08/25/16:40――躑躅紅音・雷神
後継者を作れ――きっと他の誰よりも、少年にとってその約束は難題だった。
「彼女は後に継ぐものを〝選択〟だけでいいと受け取ったらしいけれどね、そもそも選ぶという行為が僕にとっては鬼門なんだ」
「ほう」
禿頭でひげもない老人は少年と並んで歩く。ちぐはぐな二人、一対としてはあまりにも違いがあり、一組にしてはあまりにも歪すぎるその光景を、しかし通り過ぎる人は見えないかのように扱っていた。
「何よりも問題なのはさ、僕が彼女との約束を破棄しないことだ。彼女との約束以外は守ろうとしない僕が、彼女との約束を破棄してしまったら他の約束も随時受付中になってしまう。これは難題だぜ」
「まあ難儀なのはわかったが、儂も弟子なんぞ取ったこたァねェぞ」
「だからさ、まあ目星がついたから君に論理補強をしてもらおうと思ってね。なに、見届けるだけで十分さ――おっと、あるいは何かを頼むかもしれないから、だけ、の部分だけは除外しておくべきかな。まあ実際に見るのは今回が初めてになるから、さて、どう転ぶかは分からないけれど」
「どう転ぶか――な。無理強いはすンなよ」
「しないさ、それは僕の領分じゃあない」
「お前さんの領分たァなんだ」
「壊すことさ。徹底的に、完璧に、完全に壊すことだよ。他のことは不得手でね――ま、それでも壊しても良いと許可がなければろくに壊せない。だから壊すのは仕事ではなく趣味なのかもしれないね。やれやれだ」
「はッ。……しかしお前さん、後継者と云ったが他の連中はどうなってンだ?」
「ま、急いているのはそこなんだけれどね。他のも、彼女も含めて四人はもう選定したそうだ。まだその結果は出ていないけれどね――いや、まだ出るには早すぎるか。一期生として彼女の選択した一人が出馬し、二期生はもう少し先になる。できれば僕もそこに間に合わせたいものだ――と、あれだぜ」
「ほう」
足を止めた二人は、今しがた角を曲がってきた彼を発見した。
老人は平凡だ、と思う。だから外れだろう、とも。
ぼうっとしているようにも見える態度のまま、ゆっくり過ぎると錯覚するほどの歩幅でのんびりと歩く彼は、あまりにも空気に溶け込み過ぎていて特異性がまったく見受けられない。老人の隣をすれ違っても、きっと見向きもしなかっただろう。
武術とは云えないが我流の体術を身に着けている老人は、面白半分で素質のある者と戦うことがあるけれど、しかしそれを彼に向けようとは到底思えなかった――が。
けれど。
しかし。
「クッ――」
次の瞬間、少年は腹を抱えて笑い出した。
あてが外れて己の行動に呆れたのかと思って横を見れば、しかし普段は糸目になっていて見せない碧の瞳を、間違いなく開いて彼へと向けていた。
何故、と思う。けれど、いやしかし。
間違いなく彼は、少年を補足して見返していた。
「――」
隠行を使っているわけではないが、一般人に見つかるようなヘマをするはずがない。だが彼は見えている――平凡ではなかったのか? そんな思いが浮かんだが、しかし少年がそれを否定した。
「はっ、こりゃ笑うしかないぜ、なあ君、やあこっちだ来るといい話がしたい。ははは! 参るぜ、何だって君はそんなにも壊れていて他人と違いすぎるのにも関わらず、その肉体はあまりにも平凡だ! 凡庸で、非凡とはかけ離れている! ――クックック、君の父も君を見捨てるわけだぜ。アレ程度じゃあ君を見抜けない。ああ君みたいな逸材がこの世に存在することを感謝してもいいくらいだ!」
「……おい、ちょっと高揚しすぎだろうがよゥ」
「くだらねえ」
呆れたように、どうでもいいとばかりに放たれた彼の一言に、少年の笑いが止んだ。
その瞳はまだ彼を射抜いている。
「――自覚があるのかい?」
「だから、どうした」
「君は理解しているだろう?」
「同じ言葉を続けて言うほど暇じゃない」
「はは! やっぱりだ――おい、何をやっているんだい、狐に抓まれたような――おっと、これは表現としては適切じゃあないね。いやまあいいけれど、馬鹿面を晒してるのも定石なのかい?」
「お前さんよゥ、儂にもわかるように話せよ」
「わからないのかい? 彼はね、こちらを捉えた瞬間に理解しているんだよ。僕たちには敵わない――たとえば体術において君は僕よりも優れている。それ以外で僕は秀でている。つまりこの彼には対応策がないんだ。僕たちに認識されていると気付いた直後、彼はこちらを見たまま止まっていた――逃げられない、いや、逃げたところで追いつかれる。だから逃げる理由はない。ではどうして自分を見ている? それは彼自身に何かしらの理由があるわけだ。ゆえに僕は自覚があるのかと問うた――だからどうした、これは肯定の意味合いを持つ。つまり彼は平凡であるが故に、凡人だからこそ、他人と違うソレについて納得しているわけさ。その上で、それが理由となって僕たちが発見したと、理解している――だからどうした、これもまた肯定だ。そして決定権など己にないと謳う。この状況をひどく理解しているとは思わないかい?」
「つってもお前さん、理由について何も話してねェだろう」
「だからさ、わからないかい? 僕たちの理由を話すよりも前に、その理由の如何を除いた悉くを彼が理解してるってことだよ」
「ふうん、そんなもんかねェ。しかし凡人ッてなァ」
「彼は凡人だよ。魔術師でも魔法師でもない――ああ、そうだね、けれど決定的に違うことが二つだけある。だからこそ僕はもう、笑うしかなかったんだけれどね」
「おゥ、そいつも自覚してるのか小僧」
「さあな」
返答を避けたのは評価できると少年はにやにやと笑う。それは肯定として受け止めても良いだろうが、実際には薄っすらと気付いている程度に過ぎないはずだ。その上で嘘をつくのでもなく、返答を避けたことを肯定として受け止める老人に対しては、ある種の威嚇になったのだから。
けれど、すぐに少年の笑みは引っ込んだ。
「俺の空白と、〝理解〟に関してか」
彼は、最初から気付いていてさあなと、誤魔化すような言葉を一度投げて、少年と老人の反応を窺ったのだと――遅く、そこで少年もまた気付いたからだ。
知っていることを知らない振り――知ったかぶり。
似ているようで、少し違う今のやり取りは、驚嘆に値した。
「俺は凡人だ。思考能力、身体能力、どちらも」
彼は言う。
「凡人がお前らに敵わないか?」
「――君は敵うと、思っているのかい?」
「やってみるか?」
警戒はしていない。敵意もない。殺意など欠片も見当たらない――けれど、しかし。
態度を変えぬ彼に対し、少年は諦めたように顔を横に振った。
「君はその巨大な空白を何で埋める?」
「何でも。――お前に埋められるか?」
「欠片一つくらいならば、もう埋めているはずだぜ。けれど君の空白は大きすぎる。人は一生掛けても己の中の空白の全てを埋めることはできない――これは経験に伴う時間が圧倒的に少ないからだ。けれど君の場合、人生を五度と繰り返しても無理だろう。魔力容量だけに絞ったって、この僕の十倍はある」
「――おい、お前さんの十倍だと? そりゃァ」
「そうだ。彼の中には魔法師が十人揃って入れるだけの度量がある。懐が深すぎるんだ。けれど何も埋まっていない空白でしかない――ははっ、これはもう本当に笑うしかないんだぜ」
笑いを収めるための呼吸を一つ、それから少年は言う。
「試してみるかい?」
「言え」
「こちら側は特別、特殊、異質であることが当然だ。君の平凡さはある意味で例外になりうるけれど、しかし劣等である事実を覆すには必要なものがある。わかるだろう?」
「ああ」
「その上で、君は何を望む?」
「望みはない」
「けれど目的はある。そうだろう?」
「だから、どうした」
「聞きたいと言っているのさ。君の口から正しく、君の目的をね」
「言質か」
くだらねえ、と吐き捨てる彼に対して老人は呆れた。確かに当人の意志が第一であるために、望みはなくとも少年の誘いを受けるのならば、少年が前に進むしかない。手を取れと直接的に言えないがゆえに、どうだと手を差し伸べる――その事情を加味した上で、そうした状況そのものを簡略化し、言質が必要だと彼は理解したようだが。
あまりにも無機質な応答だ。まるで通過儀礼のように捉えているとも考えられる。
「俺は俺の限界を知りたい」
「凡人の限界、か……けれど、わかっているだろう? そのためには必要なものがある」
「ああ。寄越せ――何でも受け入れていい」
「それが君を凡人ではなくすものであっても、かい?」
「今の俺は凡人か?」
「その通りだ。君は今、まさしく凡人だよ。こちら側に来ていたのならば、死んでいないのがおかしいくらいに、凡人だ」
「ならいい。材料を提示しろ」
「ならば三つ、提示しよう」
もう部外者扱いだなと思った老人は、ふと鈴の音色に似た何かを耳にして意識を外へと広げる。ここでの会話を傾注している者はおらず、夕暮れの街は影とそうでない部分を時間と共に融合させようと動く。
どこから聞こえたのだろうか。いや、そもそもそれは音だっただろうか。
「一つ」
少年の言葉に改めて意識を今へ持ち直す――と、彼が老人へと視線を向けていた。けれどすぐに少年の方へと戻る。
「僕が持つ人脈だ。他人との繋がりがどの程度の効力を与えるか、君は知っているかい?」
「いや。……その積み重ねが大きくなること以外は」
「知っているじゃあないか。もっとも誰かを紹介する、なんて真似はしない。いいかい? 問題は先も言った通り、圧倒的に時間が足りないことだ。君の空白は一度の人生を行っても到底埋まらないし、限界などそう容易く見えるものじゃあない。時には非凡になることで時間を短縮しなくちゃいけないんだよ。だからこそ人脈と、そして二つ目――これを、君はなんと見受ける?」
少年が取り出したのは細長い結晶体のようなものだ。透明の器の中に碧色の球体が浮かんでおり、まるで糸で吊るしているようにも見える。
魔術品か何かかと、老人は目を細めた。
「技術の塊……か、それに類するものだ」
「さすがだね。そう、これは魔術回路そのものでもある。特性は雷――ある人物から僕が譲り受けたものを、君に渡そう。受け入れてくれるかい?」
「良いと、最初から言っている」
「ならば三つ目だ。僕が直接関与しているわけではないけれど、まあこの老人が遊び場にしている、狩人育成施設なんてものがある」
「狩人になるのが必要か?」
「不必要ではない、というだけで必要だと僕は答えないよ。ただね、そこは専門を持つ狩人を育成しようとはしていない」
「理念か。言え」
「全能――専門を持てない、という現行の意味合いではなく、本来の意味であらゆる適所に対する適材としての狩人を育成しようとしている。知識、技能、それに伴う経験、それがどれほど莫大なものかは分かるだろう?」
「……空白を埋められる、か」
「君はもう、凡人のままで壊れている――いや、違うか。壊れているからこそ君は凡人になってしまっている、が正しいのかもしれないね」
「くだらねえ」
「そういう部分がどうしようもなく壊れている。そして、壊れていなければ悲願へは至れない。一つ目と二つ目を終えた後に、まあほんの数ヵ月後か、あるいはすぐにでも、施設への導きはこの老人がするだろう」
「まァ、ここまで付き合って放置たァいくめェ」
「決まりだ」
「――ははっ」
朗らかに、あっさりと決定した彼に対してではなく、現状に対して少年は笑った。
「これで約束も一つ、なんとかなりそうだぜ。僥倖だよ、まったく――どうしたって君との縁の合い方が平凡過ぎると、疑っていた時の僕を笑ってやりたい気分だ。――さて」
少年は言う。
「この老人は
「ああ」
彼は頷く。そして手にした鞄に視線を落とし、近くのゴミ箱に放り捨てた。
「連れて行け」
躊躇もなく、身に着けたものなどいらないとばかりに、彼は足を進めた。
その先が地獄だとしても、きっと彼は言うだろう。
くだらない、と。
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