01/09/04:20――アイギス・まずは走ろう!

 ついて来い、と引っ張るわけでもなく。

 ついて来るなと拒絶するわけでもなく。

 どちらにしても自由だけれど、一緒になって行動できないようならばとっとと外れろと言わんばかりの態度に、カチンとくるのは当たり前だ。だったらついて行ってやろう、どこまでも食らいつく――それが挑発だとわかっていても乗ってしまうのは、アイがそうした生活をしていたからか。

 軍人にとって、怖いのか、と問うことを慎重にならなくてはいけない。それは相手が必ずやらなくてはならない、いわば命令の換言でしかなく、最初から断れない文句だからだ。それと同じである。

 ――ふざけるな。

 同じ班に配属されただけ、そんな理由でも同僚であることに変わりはない。書類上は年齢もそう変わらないのだから、甘く見られてそれを受け取れるほど気概が失われているわけではないのだ。

 ふつふつとわきあがる怒りにも似た感情は、決してセツに対してぶつけるものではない。これは己へぶつけて、証明をセツへと向けるものだ。

 だから走る。今できるのはそれだけだった。

 そもそもことの始まりはと、回想するまでもない。起床は定刻の○四○○時。着替えて集合するのは○四二○時――の、五分前。そして朝の走り込みが開始する、いつも通りの日課だが、走り出した直後からそれはおかしかった。

 ペースが速すぎる。もちろん、それはここ一ヶ月を参照してのことであって、彼らが走れないわけではない。それは指示されたものではなく、ただ前方、引っ張るように走っているセツのペースだった。

 二百メートルの運動場をおよそ三十秒。まるで後先を考えていないような速度で、ほかの学生たちを追い抜いて走る。追い抜かされた者たちには、監督教官らの怒声と共に周回回数を増やされているが、すまないとは思わなかった。

「おい、てめーら」

 三周ほどしてから、セツが口を開いた。それを見咎められれば追加されるというのに、それでも。

「ついてこれないようなら、べつにいいぜ」

 彼女は同じことを口にした。それを思い出したのか、アイにはもう言ったがと付け加える。

「貴様ら何を話している! 追加十周だ!」

「デイヴィット少尉殿、それでは足りません!」

「だったら声がかかるまで走り続けろ!」

 オーケイ、とセツが小さく笑いを含んだ声で呟くのを、三人共に聞いた。どうやら追加されるのは予定通りだったようだ。

 一時間はペースを維持したまま走りとおした。本来ならば○五三○時から三十分は食事の時間になるのだが、ほかの人がはけても彼らは走ったままだ。

 ふん、と鼻を一つ鳴らしたのはデイヴィットだ。どのような意図があるにせよ、見てやろうと思ったのだ。彼らの限界を。

 そもそも教官とは、限界を見定めてそれを引き延ばしてやることだ。もちろんその方法は多くあるし、教えることも山ほどある――が、どれも大局を見れば、そういうことに突き詰められる。

 今までは隠していた、それはいい。いいとしよう。今さら言っても詮無きことだ。それをこの時に見せる意味も、まあいい。彼らが納得しているかどうかすら、関係ない。

「走行向き、変え!」

 デイヴィットが大声で言った後に笛を一度鳴らすと、一秒にも満たない反応で停止から逆方向へ走り出す。ペースは落ちない。

「ダッシュ!」

 笛が鳴ると、更に速度が上がった――が、一瞬だけケイが遅くなったように見えた。つまりほかの三人よりも、速度上昇の反応が鈍ったのだ。瞬発力に劣っているのかと考えながら、しばらくダッシュさせておき。

「伏せ!」

 笛を鳴らすと速度を緩めることなく腹部から地面に落ちて伏せ、周囲を警戒するような視線を投げる。そこまでの指示はしていないし、今までも教えてはいないが、そうするのが当然だと言わんばかりで、命じるまでもなく匍匐移動を開始しそうな気配だ。

 ――こいつら。

 経験があるようだ。

「逆方向、走り始め!」

 笛を鳴らして再び走らせながらも、デイヴィットは彼らの経歴を読んでいなかったことを悔やむ。単純に問題児だとは言われていたが、そもそも新人共の経歴など、訓練校においてはさして考慮されない。必要なのはきた人間が、ここでどれほどの成績を残すかだけなのだから。

 更に一時間が過ぎるまで、気分で笛を鳴らして疾走以外の運動もさせる。それでも当初のペースから落ちることはなかったが、明らかな特徴が見えてきた。たとえばトラックを周回させるだけでなく、ほかの学生たちがいない頃を見計らって。

「――四時方向狙撃!」

 そう指示を出せば回避行動をとる。ケイは転がるように距離を取り、ジェイは前方へ飛ぶようにして伏せながらも四時方向に顔を向け、その背中を守るようにアイがしゃがみ、セツが足から倒れ込むようにして十時方向を警戒した。

「逃走開始!」

 そして再び走り込みが始まる。

 チームワーク、ではない。反応速度の差だ。

 まずケイが文字通りの回避を行い、対してジェイは反撃を想定した構えもとる。男二人にとってそれは慣れた動作であり、指示された命令を遂行する手順として刷り込まれているのだろう。それを瞬間的に見て、いや、躰が反応しつつも状況を読み取った女二人が、それを補助する格好での回避をする――その結果だ。だからそれは、男たちにとって、予想外の補助であったはずなのである。

「――やりますね、彼ら。朝飯もまだでしょう」

「ミュラー伍長か。ん、ああもうそんな時間か。やけに学生が出ているとは思ったが」

「ろくでなしの九班、ですか。デイヴィット少尉殿、ここ一ヶ月の訓練は?」

「隠していたのだろう。まだペースが落ちる気配を見せないが、今までならばとっくに音を上げている」

「少尉殿を相手に隠せていたのなら、マルサンが欲しがりそうな人材ですね。休養日を挟んで今日いきなりとなると、失礼だとは思いますが、少尉殿の訓練成果とも言いきれません」

「そこは、俺の成果にしておけ。あと二ヶ月もすれば現場に戻る、ここで給料を少し多目に貰うくらいはいいだろう」

「なるほど、確かに」

「まあそうも言ってられん。伍長、正直な意見を聞かせてくれ。今はおよそ二時間、できるか?」

「やれ、と命じられればやるしかありませんが、おそらく持たないでしょう。体力的にも、精神的にも。俺たちはアスリートじゃない」

「アスリートに、見えるか?」

「見えませんが、少尉殿は連中の考課表を読んだのでは?」

「読めと、いや、読んだ方がいいと進言しているんだな」

「読んでなかったんですか……さすがにこれを見る限り、俺なら迷わず読みますよ」

「よし。ならば後は任せた」

「――はあ!?」

「俺はまだ読んでいない。だがお前は読んだ方がいいと言う。階級が上の者として言葉を受け止めれば、しょうがねえ、舐められる前にやっておこう――そう思ったところに、同じ教官の立場の伍長が隣にいる。奇遇だな伍長、俺は失態を取り返すために行動する、つまり面倒な連中の相手は頼んだ。じゃあな」

「ちょっ、――少尉殿! 後で酒の一杯でも奢ってもらいますよ!」

「俺は最近、物忘れが激しくてな。メニューはそちらに合わせてくれ」

「ったく……こっちは狙撃訓練なんですけどね」

「一丁与えて順繰りに隅でやらせとけ」

「少尉殿は変わらないですな、まったく」

 そうそう人が変わるものではないかと苦笑しながら伍長は去っていくデイヴィットを見送ってから、声を上げた。

「――九班! 集合しろ!」

 ちらりと右手側で狙撃準備を完了し、直立のままこちらを待っている二班を確認したため、集合の時間を利用して指示を出す。一人を観測手とし、残り五名に狙撃をさせる。手順はもう以前に教えてあるのだから、これがたとえ二度目の同訓練であっても、できなければ馬鹿だ。できても当然である。

「貴様らが走ることだけは一丁前なのはよくわかった! だが走るだけならジュニアスクールのガキでもできる! これから狙撃訓練へ移行するが、愚鈍な貴様らに一丁ずつ用意などせん! あちらの隅で一丁だけ与える、それでやれ!」

「イエス、サー!」

「五発撃ったら交代しろ! 記録は――セツナ、貴様がやれ! セツナの狙撃時はケイオス、貴様だ! 標的の変更も許可しない、正確な記録を心掛けろ! いいな!?」

「イエス、サー!」

「よし、ならば始めろ!」

 一丁の狙撃銃をジェイが受け取り、そのまま二班のいる場所まで走る。そして一番隅の空いている標的前で集合し、全員が一瞥を投げ合った。

 セツが記録用紙を取るために移動し、ジェイがブルーシートの前に膝を乗せる形で座り、真っ先に分解を始めた。一度それらの部品を確認した後に組み立て、最後に照準器をつけてから、ケイの持ってきた弾丸を受け取って弾装を入れる。

「――始める。用意(レディ)」

「記録、オーケイだ」

 狙撃訓練は初めてのことであったけれど、彼らに戸惑いはない。あるいは経験から、あるいは予想から、それらの動作を行っているだけだ。

 五発に八秒。尋常ではない速度だが驚きもせずにセツは記録する。的中五、一発こそややズレているものの、全弾がほぼ変わらない位置に吸い込まれていた。

「的中五!」

 ほかの学生がやっている通り、結果は記録用紙に書くだけではなく口頭する。弾丸は7.62ミリ、距離は五百ヤード。狙撃経験のないセツは、この程度ならば当然なのかと思うだけだ。

 次はケイ。時間こそ三十秒ほどかけたものの、二班の連中を見る限り早い方だ。

「的中五!」

 ケイが銃をアイに渡しながら一瞥をジェイへ。どうやら、照準器の補正をジェイが行ったため、面倒がなかったらしく、標的を見ればズレている痕が見られなかった。

「的中四!」

 アイは最初の一発を外している。それにケイよりも時間がかかっていた。経験がないようにも思えないがと、セツは初めての狙撃に挑戦するが、結果は。

「的中四!」

 最初の一発でどの程度、理論と実践の差がでるのかを試すことで実感を得たが、結果として外れてしまう。そこからは二つの擦り合わせを行うことで結果を出せた。

 それは、あまりにも早すぎる馴染み方だ。おそらくほかの三人も、まさかセツが初めて狙撃を行ったなど、思いもしなかっただろう。アイと同じく一発目で試験結果を出して、それを踏まえて残りを当てたのだと、そう考えるのは自然だ。

 だからその後は、全員が的中させていった。

 ジェイは一秒ほど前後しながら、ケイは一定の時間をかけて結果を出す。アイは特に伏射が苦手らしく時間をかけ、セツは当てることを優先して時間をあまり考慮しなかった。

「――待て! セツナ、記録用紙を見せろ」

 ミュラー伍長が一度停止させ、用紙を受け取って顔を顰める。もちろん口頭していた結果を聞いていたのだから、そこに差はない。

「次は一人、十発ずつ撃て」

「イエス、サー!」

 明らかに経験がある行為、としか思えなかった。初めて狙撃銃を手に五百ヤードとはいえ、当たるものではない。たまたま、つまり偶然、読みなど外れるのが当たり前で風も読めない馬鹿共が当てるなど、偶発的なものでしかありえないのだ。

 十発。

 これが撃てるならば狙撃手としての素養がある――そう判断するところだが、全員がその結果を示した上、全発を当てたのが二人もいる。これはもう、確実に、狙撃経験があると思っていい。

 ――だが、どこでだ?

 考課表を読んでいないミュラーにはわからない。あるいは書いてないかもしれないが、それはデイヴィットの結果を待ってから聞けばいいだろう。意識して受け持ちの二班を見れば、彼らの結果とは雲泥の差だ。同じ時間をここで過ごしているのは当然だが、記録用紙を一枚ばかり見れば、上手な者で十発中五発が的中している。

 下手は下手だが、たかが一ヶ月でまだ狙撃をやり始めてすぐなのだから、五発も当たればマシな下手だ。つまりこの結果に文句を言うのは口だけで、内心ではそんなものだと思う。それが教官の仕事だ。

「撃ち方止め!」

 だから、そう声を上げてしまう。本来ならば――それは、見逃しておくべきものであり、ミュラーが確かめてはならないこと。後で何かしらの罰則を受けるかもしれないが、それでも。

 確かめたかった。

「九班、――あそこの塀まで千五百ヤードある」

 射撃場は運動場の隅に設置されており、区切りはなく、ただし用がなければ近づかないよう言い含めてある、空白の場所だ。ミュラーが示したのは、対角上にもなるもっとも隅である。つまりここの運動場はおおよそ長方形で、一辺が千五百ヤードほどあるわけだ。

「当たる位置まで移動して撃て。三発許す、当てろ。姿勢は問わん」

「イエス、サー!」

 面倒なオーダーだ、とケイは狙撃銃を肩に提げて走り出す。どうやらもう、この状況では、手を抜いて誤魔化すことができないらしい。

「ケイ、銃を寄越しな」

「ああ」

「先に行け」

 ボルトアクションで薬室に弾丸を叩きこんだアイが立ち止まったのはおよそ千ヤード、構えるのは立射姿勢。不安定に揺れることもなく、立ち止まって十秒以内に発砲。弾丸が標的に吸い込まれたのを照準器越しに確認してから走り出し、千二百ヤードのセツへ渡す。

「一発だ」

「オーライ」

 セツは安定する伏射を選択し、照準器を覗き込んでから十秒をかけてトリガーを絞る。結果を見てから吟味などせず、こんなものかと二人で走って次に渡した。

「一発だぜ」

「当然だな」

 ケイオスもやはり伏射を選択し、二十秒ほどの時間をかけた正確な射撃を行う。距離は千三百、的中する。そして最後は。

「ジェイ」

 千五百ヤード。

 現役狙撃手であっても、有名な狙撃手――有名になれるだけの実績を残した人間ならば、的中距離だと当たり前のように頷く距離で。

「ラスト!」

 塀に上って待機していたジェイに投げ渡すと、すぐさま装填。照準器を覗いて二秒以内に発砲し、結果を確認することもなく飛び下りた。

「いいのか?」

「この状況で外れるわけがない」

「言うじゃねーか」

 短いやり取りだけしてダッシュで戻れば、ミュラーは険しい顔でそこに立っていた。

 正直に言って、何を口にすればいいのかわからなかった。そして、極めつけは、こいつらには訓練なんぞ必要ないのでは、と疑念を抱いてしまったことだろう。

 千五百――確かに無風状態に限りなく近く、的もそれなりに大きい。だが、千五百となれば7.62ミリではなく、338ラプアなどの弾丸が一般的だ。そして、いくら直線でしかないとはいえ――そこまで考えて、やはり、ミュラーは。

「――よし」

 言葉が、見つからなかった。

「狙撃銃はこちらで預かる。貴様らは飯がまだだろう、食ってこい。それから自習室にでもいるんだな」

「イエス、サー!」

 彼らは何者で、何をしにここへ来ているのだろうか――そんなことを考えつつも、ミュラーは本来の仕事である二班の訓練を見ることにした。考えても答えが出ないことは、この世の中に結構多くあるものだ。


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