10/17/--:--――神鳳雪人・塗り潰された燈籠
そこに来客があることは、実はそんなに珍しいことではない。金銭ではなく代償を対価にして取引するものは物品に限らず、事象や現象あるいは特異な身体能力まで幅広くある。
まだ小学生の肉体を持つ彼は来客に気付くと笑みを浮かべ、書物の山から立ち上がって眼鏡を外した。
「――いらっしゃいませ」
死装束かと思えるほどに白い袴装束はしかし、一つの紋様によって回避されている。これが武術家だなと知識と現実を合致させた彼はゆっくりと驚きに固まっている雰囲気の客へと近づいた。
「ここは」
「――ここは、こんなふうになっているのか」
驚きを深呼吸で退けた客、
「どうやら、わかった上でいらっしゃったようですね。ようこそ、塗り潰された燈籠へ」
「そのような名で呼ばれているのか?」
「ええ。ご存知の通りここは現在と過去の狭間、時間の経過はない異質な場所。流れるのではなくただ在ることを赦された仮初の地獄」
「地獄か」
「ええ――と、失礼。僕はここに居ついているだけで、店主は少し出ています。まあもう少しで戻ってくるとは思いますが」
「出ている? ここではないどこかへ?」
「店主はどういうわけか、ある現実の骨董品店のみ流通経路を持っているんです。この店では僕も、そして店主も商品ですから、制限はありますが移動できるそうで……あ、ちなみに僕は試したことがありません。試すな、とも言われています」
「……そうか」
「それでは、ご用件を伺いましょう」
「私は客ではない。ただ、――逃げてきただけだ。約束を守るために」
「では、やはり迷い込んだわけではないのですね?」
「迷い込むことがあるのか」
「大抵のお客様はそう感じているそうです。僕たちも面倒なのでそう教えてあげますね。実際には望みがあり、代償と引き換えに得たいものがこの店に存在したから引き寄せられた、という流れが正しいのでしょう」
「――お前はここへきて長いのか」
「時間を数えるのは難しいんです。ただここへきてから僕はこの姿のまま、記憶は……どうでしょう。ここに居る時間の方が長いかもしれません」
「そうか、不躾だったな。すまない。――私の名は神鳳雪人だ」
「神鳳さん、ですね。ご丁寧にありがとうございます。僕は数知
数知、そして一二三。彼の名があることを示しているのだが、雪人はそれを知らなかった。
「おっと、店主が帰宅したようです」
入り口の扉が開き、ふらりと作務衣姿の無精ひげおっさんが出現した。頭もぼさぼさで、しかし雪人はそこに貫禄を見出す。
似合っていた。
その姿が、その存在が明確に。
「
「おう――なんだ、客か?」
「いや、私は客ではない」
「だったら帰ぇんな。居候が一人いやがるだけでも邪魔だってのに」
「何を言ってるんだか……僕がいないと身の回りのことを何一つしようとしないのに」
「うるせぇな。お前がいなけりゃやるんだよ。――おら、とっとと帰れ」
「――帰れない。私には帰る場所もない」
「だったら現実で帰る場所を作れ」
「駄目だ。現実には戻れない。私はそう約束した」
「なんだ、客じゃねぇか」
面倒臭ぇなと言いながら、散乱した物品の中央に腰を下ろし、膝を立てて腕を乗せた如月夢撓は、顔を引きつらせるようにして笑った。
「先も言ったがここにいてもらっちゃ困る。この坊主も一時的にって条件で引き受けた。ま、その時期がいつになるか教えちゃいねぇけどな」
「というか、そんな話は僕も初耳なんだけど?」
「うるせぇ、俺は客と話をしてるんだ。てめぇは黙ってろ」
言いながら、けれど面白そうにしている。一体何が面白いのやら。
「――何故、私が客だと」
「現実に戻れない。だからここへ来た。そうだろ?」
「そうだ。どうであれ、私は現実になど戻らない……今は、まだ戻れない」
「約束か」
「私がそれを望んだだけだ」
「いいだろう。行き場所を俺が渡してやる――が、対価が必要だ」
「何を要求する」
「何でも、だ。ここでは目に見えないものの取引が多くある。それが可能だ。さて、いくつか問いをしよう」
「私がここへ来た方法か?」
「いや、それはいい。興味もない。俺がここから出ることはないしな」
「出ていたではないか」
「俗世に関わっていたわけじゃあねぇよ。……ここは塗り潰された燈籠と呼ばれている」
「ああ、先ほど聞いた」
「何故だかわかるか?」
「――現在は常に過去へと塗り潰される。現在は未来を迎合する。それゆえだろう」
「そうだ。時間の流れと同様に、その現象は付きまとう。だから実際にこの場所も流れてはいる――が、常に現在がそこにあるように、この場所も過去と現在の狭間にある。流れているのは時間ではなく空間そのものだ」
「……何がいいたい」
「それを理解した上でだ――何故、ここへ来た」
「現実から逃げるためだ」
「逃げている、と自覚してんのか?」
「している。それ以上に的確な表現を私は持たない」
「逃げて、どうする」
「逃げた先に何があるのかを見つけてみせれば充わか? 否だ、現実と向き合ったからこそ私は逃げてここにいる」
「後悔は?」
「ある。多く残してきた。そして、――後悔があるからこそここにいる。私は望まれたことをしたが、私の望みを何一つとしてやってやれなかった」
「それでも人としての器に拘泥するのかよ」
「それは私に対する台詞か? それとも己に対してか」
「違いねぇ」
「懺悔がしたいなら教会にでも行く。そろそろ本題に入ったらどうだ」
「お前さんの人となりを見たかったんでね。さてと、繰り返すがここに居座ることはできない。赦さないでもなく、お前さんじゃできない。だから俺は居場所を提供してやる」
「対価は、何だ」
「……ある人物の影響でな、俺は誰かに渡せるものしか引き取らない。もっとも受け手が少ないから、骨董品屋に横流しもするんだけどな。だから」
代償を口にする。対価ではなく、その代償を。
「――その記憶を置いていってもらう」
「断る!」
雪人は即座に否定した。
「それは矛盾だ。記憶がなくなれば、私がここにいる理由もなくなる。ゆえに居場所の提供を受け取る意味もない。これは対価にならず、代償にもならない!」
「……ふうん、やっぱりそこか」
「なんだと?」
「お前さんのアキレスを探っていただけだ。ま、実際に記憶を置いていっても渡す相手に困るからいらねぇよ。それに多すぎる対価だ」
「……私を試したか」
「そうじゃねぇよ。だがま、代償は一つだ。――渡航能力、その複製をここに置いていってもらう」
「複製、だと?」
「たった一度きり、いや一度しか使えない代物じゃないと困る。対価として多すぎるからな。いやそれでも多いか――だから、これはかつてある人物に予測されていたことだ、と教えてやろう」
「私がここへ来ることが、か?」
「人物特定までは知らん。だがま、渡航能力を持っていて、複製ができる人間ってことだ。それを使う状況もまた、俺が対価を得て誰かが使う。これも確定事項だ。あの馬鹿、適当に言ってたと思ったが、やれやれだな」
「……掌の上、か」
「それで、どうする?」
「承諾した。場所の提示をしてくれ」
「ああそういや言ってなかったか。べつに大した場所じゃねぇよ」
夢撓は苦笑して言う。
「現在と未来の狭間、俺の妻が居る場所だ」
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