2055年

03/18/15:50――朝霧才華・家庭の事情

 十五年になる人生を振り返ったのならば、記憶にある限り、朝霧才華は語る言葉を持たない。というのも、それなりに事情があるにせよ、大多数の他人とそう変わりのない、平凡な人生を送ってきているからだ。朝起きて、学校に行って、帰宅。そして寝る。大きく考えれば、そういう毎日をずっと過ごしている。

 ただ一つ、両親がいない、ということを除けば。

 昔、つまり幼い頃はそれを負い目にも感じていた。両親がいない才華にとって、両親の代わりは祖父母だ。十五歳になる今でも、祖父母の厄介になっている。それを心苦しいと感じることも、嫌だと思うこともなくなった。つまり、それすらも今の才華にとっては日常になってしまっている。

 けれど、ふと胸中に飛来する疑問に、心を落ち着けたくなる時、大抵の場合は今日のように、ふらりと両親の墓を参りにきたくなる。といっても、今回は中学を卒業した日であり、高校への入学も決まっているので、その報告がメインなのだが、こうした節目になると――やはり、いろいろと考えてしまうものだ。

 それに加えて、同居人が増えるなんて話をされれば、余計に混乱もする。

 学校帰り、学生服に卒業証書を持ったまま、自宅には連絡を入れて一人、才華はゆっくりと歩きながら、考えを整理する。

 人生。

 振り返るにはまだ早いけれど――記憶がほとんどない部分。

 両親が死んだ光景を、才華は覚えていない。

 軍人だった両親が、どこに所属していたのかも知らないし、何をしていたのかも知らない。少なくとも自衛隊に入っていたわけではなく、であればアメリカの軍隊なのだろう、くらいの予想はするけれど、その事実を知ることもなかった。そんな二人が死んだのは、随分と幼い頃で――思い出せば、赤色しか浮かばない。

 何がどうなったとか、殺したのか殺されたのかすら、定かではない。

 おぼろげな光景の中、ただ赤色があった。ただの赤だ、それが怖いとも嫌だとも思わないほど、たとえばそれは、絵の具の赤色を見ているような感覚に近い。

 ただ、目の前で死んだのは、確かだ。

 ――両親と一緒に、姉も。

 天涯孤独の身というわけではない。何しろ、今の才華には祖父母がいる。育ててもらった恩もあるし、そもそも記憶がおぼろげでしかないのなら、恨みをぶつけるのは筋違いというものだ。

 それでも、思うところはあるのだ。

 だから同居人の相手が、軍人だと言われた時は正直、反応に困った。

 厳密には元軍人――軍部を退役して、引き取り先を探していたらしい。どうも直属の上司が東洋人だったらしく、その関係で探していたところ、朝霧家の事情を知り、軍とはもう関係ない、という点を信頼しての、頼みだったと祖父は言っていた。

 祖父母は軍人に対して、偏見もなければ嫌悪も持たない人間だ。たとえ自分の息子が軍人となり、その結果として命を落としても、自ら選んだ道の中でのものならば、感情は別として、認めるべきだ、という立ち位置でいる。厳しいというか、逆に甘いのかもしれないが、だからこそ軍人の大変さを知っているらしく、才華自身が頷くのならば引き受けたい――なんて。

 そんなことを相談されたのが、十日前くらいか。一日ほど考える時間を貰ったものの、相手がどんな人かは知らないが、断る理由は少なくともないと思い、頷いた。今では、軍とはどういうところか聞いてやろうだとか、そのくらいの前向きな気持ちにはなっている。

 墓所につく頃には思考もまとまっていた。これからどうしようとか、そういう悩みは頭の隅に追いやる。水を汲み、仏花を手にして墓所へ入り――そして。

 そして、傾いた陽光の中、スーツに似た服を着た人物が、朝霧家の墓前にいることに気付いた。スラックスだったので一瞬、男性かと思ったが、近づけば小柄な女性だということがわかる。目元を完全に隠すアイウェアをつけているため、顔まではわからないが、右手に何かを持っていて、ふいに、こちらを見た。

「ん……」

「――」

 何を言うべきか、迷う。迷って、とりあえず才華は頭を下げてから、更に一歩近づいた。

「もしかして、ここか?」

「――ええ」

 共通言語イングリッシュで話しかけられ、対応に一瞬間が開く。というのも、必須科目として学校で習うものの、いざ実際に使うのとは別の話であり、不得意ではないけれど、才華もあまり得意な方ではなかった。

「そっか。悪い、日本の流儀は知らないんだ。あたしの知ってるやり方でいいよな?」

「どうぞ、構いません」

 ありがとな、と言った彼女はコルクを抜いたかと思えば、ウイスキーを半分ほど墓石の頭からかけてしまう。それからボトルに口をつけて三度ほど喉を鳴らし、残りをすべて同じようにかけた。

「――朝霧の人か?」

「そうです」

「じゃ、答えられるなら教えてくれ。ここにゃ、ちゃんと埋まってんのか?」

「はい」

「そっか……ああ、こっち――日本に来たのは今日で、日本語は上手く話せねえんだ。許してくれ」

「そうですか。僕も、ゆっくり話していただければ、なんとか」

 ひょいと躰を横に避けたので、才華は花を添えて水をやり、両手を合わせて軽く目を閉じた。こういった作業も自己満足だ、軽くでいい。そう、軽く中学を卒業したことを報告しておく。

「失礼ですが、うちには……?」

「ん? ああ、聞いてねえか? しばらく朝霧の家にゃ厄介になる身だよ。だからまず、こっちに挨拶をと思ってな」

「――そう、でしたか」

「んな丁寧な受け答えしなくていいぜ。あたしはシシリッテ・ニィレ。シシリでいい。そっちは?」

「朝霧才華です、――だよ。聞いてるとは思うけど」

「同い年の孫がいるってのは、聞いてたよ。けどまさか、こんなところで逢うとは思ってなかった」

 ははは、と小さく笑う彼女の髪が風で揺れて気付く。逆光でそう見えたのではない、彼女の髪が赤色になっているのは、地毛だ。

「あたしは育ちが悪い。思ったことは口にしちまうし、遠慮しねえと思うから、お前もそうしてくれよ。ええと、シーカ? サッカー?」

「才華だ。SAIKA」

「オーケイ、サイカ。まだ時間かかるか?」

「いや……簡単に報告だけだから」

「だったら、朝霧家までの案内を頼む。できれば徒歩で移動したいんだが、結構な距離があるのか?」

 できるだけ気軽な応答を心がけよう、と才華は思う。相手がそれを望んでいるし、こういったものは結局のところ慣れだ。下手に時宜を逸すると、丁寧な対応のままになってしまうこともある。

「歩いてもせいぜい、三十分くらいだよ。俺もそれでいいけど……ここまではどうやって?」

「駅を出たところで、タクシー拾った。住所だけは貰ってたからな」

「俺がいなかったら、ここからも、そうするつもりだったのか……」

「いや日本のタクシー、マジで対応が良いな。聞いちゃいたが、驚いたもんだ。ぼったくりもしねえし――行こうぜ」

「だね」

 スーツ姿と学生服。あまりつり合いが取れているとは思えない二人組だが、才華はそんなことよりも。

「というか、俺は女性がくるなんて、聞いてなかった」

「へえ、そりゃ嬉しいね。あたしを女扱いするヤツなんて、そうそういなかったからなあ」

「そういうことじゃなくてね……。一応、退役軍人になるのか? 俺と同い年ってことは、えーっと、どうなんだ?」

「単にドロップアウトしちまった、くらいの考えていいぜ。一応、籍はまだおいてる。名目上は予備役ってところだ」

「予備役……?」

「電話一本で呼び出されて、それなりの仕事もするが、基本的にゃ関わりはねえって立ち位置。このくらいのことはべつに、口止めもされてねえから、問題ない範囲だな」

「よければ、軍ってやつを詳しく知りたいね。君は……シシリは知っているかもしれないけど、俺の両親は軍人だったらしいし、今まで教えてくれる人はいなかったから」

「たとえばどんな」

「そうだなあ……シシリがどうして軍に入ったのか、そういうところも知りたいとは思ってる」

「あたしの話か。世話になる身だし、話してもいいけど、詰まらねえ――っと、おいサイカ、ここってコンビニってやつか?」

「ん? そうだけど」

「ちょっと寄ろうぜ。確かめたいことがある」

「いいけど……」

 一体何を確かめるつもりだと思っていると、がらがらとカートを引きずりながら中に入ったシシリは、ポケットからカードを取り出して、まずはカウンターへ。

よお店員ヘイボーイ、このカードは使えるか?」

 一瞬、返答に詰まったが、男の店員はもちろんだと返す。そうしてシシリはそれほど広くはない店内を見渡してから、おにぎりが並んでいる棚で足を止めた。

「サイカ! ヘイ、こりゃどういうことだ。新鮮そうなものがずらりと並んでやがる。随分と品揃えがいいじゃねえか」

「そう? 日本じゃこれが普通だよ。期限切れのものは処分して、新しいものと入れ替える」

「マメっつーか、細かいっつーか、いやそりゃいい。サイカ、日本語が読めねえ。どういうラインナップだこりゃ」

 片っ端から教えていくと、シシリは大して迷わずに紅鮭を選択した。それを一つだけ購入して外に出ると、すぐに包装をはがそうとするが――。

「……この番号と、図解されてる通りで、本当にできんのか、これ」

「やれやれ、俺がやるよ」

 才華ももちろん、彼女が知らないことを当然だと思うし、自分が慣れていることもわかっている。だから見せるようにして包装を外し、店舗前のごみ箱に捨ててから、お握りを渡した。

「マジかよ……おいおい、これだけであたしはショックだぜ。どうなってるんだ日本、未来に行きすぎじゃね……?」

「そこまでじゃないさ」

 がぶりと一口、もごもごと口を動かして飲み込んだシシリの目が丸くなる。しかし、何かを言うよりも早く、ぺろりとそれを食べてしまった。なんだか早業を見ている気分だ。

「――おい、あたし泣いていいところか、これ」

「え、どうしたんだよ」

「そりゃ白米って言えば主食だ。おかずがなくたって、ふりかけがありゃそれでいい。なくたって、塩やソースがありゃ食ってきた。それがどうした? たった一ドルのこの握り飯が、今まで食ってきた白米の中で群を抜いて美味いんだぞ? おいおい、こりゃ夢か? 贅沢とかいうレベルじゃねえ……!」

 そんなに驚くことだろうか。なんとなくはわかるが――いや、それにしたって、驚き過ぎだろう。

「あー、これだけで日本にきて良かったと思うわー、マジで。あと、あたしの人生振り返って、マジでクソだなと思うぜ」

「そこまで言うか……?」

 立ち止まっていても仕方ないので、促すようにして歩き出す。

「いや聞いてたんだぜ? あたしの周囲にも、それなりに東洋人がいたから、こっちの飯が美味いってのはな。けど、さすがにここまでとは思ってなかったし、正直に言えば侮ってた。冗談半分だと思ってたんだけどなあ……」

「ふうん? 俺としては、期待通りで良かったと言えばいいのかな」

「ちょっと落ち込むけどな。で――なんだっけ? あたしの生い立ちだっけ?」

「そう、そんな感じ」

「どこにでもありふれた、詰まらん話なんだけどな……。ガキの頃に、親に捨てられて孤児院に入ったんだが」

「捨てられて?」

「貧しいところだと、よくある話だぜ? 厳密には孤児院へ売られるって形なんだが、そう大金が入り込むことはねえし、子供兵器の訓練場に売られないだけ、親ってのも案外、優しいところがあったんじゃねえの。で、その孤児院がいわゆる軍のお抱えみたいなとこでなー、就職先に米軍の海兵隊があったんだ」

 とはいえと、なんでもないようにシシリは言う。

「孤児院なんてのは、ただ孤児を預かるだけだからな。大した勉強はできねえし、選べるほど就職先なんてねえ。はした金と一緒に米軍が引き取ってくれるってだけで、ありがたい話だ。それでも、制服組に行くやつも、二十人に一人くらいはいたんだぜ。あたしはそうじゃねえけど」

「制服組か」

「おう、いわゆる現場には出ないが、現場の尻拭いもする指揮官みてえなもんだ」

 うちの両親はどっちだったんだろうと思うが、考察はあとだ。

「海兵隊訓練校に入ったのが十二歳くらいの頃だったかなー」

「……どうして辞めたの? ああいや、まだ辞めてはいないんだったか」

「おう、一応な。辞めたっつーか、辞めさせられたっつーか、なんだろう。こう言っちゃなんだが、長期休暇に似たようなもんだ。あたしの回りは上官もそうだけど、それなりに日本人がいて、話だけは聞いてたから、こっちに来たんだよ。予備役扱いなのも、まあ五年の内に戻りたいなら、戻れるぞって意味だろうし」

「軍が嫌だっとか……」

「一人で生きてく身としちゃ、軍だってそんなに居心地は悪くねえよ? そりゃ命を対価にする、殺伐とした場所じゃああるが、それだけじゃねえし。だから今回のことの方が、あたしは不安だよ。そのぶん楽しみもあるけど」

「なるほど。さっき言った通り、長期休暇みたいなものなんだ。でも、普段から休みってないの?」

「んー、仕事を終えた次の日くらいは、休息日として当てられるが、基本的には休みなんてねえよ。躰が鈍ったら話にならねえ――つーか、サイカ、なんだ? 両親のことについて、探りでも入れてんのか?」

「そう直截されると、困るな。そりゃ知りたいとは思うよ。いなくなったとはいえ、俺の両親だ。姉さんが生きていたらなんて言うのかはわからないけど、べつにあの事件がどうだったのかまでは、たぶん、深入りになるだろうし、なんて言えばいいのかな――うん」

 そうだ。細かい事情などは、どうでもよくて。

「両親が就いていた職業が、どんなものか知りたい。そういうことだ」

「んじゃ、あたしのことは渡りに船じゃねえか――つってもなあ、制服組のことはあたしも知らないし、こちとらクズが集まる海兵隊出身で、海軍空軍は知らねえからなあ」

「はは、それでも最初から、全部聞くつもりはないさ。追追でいい。シシリだって、日本に馴染まなくちゃいけないだろ?」

「そりゃ生活していかなくちゃいけねえからな。ちなみに、生まれはアメリカだぜ。血筋はわかんねえけど」

「俺の生まれは日本だよ。血筋もはっきりしてる」

「日本の教育ってのは、なかなかできてんだなあ。共通言語イングリッシュでも大抵通じるし」

「必修になってはいるから。俺はバイトで、最低限の日常会話を覚えたから」

「バイト? アルバイト? そんなんやってんのかよ」

「はは、爺さんに融通してもらって、簡単なものだけど」

「ちなみにどんなのだ?」

「出勤日はいろいろだけど、夕方から夜までのボーイだよ。食事を運ぶだけの仕事――あ、日本じゃ夜間二十三時から翌朝四時まで、外出禁止なのは知ってるか?」

「それは聞いてる。だから、夜に酒場で飲み明かすこともできねえ」

「できても、帰れないって話だよ。だいたい十八時から二十一時くらいまで働いて、小遣いを稼いでるんだけど、日本人ばかりじゃないから」

「じゃあ、同い年の連中がみんなそうってわけでもねえのか」

「そういうことになる」

「そうかあ……ヒアリングは多少できるんだけど、覚えねえと」

「多少は俺も手伝うよ。なんたって、同居人だからね」

「そりゃ助かる。サイカも躰を動かしたい時は言ってくれ。場所がどうなってんのか知らねえが、付き合えるぜ」

「それはどうも。学校には通うの?」

「サイカと同じところだって聞いてるぜ。それ以上は……あー、資料読み直さないとわかんね」

「諒解だ。ここだよシシリ、俺の家だ。というか祖父母の家だね」

「へえ――日本家屋って言うのか、こういうの。赴きがどうとか、情緒がどうとか、あたしにはよくわかんねえけど」

「行こう」

 先に才華が中へ入る。ただいまと、声をかければ、奥からおかえりと返ってきた。

「玄関で靴は脱いで」

「おう。荷物はここに、とりあえず置いとくぜ」

 平屋とはいえ、それほど広くはない。玄関はやや広めに作ってあるが、正面の通路はすぐに狭くなり、壁ではあるものの正面は洗面所と浴室、その奥にはお手洗い。右側は部屋が二つ、前後に並んでおり、玄関側から入れる一室は祖父母の部屋だ。奥の寝室も、二人が使っている。

 左手にあるのは居間で、正面通路を歩いて左に行けば、同じ居間と、その右手側には台所があって、そちらでは食事をする場所になる。居間の奥の一室は仏間となっているが、空室で、最奥部の一室が才華の部屋だ。廊下やら縁側やら、いろいろとあるけれど、部屋の数としてはそのくらいである。一応離れもあるのだが、あちらは倉庫……いや、書庫になってしまっていた。

「――あらまあ」

 気配に気づいたのか、奥からエプロンをつけた祖母が迎えに出てくれた。

「ばーちゃん、ご飯作ってたの? 俺がやるのに」

「あんたの卒業式くらい、私にやらせなさいよ。それよりもまあ、シシリッテさんね?」

「シシリで構いません、祖母殿。これからお世話になります」

「あらまあ、そんなに丁寧じゃなくってもいいのよ。いつも通りでいなさい」

「ありがとうございます、祖母殿。――けどまあ、世話になるのは本当だ。あなたも共通言語が上手いな、驚いたよ」

「昔取った杵柄ってやつよ。悪いわねえ、旦那は仕事でちょっと出かけてるの。才華、頼んでいいかい」

「大丈夫だ。ちょっと待ってて、着替えてくる」

 言って、廊下を歩いて台所を抜けた突き当りの扉を開けば、一番奥の部屋に到着する。荷物は机の上に置き、すぐに制服を脱いだ。これも着納めかと思えば、考えたくもなるが――それは後回しだ。

 手早く着替えて玄関に戻り、祖母と入れ替わる。

「部屋を案内するよ――といっても、襖でしか区切られていないけど」

「おう」

「こっちが居間で、その奥にある仏間を使って」

「十畳間じゃねえか」

「えっと、狭かった?」

「まさか、広すぎだろ。足をつけて歩ける場所、寝床を除けば一畳って暮らしをしてたんだぜ? それと比べりゃ良い条件だ――と」

 荷物を下ろしたシシリは、思い出したようにアイウェアを外す。そこから出てきたのは、やや凶眼とも思える目つきだった。

「ちなみに、こっちは俺の部屋だから」

「おう、夜這いはそっちだな」

「いやそうじゃなくて」

「はは、冗談だ。さすがに逢ってすぐとは言わねえって。とりあえず座ってもいいか?」

「――そうしようか」

 どこまでが冗談なんだと思いながら、お互いにやや距離を開けて腰を下ろす。

「食事は、祖母殿が作るのか?」

「バイトがない日は俺が作ることもある。祖父――じーちゃんは、そういうことあんまりしないから。ちなみに、シシリは?」

「まったく作れない。糧食班に入れられたこともねえし。ただ、なんでも食えるぞ」

「糧食班……?」

「悪い。いわゆる行軍の時とかに飯を作る班だな。これがまたクソマズイの何のって……食わないとやってけねえから、食ったけどさ。いや待て、あのレベルならあたしもできるかも……?」

「材料の無駄だからやめてくれ。いや、とにかくわかったよ……朝食はパンを焼いて食べるだけで、それぞれお好みで。昼食も別かな。夜だけは一緒に食べようってことなんだけど、俺がバイトの時は例外になる。夕食の時間はだいたい十九時だ」

「黙ってても食事が出るのは、ありがたいな。食費の請求とか、そういう細かいところは任せた。あたしも蓄えあるし、問題はねえよ。……あ、問題あった。あたし、箸がまだ使えん」

「へ? ――あ、ああ、うん、諒解」

「つーか日本の流儀は、ほとんどわかんねえなあ。これから覚えていくつもりではあるけど」

「相談には乗るよ。俺も、シシリに訊きたいことはいろいろあるから」

「おう。んじゃま――これから、よろしくってことで」

 お互いに握手を一つ。ここからが始まりだ。


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