ハジマリの場、オワリの所

雨天紅雨

2008年

01/09/11:00――嵯峨公人・魔術書に呼ばれて

 子供の頃に親から見放された人間の多くは、行為に程度さえあれ愛情の欠落を埋めようと何かの代替を求めるものだ。それは単純に親代わりの誰かであったり、あるいは自尊心や自立心であったり――果ては、道を踏み外すことにも繋がるのだろう。

 理想の親とは? ――いないことを前提とした彼らの場合、その問いに対しては大きく二つに別れるだろう。つまり、本来の意味合いで理想的過ぎて、現実味がない妄想に似た答えか、――必要ない、という純然たる事実の、どちらかだ。

 事実は事実、けれど、いずれにせよ現実への直面は早い。何故ならば、金がなければ生活ができないからだ。

 その点、嵯峨公人さがきみひとの立場というのは、実に恵まれているのだろう。それこそ、一人暮らしが快適だと思うくらいに。

 物心ついた時は、各地を父親と転転としていた。どこに居たのかも覚えていないが、どちらかといえば隠れ潜んでいた印象が非常に強い。また、それによる被害というか、父親の傍にいるだけで、命の危険があるくらいの状況だったので、実際にこうして離れて暮らすようになってからは、随分と安心したものだ。

 そもそも、父親が設立した〝嵯峨〟と呼ばれる仕組みは、なかなかに後ろ暗い。それは会社ではなく、組織でもなく、単なる理念に基づいた仕組みでしかなく、その全容を設立者である父親ですら把握ができないようなものになってしまい、その危険性から父親は命を狙われている。同伴していたのが奇跡的であり、というか、したくない。

 しかし――それでも、実入りは良いのだろう。公人の口座には定期的に大きい金が振り込まれ、それをいくつかのルートを経由して引き落とすことができる。つまり、最大の問題である金銭面に関してはクリアできている以上、今どきの大学生だとて一人暮らしができるのなら、公人にできない理由などなく、簡単に言ってしまえば金銭感覚を得て、節制を心掛け、生活環境などと特定のルーチンにあてはめ、それを基準にする形で生活をすれば、隣の席に座った生徒と同じ振る舞いも難しくはない、ということだ。

 大人びてしまえば、それでいい。

 とはいえ、公人はまだ小学四年生という実年齢だ。大人びて、なんてことは笑い話でしかない。子供が背伸びをして、大人はそれを微笑ましく見守るか、そうじゃないと否定する。けれど、それでいいのだ。そんなことは自覚しているし、どう足掻いたところで、その現実が今は変えられないと、公人は納得して受け入れている。そもそも、――大学生と小学生を同列で扱うことなど、適わないのだ。

 だから、どうにかして、偽りを噛ませる。偽物でもいいから、上手くやる。

 朝は早く起きて掃除、洗濯を済ませてから、学校へ行く。帰りには買い出しに行くし、料理も作る――その合間に、趣味をやる。小学生にしては不釣り合いな行動であっても、らしくやってしまえば、勝ちだ。最低限、今を生きていればいい。

 さて。

 そうして生きている公人が、時間を作ろうとしたのならば、削るのはどこか? 睡眠ではなく、学業である。

 義務教育課程というのは、そもそも、卒業できるように制度が組まれている。逆に言えば、学校側としては卒業させたいのだ。留年させる必要に迫られても、あらゆる手を尽くして卒業させる。何故かと考えてみれば、それは、本人のためではなく、留年した場合における学校側の評判や、それに伴う教員側の労力など――つまり留年生とのトラブル関係だ――そうした、想定される損害を回避したいわけだ。

 父親の影響もあるのだろう、公人にとってそういう〝仕組み〟を考えるのは、得意だった。得意というか、自然に考えるようになっている。その結果として、今日のように、単位を落としても問題ない平日などは、外を出歩くのだ。

 目的があってどこかへ行くこともあるが、今日は当てもなく歩いている。自分への言い訳としては、趣味になりそうなものを探しに――だ。今のところ公人にとって、趣味に割く時間というのは、睡眠時間か料理の時間と同一になりつつある。音楽を聴くにしても、クラシックはほかの作業をしながらでも流しておけるので、実際に趣味を問われればクラシック音楽を聴くと答えるのだろうけれど、だからといってそこに時間を取っているわけではない。

 かといって、急を要して趣味を得よう、なんてことは断じて思っていないが。

 一人暮らしをして半年で痛感したのは、何事にも余裕が必要だ、ということだ。急がなくてはならないこと、なんてのは、極力作らない方がいい。そして、できたとしても、余裕があれば、問題なく済ますことができるのも、今までに何度も経験した。無理にでも休め、なんて言葉の原点は、こういうところにあるんじゃないかとも思う。休み方を知らないと、上手く日常も回らないのだ。

 海岸線ではあるものの、愛知県杜松ねず市の浜辺に降りるためには、急な坂を下らなくてはならない場合がほとんどだ。伊良湖岬の方まで移動すればともかくも、遠目に海が見える程度であって、手前には山があり、海抜は高い。周囲はほとんど民家しか見られないような道路を、のんびりと歩きながら、いざとなればバスで帰宅すれば良い、なんてことを確認しつつ、ふいに目に留まった家の前で、公人は足を止めた。

 それこそバスを使った時に通る場所ではあったが、徒歩でのんびりと歩くのは初めての道だ。概略地図くらいは頭に入っているので迷うことはないにせよ――こんなところに、店があるのは、知らなかったのである。

 店――なのだろう。

 一見すればそれは、古臭い平屋の一軒家にしか見えない。玄関も今どきの開閉式ではなく、横にガラス戸をスライドさせるかたちだ。それを民家ではなく店だと認識できたのは、入り口に立てかけてある〝朧夜堂ろうよどう〟と描かれた木の板があったからだ。

 もちろん、そこが飲食店ではないことはわかる。しかし、何を売っている店なのかはわからない。個人商店なのだろうが、ぴたりと閉まった入り口からは中の様子も窺えないし、そもそもこんな場所にぽつんとある店舗で採算を合わすような方法も、公人には浮かばなかった。

 だから、それは好奇心。門前払いならばそれも良しかと中に踏み入る。からからと音を立てて入り口は開くが、手入れされているのか、随分と軽かった。

「――」

 思わず、立ち止まる。

 そこには広い土間があった。床ではなく、地面そのものが綺麗にならされている。そして、中央にはテーブルのようなものがあり、左右を見れば棚があり、そこにはいろいろな品物が置いてあった。本棚もあるし、公人から見ても、がらくただろう、なんてものが、綺麗な宝石の隣に置いてあったりもして、妙に雑然とした印象を受ける。そう、整っているわけではないのだ。けれど、手入れをしたいとか、掃除をしたいとか、整理をしたいという欲求だけは生まれない。ぴたりと型にはまっているような、そんな印象があって、心情的には矛盾すら、その雑然の中に含まれてしまっている感覚だ。

 古着屋――では、ない。着物も置いてはあるが、どちらかといえば反物と表現すべきだ。であるのならば、骨董品店と、呼ぶべきだろう。どこからか漂ってくる甘いような優しい香りが、心を落ち着かせてくれる。

「――いらっしゃい」

「あ……ああ、ども」

 そこでようやく、おそらく母屋に通じるカウンターに、まだ若いとも思える風貌の作務衣、あるいは甚平を着た男と、和服に身を包んだ、やや老いたとも思えるような女性がいることに気づく。老いたとはいえ、さすがに七十には至っていないとは思うが――。

「悪い。邪魔をしたか?」

「客が店の邪魔をするなんてことは、まずない。来ただけで邪魔になるなら、閉店の札でも提げておくよ」

「――どれ」

 ふいに、間合いを詰められ、和服の女性が正面から公人を覗き込んだ。どう対応すべきか悩む前に、しかし、視線を合わせた公人は、驚きに目を丸くする。

 その瞳が、美しいと思えたのだ。ただしそれは、機能美に限りなく近い何かを感じ――けれどそれは一瞬、驚いたのはその瞳に映った己が、妙にくっきりと見えてしまったからだ。

「……なんだい、怯まないね、あんたは」

「ばあさんが怯む暇をくれなかったんだよ。歩いてここまで? 通りにはまだ車も多いし、気を付けてくれよ――と、すまん、初対面の人に言うことじゃなかったか」

「いいさ、気遣いだと思って受け取っておくよ。――じゃあね若造、頼んだよ」

「はいよ。上機嫌ですっころぶなよ」

「歩けるうちは、まだ大丈夫さね」

 緊張、なのだろうか。

 ゆっくりとした、けれど堂堂と歩く彼女が出ていくのを見送ってから、公人は軽い呼吸を意識して、気を改めた。

「怯みはしないが、驚いたんだけどな……」

「はは、悪かったな、ああいう人なんだ。俺も頭が上がらない」

「そんなもんか。ここは、骨董品の店って認識は合ってるか?」

「違いない」

「俺のイメージだと、まだ若い兄さんが、こんな店を切り盛りしてるってのも違和感があるけどな」

「若いか?」

「っと、悪い。どっちかっつーと、あのひとみたいなご老人を相手にすることが多くってな。可愛がってもらってるってところだろ。お陰でどうも、な」

「まあいい。けど、こんな店ってのも、余計だな」

「継いだのか?」

「いんや、俺が始めた」

「そりゃまた、奇特――で、合ってるか」

「合ってる。それを言うなら、この時間だったら学校だろう」

「学校って閉鎖的空間は問題を外に出したくない性質がある。教員ってのは給料を貰うため、預かってる子供の面倒を見てるって体面が欲しい。この二つを知っておけば、大抵のことはどうでもなるぜ」

「適当にやってるってか」

「兄さんは学校に行けって言うタイプの人種か?」

「人様の行動にケチつけて、余計な責任を負わないタイプ」

「そりゃありがたい」

「世間ズレしているのはわかるが――よりもよって、俺のところに来るとは、お前もツイてない。誰かが呼んだのか、お前が選んだのか、いずれにせよな」

「なんだ、押し売りでもしようってか?」

「それならまだマシだ。うちの場合、金のやり取りがほとんどない。たとえば、ここで俺が、品物の気持ちがわかると言ったら、どうするよ」

「どうって……そうか、と頷いて終わりだ」

「終わりか」

「少なくとも俺にはできない。それは突き詰めれば納得できないってことだろ。そういうものだと受け取ることは可能だし、ましてやそれを証明しろだなんて、口が裂けても言わねえよ。――ただし、理解や納得への努力は忘れるなって、知り合いのご老人によく言われてる」

「お前、そのぶんじゃ、学校でも浮いてるだろ」

「その方が孤立しやすい。孤立すれば余計な干渉は避けられる。願ったりだ」

「それでも通ってるんだろ」

「得るものがあるのは事実じゃねえか。それこそ、俺の体面ってやつもあるしな」

「体面を気にする年齢かよ……っと、そろそろか」

「あ?」

「興味がある連中の話し合いが、終わりそうってところだ。倉庫から飛び出てきたやつらも、今は静かにしてる」

 本当に、物品がそうしていたかのように、彼は言う。そして、公人もまた否定はしなかった。先に言った通り、公人にはわからないからだ。

「その中で、一貫して主張しているヤツがいてな――」

 立ち上がれば、随分と背丈が大きい。いや、背丈だけではない。鍛えられた躰だ。それでいて、妙にしなやかさも感じた。

 横を通り過ぎて、本棚の中から、一冊を引き抜き、その拍子を見て、苦笑する。

「……ははは、お前が動くとはな。おい、どうだ」

「どうって、何がだ?」

「こいつは、手に取って欲しいとお前に望んでいる。だとして、お前はどうなんだ?」

「……と、言われてもな」

 片手を差し出せば、ぽんと置かれた。随分と厚い本だ。面の装丁が何かは知らないがやや濃い赤色で、いわゆるハードカバーの文芸書サイズに当たるのだろうか。

「読んでみていいのか?」

「そうしてやれ」

 軽く瞳をつむった公人は、一呼吸の間を置いた。本を読むだけなのに、なんてざまだと苦笑してから、開く。

 ――わからない、が最初だった。

 言語形態がまずわからない。基礎教育課程で覚える共通言語イングリッシュではなく、ましてや日本語でもない。ざっとページを目で追うけれど、何一つとして解読できず、もちろん図解なんてものもなく、そもそも、どんな本なのかもわからなかった。

 ただ、ぺらぺらと適当にページをめくれば、ふいに、気づく。

 わからない。けれどそれは、文字が読めないというだけのことで――。

「兄さんは……これがなんの本なのか、知ってるのか?」

「もちろんだ」

「そうか」

「お前にはなんの本か、わかるか?」

「いや……そう、だな」

 相変わらず、わからないけれど、確かなことがあって、それを認識した公人は一度本を閉じて、目をつむって、少し考える。考えるというよりも、むしろ思い返すような仕草で。

「俺には、刃物の図鑑のように思えた」

「〝刃物スォード〟――か」

「違うのか?」

「いいや、その本がお前にそれを見せたのならば、事実、そうなんだろう」

 曖昧な物言いになるがなと、男は再び、母屋側のカウンター傍に腰を下ろした。

「専門ではないが、あるいは物品そのものでは専門家として通じるわけだが……そこらの事情の理解も及ばないだろうし、説明は難しい。まず、この店にある商品はどいつもこいつも、誰かの手に貰われることを望んでいる。――ああ、与太話だと思ってくれていいぞ」

「ああ、今のところは〝そういうものだ〟として受け入れてる」

「そりゃ話が早い。ともかく、この店は休憩所みたいなものだ。あるいは中継点。どこからともなく集まって、誰かの手に渡るまで、寂しさを紛らわすために集まっているようなものか。付喪神、と言えば、似てるかもしれないが」

「……この本は、俺の手に渡りたかったって?」

「お前じゃなかったかもしれない。だが、今回はお前だった。特定の誰かじゃなく、条件を満たした誰か――ま、こいつらにとっちゃ、保存されてる状況なら、百や二百の年数なんぞ、そう変わらんだろうからな」

「そんなもんか」

「そんなものだ。で、ここからは専門外のことになるが――そいつはな、魔術書だ」

「魔術?」

「そう、魔術について書かれた本だ。そいつの特異性はな、基礎理論に傾倒しているのにも関わらず、相手の特性に応じて中身を変えることにある。ここまでは確定情報だ。果たしてどこまで相手に合わせるのかまでは、定かじゃない。つまり、刃物の図鑑に見えたのなら、お前には刃物の魔術特性センスがあったと、安直に考えることもできるってわけだ」

「……魔術、か」

「知っているのか?」

「知らないも同然だ。それも同じく、俺にとっちゃ〝そういうものだ〟って認識してるものの一つさ。立ち入らないって意味合いでもあるけど……」

「いずれにせよ、お前は魔術師になる素養を持っていたことになる」

「素養、ね。専門外だと言うんなら、兄さんに対して、魔術師ってのは何だと聞くのも、筋違いになっちまうのか」

「そうだな」

「刃物とは関係があるってか」

「あるんだろう。それはお前がこれから確かめることになる。それが使うものか、担うものか、あるいは作るものかも俺は知らん。知らんが――縁は合った。その本はお前にやろう」

「美味い話には裏があるって意味を、俺は経験として知ってるぜ?」

「納得できる落としどころを用意しろって?」

「本が望んでいると言われても、俺としては、な……そうであったとしても、所持――じゃなくて、保管か? ともかく、兄さんに対して何もしていない気がするしな」

「うまく世間は渡れそうか?」

「失敗続きで学習したんだよ、これでも」

「だったら、対価を支払ってもらおうか。言っておくが、金じゃない」

「品物か?」

「ん、ああ、そうか……そもそも、目に見えないものが対価になるってことも、説明しなくちゃいけないか? さすがにそいつは面倒だな……」

「どういうことだ?」

「情報の売買が金になることは知っているか」

「そりゃ……実際に見たことはないけど、そういう商売があるのは知っている」

「似たようなものだ。情報それ自体は、現実に起きたもののことを指してはいるが、物品でも金でもない、目に見えないものだろう。だが、必要な人間はそれに金を払って、知ろうとする。そこには対価が生じるからだ」

「言わんとすることは、わからないでもねえけど――」

「だったらわかるように、言ってやる。――名乗れ。それが対価だ」

「――」

 視線を合わせれば、男は笑っている。そう、公人が今まで名乗らなかったことから推測して、それ自体を避けているのだと見越して、だからこそ意味がある〝対価〟になるのだと、そう言ったのだ――と、さすがに、そこまでは気づかない。けれどでも、嫌なことを明かすことが、必要であるとは理解できた。

 ため息を一つ。

 公人は、自分の名前を嫌っているわけではない。ただの公人と名乗るだけなら、なんの問題もないのだ。けれど、男が要求していることは違う。ありていに言えば、嵯峨であることを教えろと、そう言っているのだ。

 けれど――。

「ここで、兄さんの名前を訊くのは、違反になるのか?」

「違反にゃならんが、どうした」

「これっきりの付き合いにするには、惜しい人だと思ってさ。見ての通り、まだまだガキだから、繋がりを作っておいて損はねえ」

「なるほど、それなら、理解はできないかもしれないが、ひとまず納得はできる、か?」

「挨拶になるだろ」

「ははは、確かにな。俺は啓造だ。朧月啓造おぼろづきけいぞう。この店の主だ」

「ありがとさん」

 息を吸って、言う。

 そこから、魔術師としての生活が始まることを知ってか知らずか、宣言するようにして口を開いた。

「俺は公人。嵯峨公人だ」

 嵯峨という姓が持つ本来の意味を知る相手だからこそ、対価になる己の名を、公人は本を対価にして教えた。

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