08/12/07:10――五木忍・神社のあるじ

 珍しいこともあるものだと、どこか感慨深げに母屋へと行く一ノ瀬瀬菜を見送った五木忍は、さてと行動に至る前に少し思考の時間を置いた。

 自分にとって瀬菜は幼馴染という立ち位置になるのだろう。妹に当たる二ノ葉とは恋仲と表現されても問題はないが、ともかく付き合いが長くそれなりに時間を共有している。

 ――誰かに肩入れする、という行為が似合わないと思っていましたが。

 瀬菜の隣に誰かがいるなどといった状況をあまり見ない。好んで一人でいて、誰かといることを意識的に回避している瀬菜は、おそらく自分が他者に理解を得ない性格であり、また少しばかり攻撃的な性格を持ち合わせている――と思っているのだろう。実際にそれは忍も感じ取れるが、逆説的に捉えるのならば、瀬菜を理解できる相手がおらず、攻撃的な性格を良しとする者がいなかっただけのことだ。

 拒絶を、常としている。

 他人に理解して貰えないのだから、こちらが理解する必要もない。距離を取るのではなく距離を取らせるといった行為は、他者が瀬菜に行うものと同様に瀬菜が他者へ押し付ける行為に他ならない。それはそれで均衡が保たれているのかもしれないが、さて、それを本当に均衡と呼んで良いのかどうか迷うところだ。

 ――その瀬菜さんが、少なくとも領域を侵して肩入れしている。

 それを自覚しているか否かまでは野暮というものだ。そもそも五木と一ノ瀬は流派が違い、立場も違う。それでも一ノ瀬小太刀一刀術の使い手が自らの領域を侵されても問題ないようならば、それこそ忍にとっても同様の意味を持つだろう。何かがあってからでは遅いが、その何かが彼の訪れによって発生するとは思えない。

 その可能性を先ほどから探っているが、暫定できるものもなければ断定もできない。あるいは前提として、彼に対する情報が少なすぎると問題を浮上させるべきだ。

「……さて、あまり時間をかけるわけにもいきませんね」

 もう朝食ができ上がっていてもおかしくはない時間だ。起きて然るべき忍の妹である舞枝為まえなが起床していないのが大問題で、その大問題が日常的に訪れることが更に問題で、もう説教するのも疲れたがしないわけにもいかない大問題で、倍化するのも面倒なくらい大問題だ。

 ともかく。

 意志の強い者は、その軌跡の光を残す。

 たとえば十人が工作をしていたとしよう。あるいは運動でも良い。往往にしてぱっと見て目に留まるのは上手な人間で、工作にしたところで完成するよりも前の作業段階で明らかに上手だと思えてしまう。すると自然的に目を引き視線が外れなくなり、ああ彼は輝いて見えると表現することになる――つまりは、それと同じことだ。

 強い意志を持って生きていれば、その思念が既に輝いて見える。それが光る軌跡となって現れ、それを見るのはそう難しくない。

 ――武術家ならば、誰もが見られるでしょうね。

 一秒という短い時間で相手の行動を読み取り攻防を行える武術家ならば、その一瞬が正確に読み取れなくてはならない。そこに攻撃の意思も、防御の意志も、読み取って然るべきなのである。

「……」

 だが、その光は鳥居の部分で既に弱弱しい。肉体および精神の消耗がそれをさせるのだろうが――僅かに辿れたのは、付近の森の中までだけだ。

 ――逃走経路までは不明、ですね。

 此岸と彼岸の境界が曖昧になる盆の時期で、しかも妖魔の巣窟と呼ばれるこの土地の中で一晩の逃走劇の末に生き延びたとなれば、それは奇跡に限りなく近い。家鳴りなどの妖怪程度ならまだしも、ここには人を捕食しようとする凶暴な妖魔も多いのだから。

 一般人ならば奇跡だけれども、しかし。

「さて、一般人とそうでない者の境界線がどこにあるのでしょう」

 その独白を聞く一人――つまり当人は苦笑という自答をする。糸目が垂れ下がり、僅かに口から笑いが零れるだけのものだったが。

 ――可能性として、受け止めておきましょう。

 わからないと判断した忍はあっさりと身を翻す。

 時として疑心は必要になるが、それが必要以上なものになってしまうのは避けるべきだと思っている。問題は猜疑心との違いであり、何に対し疑うべきかを明確にした以上は、不必要なまでに警戒せずとも良いわけだ。

 居間に戻ると既に三人分の食事が卓に並んでいた。どうやら二ノ葉は瀬菜が後で食事をとると判断したようだ。

「二ノ葉、先にいただきましょう」

「はあい」

 台所から急須を片手に戻った二ノ葉は前掛けを脱いで畳み、忍の隣に腰を降ろした。食事は基本的に当番制で回しており、普段は忍がずっと食事係りなのでここ一ヶ月は随分と助かっている。

 ――舞枝為は料理もできませんし、ね。

 そこが兄である忍にとっては悩みどころなのだが、意志のない者に何を言っても無駄である。

「忍さん、今日の仕事は社務に回してもらっても良いかな?」

「ええ構いませんよ。瀬菜さんは彼に付き添うつもりのようですから。食事の後はそれとなく様子を窺っておいて下さい、手が要るかもしれません」

「うん。……でも、姉さんって青色が嫌いだと思ってたな」

「中国服は珍しいですね。あのような服をパオ――と呼んで良いのかどうか、記憶が定かではありませんが、あの手の衣類で青は珍しくありませんね。とはいえ、服の色のことではないのでしょう?」

「それも、そうだけど――人の性格を色で喩えることもあるから。姉さんにとって青色は不可能の象徴だって前に言ってたし」

「ちなみに私は何色でしょう」

 本人以外の口から当人の話を聞くものではない。そういう意味も込めて話を僅かに逸らすと、二ノ葉はうんと頷いた。

「忍さんも青……なんだけど、灰色に近いのかな。肉体も精神も、白と黒が混ざり合っていて、精神面に青が混ざってる」

「……なるほど、面白い表現ですね。では二ノ葉から見て、あの方はどうでした?」

「怖いくらい、青色だった。たぶん肉体面の色だと思うんだけど」

 それを自覚して青色の服を着ているのかと考えた忍だが、軽く頭を振って否定でも肯定でもなく保留しておく。

「どういった方だと思いますか? ああ勿論、想定で構いませんよ。参考程度にしておきますので」

「うーん……青の系統は沈着冷静、転ばぬ先の杖って言葉がよく当てはまるの。感情よりも思考を優先して、考えてから行動に至る。落ち着いた物腰で、大勢の中の一人というよりは、一人でいて大勢と数えられる状況が近いのかな」

 そう言われると、確かに心当たりがある。あるいはそれを慎重であり全体を見ていると表現すればわかり易いか。

「でも、うーん……青過ぎて眩しいって感じがあったかな」

「青過ぎる?」

「なんていうか、変な言い方になるけど三原色の青、みたいに極端な、あるいは純粋な青……なのかな。もちろん、私がそう感じたってだけなんだけど――うん、怖いくらい綺麗だったよ」

「逆に言えば人間味をあまり感じなかったと?」

「悪く言えばそうなるかな。でも、――それがおかしくはなかったと思う。うん、それでも会話をしてもないのに判断するのは失礼よね」

「固定観念に囚われず話をすれば大丈夫ですよ」

 箸を置いて食事の終わりを示した忍は、軽く二ノ葉の頭を撫でてからお茶の準備をする――と。

 慌しい気配が、これまた慌しく廊下を歩いてきた。それどころか、

「うっわ、うわ、寝過ごしたもう七時過ぎてるしご飯だやったね!」

 などと浮ついた声を上げながら、彼女は居間に顔を出す。――大問題がやってきた。

「おはよっ!」

「遅いです」

「遅いよ」

「朝の挨拶よりも前に突っ込み来た!?」

 笑顔で到来した騒がしい娘はすぐに頭を抱えてしゃがみ込んだ。二つ年下の妹は、それでも身だしなみだけは整えてきたらしく襦袢姿を除けば格好はついている。糸目の忍とは違って父親似の細顔で、髪は背中で一括りにしていた。五木舞枝為は二ノ葉と同級生で、一ノ瀬家とは境遇も似ていたりする。

「だいたい舞枝為には責任感が足りてない」

「掃除は二ノ葉が代行したようですので、感謝なさい。代わりに社務の仕事を追加です」

「朝起きられないなら、相応の努力をして起きれるよう準備するのが当然なのね」

「昨夜の内に朝食の仕込を手伝うくらいはしても、労力の釣り合いは取れるでしょう。改善しようとしなくては、何も変わりはしませんよ」

「誰かに起こされないと目覚めない。この言い訳が済まされるのは小学校低学年まで。それとも舞枝為はまだ小学生だったのかな?」

「独り立ちする日がいつかくると、ぬるま湯に浸かっていればいつまでも訪れません。努力は裏切らないと云いますが、そもそも努力それ自体が既に結果なのです――……舞枝為、聞いていますか?」

「み、味方どこ? ねえどこにいるの!?」

 きっとどこにもいない。

 やれやれと二人して吐息し、とりあえず食事を取るように言う。一ヶ月近く同じようなやり取りを続ければ、もう何も言いたくもない。

「いただきます。……でさ、瀬菜姉さんとこに誰かいなかった? お客さん?」

「さすがに気付きましたか」

「うん。というより、第三者の気配で目が覚めたから。なんか透明な感じ。あ、嫌なものじゃないんだけどさ」

「透明ですか?」

「そう、無色じゃなく透明……あ、瀬菜姉さん、おはよ」

「……遅いわよね?」

「うぐっ」

「おはよう舞枝為。ああいいわ二ノ葉、座っていなさい。私の食事は後で、水を取りにきただけよ」

「いかがでしたか?」

「軽度の打撲まではわからないけれど、靴擦れが酷いわね。手持ちの軟膏を塗っておいたけれど……所持品もないわ。あるのは身一つ、かしら」

「そうですか。起床しても、可能な限り留めておいて下さい。安静にして傷を癒すのが先決です。こちらへの迷惑は構わないと、そうお伝え下さい」

「……そう」

 わかったとも言わず頷きを一つして、すぐに廊下へ出て行ってしまう。食事に夢中な舞枝為はともかくも、忍と二ノ葉は揃って首を傾げた。

「心此処に在らず、みたいね」

「その事実にどうやら自覚がないようでしたが……些か不安になりますね」

「うん。気にかけておくね」

 二杯目のお茶を淹れつつ、今度は舞枝為のものも含め三人分を手渡しながら、さてと忍は気持ちを切り替えた。

「本日は盆祭りの開催に際した会合が昼にかけてあり、こちらには私が出席します。社務所の仕事は昨日から引き続き、適時行って下さい。舞枝為はまず道場全体を確認した後に、本殿で参拝を行ってから仕事へと移行するように」

「はあい」

「何か問題が発生したらまず二ノ葉へ。二ノ葉の手に余るようならば、保留という形を取っておいて下さい。夕方には帰宅しますのでその時に聞きます。おそらく瀬菜さんもそう身動きができないと思われますので、負担もあると思いますが……あまり無理をしないように」

「大丈夫、忍さん心配しないで。社務の仕事は前倒しでだいぶ終わらせてあるから」

「ええ、そうですね。ではその余裕のぶんは舞枝為の世話をお願いします」

「あー……うん、そうね。そうよね」

「お願いね二ノ葉」

 そこはお願いじゃないだろうと、二人は据わった瞳で舞枝為を見た。


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