意味の消失、意味の使役、意味の含有であるように、消失と使役――つまり消す法と産む法が対面した際、無限に発生してしまう消失と誕生の螺旋に対して元に戻す含有が存在することで、均衡が保たれる。破壊と再生も同じことで、どのような魔法師にもこうした仕組みが存在し、これらは器そのものが決定したルール、つまり秩序として捉えられるものだ。
だから、
既にこの時点で残っている魔法師と呼べる存在は蒼凰連理しかおらず、この先もそれは変わらないだろう。何故ならば連理は、世界そのものに対する存在だからだ。
完全であるものは、終わりだ。それは始まりに繋がらない終わりになる。だから世界は、己が不完全であるために自ら陥穽を生んだ。完全に介入ができない傍観者としての立ち位置、それを不変なるものとして定め、その法式を与えた。
〈
同時に無力な、何も介入できず何もしないことを決定された存在として、ここに在る。
それでも人としての器を持っている以上、連理は人間だ。けれどこの状況下においては、この限定的な状況では助けることも守ることも、極論を言えば死ぬことも生きることも許されてはいない。
ただそこに在れと。
そこに居ろと。
そう決定付けられていた。
「んで
「んー」
家の庭に出て腰を下ろした連理は、隣に小柄な少年を置いて空間に投影した黒色の窓に映る文字を流し読みしている。地震があったため屋外に出ただけで、妖魔などには一切目もくれない。それどころか妖魔ですら、そこに在ることを確認していながらも、連理が何かをわかっているのか否か、通り過ぎて行く通行人のようだ。
「姐さんは止めなってのレィル。こんなとこでサボってていいわけ?」
「あははは、いいのいいの僕なんて遊んでれば。それでいいんですって。怒られたら動きますけどね。……あれ? じゃあ連理さんもサボり中ってこと?」
「あんたと一緒にしないの」
「いやあ僕だって……あれ、
「断定しない。私が性悪みたいじゃない」
「え? でも連理さんって悪女じゃないですか。そりゃもう怖いくらいの」
「どこがよ?」
「それを僕の口から言わせようとする辺りが」
相変わらずだと連理は思う。にやにやと笑いながら嫌味ばかり口にする。しかも賭け事が好きときた、手に負えない。これがレインから枝分かれした可能性だと思うと、何故だか妙に――納得してしまう。
「んで姐さん。状況はどんな具合に転んでるんですかい?」
「だから誰が姐さんか。まあエルムの仕込みは上上ってところでしょ。うちらの世代はまだ生き残ってる。懸案だった冥属性もどうにかしてくれたし」
「ははあ、あの王様がですか。ふうん、へえ……あ、祠堂さんが行ったみたいですね」
「
「ニャンコさんも望むところですって」
「――レィル、用件を先に言いなさい」
「え? 僕言ってませんでしたっけ。これは失礼。いや特に用件はないんですけどね。サボってる最中です。まだ始まりから六十分も経過してませんしね」
「体感時間としては、随分経過しているでしょうね。――と、きたきた」
連理が手を出した先に碧色の枠が表示され、タッチパネルのように操作を始める。視線は黒のものと交互に動いており、レィルにはそれがどのような作業かはわからないが、予想はついた。
だから、それ以上は問わない。
北西から吹く冷たい風にコートの端が揺れるのを感じながら、レィルは周囲に目を向ける。紅月の消失から一気に闇が訪れたかと思えば、今は空の雲を照らしている赤色があった。いや朱色になるのか――炎の色だ。このため視界が利かなくなることは、まあ滅多なことではないだろう。
「連理さん。日本で現状、人と妖魔。優勢なのはどっちですか?」
「妖魔」
即答に対しては反応しない。その通りだと頷くことすら億劫だ。そんな当たり前の事実を確認したのは、単純にこれからを考えたかったのである。
だが。
「懸念材料は?」
思考を読み取られたのか、先手のように問いを投げられたので、素直に、ありませんねとレィルは答えた。
「僕は姉さんと違って、あんまり人に興味がないんですよねえ。もちろん楽しんではいるけど。何しろこの状況は必然じゃあないですか。わざわざエルムさんが迂遠な方法とはいえ警告も出してたのに、気付かないで後手に回るようならそれまでです」
「自分と同じレベルを他人に求めないの」
「僕のレベル求めたら誰も生き残れないと思うけどなあ」
そもそもレィルは、どうでもいいと思ってしまう頻度が高い。眼前に迫った選択に対して、選ばないことを選べてしまう。それをお気楽と周囲は評するのだが、レィル並のお気楽が揃っていては世にある仕事など悉く失敗する。
「レィルには役回りが与えられてないわけ?」
「僕ですか? いやあまさか、主人様には好きに生きろって放りだされちゃって。小夜さんはなにも言わないし。なんでだろうなあ」
「あんたね……」
疲れたような顔をされると、レィルは妙に嬉しくなる。つまり性格は悪い。思わず写真を撮りたくなるが止めておいた。それはそれで後が怖い。
「あ、そうだ姐さん。どっか面白いこと起きてない?」
「何が面白いのよ。だいたい現状じゃばらばらで、まともな攻防ができてるのは学園くらいなもの」
「そうなんだよねえ。でも現役じゃない世代はどうなんですか?」
「もうだいぶ落ち着いてる。あれはあれで、どーかしてるわ」
つまらないなあとぼやくが、実際にそう考えているわけではない。そもそも退屈を嫌う性質にないのである。退屈であっても、それはそれで面白いものだ。
そもそもレィルにせよレインにせよ、人間ではない。また自律稼動する
周囲の反応からしてみれば人と変わらないため、人として接するが、レィルはそれなりに違うことを理解している。どちらかといえば形而界にいる如月寝狐や祠堂みこに近しい存在だ。人の器は持っていて稼動はしているものの、本体はあちら側にあるようなもの。
だから――長生き、というレベルではない。鷺花のように心臓を失くせば死ぬわけでもなく、長い時間を続けなくてはならないため、退屈を嫌っていては話にならないのだ。
「やっほー」
「あれ、あーさん」
通りからひょいと顔を出し、ひらひらと手を振っていたのは
「れぃくんもいたんだ。よいしょっと」
「……ちょっと紫陽花、なんで私の隣に座るのよ」
「いいじゃん。あおちゃん作業中?」
「そうよ作業中よ面倒だけど仕方ないからとっととどこか行きなさいっていうか何しに来たのよあんた」
「んー? サボれるのはここかなあって」
「あはは、あーさんも僕と同じだったんだ。原発潰しは終わったんですか?」
「うん。ついでに核シェルターも破壊してきた。中の人は無事だったけど、これからどうなるかは知らない」
「地殻変動で潰されるよりマシだと僕は思いますよ。――あ、もしかして姐さんは大規模変動の到来時期を予想でもしてる? 違うか、時期調整ですか?」
「わかってること訊くな」
えー、と二人揃って唇を尖らせる。
「ああもう、うるさいっ。邪魔しに来たんなら帰れっ」
「どこにー?」
「僕に帰る場所はありませんけど」
「なんであんたらが迷惑そうな顔するのよ……私、間違ってないと思うんだケド」
「それに作業の邪魔はしていませんよ」
「そだよねえ。休憩しに来ただけだし。まだまだ始まりなのに、やることないなあ」
「あ、そうだ。あーさん、野雨以外は見てきましたよね。どんな状況でした?」
「えっとね、んー野雨より平和かなあ。名古屋付近は全滅っぽいけど、やっぱり集団で妖魔に対抗してるのが多いねえ。……ん? そうしてみると今の野雨の状況って笑っちゃうよね?」
「十人ちょっとで千単位とか」
「あはははははは」
「だから、うるさいんだケド、あんたたち……」
いっそのこと、どこかへ行こうかとも思う連理だが、それはそれで負けたような気分になるので癪だ。こういう時には適当な話題を提供してそれとなく方向性を持たせ誘導してやるのが一般的な手法なのだが、それが通じる相手ならもうしている。
――にしても。
やはり世界規模で見ても妖魔の数が圧倒的に多すぎる。それがこの日本という敷地に集まっているのだから迷惑な話だ。もちろん空を飛べる妖魔などの一部は国外へも行っているが、その大半は今ここにいる。
「あ、れぃくんあれ、ほら見てみ。あれ」
「なんです? ――ってああ、
「共食いはないから、やっぱり人じゃないの?」
「魔力を喰う、なんて可能性もあるじゃないですか。姐さん、食物連鎖も大規模な変革が訪れるだよね? やっぱり整合性はあるんですか?」
「……」
「無視だー」
「わかってないことを訊いたのにこの反応ですよ。あーさん、僕って姐さんに嫌われてるのかな?」
「ちゃんと姐御って呼ばないからだと思う」
「姐御!」
「あーもう、本当にうっさっしい! 何しに来たのよっ」
「だから」
「うん、暇つぶしに」
「…………ああ、もういい。もういいから、うん。はいはい」
諦めよう。きっと天敵と呼ばれるのはこうした連中のことだ。
「――おや、いましたかレィル。待たせたようですね」
「お疲れ様です姉さん」
大剣を背負ったレインが顔を見せた。本当にどうなっているんだこれは。
「レン、どうしましたか百面相などして。顔芸ならば私ではなく紫陽花にでも見せれば喜びますよ」
「べつに。で? レインまで暇つぶしとか休憩とかそういう理由?」
「何をおっしゃっているのかわかりませんが」
心外だ、という顔をしてレインは眉根を寄せ、ああとすぐに頷いた。
「小夜から何も聞いてはいなかったのですか。この状況下では誰がどこにいるのかすぐにわからないため、とりあえず手が空いたらレンがいる場所に集合と――」
「私が集合場所か! あんにゃろう、私には一言も……!」
「まあ言えば断られると思っていたのでしょうね。どうぞ逃げ回っても構いません、どうせレンの特異性はすぐにわかりますから」
「ぐぬぬ……こいつら」
「私ではなく、睨むなら小夜にお願いします。違う意味で旗印のような役割を光栄に思ってはいかがですか? まあ現実的には都合の良い人物として扱われているのですが」
「姉さん、最後に落とす必要はなかったと思いますよ」
「事実ですから。さて行きますよレィル、主人様が私たちの仕事を終わらせる前に」
「放っておくと勝手に終わらせますからね主人様は。じゃああーさん、また。連理さんも」
「二度と来るな」
「辛辣だなあ――あ、そうそう。学園の南側から
「――伝言があったなら最初に言いなさいよっ」
「あははは。じゃあ行こうか姉さん」
笑いながら去る二つの背中を見送りもせずに手元のコンソールを叩けば、二つ目の黒窓に情報が表示される。地底、いや海の底からゆっくりと――その領域を我が物とした怪物が、確かにVV-iP学園近くの海へ移動していた。
「ねえねえ、海の王様が来てるの?」
「話も通じない大物がね」
エルムの式陣のため海に存在するあらゆるエネルギーが吸い取られているというのに、それすらも意に介さず動けるだけの圧倒的な存在。
だから。
「……ちょっと、何を楽しそうに目を輝かせてんのよ」
「いってくる」
もう嫌だ、と連理はスキップしながら去っていく紫陽花に、それが嬉しいはずなのに頭を抱えて蹲った。
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