08/23/13:30――エミリオン・炎神
「――はあ」
疲れたような吐息。どうしてこんな面倒なことをしているのかと自問した際、自然に出てきたそれに首を傾げながら彼は動きを続ける。
筋を通さなかった。
詐称を働いた。
間接的に人を殺した。
そして目標に彼の傍の人間を選んだ――それだけのことが重なったところで、けれど彼の行動はきっと誰もが否定するだろう。
まだ生きている肉塊を、どうして死なないんだと呆れるように殴り続ける。強い意志に生気が溢れたその瞳には、炎すら浮かんでいよう。
復讐ではない。狂気ではない。
ただ、彼は筋が通らないことが許せないだけだ。
――正義なんて世の中にはねえ。
そんなことはわかっている。わかっていて、行っている。
彼女から見放されてからは、よりその傾向が強くなった。
――俺が手放したのか?
あの時の光景を思い出すことはできたが、果たしてどちらなのか確証は得られていない。けれど今は一人なのだから、どちらでも同じだろう。
同じだ、と思った。
誰かに背後から手首を掴まれた。
「――ンだあ?」
路地裏を使っているとはいえ、人通りが皆無なわけではない。時間をかけ過ぎたか、それとも仲間でもいたのかと振り返れば、そこに居たのは男だった。
やめろ、でもなく。何をしている、でもなく。
当たり前のように現状を受け入れ、当たり前のように肉塊に視線を落とし、当たり前のように反撃など意識すらしていない顔がそこにある。
ぽかんと意表を衝かれたのは彼の方だった。
わからなかったのである。
何故止められたのか、どうしてここに男がいるのか、まったく理解できなかったのだ。
「――火か」ぽつりと、男は言葉を漏らした。「憤怒の……いや、義憤の火だ」
視線が合う。
転がっている血だらけの肉塊など、どうでもいい瞳だ。興味が向かなければ何も映さないような瞳。
感情がないわけでもなく、真実を射抜くのでもなく、ただ平凡にしか映らない世界の中で己のものだけを認めている双眸だ。
「手を見せろ」
「……――はあ? ンだよお前は」
「俺などどうでもいい。見せろ」
向かい合うのも面倒なのか、その問いに従うのを待つのも面倒なのか、男は勝手に彼の掌を開いて見る。じっと、数秒ほど無防備なままで。
まるで、彼がどのような経緯で何をしていたのかを知っているかのように。
あるいはそんな瑣末なことに興味を持たないように。
「なるほど」
「だから、何だって――」
「二十秒待て」
直後、男は右の人差し指を左の掌に当て、引っ張るような動作を行う。指先が離れるに従い、いくつもの魔術陣が発生した。
「――」
彼はそれを知っている。
魔術を、知っていた。
陣を構成する形が全て違う。色もまた茶、青、赤、緑、白、黒、黄と七則こと地水火風天冥雷の全てがそこにはあった。
何をしているのだ、と彼は思う。それに確か雷の属性は、その特性を持つ者は他の属性の一切を扱えなくなるのだと聞いたこともあったのに。
ただ。
驚愕の隙間から抜け出そうと足掻かなかったのは、単純に男から敵意の欠片すら感じ取れなかったからだ。
「ふむ」
両手の間に発生した無数の術陣を見た男は、彼にはわからない工程を踏みながらも幾度の調整を加え、最後には術陣を閉じるよう掌を合わせてから、それを突き出した。
「受け取れ」
それは、刃物だった。
ナイフでもいい――刃を二本の指で掴み、柄尻を彼へと向けるようにして差し出す――いや、突き出す。
何故と、そんな疑問を浮かべるよりも早く。
――こいつ、どっかおかしいぞ。
そんな感想を抱いた。
「どうした? 扱ったことがないのはわかるが、いらないか? 受け取りもせずに捨てるのも、まあべつにいいが……」
「――いや」
疑問はさておき、少なくとも彼が受け取ったのは興味があったからだ。
刃物に。
その純然たる輝きに。
「……なんだ、こりゃあ」
そして幾度目かの驚きは、掌への馴染み具合だった。
吸い付くように木柄は手の中に納まり、やや長い刀身からは重みも然して感じない。これならば文字通り風を切ることだとて可能ではないか――そんな考えが、優先順位を決した。
彼はそれが予定通りだとばかりに肉塊にナイフを突き立てて地獄にも等しい痛みから救いを与え、その手ごたえのなさに躰を震わす。
――すげえ。
ナイフを、いや、ものを持っているなどという感覚が欠如するほどに、あたかも数十年愛用した得物であるかのように、しっくりとくる。
だが。
「――おい」
「不満か?」
「ああ不満だ。こいつは、――俺の手に余る」
「……ふむ」
頷き、腕を組んだ男は首を傾げてから肩を落とした。
「俺の見間違いだったか? すまん、それ以上ランクを落とすことはできない」
「――待てよ。つまり、俺には扱う権利がねえってのか?」
「権利? いや、そういう小難しい話はしていない。ただ、俺が創れる最低ラインがそれだってことだ。お前はそれが手に余るんだろう?」
「ああ……」
「だから、俺の見間違いかと思ったんだ。お前ならば扱えると、俺は判断したんだが……ふうむ」
「あんたの目が節穴とは……あ、つーかあんた、誰なんだ?」
「エグゼ・エミリオン。あるいは公人でもいい。
「……聞いたこと、ねえな。親父の書斎によく潜り込んだもんだが。あー魔術師協会に属してるとかじゃねえってことか?」
「協会は離反して久しい。思いのほか、あれは面倒だ」
「――在野か? んでも日本にゃ
「昔ほどではないな。むしろ錠戒ができてからの方が面倒がなくて済む……ん? よく知っているな」
「勝手に離縁した親父がそっちの関係でな」
「術式は」
「……知るか」
「ふうん? ――ソレ、どうだ」
「使いてえ」
手の中で玩び、逆手で掴む。けれど感触は変わらない。おそらく、創造段階で想定していたから組み込んだのだろう。
動かすたびに、思う。
ああ次にこうして使ったら、このナイフはどう反応をしてくれるだろうか――と。
「見てみてえ。こいつ、どこまで使えるんだ……?」
「どこまでって……繰り返すが、俺の中では最低ランクの位置づけだ。ふむ、そう考えれば手にできるだけマシとも……いや、やはり俺の見間違いなのか? ふうむ」
「考え込むなよ。なあ、音頤機関ってなんだ?」
「簡単に云えば武装流通組織だな。今のお前では客になれん」
「――それだ。なあ、どうすりゃあんたの刃物が扱える?」
「使いたいのか」
「使いたい」
「何のために」
「何だっていい。何でもいい――正義なんてクソッタレなもんを抱かなくても、独善的でなくとも、使えりゃいい」
「……ああ、そうか。ふうん、なるほどな」
「ンだよ」
「いや、約束を思い出しただけだ」
どこか懐かしそうな微笑みはしかし、今にも泣き出しそうなほど脆く、また儚く、ゆえにそれを寂寥と呼ぶのだろう。
右手を振った。たったそれだけで男の手は大振りのナイフを握っている。
「――」
その動作に驚いたわけではない。断じて、その瞬間的に行われた創造の過程が目視できなかったのに疑問を抱いたわけではなかった。
――なんだ、こりゃあ。
三十センチ強はある大振りのナイフは、彼の瞳にはこの世のものとして映らなかった。
静謐、鋭利、固有、それから選別。
斬ろうと思ったものの悉くは、それが事象であろうとも名称だろうとも切断できるだろうことが予想できる――そうだ、彼にでさえわかってしまう。
否。
それは、法則すら切断可能なのではと――。
「性能は四割落としてある。実物が現存している以上、これはあくまでも複製になるのか」
「な……」
刀身の根元に刻まれているExeEmillionの印は、彼の創造物であることを示すものだろう。額から流れる汗と共に視線を落とせば、彼の手にしたナイフにはそれがない。
もう一度、その刻印を見れば、末尾にNo.4とあった。
四本目、だ。
「これだと消失術式は切れないな。まがい物だ」
「な、なんだって?」
「消失術式――と、知らんか。
「あんた――なあ、俺はあんたとこれっきりなんて詰まらない落ちは嫌だぜ。なんとかならねえか? なあ、頼むよ。あんたのナイフが使いたいんだ」
「……狩人育成施設。そこで子供を集めている」
「狩人って……ああ、なるほどな。ふうん、なあ、そこに行けば俺はあんたのナイフが使えるようになるのか?」
「生き残れれば、な。多くを捨てることにもなる」
「いいぜ。紹介してくれ、構わねえ。どうせ、――俺ははずれ者だ。外道に落ちるつもりはねえが、な」
「ふむ、なら、試してみるか。俺は刃物を創ることにしか興味はないが、まあ、なんとかなるだろう。選択の根拠なんてべつになくても同じだ」
べつに彼は買い与えられた玩具に喜んで、それゆえに選択をしたわけではない。ただいずれにせよ、これから同じような道を歩もうと思っていただけのことだ。
その選択の中に、掘り出し物があったのならば、そちらを選ぶ。
そもそもどんな未来だろうとも、彼にとっては不明が明確になる基点に過ぎないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます