10/15/23:40――鷺城鷺花・糸のリーリン
その日、ローマに入って宿をとった夜中、武器流通組織である音頤機関の支部に――といっても個人営業の武器屋だ――顔を見せた鷺花は、ある東洋人に出逢った。年齢はおそらく同じ頃合いだろう、服装は身軽な洋服であったものの、明らかにその辺りの店舗で購入したばかりの下ろしたてで、偽装の匂いを感じ取れたが、主と話をしていて鷺花の来店に気付いた直後、僅かに重心を落として警戒したのがわかった。
ただ、顔は笑っていたが。
「一見は――ん? あら、なあに、サギじゃない?」
「はあい、久しぶりリーリン姐さん」
肩の上で切りそろえられた髪、汚れてもよい服装だが中国人の風貌の女性は驚いたように目を丸くしてから、鈴が鳴るような声色で喉を鳴らした。
「久しぶりねえ、二年ぶりくらい」
「こんなところで商売してたなんて知らなかったわよ。――それに客もいる」
「……どうも」
少年は、頭も下げずにただ口だけで言い、足をずるようにして位置を変える。
「そんなに警戒しなくてもいいのよ? 少なくとも姐さんの店で問題は起こさないもの。その、危険に対する嗅覚は大事にした方がいいと思うけれどね。久我山――名前は?」
「やあ……参ったね。茅だ、
「知り合いかい?」
「初対面よ。でも躰と動き方が武術家のそれだったし、逃走用に
「サギも良い育ち方したわねえ。そうよ、いつだって男を尻に敷くのが良い女ってもんだ」
「姐さんほどじゃないわよ。望むのなら対峙してやるからね」
「いや望まないよ。僕は自殺志願者じゃない」
「傭兵稼業なんて似たようなものよ」
「見透かしたような物言いだね。それは推察? それとも」
「あんたを追ってきたと思ってるのなら自意識過剰ね。まあ、それくらい慎重なのも悪くはないけれど」
事前情報よと、付け加えた鷺花はカウンターに腰を下ろした。
「君の名前は?」
「知らないの?」
「知っていたら訊かないよ」
「知っているからこそ訊くものよ。姐さん、最近の教皇庁はどう?」
「そうねえ、こっちの商売が繁盛はしてないさ。むしろ稼ぎは落ちる一方でね」
「音頤は稼ぎなんて大して気にしてないじゃない。庭先で商売できてるなら、落ち着いてるってところかしら」
「うちは金とそれに見合う実力を持ってる相手にゃ、誰だって商売するさ。ただサギみたいに情報目当てでくる輩が多くってね」
「小遣い稼ぎにはちょうど良い、でしょう?」
一瞥を茅へと投げると、呆れたように肩を竦められた。顔には苦笑、降参と書いてある。
「逆手順を踏むと面倒よ」
「うん?」
「基礎の前に実戦も悪くはないし成長は早いけれど、どうせ後で基礎を叩きこまないと駄目な壁にぶつかるってことよ。――余談よ、聞き流しなさい」
「へええ……そういうサギは見たことなかったけれど、随分と視界が広くなったねえ」
「自分のことで手一杯の時期はもうしばらく前に終わったもの。ちょっとお節介が過ぎるから自重しようとは思っているけれどね。だから聞き流せって付け加えたのよ」
「……戦場で逢わないことを願うよ、僕は」
「広域殲滅型は対一戦闘特化型が苦手だものね」
「君の場合は、そもそも特化していないと僕は思うよ。こんな――曖昧で、わからない不安な感覚は初めてだ」
「あらそう。今までは運が良かったのね」
「君は何者なんだ?」
「ただの魔術師よ」
「サギほどの魔術師は、うちにとっちゃ心当たりがほかに一人しかいないねえ」
「やだ姐さん、やめてよそうやって持ち上げるの」
「教皇庁、いや協会の――」
「組織には属してないわよ」
「あら、そうなのかい?」
「姐さん、私もう十四よ? 独り立ちしたの。育成も嫌いじゃなかったけれど、本職ではないものね」
「なるほどねえ。サギに鍛えられた連中なら、かなりのモンだろうに」
「そこの小僧を相手にしても死にはしないわね」
「そう年齢が変わらないんじゃ、そっちは小娘じゃないか」
「おいおい、なにを言ってるんだいこの子は。サギが小娘だったら、うちは赤子も同然さね」
「姐さんは生娘でしょ」
「あははははっ、嬉しいことを言ってくれるねえ」
「それで? 久我山のはこっちで仕事ってわけでもないんでしょ。どっかの傭兵団に所属してんの?」
「いや僕は――……まあ、フリーランスだよ。いや補充兵ってところか。消耗品のね」
「姐さんとこのお得意ってわけでもなさそうだし」
「別のところからの紹介さね。望む品物をうちで扱ってたからねえ」
「装備補充、ね……悪いことは言わないから、バチカンに足を踏み入れるのは止めておきなさい」
「言われるまでもなく、行こうとは思わないよ。僕は門外漢だし、何よりも宗教っていうのが苦手なんだ」
「慎重、臆病を守っておきなさい。何であれ生き残ることが第一でしょう。……まあ、だから、私は別に久我山に借りも貸しもないしどうでもいいんだけれど」
そこはそれ、同じ東洋人の縁だ。
「気になるのかい」
「まあね。どうも日本じゃ私の世代が交代の時期にあるらしくてね。交代――というより、継承が近いかしら」
「たとえば、雨天紫花?」
「ああそうね、雨天もそう。都鳥、
「――」
「クグツっていやあ、裏糸術かい」
「そういうこと」
「なんだいチガヤ、あんた同類かい。こっちの界隈じゃクグツの名は忌避されてるもんだけどねえ」
「言葉もないよ」
「でもま、これも何かの縁でしょうね。帰国するようなことがあったら野雨に来なさい。たぶん何をしなくても私に逢えるでしょうから」
「――君は、野雨に居を構えているのかな?」
「一応はね」
「へえ、そうなのかい。いつ?」
「一昨日よ。家の整理が終わったと思ったら仕事でこっちに来たのね。昨日はロンドン」
「ってことはあれかい、教皇庁の禁書庫が目当てだね。一騒動起こそうってのかい」
「まさか――その役目が私にあるかどうかもわからないけれど、今回は違うわよ。素直に行くかどうかは、これから次第ね」
「なるほどね。ま、そうさね、一騒動あるんなら事前に通達が欲しいもんだ。店仕舞いは早いに越したことはないさ」
「仕事はどう? 面白いもの作れた?」
「編み込み式の限界はまだ見えちゃいないねえ。市販の剛糸にゃ死ぬほど文句を言いたいもんだ。あんな消耗品、うちじゃ三流にもなりゃしないよ」
彼女が専門にしているのは糸だ。特に強度の高いものを使って商品を作る。たとえば一般的なかたびらのような防弾衣類、そのための糸一本にすら情熱を注ぐ。そういう意味で、
ただし、上手く使えるかどうかは別の話だ。何しろ音頤の商品のほとんどは魔術品なのだから。
「で? どうなのよ」
「一本買ったばかりで、使ってないから何とも言えないよ。今のところわかってるのは、反応がタイトだってこと」
「あっそう。……さすがに本家の糸は使用許可が下りないわね――と、違うか。旅行中にはぐれたってのが言い訳だっけ?」
「事実だよ。ただ僕は戻ろうとしなかっただけだ。戦場から嫌だと逃げ出す理由がなくってね、それがどこにあるのか探している最中さ」
「若いわねえ」
「本当さね。まあここ二年は生き抜いたきたんだ、慣れない限りは生き残るとうちは思うけどねえ」
「良かったじゃない、評価されてるわよ」
「素直には受け取れないなあ……」
「で、どの糸よ」
「見せてやんな」
「はいはい、拒否権はなさそうだしね」
一度、両手を広げて降参を示した茅は近くの丸椅子に腰を下ろす。それに対し、鷺花は面倒そうに瞳を細くした。
「本命は首の後ろ側に回ってる一号ね。私の手の付近にある三号は別の剛糸でしょうに」
「――参った、本当に降参だ。悪かった、もう二度としない。約束する。こう見えて僕は約束くらい守るんだ。何より僕自身が窮地に立ちそうだからね、守るよ必ず」
「……姐さん、最近の男どもって根性なくなった?」
「だから女ばっかり強気になるのさ」
回収されなかった糸に手を伸ばして触れる。無造作に、けれど掴むのではなく指に乗せるように。
「だいたいね、動き方が自然じゃないのよ。勢いよく動かないと誤魔化せないなら、最初から見せた方がよっぽどかマシね」
「……忠告、どうも」
「にしても、さすが姐さん。使い手の力量をかなり正確に見てるわよね。ぎりぎりの領域よ、この剛糸だと」
「うちは――音頤は、そこを鍛えなきゃ店舗が出せないんでねえ。それがわかるサギも、さすがさね」
「こういう連中は結構見てきてるから……と、ふうん。もういいわよ久我山の」
「茅で構わないんだけれどね」
「あらそう。――今の姐さんだとこれの三段階上辺り?」
「段階はわからんけど、そんくらいならいいさね。ほれ、零号だけれどねえ」
カウンターに置かれた剛糸はほとんど目に見えないけれど、今度は触れる前に手を止めた。
厳密には魔術武装だが、これ自体に術的な要素が含まれながらも、効力を発揮するタイプのものではない。術式で造ったもので間違いはないけれど、たとえばエミリオンのナイフのような効果はないのだ。
魔術品が組み込まれている。いや、厳密には魔術素材か。
「わかるかい」
「――」
それを問うのならば、許可と受け取ろう。一瞥だけを茅へ投げ、鷺花は右のイヤリングを撫でる。
「リーリット鉱石、仏の骨粉、子マニラの体液、ダエグ翠石まで使ってるのね。
「……当たりさね」
「まあこの細さで強度を出すなら、素材としての問題はないけれど、欲を言えば最低でも鉱石系の比率を1%は上げて欲しいわね」
「厳しいねえ。そりゃあサギ、1%上げといてほかのを下げるわけじゃないんだろう」
「もちろん。上げてバランスを取るのよ。たぶん氷の涙があれば簡単に済む話だけれど、私が言ってるのはそういうことじゃないわ」
「氷の涙なんて扱ったこともないさね。ゴーグ辺りなら、どうかねえ。どうだいチガヤ、探し物は引き受けるかい?」
「いや――遠慮しておくよ。僕にはさっぱりだからね」
「冗談さ。けどま、大将の言葉だと思って受け取っておくよサギ、助かったさ」
「――大将? 音頤機関にも頭がいるのかな?」
「頭じゃあないさ」
「創設者よ。そんなことも知らずに利用してたのね、あんたは。じゃあエグゼ・エミリオンなんて名前も知らないか」
「……覚えておくよ」
「そうなさい。じゃ、私は宿に戻るわ。またね姐さん」
「はいよ、時間があったらいつでもおいで。寝起きで不機嫌じゃなきゃ相手もしてやるってもんさ」
「あははは、そうね」
「――名を、教えてはくれないのかなサギ」
「聞いてどうするのよ。知らないけれど覚えておくって? ――じゃ、それは次に逢った時にしましょう。それまで生き残りなさい」
「はあ、諒解だよ。どうやら問い質すことはできなさそうだしね」
それは不可能だろう。けれど、名乗れない理由についてまでこの時点で久我山茅は想像することができなかった。
鷺城鷺花。
少なくとも茅ならばあるいは、鷺花という名だけで、雨天との繋がりに気付く可能性もあったから、鷺花は黙っていたのだ。
今はまだ、拠点も定かではないすれ違いで縁の合った同郷人に、名乗る名を持ち合わせてはいない。
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