08/13/10:50――蒼凰蓮華・咲かない花

 翌日、つまりは十三日になるその日、早朝にあっさりと舞枝為と二ノ葉を稲森へと見送り、忍はそれに一度付き添うとのことなのでここぞとばかりに手伝いを申し出た蓮華だが、しかしあっさりと却下された。祭りの準備はもうほとんど終わっているらしく、事務仕事に関しても部外者がやって良いものでもない――ゆえに、朝から退屈の二文字を押し付けられ、蓮華は客間の廊下にて一人、将棋の盤面とにらめっこをしていた。

 ――どうしたもんかねェ。

 将棋は随分と楽だと蓮華は思う。主となっているのは戦術や戦略であって、お互いに条件が同じの上で勝負を行う。可能性を考えれば自ずと道筋は見えてくるし、相手の一手も想像に容易い。

 そして何よりも。

 最初から駒が揃っているのだから、それ以上に楽なことはないと蓮華は考える。

 現実では、そうもいかない。そもそも相手の動きどころか、自駒の動きすら不確定要素がつきまとう。秒単位で指示が飛ばせるわけもなく、結局は各自の判断で個個の戦場が作られてしまうのだ。

 けれど。

「基本は一緒よなァ……」

 だからこそ指したことはないけれど知識は持っていた。

「さてと」

 躰を伸ばして客間から引っ張り出したのは碁盤と碁石だ。こちらは本格的なものではないけれど、蓮華にとってはどちらでも構わない。ただ碁を並べたかっただけだ。

 打ちたかったのではない。

 並べたいのである。

 蒼凰蓮華は一般人だ。隠居ではないにせよ、おおっぴらに行動することに制限をかけている。それは己の特異性が世に出てすぐに、警戒と同様に無力化されてしまうのをわかっているからだ。

 きっと一年も持たない。大大的な行動ができなくなってしまう。

 その結果自体は問題ない――が、けれど、数ある行動を杜撰なものにしたくはなかった。そのために最初の一歩を考えてしまう。つまりは契機が必要だ。

 状況がそう示すのでもいい――蓮華が納得して、動こうとするだけの理由が欲しかった。それが自分ではなく他人の理由ならばなお更良い。

 ――くだらねェ拘りよなァ。

 だからこそ、どうしたものかと思ってしまう。

「可能性の問題よな」

 確率ではない。ましてや未来予知でもない。蓮華にはこれから何が起きるかまではわかっていない。ただ、多くの可能性を視ているだけだ。

 たとえば。

 居合い抜きを避けるのならばどうすればいい?

 ――間合いの外にいりゃァ中らなねェよな。

 一工程をどう捉えるかは存外に難しい問題だ。居合いの体勢を取った相手に、さて〝放つ〟ことが一工程か、踏み込みか、柄を握る動作か。

 蓮華に言わせれば――居合いを行うための重心移動より前、僅かな筋肉の揺れ動きだ。その空気の脈動が現実になった瞬間に、そこから続く可能性を見抜く。もっと言えば、居合おうと考えることが既に一工程だ。

 おおよそ、一工程に対して万通りの可能性を蓮華は考慮している。その半分に当たる五千通りの対応を既に待機させておくのが。

 蒼凰蓮華と。

 そう呼ばれる人間の本質なのである。

 否。

 ――違う。

 あくまでも可能性を見通すのは補助的な意味合いでしかない。

「……」

 蓮華は人の誕生――厳密には観察した〝今〟から〝死〟までを想定することができる。その可能性という無限の道筋を見つけ出し、最後には死に収束するそれを予想することができてしまう。

 いつか死ぬならば。

 今死んでもおかしくはない。

 その死を司るような魔法能力を、かつては侮蔑を込めて〈葬謳の繰り手エル・ディフィニション〉と謳われていた。

 それが、蓮華の持つ唯一の能力。人の意志を捻じ曲げて、当人にとってはそれが当然であるように操ってしまう外道――世界法則ルールオブワールドそのものが確固たるモノとして定める、人の死に纏わる能力。

 魔法と、そう呼ばれる代物だ。

 それは世界の理の一部でもある。魔法などと呼ばれているが、蓮華は世界から強制的に現在から未来方向への可能性を見ることで〝存在する〟ことを証明し続けることを強制されているのである。

 繰り返すが、あくまでも始まりと終わりだけだ。その過程は無数にあり、現実はその中の一本しかない。だから、わかるわけではないのだ――確率でもなく予知でもなく。

 可能性だ。

 最終的に死という収束を迎えるのと同様に、人も人が作り出す物語もどこかで何かしらの収束を一度行い、また派生して行く。だから未来の可能性を手繰って行けば、途中で必ず収束する――その収束とは曰く、確定事項だ。

 ――可能性だから、確定じゃァねェンだけどよ。

 それでも今回は急ぎ足だったため、万全の体制ではないと思っている。一息ついて並べる将棋の駒は、ひどくばらばらだ。

 十一日の十八時頃、蓮華は蒼狐市に――いや、この土地に足を踏み入れた。選択の理由は可能性を考慮した結果でしかない。

 元来、この日付の選択は実にシビアだ。早ければ返されてしまうだろうし、遅ければ間に合わない。それをあっさりと、まあこれくらいだろと決めた蓮華はどこかおかしいのかもしれないが、その選択が可能性を充分に考慮した結果だと謳える蓮華も蓮華だ。

 昨日の今日だ。時間が圧倒的に少なかったのは自覚していた。

 蒼狐市の路地をあちこちに、あくまでも自然に動きながらも同一の経路を回るように移動しながら、位相がズレるのを待つ。辻が四つ交わる場所は死界へ通じると言われている、その仕組みを利用して裏側へ這入る手法は、一般人でも予想できるだろう。ただし、それが現実になるかどうかは――可能性の話か。

 最低限、打てた手は雨天暁と接触して情報を流すこと。これからどうなるかはさておき、最悪に向かわなければ良いがと思う。

 ぱちりと碁石を打って頷きを一つ。わかっている限りの情報でこの土地を盤上に表現してみた。

 ここは蒼狐市ではない――だから、やはり草去更と呼ぶべきなのだろう。

 場所は同じだ。おそらく上下の移動があったのだと考えている。

 立方体の箱の中に一人、自分が立っているとしよう。そこに何かしらの因子を加えて上下――つまり、天井だった部分を床とした移動を果たす。すると上部にも同じ立方体の箱があり、しかし内部の状況が変化している――簡単に言えば、アパートの一階から二階へ知らぬ間に移動していて、調度品が変化しているような様子が近いか。

 ――霧が引き金ッてよりは、撃鉄が落ちたから霧が出たのよな、これが。

 それが収まれば森の中、草去更に至ることができた。事前情報を得ていないため、あくまでも一般人のまま迷い込んだ形ですんなりとことは進められる。ただし五木の本家の位置や現在地などわからなかったので、そのあたりは苦労した。

 そして演出をする。

 そもそも蒼凰蓮華は嘘が苦手だ。表情を偽るのも不得手であるし、相手を騙すことは極力避ける――が、ただ、黙っていることは得意であるし、だからこそ話さないようにするための布石をいくつも打つ。結果だけ見れば騙す形を取ってしまうものの、その責任は持つが、悪い方へ転ぶならばそもそも関わりを持たない。

 だから、草去更に迷い込んだ一般人を演出しなくてはならない。あくまでも偶発的に妖魔が発生しにくい場所を歩き、更には襲われつつも命を取られず傷を負い、それでいて五木の本家へと最終的に到着――更に。

 更に発見後に迎え入れられ治療を受ける、といった滞在の算段を前提とする。その時点で蓮華が幸運であったと五木側が判断する――第三者がこれを見て良しとする状況でなくてはならない。

 ――限りなく細い可能性よな。

 何しろ大前提として、蓮華は一般人ではなく魔法師である。外見や行為それ自体が普遍的であろうとも、存在の本質が既に異質だ。

 だから。

 少なくとも五木の領域に足を踏み込む場面にて、迎え入れられなければならず、己から足を踏み込むことはできない。

 邪気を持つ者が神聖な領域に這入る場合、内側から許可がなければ決して這入れない――そこには境界線がある。だから。

 可能性を謳うのならば、できるかもしれないと自ら足を踏み入れるなど行えるはずがなかった。

「ふうむ……」

 そして一晩の逃避行を経て、蓮華は今ここに居る。結果としては大満足であるが、当人はというと然して意味を見出していない。今の結果よりも、まだ先のことが重要だからだ。

「蓮華、お茶入れたわよ」

「ッと……よォ一ノ瀬、ありがとよ」

 その気配には気付かなかった。いや気付かないようにしていた。それこそ可能性の話なのだから、気付いてもおかしくはないのだけれど。

「あら、碁も打つの?」

「こっちも知識だけなのよな、これが。俺にとっちゃ碁のが難しいよ」

「そうね。碁の方が少し、広いわ。盤面だけではなくね」

「そんなもんか。……そうだ、一ノ瀬に訊けばいいか。時間あるか?」

「仕事はほとんど終わっているから問題ないわよ」

「ンじゃァ――と、少し立ち入るかもしれねェし、その辺りは一ノ瀬が判断してくれよ。舞枝為と二ノ葉は稲森へ行ったンだよな?」

「ええ、お勤めがあるから」

 その瞳に映っているのは、少しの迷いだ。諦め切れない――そんな惑い。

「五木は一刀流ッつー武術を扱ってンだよな。けど話を聞く限り、稲森が主体となって動いてる……みてェな感じがするんだけどよ」

「その通りだけれど、変かしら」

「だって妖魔とかいるんだろ? 実行力を持つ五木が言いなりになってるッてのは、釈然としねェッつーか……」

「五木が刀を握れるように、稲森は稲森で実力を持っているのよ」

「ああ、そゆこともあるか」

 つまり。

 ――九尾を封じる手立てを稲森が持ってるッてか?

 予想というより憶測の領域だなと蓮華はそこで思考を留める。だが手立ては不明にせよ、封印するならばかなり大規模な儀式……それに伴う代償は必要となるはずだ。

「――蓮華は」

「ん?」

「いえ、……そうね。たとえば、なのだけれど」

「おゥ、どうしたよ」

「身内を助けたいと思った時に、けれど誰かが犠牲になるのだとしたら、どうするかしら」

「はあ? いや……ちょっと待ってくれよ。考えてみる」

 そりゃ助けるよ、と普段の蓮華なら即答していただろう。けれどその答えが出せるのは一般人の蓮華ではない。

 誰かを助ける。

 あるいは助け続ける。背負ってやる。

 それは本当に困難で――だからこそ蓮華は、己の意思でその選択を拒絶していた。

 求められるのならば手を差し伸べる。けれどそうでないのなら、蓮華が勝手に横から責任を奪うだけだ。

 勝手にさせておいて、こちらも勝手にする。その結果として誰かが助かり、誰かが犠牲になるのが現実だ。そもそも蓮華は助けようなどと考えたら、どんな犠牲も許容してしまう。

 逆に――助けられる可能性がないのならば、捨て置くかもしれない。

「よくわかンねェけどよ――」

 だからわからない。

 助けたいと守りたいの違いも、よくわかっていないから。

「犠牲とか、助けるとか、なんつーか――質問の意味がわからねェけどよ、つまり一ノ瀬は責任の所在ッての? そこを答えればいいのか?」

「責任は私に……そうね、もしも私がその立場にあったら、私に責任があるわ」

「そうか? ンならよ、犠牲にする責任か? それとも助けようとする責任か?」

「どちらも同じよ」

「違うよ。だってさっきの問いを正しく受け止めりゃ、まだ犠牲は出てねェし助けられたかどうかもわからねェンだろ? 大前提を崩すかもしれねェけどよ、それは絶対なのか?」

「――絶対よ」

「ふうん」

 絶対に、犠牲が出るのか。

 絶対に、助けられるのか。

 それは言葉だけの結果だ。瀬菜は現実に存在する三つ目の、あるいは四つ目の選択を見ていない。

 それは助けずに犠牲を出すものと、助けて犠牲も出さない可能性だ。

 二択の選択肢は往往にして、選ばないという三択目が用意されているものである。

「じゃァ俺はどんな手を使ってでも」

 蓮華は笑う。

「――俺の望む結果を得るために足掻いて足掻いて掴んでやるよ」

「そう」

 瀬菜は少し間を空けてから頷き、苦笑に似た笑みを浮かべた。

「楽観的なのね」

 だからその言葉が厭味に聞こえない。どちらかといえば蓮華を認めるような響きがあった。

「悲観的になると視野が狭くなるッて言うぜ? 欲しい結果なら、俺ァどんな労力も惜しまねェように生きてるつもりだよ」

「そうね……私も覚悟を決めたわ」

「ん」

 頷きを一つ――けれど、でも。

 ――覚悟なァ。

 忍も瀬菜も既に覚悟をしているように思う。けれど、でも、蓮華に言わせれば理解のできない覚悟だ。

 否。

 ――俺の覚悟ッてのが、特殊なのかもしれねェけど。

 どだい、彼らの覚悟を蓮華は許容することができない。いや文句を言うつもりはないし、そういった目的を達成するために覚悟をする状態が理解できないわけではないが、それを自身に置き換えた途端にありえないと、断言してしまう。

 ――覚悟ッてのはよ、後ろ向きに見えるのよ。

 必要だが、それが必須となる事態が既に最悪だ。

 ――ちゃんと考えてるよな? 考えていてくれよ。覚悟を遂行した先がなくっちゃ、意味がねェのよな、これが。

 それは希望的観測であり、懇願に近い思い。決して今は口にできないけれど。

「そういや、一ノ瀬もやっぱ忍みてェに鍛錬とかしてンのかよ?」

「一応はしているわね。ただ忍と違って厳密に継承したわけではないし、小太刀は実家に置いてあるわ」

「えっと五木が確か言ってたンだよ。一ノ瀬流……なんだっけ? 小太刀一刀術?」

「そうよ」

「俺ァいまいち武術家ッてのを知らねェンだけどよ、流派とかあるのよな。宗家とか本家とか」

「そうね。蓮華はどの程度武術家を知っているのかしら」

「あんまし。ここで聞いた名くらい覚えてるけどよ」

 嘘ではない。あまり知らないのは確かであるし、ここで聞いた名くらい覚えていて当然だ。既にそれを知っていたことを、ただ隠しているだけである。

 ――詳しくは知らねェのよ。俺ァ一般人だからよ。

 それは言い訳でも何でもなく、事実だ。今までそうしてきたのだから。

「妖魔を討伐する古くからの武術家を総じて、武術ぶじゅつ纏連てんれんと呼んでいるの」

 瀬菜は説明をする。本来ならば一般人が耳にしないようなことなのだろうけれど、さて、どういう心境だったのかは察するしかない。

「昨夜に少し触れたけれど、今の武術纏連の発祥は、筆頭と謳われる雨天家にあると言われているわ。現にどの家名も、雨天の当代には敵わない」

「すげェ強いッてのか?」

「まあ、簡単に言えばそうね。けれど雨天の特性はその多様性にあるのよ。たとえば一刀流は五木しかないのだけれど――その五木一刀流が、雨天が扱う一刀流には決して敵わない」

「……へ? 雨天ッてのは一刀流なのかよ?」

「そうじゃないわ。武芸百般、あらゆる武術の根源が雨天なのよ。正式名称を使うのならば、雨尭うぎょう一心いっしん他門たもん非派ひは天宴枯てんえんこ律流りつりゅう全統術ぜんとうじゅつ。略して雨天流武術。雨のること一つ心とし、あらゆる他門の流派に非ず。それは天から降る雨のよう枯れることなく宴を続け、其の流派は曰く全てを統べる術である」

「あァ、なんつーか難しいよな」

「まあそうね、だから筆頭であり根源なのよ。その理解で構わないわ。刀も使うし槍も使う。あらゆる武器を持って扱いながら、あらゆる武術家を圧倒する。私は顔を合わせたことがないのだけれど、雨天家には忍の同級生もいるらしいわ」

「じゃァ俺とも同い年ッてわけよな」

「そうなるのかしら」

「するッてェとよ、武器の数だけ家名があるのか?」

「厳密には、そうね、それ以上……どうなのかしら。まず本家と呼ばれる武術家がいくつかあるわ。五木もそう、他には都鳥は小太刀二刀、神鳳かみとりは柔術、おうぎは鉄扇、ほむらは……武術纏連の中に入れなくなって久しいけれど、まあ入れておいても構わないでしょう。炎は長物、楠木は抜刀、十六夜の弓……全国でこれくらいかしら」

「七つくれェか」

「そう。そこから宗家、あるいは分家とも呼べる家名があるわ。都鳥の分家として一ノ瀬の小太刀一刀、久我山くがやまの糸、久々津くぐつの裏糸、ひづめの針。炎から朧月の槍、中原の薙刀、都筑の棍。……あまり交流がないから定かではないけれど、このくらいかしら。まだあった気もするけれど」

「……あ、もしかしてこれッてあれかよ。つまり分家の連中は本家を超えようと鍛錬して、んで本家の連中は雨天を超えようとッてやつか?」

「仕組みとしては、そうよ。研鑽もまた、目的が必要だもの。形骸化しているとは思っているけれどね」

「けど、まだ雨天を超えた本家とかはいねェのよな? ……恐ろしい話じゃねェかよ。手広くやってるヤツが、ただ一つを追求するヤツよりも上ッてかよ」

 ならばそこには、代償が必要だ。そして、ある一つの能力も必要となる。

 ――その能力こそ、雨天の本質なんだろうけどよ。

 それを得たのならば、必ず対価として何かを失う必要があると蓮華は思う。何かを得るためには何かを捨てなくてはならない――それが、世界法則ルールオブワールドと呼ばれるものだ。

「あれ? でも一ノ瀬は継承してねェのよな」

「そう。技術は身に着けていて、師範――この場合は都鳥の御大ね。彼に太鼓判は貰えたけれど、まだ私が継承者を名乗ることをしない、それだけのことよ。技術が受け継がれているのならば問題なしと、言っていたわ」

「途切れなきゃ良い、か。ふうん、なんつーか古臭いのよな」

「それはそうよ」瀬菜は僅かに笑った。「だって古くからの武術家だもの」

 そりゃそうだと釣られるように蓮華も笑う。

 ――けど、だからこそ問題よな。

 笑いながら思う。

 ――お前ェら二人でも、どうにもならねェから覚悟してンだろ?

 そうでなくては、もうずっと前にこの仕組みは他の形に切り替わっていてもおかしくはないのだから。

「可能性の話よな」

「――何が、かしら」

「いやなんでもねェよ。ただ一ノ瀬、言おうかどうか迷ったけど――訊くことにしたよ。なァ、どうして一ノ瀬は咲こうとしねェンだ?」

「……え?」

「不自然だよ一ノ瀬。つぼみまで出てるのに、そっから先がねェのはどうしてよ」

 それがどういう表現なのか、瀬菜はわからない。けれどでも、先がないという言葉だけは意味がわかった。

 現実として。

 瀬菜に、これからと呼ばれるものはないのだから。

「おかしいかしら」

「おかしいよ。つぼみで終わる花はねェだろ。そのままじゃァいずれ枯れちまう」

「……そうね。だったら私は、咲きたくないのよきっと」

「ンなこたァねェよ。不躾だけどな一ノ瀬、そもそも咲きたくねェならつぼみなんか出さねェのよな、これが。だから一度は咲こうと思ってたンだよ、けどどうしてか一ノ瀬は咲きたくねェ――いや」

 違うか。

「咲けねェ理由があるンだな?」

「……どうしてそんなことを」

「もったいねェからだよ」

 それは蓮華の素直な――それこそ、偽りのない本音で。

「だってよ、咲けばきっと……そいつァ、美しいなんて言葉が似合うような、良い花のはずだぜ」


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