08/11/00:30――イヅナ・後始末を済まして

 日付が既に変わってしまった時刻、紅月に照らされたその場所で二つの小さな火が動いていた。それが懐中電灯などではなく、煙草の先端に灯った赤であることは見間違うはずもない。

「しつこかったけど、そろそろ打ち止めだ。あー疲れた」

 地面に座り込んだイヅナは、空に向かって言葉を放つ。およそ七時間以上も続いた対妖魔戦闘の終わりは、彼らにとって安寧のひと時ではなく、達成感もないただの通過点でしかない。言葉では疲れたと言っているイヅナだとて、今までと同じ数の妖魔がここに来ても対応できるだろう。

 妖魔の討伐に成功しても、その結果を見るのは難しい。そもそも妖魔にとって敗北とは消滅であり、それこそ空気に溶けることすらなく形そのものが消えてしまうのだ。ゆえに人のよう、残骸が積みあがることもない――が、ただし、その場には家屋だったものの残骸はあった。

 どうなったと問われれば、答えるだろう。戦闘の足場にしたら壊れてしまった、と。

「たかが五百くれーで何を言ってんだてめーは」

 五百。

 それをたかが、と呼べるのはきっと彼らの領域にいる人間だけだ。

「かがり火に群がる蛾のごとく――そんなにあの姫様は美味しいのかねえ」

「なんだ喰ってみてーのか?」

「あはは、まさか。そりゃ俺じゃなく小夜ちゃんの行為でしょ。たださ、どうであれ連中のとこに妖魔は集まるよ。間違いなく、確実に」

「だろうな。旗姫の蝶は人を正気にさせちまう。気にするな、どうせその時には紅月が堕ちる」

「遅延させただけ、帳尻を合わせるために加速するからね。けどいいの? 今の野雨にブルーはいない」

「その代わりにアブとベル、フェイもいるんだろーが。それとも連中じゃ代わりにもならねーと、そういう意味か? よし伝えといてやる」

「待ってよ俺んなこと言ってねえし! マジ勘弁!」

「いや実際代わりにゃならねーだろ。だから戯れにオレらを集めたんだろーが」

「ああ、そういえば小夜ちゃんたちの世代が一堂に会したってね。どうだった? 正直にそこらへん、聞いてみたいなあ」

「オレはいつだって正直だろ。てめーとは違ってな。あっさり片がつけられるのに、引き伸ばしやがって」

「そうでもないんだけどなあ」

 実際に小夜の指摘は当たっていて、誰かに限らず何かを騙すことで生きているようなイヅナは、そもそも素直になることがほとんどない。ただし嘘を吐くことだけは嫌っている。その嘘の体現者を知っているからこその行為だ。

「で、どうなの」

「オレが手出しできる連中じゃねーよ。だいたいオレや紫陽花、レンやサギなんかは完璧に除外だぜ? そんなもんかとも思ったし、この程度かとも思った。アイギスは見どころあるんだけどな。まあただ、本当の意味での当事者になるのは連中だろ。導き、率いるなんて真似はできやしねーよ。てめーらが生き残るので精一杯なのは、さっきの鬼灯を見てわかっただろーが」

「小夜ちゃんは精一杯だと思ってんの?」

「いや――連中の影響を受けてる連中は、可能性としちゃ上方修正されるだろ。もっとも連中が生き残れるかは断言できるレベルじゃねーな」

「楽園の王は停滞を生むので精一杯っと。干渉が過ぎれば身につかない。この辺りが限界ってか、目論見通りなのかなあ」

「今回に限って言えば、あっちも人が滅んでもいい――そんくらいの気概でくるだろ。ったく鷺ノ宮も、もちっと考えとけっての」

「もう終わったことだよ小夜ちゃん」

 空から視線を彼女に向けると、視線を左下に落としていた。それは小夜が思考するときの癖であり、他者へ考えていると示すスタンスでもある。

 けれど、僅かに開いた口が。

「ありゃりゃ、なんか嬉しそうだね」

「――はッ、そりゃそうだろ。ようやくだ、お預け食らったまま十七年、ようやく待ちに待った刻が眼前にあるとなりゃ、沸くだろーが。嬉しくてしょうがねーのは、オレだけじゃねーはずだ。アイツも、楽しみにしてるさ」

「初見のときはあっさり矛を引いたじゃない」

「あの時と今のオレは同じだと言いたいのか? だったらてめー、試すか?」

「いやいやまさか、冗談だろ。冗談にしといてよ。今の小夜ちゃんに挑むほど無謀じゃないって」

「まあいいさ。とりあえずてめー、ふらふらせず野雨に留まっとけよ。じゃねーとオレも満足に動くことすらできねー」

「いや小夜ちゃんが動くって、嫌な予感しかしないんだけど」

「ふん。……第四進化種か。皮肉だな」

「まあねえ。連中は己が人だと誇ってるみたいだけど、実際はそうでもないし。どうであれ、人の器を越えられないのは魔術師だって一緒だからね」

「人としての規制、か。わからんでもねーけどな」

「会話を選択したっていう鬼灯の言葉?」

「知ってるだろ? 結局のところ、人は己を規制して生きなくちゃならねー。それをせずに生きられる人間は、必ずどこか壊れる。オレやてめーだってそうだろうが」

「程度の差はあると思うけどねえ」

「誰がどうであれ騙そうとするてめーに言われたくねーよ」

「通じない人は苦手だけどねえ」

「あー?」

「いや小夜ちゃんがってことじゃないよ? そういうことだけど」

「どっちなんだてめーは……まあいい。だがこれだけは言っとくぜ? ――ESP保持者は、増えねーよ」

「へ、そうなの?」

「ああ。増えたところで両手の数に至るかどうかだ。鍵は、鍵だけどな……適合者が少なすぎる。いや現実に、適合者はとっくに覚醒しちまってやがる」

「ああそういうことか。そうだね、確かに――今更になって暴走を必要としないESPの覚醒なんて、必要ない」

「それでも妖魔にとっちゃ甘美な餌だ」

「かがり火の蛾じゃなく、甘露の類だね。ああそっか、そういう意味での鍵か」

「ああ――間違いなく、紅月が堕ちる時は旗姫が一気に覚醒させる」

「……じゃ、それまでにやることを済ませないとね」

「てめーはラルの傍にいりゃそれでいい。いい加減、誤魔化すのはやめてな」

「いいだろ、その辺りは俺の性なの。ただやっぱり気になるね。――鬼灯とあやめちゃんじゃ荷が重い」

「成長すりゃいいだけの話だ。人は簡単に変わる」

「壁をちゃんと、見つけられればの話だね。小夜ちゃんはこれから、どうするの?」

「アイギスに干渉してる最中だ」

「ああ、あの子とは顔合わせはしてねえけど、ってことはついにか――あはは、終にかな。俺はべつにどうだっていいけど巻き込まないで欲しいね」

「なら野雨にとっとと戻るぞ」

「先に戻ってもいいよ?」

「お目付け役がいると面倒か? ぐだぐだと、くらだねーこと言ってんじゃねーよ」

「はいはい。俺も不肖の弟子をからかいに行こうかな」

「そうしとけ。だがまあ――鬼灯たちにとっちゃ、ようやくのハジマリだ」

「遅すぎて申し訳なく思ってんだろうなあ、ご両親は」

「知るかよ。逢いにこいって話だ、もう盟約は終わってんだからな」

「……ふうん」

「話しすぎたか。行こうぜ、夜が明けるまでここにいるのも乙なもんだが、オレはラルにあらぬ疑念を抱かれたくねーよ」

「はははっ、ないない。絶対ない。間違いなくない。俺がラルさん以外に手を出せないなんてこと、ラルさんが一番知ってるから」

「うるせえ」

 小夜は思い切り、イヅナを蹴り飛ばした。

 紅月は大きい。空という空を覆いつくそうとせんばかりの巨大さは、地表に激突することを今か今かと待ちわびている。

 だからこれはきっと、その時までの物語。

 前崎鬼灯たちが書き綴る、堕ちる日までの記録だ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る