「樹くん、どういうことだ。樹くん」

 指令席でコンソールを前に鏑木は叫んだ。イヤフォンマイクを通した声はもう樹には届かない。


 「ふふっ、思惑を見透かされていますよ、鏑木さん」

 と、傍らで有栖。


 「どういうことだね」

 鏑木は斜め後ろに立つ有栖を振り返った。


 「鏑木さんはわざと樹くんを凪人の手の内に送り込むつもりでしたね。凪人がいきなり萌黄を倒す可能性は低いと踏んでるんでしょうけど、いいのかな、彼らを信頼しちゃって」


 「オロチの配備は万全だ。それに彼らはアバターの装着者を君か乃衣絵くんかどちらかだと思うはずだ。まあ、萌黄の動きをみれば君でないことはすぐわかる。彼らは乃衣絵くんをいきなり襲ったりはしないだろう。まずは自分たちの制御下に置こうとするはずだ」


 「鏑木さん、忘れちゃったんですか?紅を倒して神無を廃人状態にしたのが凪人だってことを。あの日遺体でみつかった風見博士だって彼らに殺された可能性が高い」


 今は故人となった風見健吾の名を聞いて、鏑木の気は重くなった。彼の残したブレーンワールド生成理論がすべての始まりだった。それは、平衡世界を人為的に生み出すという画期的な理論だった。


 認知工学研究所の先輩だった風見は晩年の陶博士の最後の直弟子、いわゆる秘蔵っ子だったという話だが、鏑木が出会った頃はすでにロマンスグレイの髪にマスタッシュの中年紳士だった。とにかくエネルギッシュな自信家で、彼がいなければ新しい地球の創生を目的としたハイパーノヴァ計画は始動しなかっただろう。

 後年の風見は紺青のミリシアの育成に深く関与しており、そもそも隊員=デザイナーベイビーの誕生の時点から関わっていたという話だった。


 3万人が一挙に消えたあの日、死者は風見だけだった。遺体は内臓が激しく損傷しており、爆発の巻き添えになったと推察された。地上に残されたのは、死者1名、負傷者1名、生存者1名。

 残りの行方不明者はまだ別の世界で生きているはずだ。なぜなら、凪人たちの行動がそれを暗示しているからだ。

 彼らは日々ハッキングによって世界中から生活物資をかすめ取っている。それはちょうど3万人分だった。


 鏑木は凪人を油断ならない敵と認識していたが、一方でかつて装機の訓練のなかで接した経験から、その人間性には疑いを持っていなかった。強い責任感、高い倫理観、仲間意識、リーダーシップ、そういったものを備えた青年だった。


 なんとしても対話したかった。

 だが、そのために樹を利用したのは間違いだったのかもしれない。確かに凪人は目的のためならいくらでも非情になれる青年だった。鏑木は自らの選択を後悔し始めた。


 「バトルフォームでの戦闘は不確定すぎる。なんとしても樹くんを留めなければ」

 鏑木の声は心持ちうわずっていた。

 「アバターに憑依した最長記録はこれまで36時間。いずれにせよ個人差がある。樹くんの精神と肉体の分断が長時間続けば危険な状態に陥る」

 ここまで樹が制御不能となることは予測できなかった。思春期の少年というものはなんと扱い難いのだろう。自分も年を取ったものだと鏑木は痛感した。


 「いまから僕が桜あたりで出撃しますかね」

 と、有栖。


 「桜に君のデータをインプットしていない、時間的に無理だ」

 プランB(次善の策)すらない。絶望的な状況。


 「まったく、お手上げだね。樹くんは自動運転の解除のみならず、こちらとの通信回路まで切ってしまった。あと残された道はひとつ、僕が萌黄をハッキングして、遠隔操作する」

 あまりに無謀な提案に鏑木は息を呑んだ。だが、この場で求められていることは一刻も早い果断な決断だった。


 「わかった、君に賭けよう」

 鏑木は有栖のまったく未知数な能力と良心にすべてを託した。不思議なことにその判断に誤りはないと感じていた。


 「じゃあ、そのメインコンソールを僕に譲って、鏑木さんはそっちのモニターで樹君のバイタルを監視してよ」

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