08/10/08:00――前崎鬼灯・蝶の姫

 定時に登校した四人だったが、遅れるだろうことを見越した田宮は先に学園へ向かった。三人は観光のように質問をぶつける旗姫に答えながら徒歩で向かう。

 二○一一年に東京が壊滅してから日本の首都は愛知県名古屋市に委譲されてから、ざっと五十年近くになる。当時は混乱していたらしいが、その際に大規模なインフラ整備が各市に行われたため、隣接こそしていないもののここ野雨市の交通は飛躍的に利便性が上がり、徒歩であっても公共交通機関を使っても、そう大差なく距離を移動できる。

 物珍しいのだろう。落ち着き払った態度でついてくる旗姫は服装は昨夜と同じものだが、きょろきょろと動く視線が感情を隠しきれていない。そしてVV-iP学園に到着した時は、隠すこともなく驚きを表現した。

「ここが、学び舎、ですか?」

「そうだ」

 三メートルはあるだろう壁に囲まれた広大な敷地は、道路を歩いていてここが学園であると気付くのが難しい。もちろん、事前知識があればべつだが、この内部はどうなっているのだろうと疑問を抱くほどに、その外見から浮かべる印象は堅牢の二文字に尽きる。だが東西南北に位置する出入り口は広く開け放たれており、出入りの際に認証が必要なわけでもない。

「こちら側は高校校舎と大学校舎がある。後ろを見ろ、あちらは少し狭く見えるが中学校舎だ」

「はあ……わたくしの知っている学び舎とは、大きく違うようです」

「書物に出てくる学校とは確かに違っているな。制服もなく、学生以外の出入りも認めている。また単位制でもない」

「単位制ではないのですか? では、どのようになっているのでしょう」

「一年の終わりに進級試験、または卒業試験がある。七月の終わり頃には中間試験もあるが、こちらは無関係だな。学園側の措置としては寛大なものだと俺は思うが……」

「……?」

「いやなに、一年の終わりの試験は合格ラインに至らなければ留年になる。チャンスは一度限りで二度目はない。ちなみにこの試験ですら、出席は強要されない。欠席すれば留年できるわけだからな」

「日ごろの授業ですら、出席を義務付けられていないのですね」

「そうなるな。だが多くの学生は出席している。普通学科は現在夏休みということもあって、休日を満喫している頃だろうが、やはり日日の積み重ねがなければ進級すら望めなくなるのは自明の理だ。そのため学生は日常的に授業に出て――安心を得る。それを嘆かわしいと思うかどうかは、立場の差だな」

「悪いことではないかと愚行する次第ですが……」

「そうだな、学生にとってはそうかもしれない。だが学園側としてはどうだろうなと、俺は考えてしまうわけだ。これほどまでに一般とは違うシステムを取り入れているこの学園で、一般と同じシステムを学生自身が作り出してしまっている。人は枠組みがなければ生きることが難しいとも言うがな」

「鬼灯」

「おっとすまん、癖だなこれも。では――行こうか。今朝に学園へ問い合わせた結果、俺の付属ゲストになっているらしい。すまんが行動が同じになる」

「いいえ、構いません」

 北門から入ったため、特殊学科棟は眼前だ。少しは歩いて環境を見せようかとも思ったが、この学園に限っては移動距離が長すぎる。パンフレットでも見て想像した方がよっぽど早いのは、在学生ならば誰もが知っていることだ。内周をバスが走っていたりするし。

「俺たちが在籍しているのは特殊学科と呼ばれる中でも、いささか異質な蓄積学科と呼ばれるものだ。授業も一般的な普通学科と大きく異なっている。そのため、これが一般的であると思わないで欲しい」

「はい。どのようなことを学んでいるのですか?」

「実際には学んでいることはない。俺たちは、あらゆる知識を収集しているようなものだ。世界にある知識を、それがどのようなものであっても蓄えたい――それを行動に移している」

「……? それは、知識を収集する術を学んでいるのではないのですか?」

「違うな。そこには個人差もある、確定した技術があるわけではない。俺たちは、自分自身のために知識を集めているだけだ。それが役立つかどうかも別物だが、そこに面白味を見つけるのは難しいことではない。俺たちにとってはな」

「なるほど。あらゆる学問へと手を伸ばしている――その解釈でよろしかったでしょうか」

「的確な表現だ」

 最上階にきて蓄積学科へ入る前、開いている扉の隣にある認証パネルに学生証をかざす。

「それは?」

「ああ、出席に制限がないため、こうして出席時には記録をとって学費に影響させている。中には進級試験だけしか顔を見せない連中もいることだ、そうしてみると個人における学費の差異は俯瞰してみるとかなりのものだろうな」

「あ、おはよ」

「おはようございます聖園さん」

 入り口近くにいた聖園が気付いて笑顔を見せるものの、他の学生に関しては既に授業に没頭している。いや授業ではない、作業と呼ぶべきか。

「あ……その、そちらの方は、あの」

 旗姫が一緒なのを見て怯む。今にもあやめの背中に隠れそうな気配だ。

「初めまして、陽ノ宮旗姫と申します。この度、鬼灯様とあやめ様のご厄介になることとなりました」

「あ、は、初めまして。一ノ瀬聖園みその、です」

 そういえば初見の時はこのような感じだったなと鬼灯は頷く。聖園は人見知りなのだ。

「後ろに移ろう。聖園も話がある、いいだろうか」

「うん……」

「なに、旗姫とは俺も昨日の夜に顔を合わせたばかりだが、噛み付くような人種ではないのは確認した。あやめが言うには犬歯がなかなかに鋭いようだ」

「え、あの、なんで犬歯の話なの……?」

「そうか、すまん旗姫。八重歯が似合うという意味合いではない」

「……あの、謝られている意味がわからないのですが」

 褒めているかどうかも微妙だ。

 基本的に教卓付近で固まっている学生たちからは離れる。座席も指定されたものではないが、個人の感覚で半ば使う座席は決まっていた。

「さて旗姫、座れ」

「はい」

「聖園は前に」

 言うまでもなく逆隣にはあやめが腰を下ろした。

「見ての通りだが、感想はあるか?」

「そうですね、凄いと漠然ですがそう思いました。同時作業が多いのですね」

「そうでもしなくては、時間が足りなさ過ぎるからな。とはいえ観察だけでは暇だろう、退屈かもしれないがこれでも読んでいてくれ。話に耳を傾けるのも存外に面白いが」

「これは?」

「俺のノートだ。三冊ほど持ってきた」

「――え? きちょうくんのノート!? え、だって前は見せてくれなかった」

「ああ、聖園は見るな」

「ええっなんで!」

「珍しいな、聖園が大声を出すとは。知っての通り、ノートとは自分自身のために記すものだ。他者に見せるようなものではない」

「ええー」

「不満そうな声を出して口を尖らせるな」

「だって……きちょうくんの、ノート――見たい人いる!?」

「奪取依頼なら狩人へ」

「まず、あやめ氏の拘束から始めるべきだろう」

「紙媒体なら火を使われたら終わりよ。気をつけないと」

「正攻法で攻めるチームと本命チーム、それと陽動の三チームを組もう」

「機会はどうする? 席を離れた場合でもいいが、内部の犯行だと示されるのはまずい」

「完全犯罪にするしかないな……スケープゴートを用意する」

 つまり、全員見たいらしい。

「あの、鬼灯様」

「気にするな。連中には見せないと決意を新たにしたところだ」

「何故と問うてもよろしいでしょうか」

「先も言った通り、ノートとは己のために記すものだ。だが連中はそこから、俺が何故そこに記したのかを分析しかねん。いやする。きっとする。そこから深層心理まで分析するはずだ、いやする」

「それが楽しみなのに……」

「聖園も言うようになったな。――まあ、今回のノートはその分析がどこまで通じるかもあやしいものだが、旗姫は気にせずに読んでいてくれ」

「はい」

「いい返事だ。――で、すまんな聖園。聞きたいことが……何故拗ねている」

「……べつに、拗ねてませんし」

「拗ねているだろう」

「そんなことないし。ノート見たかったのに残念とかじゃないし」

「あやめで慣れているつもりだったが、女というのはどうにも……」

「なにか?」

 あやめに睨まれたので黙った。余計なことを言うものではない。

「さて何事もなかったように話を続けるが」

 睨むの一人、拗ねるの一人、読書中が一人。

 どうしろと。

「聖園はつれづれ寮にいた時があるそうだな?」

「え? あ、うん……一時期、ちょっとだけ」

「探りを入れているように感じるかもしれないが、どのような寮なんだ?」

「えっと、個人経営の学生が使う寮で……探り入れるのは危険だよ?」

「なるほどな。朝霧芽衣という人物が寮生らしいのだが、知っているか?」

「ううん、私がいた時にはいなかったから」

「そうか。それがわかれば充分だ。詰まらんことを聞いたな」

「いいけど……ちょっと、テンション低い?」

「そう見えるか。ならば俺も精進しなくてはな」

 ちなみに、あの後に交代の呼び出しを鬼灯はやらなかった。深夜四時を過ぎて疲労回復が追いついたあやめが目覚めた頃に、悪鬼が裸足で逃げ出すような形相でやってきて蹴飛ばされ、二時間ほどしか眠っていないのが現実だ。

 己で選択したことである上、慣れているので構わないのだが、頭の回転が遅くなるのは自明の理だ。

「あーそれで特殊相対性理論が否定された件についてだったか? ニュートリノの速度が光速を越えた辺りの実証は上がったが、アインシュタインを貶すのはどうかと思うな。実験と論理とを一緒にするならば、当事と今の技術差も視野に含めて検討すべきだ。ちなみにタイムマシンは空想の産物でしかない」

「……疲れてるね、きちょうくん」

「なんだ違ったか? となると……む、何の話だったか」

「話は一応、完結しましたが」

「そうなのか?」

「うん、とりあえず」

「……鬼灯、少し休んでください」

「いや、俺が招いた結果だ。甘んじて受け入れる」

「いいから休んでください。見ていて落ち着きませんから。旗姫、どうかしましたか」

「あ、はい。質問があって、ここなんですけれど」

「ん、説明します」

 ちらりと投げられる一瞥は、任せろという意思がある。だから鬼灯はため息を落とした。

「どうやら、文句は受付ていないようだな」

「みたいだね」

「すまんが休む。助かった聖園、また昼頃にでも話をしよう」

「ん、ごゆっくり」

 机に突っ伏すのではなく、鬼灯はそのまま腕を組んでうつむいた。視界情報を遮断して思考へと意識を誘導すれば、そが曖昧なもののように滲んでいるのもわかる。

 ほどなく、浅い眠りが鬼灯に訪れた。

 ――夢を見る。

 それを夢だと認識するのは簡単だ。鬼灯に限って言えば、いつも目覚める時に夢の内容を反芻してから瞳を開くことにしている。大抵の場合はこれで大雑把に夢を忘れない。目を開けてから再度思い出せば効果的だ。

 つまり夢を夢と認識するのは、夢の中よりもそれが終わってからの方が簡単なのである。

 けれど己が出てこない夢は、基本的にない。

 ――あやめのテレパスか。

 それが起きる直前なのか、今まさに眠っているのかはわからないが、その映像が馴染みのあるESP波に乗って送られているものだとわかった。

 少女が蝶と戯れている、ただそれだけの光景だ。

 ひらひらと舞う蝶が美しい発光を見せているのは夜間だからだ。少女は口元を綻ばせ、手を差し伸べて蝶に触れ、あるいは動きを変えさせ、まるで人形を相手に一人遊びをしているようでもある。

 ため息を落としそうになって止める。耳から聞こえるざわめきが現実であるのと認識し、夢と現実との境界線を越えて尚、それをただ映像として頭の中に浮かべながら、あたかもまだ眠っているかのよう身動きをせずに。

『――あやめ』

『おはよ。それは昨日、私が寝てる時に見た夢だから』

『探りを入れたわけではない、か?』

『一方的に送られたテレパス。どうする?』

『折を見て自覚させてみるか……問題があるようなら外から圧力がかかるだろう』

『勝手にしていいの?』

『本人の意思を蔑ろにするわけではない』

 寝息を意識して変えてゆっくりと目を開いた鬼灯がするのは、時間確認のために携帯端末を取り出すことだ。時刻を見れば昼休み目前、これには内心でがっくりした。よほど疲れていたらしい。

「ん……?」

 メールが二件入っていた。手早く確認すれば一つは連理れんりから学食で待つと短い文があり、もう一つはまた簡単に熟から指定の口座へ入金とある。

「あの馬鹿、どういうつもりだ……」

「どうかしましたか鬼灯。おはようございます」

「これを見ろ」

「……あの人は何を考えているんですか」

 日本円にして四千万の振込みがあった。もちろん仕事用の口座であり、あやめと合計金額を半分にしてそれぞれ管轄としているが、多すぎる料金だ。これから旗姫の生活分を含めたとしても多すぎる。

「いらん期待を背負わされた気分だ」

「寝起きの話題としては悪い部類ですね」

「後で連絡しておく。――すまん旗姫、ようやく目覚めたがそっちはどう、だ……?」

 ぺらぺらと、ゆっくり紙をめくる音がする。隣の旗姫を見た鬼灯は、口元に笑みを浮かべてしまう。

「――そういえば、こうした光景を見るのは久しいな」

 何かに没頭している姿勢は美しい。目の前のそれしか映っていない瞳が追っている情報が、今の旗姫にとっては全てだ。

「俺もそうだが、ここの連中は並列作業ばかりだ。集中はしているが、ある意味で没頭はしていないからな」

「ちなみに七週目に突入しました」

「……なるほど。質問の具合はどうだ?」

「最初の一時間ほどで仔細に渡って。さすがに私では答えきれない部分が二、三ありましたから後ほどのフォローを」

「そうだな。連理が学食で待っているそうだ、行こう……ん、聖園の姿は見えないな」

「そのようですが」

「ああ、約束をしていたわけではない。まだ早い時間だが、旗姫は休憩をしたか?」

「いいえ。そこを懸念していたところです」

「なるほど」

 立ち上がった鬼灯は、迷わず旗姫の頭に手を当ててぐりぐりと動かす。

「あ、あの、鬼灯様……?」

「休憩の時間だ。手を止めて立ち上がれ。場所を移動する」

「はあ……わかりました」

「よし。――とはいえ、俺も目覚めたばかりだが。ノートはどうだ?」

「大変に面白いです。今まで読んできた書物とは大きく違っていて……最初に見せたくないとおっしゃっていた意味も、なんだか少しわかるような気がします」

「では、移動中の時間潰しにでも傾聴しよう」

 言いながらも鬼灯は携帯端末で情報を漁っている。今日は医学関係だ。

「内容の理解というか、知識の吸収に時間を要してしまいましたから、あまり的確なことは言えないかと思いますが」

「構わない。そのつもりで聞いてみよう」

「あれは鬼灯様のノートですね」

「そうだ、間違いない。誰かが手品でも披露して変えたのならば、今の言葉の信憑性は薄れるが」

「一通り読んで、私が引っかかりを覚えていた部分の多くは思考の飛躍でした。何をどうすればそうなるのか、その道筋がなく結論が先にきていたのですね。けれどその過程に当たる部分は、後ほど記術されている場合がいくつか見当たりました。これは鬼灯様が、思考過程で記すよりも先に結論を見出してしまったからですか?」

「そうだな」

「過程を記す必要がなかったのは、結論が目的だったからですか」

「それもある」

「となると過程を途中で追加したのは?」

「言い訳をして正当化しようと思ってな。――さて、どうして俺がノートに何かを記しているのだと思う?」

「それは……記録するためでは?」

「なるほどな。だが俺の場合は少し違う……と、まあ理由は改めて確認してみてくれ」

「は、はい」

 とはいえ、そう難しい問題ではない。鬼灯にとってノートに記す目的は二種類ある。一つはレポートの提出などにおける文章作成の下書き、そして二つ目が旗姫に渡したもので――思考の整理、である。

 たとえば鷺城鷺花が口に出して思考の迷宮から活路を見出そうとするように、鬼灯は何かに記すことによって思考や知識を整理しようとする。特に難題は記し、聴覚ではなく視覚から情報を得て発想を改めるわけだ。

 また同時に、読み直すことで当事の考えを思い出すことも可能になる。問題があるとすれば、記録として残ってしまうことか。昔のものの一部は焼却処分にしているけれど。

 そうして、彼らは学食へ足を踏み入れる。

 あらゆる必然を終結して作られた、たった一度しか訪れないその場所へ。


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