10/17/08:45――橘七・帰る場所
橘七は人に見られるのが苦手だ。いや嫌いと言ってもいい、目立つことは大嫌いだ。
というのも、職業柄なのだろう。
七は生まれた頃から当然のように橘として育てられた。そのために橘の暗殺技術を会得しており、使うことができる。
暗殺技術とは何だろうか――この問いに七はこう即答するだろう。
気付かれず相手を殺す技術だ、と。
殺されたことにすら気付かずに相手を殺す。そこが基本であり、それができるようになってから派生した技術を会得する。
だから常として身を隠す術を教えられ、使っていた。人と話すことも、日常生活もそれなりに送りつつも、自然体でいることがそもそも目立たないことに直結する――の、だが。
しかし。
「おはよう」
先導するように陽炎が教室に入り、その後ろから七が顔を出す。声に反応した中にいた生徒の過半数がこちらを見て、おはようと陽炎に言いかけてから何故か、ぎょっとした表情をして硬直し、やがて言葉の続きを放った。
その様子に陽炎は笑みを深くし、二度ほど頷いてから席へ移動しようと――。
「あれ?」
ノート型端末を開き、渋い顔で画面を見つめる男子学生を発見した。体格がよく、やや凶眼な
「おはよう和幸。珍しいね、今日は普通学科かな?」
「ん……おう、陽炎か」
振り向かず、軽く眉間をほぐしながら躰を小さく伸ばした。和幸は警察官志望らしく、普通学科に在籍していながらもその多くは公務学科に顔を出している。どうやら普通学科を志望したのには理由があるらしいけれど、陽炎は聞いていなかった。
「いやちょっと――ん? ……うおっ、よくみりゃ橘じゃねぇかそっちにいるの」
「……よく見なくてもあたしじゃん」
言って七は前の席に突っ伏した。
ここへ来る最中、陽炎と同じ傘の中だったため目立つのかと思った。いやに振り返って確認する人が多く、どこか落ち着かない様子でも我慢するしかなかったのだが、学園に入った辺りで何がそうさせるのかに気付く。
かなり遅く、だ。
「はあん、これ陽炎の仕業だな?」
「仕業って人聞きの悪い言葉を選ぶなあ。俺は、ただ七さんに化粧をしただけだよ。こうなることは予想していたけれどね。素材が良いから」
「うー、あー……意趣返しだ」
「俺としては対価だと思うけど?」
「むー……」
「それで和幸、今日はこっちで何をしているの?」
「決まってるだろう、鷺ノ宮関連の情報収集だ」
「やっぱり気になる?」
和幸は警察官志望とはいえ、完全に表側の一般人だ。情報収集能力は、さていかほどのものか。
「……気になるのは、別のことなんだがな」
「どれどれ」
隣の席からでは見えなかったため、覗き込むよう背後に回る。
「あれ、ナンバリングライン?」
「知ってるのか」
「野雨市内に走る水面下の情報収集システムだよね。アクセス権持ってるんだ」
「……さあな」
「ハッキングは好ましくないよ?」
「馬鹿、んなことするか」
「あはは、冗談だよ。でもナンバリングラインは情報に糸目をつけず一斉に総合されるから、目的のものを抜き出すのに苦労するでしょ」
「なんだ使ったことあるのか」
「俺はあまり使わないけどね」
それでも、和幸の情報収集能力は秀でている。特に既存の情報から目的のものを抜き出す手法には賞賛を送りたいほどだった。
あくまでも、一般的にだが。
「……ひどいね」
「ああ、流通のほとんどが一時的に止まってやがる。損害がだいぶ出るんじゃねぇか?」
「だいぶなんて話じゃないよ。国家単位での損失があるだろうし、国政も何かしらの手を打たないと後で罵られる。惨事だね。もう県警は動いているのかな」
「そっちはまだわからん。初動はやっぱ狩人だな……県警ももうちょっと、狩人との確執を失くしゃ身動きがしやすいだろうに」
「やっぱあるんだ」
「現場よりも上の連中が妙なプライドを持ってるんじゃねぇか?」
「そういうもんかなあ」
疑問系で放たれたそれを自然に受け流す。お互いに腹を探り合う間柄ではないし、そもそも交渉関係を陽炎は苦手としている。
「……はあっ」
そこでようやく、吐息を落として半眼で睨むように七が振り向いた。
「でさ、うちが炎上したの出てる?」
「うち? 炎上って、なんだそりゃ」
「だから、橘の邸宅が文字通り炎上したの。ネット上じゃなく」
「……橘、お前って存外暢気だな」
「どういう意味よ梅沢」
「そのままの意味だ。さてと……ん、おお出てるな。鷺ノ宮の情報が多いが、それなりに関連性を注目してる連中もいるみてぇだ。ああ、それで陽炎のとこか? 思い切った判断をするな橘」
「うるさい。ちょっと後悔してるんだからそれ以上言わないでよ」
「してるんだ」
「ちょっとだけ」
「ふうん……まあ、ほとぼりが冷めるまでは世話くらいするよ。今からでも、これからどうするかくらい考えておいた方が良いと俺は思うけどね」
「うん。でも、なんか不完全燃焼なんだよねえ。なんか情報ある?」
「被害なし、損害は建物だけ……と、狩人の初動はそんなもんか。特捜は動かないな、狩人が調査継続中。人為的な放火の可能性は低く、自然発火か不始末の辺りを疑ってるぜ?」
「無能め!」
外に向かって七が一言吼えた。いつものことなので誰も気にしてはいない。
「そう言ってやるなよ」
「……和幸、見解を聞かせてくれるかな」
「どっちの」
「橘の邸宅の方。鷺ノ宮に関しては、実害が目に見えないから正直なところ興味が薄いんだ」
「確かに、実害はねぇな」
「あたしあるんだけど」
視線を逸らし、同時に二人は咳払いをする。
「ま、この一件に関して詳しくはわからんが、今のところ……そうだな。ちょいとずれるかもしれんが、家ってのはな、まあ、何だと思う」
「何って、寝床じゃん」
「七さんはシンプルだね。まあ僕も同じように思っている部分はあるけど、そこまで割り切れないなあ」
「お前らって……どっか配線が違うよな」
「あ、ごめん。続けてよ。和幸の見解を聞きたいんだ」
「実際に〝家〟ってのは個人によってその位置に差異を持つもんだが……たとえば親父が建てた家なら、親父にとっては背負うべきものだ。中にあるものも含めて、守るものになる。ただな、誰にとってもきっと〝家〟ってのは――帰る場所だと、俺は思う」
「帰る場所か」
「ああ。ただいまと、言える場所だ」
なるほどなと陽炎は微笑みながら思う。まさに正鵠だ――が、しかし七はその意味をよく捉えられなかったらしい。
「でも、ほとんど一人暮らし状態だったよ? 姉さんもいないし、親もいないし」
「それでも、だ。たとえば橘の姉さんとやらが家に戻ってきた時、言うんじゃないか? ――おかえり、と」
「あ……」
「その姉さんとやらも、言うだろう? ただいまと」
「……うん」
「不思議なもんだが、そうした家族の繋がりも〝家〟を中心にしているんだろう。それがなくなった、失われた。どうだ橘、少しは実感したか?」
「うわあ……聞かなきゃよかった」
ひどく寂しい気持ちにさせられた七は再びうつ伏せになり、顔を見られないように隠してしまう。
「そうなると、目的も見えてくるね」
「ん? ああ、まあ、そうだろうが、俺は橘をそれほど詳しく知らないから、何とも言えんな。現場を見たわけでもなし――」
「ちょっと貸して」
ノート型端末のディスプレイを和幸に見えないような位置にしてから、いくつかのコードを打ち込んでナンバリングラインを操作する。いくつかの窓が開き、プログラムが実行されるのを隠しながら、やがて一枚の写真に至った。
「これだね」
見せると、実行されているプログラムが何なのかを知ろうと視線を走らせるが、わからなかったのか和幸はやや肩を落として写真を見た。
「現場の痕跡はねぇか。橘が無事だったところを見ると、炎上当時は傍にいなかったのか?」
「まあ、そんな感じらしいよ」
「深くは突っ込まんが……ふむ、ふむ。こりゃ、橘がどうこうじゃなく、橘の家だけを狙った犯行だろう。家を失くしたかったか……怨恨となると、一家全員が対象になるが、そうじゃないな。たぶん――帰る場所を消したかった。あ? 今朝は陽炎んとこか?」
「いい迷惑だよね」
「それは知らんが……筋は通るな」
「つまり、俺の家に七さんが来ること?」
「ああ。それと――いや」
「言ってよ」
「……拘泥、だ」
促された和幸は、全身から力を抜くための吐息を落とし、普段よりもやや騒がしい教室内を見渡してから腕を組んだ。
「大切なもの――に、たぶんなるんだろう。何かを失った人間は、失われたものに拘泥する性質を持つ。ああ一般論だが、それでも新しい住居を構えよう、そう考えても近場を選択したくなるものだ。それは家が、生活が、範囲を持っていることを示す。その範囲から出ようとするのは――存外に、難しい」
「それが嫌いであっても?」
「好きも嫌いも、拘泥の一種だろ。それに――帰る場所がないってのは、逆に言うと外に出られないんだ」
「逆じゃないの? 帰れないから、外をうろつくんじゃないか」
「帰る場所がないなら、――旅行も旅もできないだろ」
「ああ、なるほどね。でも旅行と旅は違うものかな」
「ん? 宿を取ってから向かうのが旅行で、旅は目的地だけ決めて向かうものだろ。まあ旅の場合は目的地すら曖昧な場合もあるが、その身一つだ」
帰ってこれるからこそ、旅行に出る。旅もまた、戻る場所があればこそだ。
「さすが、和幸は聡明だな」
「よせよ、柄じゃねぇって」
「けど着眼点は良いと思う。うん、やっぱり和幸の見解は面白いしためになるよ」
「褒めたって何も出ねぇよ。それに、本当の意味で現場に足を運んだわけじゃねぇし、まだまだだ。それより俺は、陽炎の見解を聞かせて欲しいくらいだぜ」
「俺の?」
「鷺ノ宮と違って、本音がどうかはともかく、実害を被ってるんだろう」
「まあ俺の趣味もあるし、釣り合いが取れてるから文句はないんだけどね。ただね、和幸は気付いていないのかあえて避けたのかわからないけれど、俺はどこかで鷺ノ宮の件と七さんの家の件は繋がっていると考えてる」
「……確かに、ほぼ同時期に行われたとも考えられる。いや、あるいはそう考えさせるための布石か?」
「――かも、しれない。だけど俺たちの世界は存外に狭いんだよ」
だってほら、わかるだろう?
こんな事態でも、授業は始まるのだから。
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