03/21/09:00――ベル・消失の代償

 施設に入って二ヶ月間、実技を挟みつつではあるものの、その数は極端に少なく、彼らは徹底的に知識を叩き込まれた。とはいえ、教壇に立って教員が指導するようなことは、ない。

 いや、最初には何度かあったのだ。けれど、そのどれもが、〝学習方法〟を教えるためのものでしかなく、それすらも、方法論だけで、あとは自分で構築しろと、そういったものでしかなかった。

 彼の同室になった81番とは、それなりに要領良く付き合えている。それなりの会話もするし、お互いに深入りはしない。どちらにせよ、自室ではテキストを開いてばかりいるのだから、まあ、そんなものだ。もう少し余裕ができれば会話も弾むのだろうけれど、さて、弾ませたい意志がお互いにあるかどうかも、問題だろう。

 珈琲だ、と言って部屋を出た彼は、寮棟とは別の場所にある食堂へ。ちなみにここ、食堂だけは孤立しており、ほかには実技などを行う別棟がある。だいたいこの三か所くらいだが、それなりに敷地面積があり、それでいて木木に囲まれていて発見が難しい――らしい。衛星写真にも写っていないのだから、大したものだ。

 時間的には、どうなのだろうか。朝食が六時、つまり起床はもっと早いが、その時間帯を前後して人はそれなりに入るのだが、こうして時間を外す連中も少なからずいる。けれど今日は閑散としていて――。

「おう」

「ああ」

 ばらばらと、三人ほどしかいない食堂で、少年が片手を挙げたので挨拶を返し、珈琲を貰ってから、その席についた。

「久しぶりだな、49番」

「そうだな、二ヶ月くらいか。……今日は少ないんだな」

「食堂か? そりゃ、全体的に半分くらいに減れば、そうなるだろ」

「……減ってんのか?」

「気付いてなかったのかよ」

「気にしてなかったからな。〝処分〟は誰が?」

「まだ、俺にお鉢が回ってくることはねえな」

「……どちらにせよ、ここに来た時点で〝死んだ〟んだ、そう難しくもないか」

「座学、どうよ?」

「ん、ああ……そろそろ空白が埋まってきたからな、一度整理するか、あるいは空白を広げる必要があると、思い始めたところだ」

「――空白?」

「比喩だ」

 実際には、そうでもないのだけれど。

 彼の特異性は、その空白の多いことも挙げられるが、何よりもそれを自身が把握できている点にある。いわば、脳内領域とでも呼べばいいのだろうか。

「比喩ね。そりゃ、ここにいる連中なら、大抵はそうなんだろうとは思うけどな。ここで新しい人生を始めるってくらいにゃ、何から何まで捨ててきて、更にまた捨てて、そこに新しいモンを埋めるっての」

「……理屈的には、先に捨てておけば、それを対価に何かを得られる」

「代償って言葉を使わねえのな。ま、こんな状況になっちまったら、あとは慣れるしかねえ」

「それができなかった連中が、いなくなっている……か」

「残念ながらな。未だに〝競い合う〟なんてことを、平然と口にする連中だっているさ」

 いつだって彼らは、己と向き合わなくてはならないのに、だ。

「なあ49番、どうしたって、上は狩人なんてもんを作ろうと思った?」

「くだらねえ――と言いたいところだが、探りを入れて損はないだろうな」

「相手は選べよ」

「誰だって同じだ」

 言って、飲み干したカップを片手に、彼は立ち上がった。

「早いな」

「お互いに慣れ合う間柄じゃねえ。――そう見られたくもない」

「同感だ。死ぬなよ、49番」

「お前もな」

 くだらない話にも、得るものもある。同一環境下におかれても、個性というものが剥奪されないのならば、違うやり方が人の数だけ生まれることになることを、彼らは既に気付いている。しかし、そのために支払った代償の多さもまた、忘れてはならないだろう。

 それは無事に狩人になれてから、よく考えておこう、なんて思いながら寮棟へ戻った彼は、迷う様子もなくそこへ向かった。

 そこ――医療室である。

 訓練室くらいの広さに、ベッドが並んでおり、そこの住人はいつもいるわけではない。聞けばどうやら外注――つまり、たまにこちらへ来るだけの医師であり、基本的にかかわりは持たない主義らしいが、彼に言わせれば逆に、第三者的な視点を持てる人物でもある。

 ただ逢う……というか、顔を見るのも初めてで、中には彼女以外誰もいないことを確認してから、中に入った。

「――血の匂いをさせてから、出直しな、クソガキ」

 作業着の上に白衣を着た、といった、どこかちぐはぐな格好をした女性は、見下ろすような冷たい視線と共に、そんな言葉を放った。彼はさして気にした様子もなく近づき、けれど三歩の距離で立ち止まる。ちなみに彼は、身動きのしやすいボディスーツ姿だ。

「充分にしてるだろ。それとも、返り血の量が足りないか?」

「雑談をするつもりはねえと、そう言ったんだ」

「邪険にするな。――付き合いはきっと長くなる」

「嫌なことを言うなよ、これ以上アタシの足を重くする気か? 金じゃ動かないと言ってるのに、大金を積んで頭を下げりゃ、嫌嫌って態度が気にならなくなるもんかね」

「尻が光ってる連中に興味はない。あんた、名前は?」

「吹雪だ。吹雪さんと呼べ」

「吹雪、最近の義手、義足に関しての知識を仕入れた。俺の右足に合う義足はあるか?」

「ねえよ」

「だったら手配を頼む」

「…………理由は」

「午後の地雷除去訓練で、右足を失うからだ」

 吹雪は立ち上がると、左手を白衣のポケットに入れて、煙草を取り出して口に咥えながら、二つある出入り口を閉めた。それから火を入れ、元の場所にあるデスクに腰を下ろす。

「探り合いをするつもりはない、49番」

「ドッグタグは部屋に置いてきたんだけどな……」

「部外者だからこそ、お前の素性くらい知っておくさ。〝狐〟からも、遊び道具がどんな具合か、打診があったら答えなくちゃいけない」

「なるほどな」

 あの男を、知っているということか。

「ここにいる連中は、知らないのか」

「大半はそうだ、知る必要がない」

「いちいち経歴を調べたりはしないってか」

「いいや、偽の経歴を見破れるだけの能力は持っていない方だ」

 ひょいと、煙草の箱を投げられたので受け取る。視線を投げても何も言わなかったので、一本を引き抜いて、火を入れる。

 吸う。

 もちろん、むせた――が、これも慣れかと、あえて毒を摂取し続けてみる。

「足を一本、と言ったな」

「ああ、上手くやるつもりだ。下手を打っても、俺の人生が終わるだけ」

 ため息が一つ、落ちる。

「確かに、条件だけで言えば、問題はない。さっきはああ言ったが、リサイズを前提とした義足も、義手も、ある程度は揃えてあるし、アタシが見た限りで、お前に合う在庫もある。施術するのがアタシだったとしても、リハビリにそう時間もかからないだろう」

「その間に、知識を蓄えればいい」

「だとして、何故だ?」

「代償の話だ。足の一本でも失くせば、それだけ俺の中にある〝空白〟が増えそうな気がしてな」

「――」

「記憶、経験、あるいは立場、そういったものは簡単に捨てられる。だが肉体は、そこに在る身体の記憶は、そう簡単に消えるものじゃない。三つ子の魂百まで、なんて言葉もある。足を失って得られるものは、間違いなく存在するはずだ。それを確かめたい。ついでに、痛みの経験もな」

「確かに――そういう人物は存在する。盲目のピアニストなんてのは良い事例だ。ただし、それを意図的に引き起こせるかどうかは、あまりにも曖昧だ」

「俺の実験じゃ実例にならないか?」

「医師としての仕事をしたいわけじゃない――が、だとすれば、口出しは無用なんだろう。どうする49番、準備をしておくか?」

 それともと、吹雪は笑う。

「慌てて準備をする〝様子〟を見せた方がいいか?」

「……任せる」

「じゃ、アタシの好きにするよ」

「ああ。……ついでだ吹雪、聞きたいことがある」

「吹雪さんと呼べよ、クソガキ」

「そもそも、どうして狩人なんてものを育成しようと考えた?」

「アタシが考えたわけじゃない」

 そんなことは知っていると言い返すこともせず、彼は黙って続きを促した。

「やれやれ……ま、以前から考察だけはあったんだよ。ハンターズシステムの発祥を辿れば、必ずランクS狩人〈守護神ジーニアス〉にたどり着く。とはいえ、あいつだってどちらかといえば、軍上がりの戦闘専門、あるいは火消しと呼ばれる調停なんかがメインだ。今でこそ狩人は、それなりに数がいる――が、いずれにせよ、ある一定の専門を持つ」

「名目上、ランクA以上に専門はない――はずだ」

「それでも依頼の傾向は偏る。受ける側も、頼む側も、それは同じことだ。職業学校なんかと同じで、大抵は専門――つまり、道を選ばせる。分相応、人ができるのはせいぜい、そのくらいだという証明かもしれないが、しかし、どこぞの馬鹿がこう考えた。では、依頼の代行者、その本来の意味合いでの――あらゆる依頼に対応可能な一単位、そう、いわば〝全能オールラウンド〟と呼ばれる狩人は、作れないだろうか」

 身の丈に合わない、奇跡的なものに頼るよう。

 それが実際に誕生したのならば、それは、異質であり、異分子であり、異端である。進化ではなく――変異だ。突然変異。

「一度目は失敗だった。何故ならば一人しか残らなかったから。その特異性は産まれたのではなく、最初から所持していたものだというのが、アタシの見解だ」

「狐も、そう言っていたか?」

「遊び道具としては、邪道だと、そんなことをぼやいていたのを聞いたことはある。そして、その失敗を繰り返さないために錯誤したつもりになって、何の解決策も見いだせないまま、手探りに次を始めた結果、お前がここにいる」

「……確かに、兵器として売るには金をかけすぎか」

「なんだ、武器商人の知識も仕入れたのか」

「誰だって関連付けしたくなる」

「それができる連中は、まだ生き残るだろうな。午後から地雷除去だって? どうしてこの時期に?」

「更に間引きがしたいんだろう」

 知識を蓄えるだけならば、そう難易度は高くない。だが、それを実際に使うことを前提にしているのは、彼を含め、そう多くはないはずだ。

 間引き――である。

 蓄えるだけの人間はいらない、と。

「足を失うのは、ハンデになると、そう思わないのか?」

「それは、そうなってから言ってくれ。――だから言っただろう、と」

 そこで、話は終わりだ。

 ――そして。

 午後である。

 さすがに全員でやるだけのスペースはなかったので、庭に出ていたのは三十人ほど。つまり、最低でも三十個の地雷は準備していたというのだから、入手経路を思考したくもなる。それだけの知識はつけていたので、自然な思考だ。

 さて、ここで一つの問題に直面することになる。

 ――どうやって失敗する?

 失敗そのものは、簡単だ。呼び動作も含め、シミュレート通りに動ければ死ぬことはないだろうし、その通りに行かずにアクシデントが発生したところで、考慮しておけば対処も、まあ、難しくはないだろう。最悪、彼が持つ唯一の術式である雷系のそれで、防御をしたっていい。その場合、隠せなくなってしまうのも、確かだが。

 隠しておくメリットと、隠せなくなった場合のメリット、そう、どちらも利点はある。あとは自分がどのようにして上手くことを運ぶか――だが。

 失敗には、原因がつきものだ。その原因を〝作る〟として、さて、一体どのようなものが上手くいくか?

 上手くいく――というより。

 数人いる、施設の聡い連中に、どうすれば誤魔化し、危機感を煽れる――?

 誤魔化したいのは、彼が空白を作るために足を失いたい、という理由だ。いつか気付かれるだろうことは考慮せずとも良い、現状をとりあえず乗り切れば、肯定も否定もできない、あるいはできるような状況ならば、それで構わなかった。

 それでいて、あたかも、それが予定調和のような――。

 複雑に考える必要はない、クリアするべきポイントは少なく、そして、ドロップアウトしないものがあれば、それでいい。

 だから。

 あえて――雷系の術式を使って地雷に干渉させ、爆発させた。

 事実、彼はこの時に、まだ術式を完全にコントロールなどできてはいなかった。そもそも今まで、それを躰に宿してから、何度も使ったわけではないのだ。制御の失敗は、今ここでなくとも、起こる可能性はある。

 爆発は起きた。逃げようとすれば、必ずどちらかの足が後ろに取り残される、それを右足に設定する――痛み? そう、痛みはある。もちろんだ。足をもがれるような痛み、それを覚悟していたところで、我慢できるものではないが、しかし、受け入れてしまえば――大声を上げて、のた打ち回るほどでは、なかった。

 次の衝撃は背中に何かが当たる感覚、視界が点滅していて状況が見えないが、飛ばされた方角から推測すれば、施設の壁だろう。そんなことよりもと、やや長くなった髪に手を伸ばせば、どうやら被害なく、髪を括っていた紐がそこにある。引き抜くようにして取りながらも、きちんと両手が動くことを認識しつつ、やや手探りで太もも付近をきつく縛り上げた。

 軽く頭を振るようにして、強くまばたきを数度、そして。

 見る。

 直視する。

 無くなった、右足を。

 どうやら被害は思っていたよりもなく、すねを含めてその先が無くなっている状態だ。想定では膝ごと持っていかれると思っていたが、なるほど、あの地雷だとこのくらいの威力なのかと、記憶に刻む。

「――は」

 やや暑い吐息を吐き出せば、きちんと脳内に〝空白〟が生まれていることが把握できる。足を失った代償、補填すべき空白。義足の制御に多少は回さなくてはならないが、それでも確保はできた。

 躰を失えば。

 ――それを、ほかのもので埋めることができる。

 どうやら。

 人間というのは、なかなか不便な生き物らしい。

 それが片足を失った彼の抱いた、一つの結論であった。


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