01/09/22:00――箕鶴来狼牙・姉の誕生

 自分が大勢の中の一人なのか、それとも一人で既に大勢なのか――そんな疑問を抱く人間はいない。何故ならば一人である以上それは大勢になることはできず、どう抗い何を吠えたところで、人は結局のところ大勢の中の一人にしかなりえない。

 そんな当たり前のことがわからなかった時、彼は姫琴一夜に拾われたのだ。

 いや――確かにその通りではあるが、厳密には、今もわかってはいないか。

 覚えていたのは箕鶴来みつるぎ狼牙ろうがという難しい己の名前だけで、たった一人で大勢だった狼牙は今も、自分の受け入れ方を覚えながら、自己を確認するように生活をしていた。基本的にはふらふらと出歩くのを日常としているが、今日は一夜の自宅である母屋から喫茶店へ行き、カウンターの中にいる。

 そして、日付が変わろうとする時間に、あるはずがない来訪者。裏口ではなく正面から入って来た人物は肩の小雪を払い、おやと目を丸くしてこちらを見る。だから。

「おかえり父さん」

「ただいま」

 ここがそうだ、と言って背後にいる小柄な少女を内部へと誘う。それを見た狼牙は小さく笑い、カウンター内にある椅子から立ち上がった。

「外は寒かったでしょう、珈琲を落としてあります。父さんの見よう見まねなので評価されると困りますが。そちらの方には砂糖とミルクを多目にした方が良さそうですね」

「気付いていたのか、狼牙」

「私の身近にいる人物が父さんでしたので、私なりに把握してみた結果ですね。この感覚を意図して経験できたのは、私にとって良い結果を生むと、そう思いたくあります。それよりも――」

「うん。雪芽、これは俺の……息子だ」

「実際にはあなたと同じく拾われた身ではありますが、箕鶴来狼牙と申します」

「暖房を入れるまで気は回らなかったようだ」

「これは失礼」

 店内の暖房と、カウンター側の灯りを入れる一夜をよそに、座った雪芽の前に狼牙は珈琲を置いた。

「どうぞ、暖まりますよ」

「あ……りが、とう」

「どういたしまして。どうやらまだ魔法師としては初期段階のようですね。私も経験しましたが、なかなかに辛い。どうぞ、焦らず一つ一つを片付けられるよう」

「……うん」

 一口飲んだ雪芽は顔を顰め、口を開こうとして止まり、あちこちに視線を投げて何かを考えた後、うんと頷いて言う。

「苦い」

 その感覚はわかっても、言語化ができなかったため考えていた時間なのだろう。狼牙にはなかったものだ、どうやら魔法師という生き物も一概に語れるものではないらしい。

 戻ってきた一夜は隣の席に座り、持っていたレジ傍に置いてあったメモ帳とペンを雪芽へと渡した。

「こんなものしかないが、使ってもいい」

「これは?」

「記すものだよ。書くことができる」

 軽く使い方を教えると、そこから雪芽は猛烈な勢いで文字を記しはじめた。しばらくはこちらの声も聞こえないだろうと、苦笑した一夜も珈琲を一口。

「……六十点だな」

「評価はして欲しくなかったんですが」

「一応だ、文句は言わないよ。きちんと自家用の豆を使ったみたいだし、片付けもきちんとやってある」

「父さんの場所をできるだけ荒らしたくはありませんから。それにしても――この文字ですが」

 表も裏も書いてから横に捨てられるメモ帳を一枚だけ拾い上げ、狼牙は袢纏を着たまま身じろぎするように目を細める。

「私には読めませんね。彼女は読めているのですか」

「おそらくは、だな。それと雪芽ゆきめと、とりあえずは呼ぶことにした。望むのなら、狼牙の妹になるだろうね」

「いえ、姉ですよ父さん。年齢は彼女の方が上です」

「じゃあ、それでいいか」

「はい。……読めませんがこれは、実に高度な圧縮ですね。一つの文字だけにかなりの情報量が込められています」

「そうだね。それは〝圧縮文字レリップ〟だから、狼牙が感じた通りのものだよ」

「以前に私を拾ってくれた時にも思いましたが、こちらの分野に父さんは随分と明るいんですね」

「それなりに、と答えておこう。俺はここの店主、それ以上も以下もないように暮らしているからね」

「まあ、それでいいと納得したのも私ですから、深く追求はしませんが……しかし、私もそうですが、妙な縁が合うことが続きますね。これはいわゆる、苦行というやつですか?」

「まったく苦しくはないよ、俺を困らせるなら明日の入荷を止めた方が簡単だ」

「でも物好きの類でしょう」

「それは否定できないな。けれど――狼牙、いや気付かないのも無理はない。これは俺の推測でしかないが――おそらく、今回は縁が合ったのも事実だが、縁を合わせられたと表現する方が近いものだ」

「合わせられた……ということは、誰かの手によって?」

「悪意は感じないけれど、おそらくね」

「そんなことまで、わかるものですか?」

「言い方は悪いけれど、本来なら狼牙の領分だ。俺の口からはこうとしか言えないよ」

「それもそうですね。しかし、誰かの縁を合わせるなど……」

「できない?」

「いえ、理屈上では可能です。それは私にもわかりますが、実現可能かと問われれば」

「現実を否定することになる」

「だとして、何のためにでしょう」

「それは俺が狼牙に訊きたい」

「……拾われたことと、助かったことは別物です。感謝はしていますが、私は助けられたわけではありません。そして、誰でも良かった――わけではないのですね。何故なら私たちが選択したのではなく、縁が合ったのは父さんの方ですから」

「条件は多くあるよ」

「まず――」

「俺の知り合いじゃないこと、だ」

「それは、……であればなおさら、難易度は上がってしまう。いえ、それどころか、現実味を帯びません。知り合いでもなく、干渉するのでもなく、誰かと誰かを引き合わせる方法など――あるのはわかります、わかりますが納得はできません」

 そんなことができたのなら。

「――化け物です」

「うん。けれど話の論点がずれているよ」

「そうでしょうか」

「そうだ。この際、どのような人物が行ったのかは、それこそ狼牙の言う通り化け物の一言で片づけてしまっても構わないものだ。少なくとも結果が出ている以上、その手腕に関して文句のつけようがない。だとして?」

「つまり……何の目的があって、ですか」

「もっとも、俺はまだ答えが見つかってないけれどね」

 拾われて一ヶ月、未だに狼牙は一夜の思考に追いついたことは一度もなく、こうして問題を投げかけられることはあっても、結論に至れることは少ない。

 知れば知るほどに、この喫茶店の主は奥が深く、多くの知識を持っている。かといって狼牙のように外を出回るわけでもないのだから、それらの根源がどこにあるのかが謎だ。たぶん、深入りしようにも、できない部類なのだろう。

 化け物。

 あるいは狼牙にとっての一夜だとて、同じようなものだ。

「さて、どうする?」

「私が部屋の準備はしておきますよ。さすがにまだ、二人でいて話が弾む様子もありませんから」

「じゃあ頼むよ。……しかしなあ、困ったもんだ」

「そうですか?」

「意図が読めないなら、その場で自己の判断をするだけ――だが、面倒にならなければと心底思うよ」

「……父さんはこうした機会を経験したことが、あるんですか?」

「まさか、ないよ。あるはずがない。だから困っているし驚いてもいるんだ」

「そう、ですか……」

「だからこそ、誰かはわからなくとも、どんな人物化はわかるものだけれど、それを説明したところで今の狼牙じゃ理解できないよ」

「理解しようとすることを辞めるな、ですね。諒解です」

 未だに書き続ける雪芽に一瞥を投げ、ふいに狼牙は立ち上がろうとして細い顎に手を当てた。

「記す――ですか。それは記録であり、記憶ではない。……いや、とりあえず部屋の準備をしてきます」

「そうだね」

 だとしたらそれは。

 一体なんの記録なのだろうか。


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